2021/03/06

中世狩川プロト版

南足柄市・小田原市境の件」の狩川変遷の続きとなります

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北ノ窪と沼田の間にある新屋が、旧狩川跡と判明した訳だが、
ソコより下流は府川と飯田岡・清水新田の境が川跡と推測
左岸(地図右上)の飯田岡・清水新田が右岸にはみ出してるのだ
それを川跡山側(地図左下)に想定してラインを描いた

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明治地図でも境を確認。若干変わってるが概ね正しそ
穴部からは内堤防が有り、それが古い堤防と思われるんで、それに沿う形に

新編相模国風土記稿/穴部の記述で既に川沿い堤防があるが、
内堤を維持してたんは、度々氾濫があったからと思われる
穴部村、内堤/長150間(273m)高9尺(2.7m)
穴部新田、川堤/長500間(909m)、内堤/長300間(545m)

K74旧道は古くからある甲州道を継承してる
旧道の間は大丈夫そうだが、狩川がもっと激しければ被りそうなんで、
里道で繋がるか引いてみたけど、ちょっと苦しい
(この時期の狩川は酒匂川筋が流れ込んでて、水量デフォ多い。
川幅はもっとあったと思われるが、そこら辺は検証途中)

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集落は基本山裾にあって、旧川筋は田圃だけ
清水新田・穴部新田と新田開発された区間だ
飯田岡の楠地区(字楠)はモロ川跡だが、新田開発で出来た集落と思われ

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沼田より上流は、コレといったネタは見つかってない
駒形新宿~関本は高台に旧道があり、問題ないんだが、
狩川を渡る直前の岩原・塚原には旧道が無い

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里道を繋いでみたが、コチラもあまり芳しく無い

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岩原から塚原は若干の高台通るから、
K74=甲州道でも大丈夫なのかも知れない

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そこいら辺の話(古街道)と、旧酒匂川の流れを知るんに、
古い地図も調べてる
関東七州大繪圖、年代不明だが元禄の頃と思われ

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一部拡大
なんと府川・北ノ窪を通らず、狩川渡って飯田岡側を通ってるとな

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府川・北ノ窪、係ってないじゃん

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つまりこういう事だよな、穴部~府川の途中で狩川を渡り、
小台への道と分岐して北ノ窪の先で狩川渡って戻る・・・
あ、それがそもそも変遷された証なのか

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新屋は正保/飯田新屋村、万治/飯田郷新屋村、
元禄/新屋村と記されるので、先の図は元禄より古い可能性があるが、
単に新屋の名が古かっただけかも知れない

とまぁ中世狩川の最初としては、こんなモンかな

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