2021/10/31

御殿場泥流考

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約2900年前、富士山東稜で起きた山体崩壊は、岩屑なだれとなり御殿場に堆積し、
鮎沢川、酒匂川を経由して足柄平野を埋め尽くした
というものの、静岡-神奈川県境の狭い谷を、流動性の無い土砂が流れ下るというのは、
若干違和感があるかも知れない

私の場合、別のトコで起きた土砂災害に詳しくて納得出来た
また、不明な部分もある御殿場泥流のヒントになるかも知れんので、ここに纏める

っー訳でタイトル詐欺っぽいが、富士山/御殿場のハナシは一切出て来ない


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その災害とは安政5/1858年に起きた飛越地震である
(火山に関して若干間違いがあり、図差し替え)

越中・飛騨境の跡津川断層を震源に、M7.0-7.1(別M7.3-7.6)の地震が発生し、
北陸、飛騨方面に大被害をもたらしたのだが、
最大のものは断層直上の鳶山山体の崩壊である

周辺の山は地震の影響でアチコチ崩壊したが、
鳶山からの稜線上にあった大鳶、小鳶は崩れて跡形も無くなった
土砂は直下の湯川を埋め尽くす

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崩落土砂量は4.1億㎥(東京ドーム約330万杯分)と推定され、
地震性の山体崩壊として判明してる中では、有史以来日本最大規模であった

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天正8/1580年に発見され、
明和7/1770年に温泉地として整備された立山温泉街は、土石流で壊滅した

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崩壊による土砂は、谷の湯川を埋め尽くし、下流の常願寺川にも至り

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別の支流、真川にも流れ登った(間違いでは無い)
堰き止められた二川は河道閉塞となり、天然ダム化

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飛越地震の余震などで決壊し、常願寺川を流れ下る

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土石流は常願寺川の狭い谷間を流れ、下流平野に多大な被害を与えた
3万石以上に相当する田地が土砂に埋まり、多数の死者と流失家屋が出た
当時の小田原藩が11万3千石、小大名の石高位が逝った
(常願寺川の他、神通川でも河道閉塞~崩壊が起きてる)

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常願寺川の下流域は扇状地となっていて、堆積作用により度々流れを変えて形成されていた
土石流はその流域を一気埋め尽くす形となっている

加賀藩では常願寺左岸の被災集落250余戸を右岸の高原野へ移住
残りは復旧となる起返工事が行われたが難航、
上流部はそのままなので、翌年には洪水も発生
工事は6ヵ年でほぼ半数が完了した
洪水対策として堤防強化などの対策も行われた

以下は近代砂防史なんで、ますますタイトルからは外れるが、
私が砂防という世界を垣間見る切っ掛けとなった事柄なんで、簡単に説明

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本格的に砂防事業が開始されたのは明治に入ってからで、
明治24/1891年の大出水に対して内務省からお抱え技師デ・レイケが派遣され、
下流域は計画に基づき改修されたが、上流部はデ・レイケを持ってしても困難だったようで、
調査は行われたのだが、具体的対策の方針は残ってない
あるいは残せなかったのかも知れない。上流部がそのままなので、
明治27/1894年、明治28/1895年、明治29/1896年と出水が続き、
その度堤防が決壊し、被害は続いた

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明治37/1904年、県により調査が行われ、常願寺川水源地砂防計画がスタートし、
明治39/1906年より20ヵ年計画で、国庫補助による砂防事業が富山県により開始された

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明治39/1906年、立山温泉に立山砂防事務所が建設され、本格的工事が始まる
が、工事が行われてる期間中にも災害は毎年のように発生し、
大正3/1914年8月には台風の集中豪雨で鳶山が崩壊
大正8/1919年7月の出水で湯川谷に造られた錬積堰堤5基などが決壊
要である湯川第1号堰堤は完全に破壊されてしまった
翌年から復旧にかかり殆ど完成した大正11/1922年7月、
前回を上回る豪雨で多枝原谷で大崩落が発生し、湯川第1号堰堤は根こそぎ破壊された

富山県は砂防事業が展開されてる間にも絶えることなく災害が発生し、
現在の砂防計画では不十分。本格的に事業を拡大する必要があったが、
当時の財務状況では到底成しえる事は不可能
大正6/1917年11月、内務省に直轄施工を陳情、翌大正7/1918年8月にも陳情してる
大正8/1919年10月、富山県の要請により内務省技監が派遣され視察が行われたが、
被害等他府県に至らない場合、当時の砂防法では直轄が該当しなかった

大正12/1923年にも水源部で大崩落が起き、富山県はなすすべもなく、
この年度の砂防工事は行わなれてない
この年、関東大震災(1923/9/1)が発生し、
神奈川県の箱根丹沢でアチコチ崩落~土砂崩れが発生し、多大な被害受けた
結果として砂防法改正がなされ、
大規模災害における直轄砂防事業の道筋が造られた

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大正15年度より9ヵ年計画で直轄砂防事業がスタート
大正15/1926年6月、立山温泉に立山砂防工事事務所が設立され、
上流部の本格的砂防工事が開始された

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てなのが常願寺川、立山砂防のだいたいな流れである
各事業は概ね上記の年表の通り

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立山砂防と聞いて、知ってる人は多少なりとも居るとは思うが、
伴う砂防軌道は有名なんで、コッチ知ってる人は多いと思う

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常願寺川上流、立山カルデラにおける砂防事業である
令和3/2021年現在も、この工事は続いて行われてる

超・地元中心な私がフォッサマグナ的に反対側の立山砂防に詳しいんは、
立山カルデラ砂防博物館の一部の展示物に係っていたから
偶々、上下流全体のモンだったので、全般的に知る事が出来た
県外(足柄縣、神奈川県)で上から下まで知ってるのは常願寺川位しか無い
(青森県のダムの仕事とかもやってるが、ソコラしか知らん)

平成10/1998年の冬季は立山駅近くの旅館に長期滞在し、
最終調整という名の「その場でなんとか」に試行錯誤してたのが懐かしい
仕事は制御用PCのソフト制作なんだが、展示物はおっきくて、
現地でしか摺合わせが出来んかっのだ
なぉ、当初の仕事以外にも、現場で急遽もう1システム1から造った(涙

もう20年以上昔
HP見た限りリニューアルされてて、当時のモンは残って無い雰囲気
ぃゃマテ倉庫に残ってたりしないよな(焦っ
まぁ制御機体がPC-98(NEC確か286程度)なんで、動かんとは思うが

公開されて無いナイショのネタとかは無いよ
そもそも博物館なんて一般向けだし、ネット全盛の今の方がネタが豊富
懐かしい話は幾らでもあるんだが、留まらんのでコレ位にて

概要や詳細その他は各リンク参照
立山カルデラ砂防博物館
http://www.tatecal.or.jp/tatecal/index.html
内務省/1858飛越地震
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1858_hietsu_jishin/index.html



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