熱海街道/根府川道 #3
熱海線が描いてあるので、大正半ば以降の時代だ
現代地図に合わせて補正してるが、明治道はやっぱ合わない部分がある
↑の明治地図と同じく根府川駅の上辺りが大きく違ってる
こりは推測される件があるが、、後程
↑の明治地図と同じく根府川駅の上辺りが大きく違ってる
こりは推測される件があるが、、後程
マーキングを忘れたので見辛いが、熱海線/下牧屋トンネルの上を下りてく道があったようだ
(「明治道」と書いたトコよりチョイ上で分岐してる)
今の地図に記載無いのは当然として跡位・・と思ったのだが、根府川合流事業で法面化されてて、
跡形もないようだ
(「明治道」と書いたトコよりチョイ上で分岐してる)
今の地図に記載無いのは当然として跡位・・と思ったのだが、根府川合流事業で法面化されてて、
跡形もないようだ
牧谷川沿いの明治道、米神山トンネルの上を行くでなく、明り区間を横切ってる
まぁ鉄道は後から造られたから尤もなんだか
まぁ鉄道は後から造られたから尤もなんだか
現在片浦支所のある谷は、こうして出来た谷間で、震災前は概ね真っ直ぐ通過出来たようだ
やはり震災の爪痕は半端ないな
やはり震災の爪痕は半端ないな

参考までに、、
白糸川橋梁を襲った土石流は、大元の原因は震災と同じだが、
プロセスはまったく違い、白糸川上流の大洞山付近の山崩れが原因と言われている
同様の山津波は米神清水川流域でも発生し、多大な被害が出ている
根府川側が高くなってるが、それでも100m高く登らねばならんかった明治道は、
人車の軌道にはキツかったようで、最長の専用軌道区間を設けるしかなかった
大正道によって粗方併用軌道になってしまったが、
此処に軌道を造った時は、そりゃ大変だったと思う
人車の軌道にはキツかったようで、最長の専用軌道区間を設けるしかなかった
大正道によって粗方併用軌道になってしまったが、
此処に軌道を造った時は、そりゃ大変だったと思う
根府川道編≪終了≫
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