2011/08/10

山北橋超線橋と旧道踏切

山北町旧道沿いの丸ポスト のレスに国沼富士夫さんがくれた情報
関東大震災時に旧道の踏切があった件である

とりあえず、ざっと纏めてみた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_0?1312899975

県道76号線が御殿場線を超える山北橋

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_1?1312899975

鋼製ガーダーである
橋名以外の銘板も、ガーダーのプレートも存在していない
最初に架かった超線橋では無いとは思うのだが・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_2?1312899975

山北橋袂から見た御殿場線。ブルーのマーキングが旧道&踏切の位置である
踏切の先には鉄道が皆瀬川を渡る橋梁も見える

↓が国沼富士夫さん御指摘の写真。見比べて欲しい


なる程、ココの写真っぽいね。確かに踏切の遮断機が写ってる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_3?1312899975

下に降りてみても踏切があったような感じではない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_4?1312899975

反対側から見ても同様だ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_5?1312899975

しかし、旧道は真っ直ぐココに続いてるので、この場所に踏切があったのは間違い無いと思う

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_6?1312899975

しかし、狭いな。踏切から御殿場側は改良されて無いのか一車線幅しか無い
左側法面の足元には神奈川県の境界柱があった
県マークの物だから、そんな古く無いと思うのだが・・・道路との関係は不明だ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_10?1312899975

いつ踏切から超線橋になったのか?1947年の航空写真には、初代バイパスと超線橋(赤枠)が写ってる
恐らく初代バイパスと一緒に超線橋も造られた、、、戦前という事だろう

二級国道246号東京沼津線としての指定は、昭和31年(1956年)だから、
それ以前の縣道2號秦野御殿場線(昭和11年/1936年指定)か、その前か・・・
ここら辺がまだ解明していない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_7?1312899975

山北橋の近くには、幸いにも他に古い道路建造物がある。まずは樋口橋(航空写真、水色枠)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_8?1312899975

現在の姿は、昭和39年の拡幅後のものだが、当初は大正15年架橋である。アーチ製造は大正14年
この時の幅員は、5.45m
震災後に造られたものだから、その時の道路幅のヒントになると思う

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_28292233_9?1312899975

続いて安戸隧道(航空写真、黄色枠)。大正2年(1913年)竣工
この隧道幅は 5.1m
狭いと思ってたが、当時としては立派な幅だったようだ


とまあ、実際のトコ、ここら辺の謎はまだ調査中な訳で、答えはまだ出て無い
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コメント

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No title

早速の現地調査のご様子、即攻の行動力に脱帽、です。

ここでもう一つ気になるのはこの踏切を通る道の先代は皆瀬川の右岸側で線路を越えている点です。
大日本鉄道地誌(BAZU様レポートの山北駅避難線路2009.1.10)によるとその先代の道は鉄道橋の少し上流側で右岸に渡った後、線路を越えて現、樋口橋の西側に出ています。
線路から樋口橋までの間は人家と竹やぶで近づけませんでしたが線路を横切ったであろうと思われるところの山側には細い道(農作業用のような)が2本(西方向へトンネル上の道向けに、もう1本は北向きに人家に向けて)ありました。この北向きの道が唯一の(?)名残かも、です。

No title

国沼富士夫さん、ありがとうございます

このレポですね
http://bazu55555.web.fc2.com/tetsu_yamakita_hinan/index.htm

ぉぉぅ、明治時代は更に御殿場寄りで鉄道越えていたみたいですね
これは見逃していた
明治時代の橋かぁ

大正時代の踏切が皆瀬川を渡るトコにも橋が架かってた筈で、
樋口橋の旧橋もあったという事にもなります

謎がまたひとつ増えた