2018/02/18

幻の根府川大正県道 #2

撮影日 2018年02月16日

湯本の仕事が日没頃に終わったので、R1からショートカットでR135を夕闇と競争し、

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根府川交差点より神奈川県道740号小田原湯河原線。根府川駅手前に到着

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県道はJR東日本の根府川架道橋(根府川ガード)を潜るのだが

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その手前、線形改良の為に設けられた根府川陸橋を通る。昭和59年/1984年竣功

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根府川陸橋は、旧法面の海側に造られてる。実は凄い急斜面で、下の現国道から桁下が見れる

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その旧法面で支えられてるのが、陸橋が出来る以前の旧道
今見ると狭いな~5.5m幅はあるんだが、陸橋側が8.5m幅だからか

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陸橋が出来る以前は大型と鉢合わせしないよう願った場所である
しかし、この道狭い場所はアチコチにあったので、左程印象は強く無い

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県道740号線は平成20/2008年まで国道135号だっんで、この旧道も旧国道である
道幅半分は歩道(前後繋がって無い)として、半分はグリーンゾーンになってるが、
一車線分無いのは気のせいだ(不思議)

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そのクリーンゾーンに鎮座してる石碑に、今回とても重要な事が書いてある

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しかもこの石碑、昭和7年に建立されたんだが、いつの間にか行方不明(?)になり、
陸橋の工事中に出てきたというから驚きだ。いったいドコにあったんだろ

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重要なトコだけ

『府県道小田原熱海線震災復興記念碑』

「大正十二年関東大震災の為~
府県道小田原熱海線路線一帯崩落して更に原形を留めず~
昭和二年九月~幅員五米(メートル)半延長一萬七千二百十八米(メートル、17km多分全長)~(竣ふ)

米神根府川間にして百歩九折の舊道(古い道)を海岸の最短路線に変更~
鉄路と交叉する処其下を堀盤し通す~」

震災で以前の道は跡形も無く崩壊。昭和2年9月に5.5m幅、全長17kmで復旧された
【ココから】米神根府川間は(山ん中ウネウネだったのを)海岸の最短ルートに変更【コレね】
根府川架道橋もこの時造られた
(注.海岸の最短ルートと言っても現在の国道ではありません。ちょっとくねってる)

石碑等の解説、新聞記事、全碑文は温地研のHPにあります

神奈川県温泉地学研究所/基礎講座シリーズ
地震の石碑 復刻版 (2012)→根府川駅周辺の地震の石碑
http://www.onken.odawara.kanagawa.jp/modules/study/index.php/sekihi/SekihiTop.html

以前「凄いの出てきたな」と読んだのだが、
碑文の内容は斜め読みで「よくある奴」としか認識して無かった
今回記事紹介だけで済ませる訳にはいかんので自分で確認

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府県道小田原熱海線の震災被害は、以前調べた事がある(県西の概ね全てだが)
県の震災誌/被害図では箱根方面と同様にほぼ全線「引かれた」状態になってた
実際には通行可な部分もあったろうが、些少と思われる

ただコレで判るのは通行可/不可程度なので詳細は必要

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町村別被害調査表では、各々の地域での
地勢、街道・道、被害物件/種別・品質形状、付近地況、被害/種別・程度・金額が掲載されてる
小田原熱海線では被害のあった場所(全線という事では無く)では
山底、道、路面、山腹路、切取崖、地辷り(地すべり)となっていて、
程度の数字は被害を受けた道の延長と思われ、単位は間らしいのだが・・・

早川村横磯、80間≒146m、真鶴村城口、552間≒1004m は地域だから別として
片浦村一帯、6,333間≒11515m、吉濱村一帯、1,283間≒2333m

片浦村内の県道距離は、、(早川村境~岩村境)の地図上、推定県道でも8.6kmしか無い、、
(多分当時の県道はもっとクネクネしていたと思われ。最近でも改良工事行われてる)

