2018/02/17

幻の根府川大正県道 #1

熱海線建設に伴う道路付替にて真鶴、米神、石橋(石橋山古戦場付近)にて道路の付替えが行われたのが判明
しかし根府川においては、場所の特定が出来ない
そもそも明治旧道に対する大正道がホントに存在したのか(怪しい)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_0_m?1518812453

根府川に大正道があったのではないかという根拠は、まず土地宝典に該当する道らしき物がある
ただし此処の土地宝典は震災後の昭和4年に作成されたモノだが

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_1_m?1518812453

続いては明治地図には道が描かれてるが、この頃は国県里村道の区別だけだったような
昭和になり1車線道となってるので、明治時代の道がそのスペックと判断した
しかし大正期には乗合自動車の運行が始まるので、明治道がそのままなら大正時代に下の道が造られた
と考えた

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_2_m?1518812453

現在でもスペックが変わらない1車線道だし

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_3_m?1518812453

しかし大正道=現在の県道740号線とは考えておらず、
根府川駅小田原側については地すべり平面図から根府川ガードではなく、
そのまま線路路盤に出るルートの可能性が・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_4_m?1518812453

とりうえずこんな感じで
熱海線の工事も行われてるし資材運搬にも利用されてたろうから、こりゃ便利

大正8年頃から造られてる筈なので、その後の地図が在れば良いのだが、見つからない
(大正8年から大正12年の間限定。そりゃ無いか)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_5_m?1518812453

地図になきゃ写真だ。震災前の初代根府川駅の写真で小田原側に・・・踏切見えないな

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_6_m?1518812453

となると震災被害写真だ。鉄道の被災写真だが道が写り込んでるのが有るかも知れない
根府川では白糸川橋梁が多いが、その他の写真も結構あって、廻りが判る写真の場所特定を行う

白糸川対岸から見た根府川駅方面。橋梁位置が判るので、線路が延びてた方向に駅があった
上下の崩れ間が駅のあった辺りだが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_7_m?1518812453

逆方向。寒ノ目山トンネルが判別できるので、そっから橋梁が延びて・・駅はどの辺だったんだ?
G地球で地形を合わせるとこんな感じ。旧片瀬中辺りからの景色
駅のあった場所は判るが、ホーム毎海中に転落してるので、残ってる建物も無い
その山側に道が有ったとしても、これじゃ判らん

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_8_m?1518812453

唯一残されてる車止め。3枚の写真が有るが、各々が一致するので、ホントにコレだけらしい
国府津方向き撮影との事なので、右上の先が国府津方面となる。うむむ、よく判らない
(恐らく残ってる此処は根府川駅構内熱海方端。左写真の先にホーム等があった筈)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_9_m?1518812453

根府川駅国府津方面の下牧屋山トンネル熱海方坑門付近の山崩れを右方県道から撮影
右方って何処よ?
写真は「其一」「其二」とあり、其一は山崩れの上端らしい
電力/電信柱が写ってるので、山越えルート上に並んでたと思われる
崩れた土砂の中がトンネルか?
其二は山崩れの下端らしく海まで達している
これからすると県道は山越えより下に位置してるようなのだが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_10_m?1518812453

下牧屋山トンネル国府津方坑門と米神山トンネル熱海方坑門
両者の間の明り区間は僅かで、熱海線建設以前は此処を道が横切っていた
そのまま道が残ってれば踏切が有る筈だが、無い。どうなってる?

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_11_m?1518812453

その他の震災被害資料なども漁って、今村明恒の書籍に見つける
今村先生は日本地震学の大人物。実際に現場にも調査に来られたそうだ
根府川山津波の画にも上の道(明治道)しか描かれて無い。これは正しそうだ(今村先生だし)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_12_m?1518812453

関東大地震震害報告書を読み直して、米神山トンネルの解説に
『熱海方坑門上には幅約18呎(18フィート=5.4864m)の県道存在する』

なんてこったい!

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/35/33441335/img_13_m?1518812453

震害報告書の写真/根府川村被害状況
場所は特定出来て無いが、家々の間にかなり広い道がある
軌道らしき物見えるので熱海鉄道の併用軌道区間かも知れない
(大正11年に小田原-真鶴区間は廃止されてるが、
一部は熱海線の為に工事用としてまだ利用されてる可能性は高い。大正9年に既に国に売却済みだし)

大正期に県道の幅は既に4~5mあった、、というのは既に想定済みだった
だって乗合自動車が運行してるんだもの

ほぼ答えは出てるが、最後の止めを刺されに現地に行って来た


≪続く≫
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