2010/05/30

旧巡礼街道を探せ-3/追跡編

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旧巡礼街道が線路を越えていた?跡は発見できなかった
続いて、地図に無い道を辿る為、「農薬前架道橋」前に戻って来た

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ここから西方面に延びる「水路みたいな路地」を辿るのだが、入るのはちょいと気が引けた

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従って路地を迂回して、「道?」と交差するポイントに向かった
先の写真の反対側、東向きに振り返った形だ
路地中央の水路はココで途切れているのだが・・・

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「道?」の跡が空き地に残ってる

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空き地内でカギになった後、「狭い空き地」となって西に続いている

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次の交差ポイントから振り返ると、路地っぽくなってる

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振り返ると草の茂る空き地となりながら続いてる

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更に次の交差ポイントから東を振り返ると、樹木まで生えた「街中緑地」になりつつある

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_24864364_7?1275225902

そこから東は、こんな有様
今までの「道?」が無ければ、ただの空き地の一部としか見えない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_24864364_8?1275225902

最終的に、この斜めの道に出るのだが・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_24864364_9?1275225902

斜めの道は現在の巡礼街道まで繋がって無い
水路が延びてるだけだった

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_24864364_3?1275225902

途中で見つけた敷地境界は、小田原市のもので、「道?」として続いてるこの空間は「官地」だ
細長い官地と言えば「水路」跡というのが妥当だろう

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_24864364_10?1275225902

古い航空写真で確認すると、田の中の水路として、この「道?」が確認できる
畔道が並走してただろうが、水路跡と見て間違い無いだろう

ここは街道跡では無いのか?

ただ、気になる事はある
ただの田の水路がなぜに官地として空き地になってるのか?
なぜ田を斜めに横切っているのか?(田はなるべく四角になる方が効率良い)

今後、資料調査で答えが見つかると良いのだが・・・その時はまたご報告しましょう

そして、旧巡礼街道が線路を越えていたか?の件だが、
大正時代の地図にあったように、そのまま線路を越えていたというのはあり得ないと思う

鉄道堤を越える踏切ルートは、鉄道が出来あがった後から道を造るならまだしも、
現在ある道の上に堤体を造ったら、工事中の間通れない

当然のごとく堤体の無いもっと手前で踏切を渡るルート
(貨物駅で消えてしまったが、農薬前架道橋の2ブロック手前に踏切があった。
1946年航空写真、赤枠中央を横切る道が踏切を越えている)
あるいは先の江戸尻橋梁を潜るルートに変更されたと思う

線路南側の「街道跡」が1946年写真でも見られないのも、
街道ルートが断絶してしまった故かも知れない

やはりというか、思った通りだが、現地では確定できず
<一旦終了>
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