2010/11/03

小田原電気鉄道/風祭~山崎専用軌道

先月のハードワークがたたったのか、一段落したら体調不良になってもうた
一休みしたので徐々に復活の予定だ

てな訳で小田原馬車鉄道~小田原電気鉄道の初期路線探索の続きである

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_0?1288727618

ココは小田原市板橋。早川左岸の国道1号線上だ。地図。川を横切る高架橋は小田原厚木道路である

1888年(明治21年)、開業の小田原馬車鉄道は、国府津からココラまでは道路上に軌道が造られた
すなわち路面馬車鉄道である
小田原電気鉄道となり、電化された後も1935年(昭和10年)に
現在の鉄道線(小田原-強羅直通)が開通し、軌道線が廃止されるまでこのルートを経由していた

この先「湯本駅」(後の箱根湯本駅)までのルートは時代によって変わっていく
今回は開業当時の早川沿いに山崎までの経路を検証する

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_1?1288727618

詳細地図は無いから概略図を引用
緑線が路面軌道。赤線が専用軌道となる
電化された時に軌道線路となったが、開業時は馬車鉄道だったので名目上は道路だったかも知れない
(前田橋、落合橋も当初は軌道道路併用橋であった)

なお、この図に描かれている風祭-入生田-山崎の道は、現在の国道1号線ではなく、旧道である

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_2?1288727618

早川左岸土手上
実際の軌道は、土手上ではなく、土手沿いであった
しかし早川左岸は開発されまくっているので、その痕跡すら見る事はできない
2005年の小田原箱根道路でトドメもさされてる

この写真の辺りが古めかしい地形なんだがなぁ
写ってる橋は昭和36年架橋の太閤橋

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_3?1288727618

馬車鉄道の軌道線とはどんな「道」だったのだろう?

小田原馬車鉄道の軌間は 1372mm。電車と違って馬が引くから少し幅に余裕が必要かな?
開業当時の湯本駅図によると、2頭の馬が馬車を引っ張ってる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_4?1288727618

東京馬車鉄道の写真である。軌間同じく 1372mm
2頭の馬が並んでも、馬車幅に収まってるようだ
1.5mもあれば馬車鉄を通す事が可能だったろう。カーブなどではも少し余裕が必要か
この辺は現在も資料を探している

ちなみに、電化の際不要となった馬、馬丁、馬車6両は、東京馬車鉄道へ譲渡された
暫くは東京の街を走ってたようだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_5?1288727618

箱根湯本の富士屋ホテル前の路線跡も、拡幅されたのかと思ったが、意外とそのままかも知れない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_26420135_6?1288727618

山崎交換所を通り過ぎ、前田橋(写真/電化後)を渡って早川右岸へ

・・・って現在の写真はナシかよ!

すまん。小田原箱根道路や箱根新道で当時の場所に行く事もままならん
概ねコレらの下になってしまった(と思われる)

1940年代、1960年代の航空写真では、まだ田園が広がってる状態が写っている
ひっとしたら当時の正確なルートが判るかも知れない

早川沿いの経路は、水害によって度々被災した
1913年(大正2年)に軌道線は風祭から湯本までの変更を行う
風祭~山崎の間は、道(旧道)沿いを走る経路に変更となった
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