2019/01/12

旧皆瀬川を探せ! #1

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宝永4年の富士山噴火は、風下に当たる神奈川県西部に多大の被害を与えた
降灰は直接被害も大きかったが、山々に降った火山灰が大水の度に流れ出し、
土石流や河川の氾濫を起こすようになる

宝永5年6月の洪水では酒匂川の岩流瀬・大口の土手が決壊したが、
川村山北では皆瀬川の河川敷が一丈二尺(約3.6m)位高くなり、
堤が切れ村中湖のようになり、山際へ家を引っ越す程であった

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川村山北は、今の御殿場線山北駅のある谷間で、
皆瀬川は当時村の中を流れ、滝沢川・皆瀬川と合流し、酒匂川に流れ出てた
水害等対策の為、皆瀬川の流れを平山方面に替える工事が行われた。瀬替えである

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瀬替えの為に長さ約277m、敷き約9m、横約55m、深さ約14mの掘割を造り、
約250mの締め切り土手を造って皆瀬川の流れを変えた

この工事を行ったのは、酒匂川の川浚いを行ってた普請奉行・代官・御手伝い大名藤堂藩らで、
金井島土手の際、酒匂川東西の村がモメて話が決まんないので、ぢゃ山北の方先やるか~
と決まった、

宝永6年11月9日夜明けから丁張り・家移転作業が開始され、
7日間の昼夜突貫(ひぇ~)、8日目が御勘定(工事完了確認?)、
9日目御出立にて御引取り(じゃ、あとよろしく~)と記録されてる
(但し、皆瀬川古川鋪(敷)割合帳には26日までとあるので、も少しかかってるかも知れない)
(以上「山北町史 通史」より)

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皆瀬川にある掘割橋。現地の人によると、この辺は「掘割川」とか「新川」と呼ばれるそうだ
知ってる人を探したが、流石に300年以上の昔なんで、当時の人は見つからんかった
(ぃゃ、なぜに今だ「新川」なのかは聞いてみたい)

掘割橋から下流に見えるは御殿場線の皆瀬川橋梁である
御殿場線までは掘割っぽく、ソコを越えると普通の川岸であるが、
考えてみりゃ近代的護岸など最近の事で、当時は55m×9mの台形で掘られたんだよな
コレも最大のトコで、、とかになると思われ

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現代地形に300年前のが残ってる訳は無いと思うが、河川断面を見てみる

左岸(地図右側)に旧河川があったのだから、
その高さから掘ったとしたら10m程の高低差は範疇か
ただ、55m幅は水色の線程度なんで、やっぱ後年に変わっちゃったんだろな~

河川段丘っぽい段差があるんだが、300年位でこんだけ浸食されるか?
(普段の皆瀬川は上の写真程度の流れである)

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次はドコで流れを変えたか、現代地図を陰湿な程調べると、数mの「っぽい」トコがあった
ココが旧河川だろうか?

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ところがその辺りを旧河川が流れてたんじゃ、現在の流れ先はもっと高さがあった。って事になる
推定河川辺が標高125m程なんで、それを塞ぐ高台があったんだろか?

一週間の突貫工事じゃ、無理っぽい工事になってしまう

それとも、それ程高くなく、少ない掘削で済み、旧河道も埋められたんだろか?
(って事は旧河道判んないか)

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高台から見下ろしてみる。直ぐ下に御殿場線を越える県道76号山北橋が架かってる
皆瀬川はアソコの掘割下を流れてて、高低差は10mソコソコしかないのだが・・・

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高台から対岸を見る。対岸からトンネル上道までは距離があるが、
御殿場線のトンネル前掘割のある高台までは距離にして150m位

地形的には今居る高台と対岸とは、昔の段丘で地殻変動によって出来たそうだ
繋がってたんだろか?
いや~それなら掘割工事なんてお手軽には済まないよな~、切開きとかになる

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続いては旧皆瀬川がドコ流れてたか?
標高の詳細データ取ってみたが、鉄道の掘割と盛土堤地形だけで、川跡らしきもの見えない

黄色は国道246号であるが、そこらを境に南側は高台となっており、
一部は先程と同じ完新世(概ね氷河期の終わった1万年前から現在)段丘である

しいて言えば右手谷地形の出口付近、滝沢川手前が若干低地になってる位である

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鉄道は駅周辺をフラットにするのに掘割~盛土堤と、大変な土坑が行われたと思う
流石明治の初期東海道線である

対する道路、すなわち自然地形は、下手はかなり緩やかに見える(がその先でちょい下がる)
上手は錯覚でなく、実際に登り勾配なのが見て判る
扇状地の常として、上流側程急勾配にっていく
実際、下手は端の尺里川まで行っても、鉄道を降ってアンダーパスするのに、
上手は県道が半分の距離の山北橋で鉄道を越える

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滝沢川手前の低地は、先にある滝沢川の土手もせいもあるが、
古くから集落のある北側より低いので、ココらが川の後かな~と前々より思ってた

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古い字名を調べてみると、河原と付く名がある
「田道河原」「根下河原」「怒杭河原」であるが、これらが旧河川に由来するのは間違い無いと思う

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山北駅構内及び機関区は、かなりの広さを持ってたが、そう言えば
「山北駅は昔の川底に造られてる」と聞いた事がある

旧機関区に造られた鉄道公園脇の石積み段差は、旧河川に関係あるんだろか・・・


現在で判るのはこの程度で、凡そ掘割橋辺りから鉄道線辺りに旧河川があった
と推測するのが精いっぱい。なんだが、
数々の絵図や資料の解析により、旧皆瀬川の流れがドコだったか、それを解いてみる、


判るといいな~で次回に《続く》
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