神奈川県案内誌/大正2年の管内里程表が有り、多分県道だと思われるので、
江ノ浦村/1里26町53間、根府川村/0里14町20間、米神村/0里25町32間、石橋村/0里13町24間
合計/1里78町129間/12670.9m(換算サイトにより)

片浦村、被害距離11515÷里程12670.9*100≒91%、村内の県道約9割が被害を受けた事になる
(試算に過ぎず。どっか間違ってるかも知れないのでマジにとらないで)

橋梁については米神村/白糸橋から岩村/宮ノ橋間が記載無し、一応在るんだが橋長が短いからかな
(ホントは大正2年に石橋村、米神村、根府川村、江ノ浦村が合併して片浦村になってる)

橋梁データは橋の幅員が凡その道幅、あるいはそれ以上になるので、
前記事の「大正期に県道の幅は4~5m」というのは此処から来てる
表中の2.3間/4.1m、2.45間/4.45mとなる

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繐説(総説?)に(赤)各地区の被害状況が述べられており、
早川村から真鶴村間の山崩れは尋常じゃ無かったようだ
白糸川山津波ばかりが目立つ故に、他の場所は忘れがちになってたなぁ

(ピンク)応急工事として、まずは徒歩程度、次に車馬交通と、順に行われてた
主要道路であれば、貨物自動車の往来まで。凡そ人道、一車線道、二車線道程度だろうか


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総括するとこのようになる

まず地図左側。震災前の府県道小田原熱海線はピンクルート
幅員は5.5mであるが、山間は4m幅位の狭隘区間があったかも知れない

熱海線(赤線)は熱海軽便鉄道(青線)とアチコチで交差する
軽便線路は工事に伴い度々移動したと思われる
軽便が熱海線区間開通前日まで運行していたとなると、
最終的にどのようなルートになったか非常に興味があるが、一般に閲覧できる熱海線建設資料に記載は無い

そして熱海線工事による県道付替えは、
牧谷川沿いから米神山トンネル熱海方坑口上に移動したのが主と思われ
道路橋付替えに関しては不明。ひょっとしたら道路付替え区間に小さな沢があったのかも知れない

そして大正十二年関東大震災。道は崩れ埋まるか、斜面毎崩れてほぼ無くなる

以後地図右側。震災の応急工事でかつての県道ルートに仮道(緑)が造られる
熱海線は復旧に手間取るが、とりえず大正13年には根府川まで延長
その後、昭和2年に新ルート(黄)にて府県道小田原熱海線が新設/復旧される

仮道(緑)が現在ある農道の元の姿という事になる


幻だったのは大正県道だけで無く、明治旧道すら幻想だった
以前の記事も随分修正する必要があるな


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現地では既に夜の帳が迫っていた

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帰路にある片浦橋旧道/牧谷川付近。この辺が撮影できる限界だった

現在ある旧道は新国道が出来る昭和35年まで国道だった道(黄)。昭和2年に造られた
ただし、橙区間は牧谷川埋め立ての後造られた純市道

大正関東大震災で跡形も無く消え去るまでは、ピンクにかつて幅員5.5mの旧県道が通ってた


≪シリーズ完≫


「今回の反省会」

「在る」という資料等を発見せず、状況だけで推測するは良いとしても、それで結論付けるのは良くない
例)「コッチには無いからアッチにあった筈」

ごめんなさい~ 時々有るから注意してね
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コメント

非公開コメント

No title

こんにちは。
私もこの地域の明治・大正道は気になっていました。
結果は一部期待通りではなかったのかも知れませんが、いつもながら詳細な調査、さすがです。

No title

たからったさん、こんにちわ

あくまで仮説に過ぎないので、自分の考えと違ったとしても、
正しい答えが判った方が嬉しいです

震災被害は半端無いって判ってたつもりだっんすが、
それ故か「残ってて欲しい」という願望が強いのかも知れません

いつになるか判らないけど・・・
この辺りは西湘バイパスの延長で、
すっかり様変わりしてしまうんでしょうね