2018/02/15

熱海線建設に伴う道路付替

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【と思ったんだが資料的価値のある部分があるんで保留中】

大正8年から行われた熱海線(現東海道本線)工事に伴う、熱海街道/道路付替えに関する件

熱海街道としてるが神奈川県側の呼称で、静岡県側からすれば小田原道/根府川道と呼ばれてた
ややこしい話なんだが、静岡県で熱海街道と言えは、熱海峠を越えて三島に至る道を言う
そんなこんなだが、本件では小田原~熱海の道を熱海街道と呼んでるので御注意

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熱海街道の歴史としては江戸時代、根府川に関が設けられ、東海道箱根の脇街道として存在してる
それ以前にも道は在ったろうが、そもそも海沿いなので海運で済むのだから、
無理して立派な道を造る必要はなかったと思われ

明治14年に最初の車道である人力車道が開かれた
明治29年に豆相人車鉄道が開業し、明治29年軽便鉄道となる
それぞれのタイミングで併用区間の道路は拡幅されたと思われる

大正6年には富士箱根自動車が小田原~熱海間で乗合自動車の運行を開始
まだ軽便鉄道も運行してるので、併用区間は軽便vs車が擦れ違えるよう、拡幅したと思われ
併用でない区間は本格的車道として整備されたものと思われる

てな事は人車・軽便鉄道と地域絵葉書で解説してる

大正8年から熱海線が着工、鉄道線路と交わる道路は付替えが行われてる
根府川道 でも取り上げたのだが、
本件は範囲を広げ、また何処で付替えが行われたのかを明らかにしていく

実際に付替えが行われた遺構が残っていれば良いのだが、
いかんせんその後直ぐ後の大正関東大震災で新旧纏めて殆ど被災、
崩れた埋まった程度ならいざ知らず、
道のあった斜面毎崩れて地形すら変わってしまった場所もあり、痕跡は未だ発見出来てない(多分無い)

現在在る県道旧道の殆どは震災後の復旧で造られたものである

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てな訳で根府川道と同じく熱海線建設概要からスタート

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対象を熱海街道としてるので、国府津~早川は省く。湯河原以西もほぼトンネルなので同様に除く

根府川道#2でも取り上げたが、同資料には土工明細があり、
本線/停車場/川溝付替/踏切道そして道路付替と項目が分かれてる
道路といっても熱海街道以外の里道も含まれるだろうし、明細といっても工事内容と資材のみで、
具体的な場所は書かれて無い
唯一場所が特定できそなのが第4工区(米神~江ノ浦)の道路橋くらい、、までが前出

表を見てて「敷砂利」とは道路に巻く砂利の事だよな、と気付く
まだアスファルト・コンクリ舗装が行われる前なので、砂利敷きの必要の無い里道などは省かれるだろうし
敷砂利の量がそのまま街道等車道の道路面積になるなんじゃないか?
単位「立坪」は6尺(1.8m)立方。1立坪≒6㎥(立方メートル)

敷砂利の少ない(白枠)第5工区(江ノ浦~岩)は、街道が山腹を行くのに対して鉄道は海岸近く、
第7工区(川堀~湯河原)は、街道が海岸線に出るのに対して、鉄道は山際と大きく離れてる
街道の付替えは行われなかったと思われ

いい感じと気を良くしたが残る3つは多い順に第6工区(岩~川堀)ピンク枠/36.327、
第3工区(早川~米神)赤枠/35.283、第4工区(米神~江ノ浦)青枠/28.776と、
「道路橋も架け替える程なので一番多い筈」と思ってた第4工区が一番少なく、

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縦断面図部分(全体)。この5工区中、一番本線距離が短い第6工区が一番多かった

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前出でも気付いてはいたが、各工区説明の中で第4工区のみが
「熱海軌道組合の軌道と交錯或は横断せる」と書かれてる

ええっ?道路とセットじゃないの?しかもこういう書き方って「何か所」って意味だよね
ィャな予感

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第6工区(岩~川堀)
地図に線路、縦断面図からする範囲をピンクで示してる
全域を同一年代で纏める為、いささか古い明治20年代地図なのは御勘弁(故に軌道は人車)
この範囲で街道と交わりそうなのは、真鶴駅西側と街道と交差する部分(緑丸)

真鶴停車場から洗頭川に向かって低くなる土地に盛土してるので、街道をオフセットした筈

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第4工区(米神~江ノ浦)
根府川道で取り上げた区間だが、明治旧道に対して人車、軽便が専用線として敷かれ、
後に大正道が出来た、、と推測してる
その大正道が多く付替えられ、片浦橋が架け替えられた(緑丸)
としたのだが、敷砂利からすると違うのか?
ちなみにこの地図に大正道(紫線)としてるルートは人車鉄道である

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第3工区(早川~米神)
米神と石橋山古戦場辺りが怪しい(緑丸)

いずれも推測の域を出て無い。いかんせん明治地図の制度が悪く、
現代地図で補正してもハッキリ「鉄道線と重なる」とは言えないのだ

まぁ、可能性はこの辺・・・という形にはなった

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それで纏めようとしたのだが、鉄道震害調査書に熱海線の線路平面図が載ってた
鉄道線と道路が描かれており・・・

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第6工区(岩~川堀)
線路と道路は遠慮なく交わっていた。どうやら着工以前の道路がそのまま描かれてるようだ
たんだ、概略図なので地図と合わせるに苦労した。北方位だって描いてあるのに正しく無かったりして

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第6工区(岩~川堀)
ソレを先程の地図にトレースするとこうなる。道路はかなり怪しいが交わる場所は左程変わらない
どうやら道路の付替えはやはり此処のようだ

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第4工区(米神~江ノ浦)
ありゃ?大正道が無い。震害調査書では米神山Tと下牧屋Tの間で交差するのみ

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第4工区(米神~江ノ浦)
同様にトレースしても、状況は変わらん

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第3工区(早川~米神)
ほぼ予想のトコで交わってる

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第3工区(早川~米神)
根ノ上山T近くでも交わってる場所がある

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判り易く現代地図に付替え以前の街道を描いてみた
米神の集落内旧道にそのまま続く道だった思われ
そこから根ノ上山Tまで、道路付替えが行われた筈

石橋山古戦場近くは、昔「佐奈田霊社前踏切」が在り、そもそもそれは付替えられる前の道路という形と思われ

推測/可能性から、ほぼ間違い無い場所が絞れた

・・・・第4工区(米神~江ノ浦)どうしよ?
この大正道の描かれた地図が、まだ発見出来て無い、、っうか、ホントにあったんか?

次回、幻の大正道を探して七転八倒(やだなぁ)へ続く
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