2017/07/07

熱海街道/根府川道 #3

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#2で根府川道の明治/大正道、人車/軽便軌道、熱海線等々、一通りの解説は終わったので・・・

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神奈川デジタルアーイブで公開されてる土地宝典で「昔あった道」を探してみる

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土地宝典は地図としての正確性は劣るが、民地/管地がハッキリ分かれてるんで、
昔の道を調べるんには便利

熱海線が描いてあるので、大正半ば以降の時代だ

現代地図に合わせて補正してるが、明治道はやっぱ合わない部分がある
↑の明治地図と同じく根府川駅の上辺りが大きく違ってる
こりは推測される件があるが、、後程

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此方は補正前の図、根府川

マーキングを忘れたので見辛いが、熱海線/下牧屋トンネルの上を下りてく道があったようだ
(「明治道」と書いたトコよりチョイ上で分岐してる)
今の地図に記載無いのは当然として跡位・・と思ったのだが、根府川合流事業で法面化されてて、
跡形もないようだ

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同、米神

牧谷川沿いの明治道、米神山トンネルの上を行くでなく、明り区間を横切ってる
まぁ鉄道は後から造られたから尤もなんだか

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さするに元々はこんなトコで分岐せず、谷奥へ続いてた事になる
(農道最初が急なのは、トンネル上を行く為のようだ)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/75/33167075/img_7_m?1498357676

流石にコッチは踏切跡とは無理があるか・・・
しかし、作業用通路として流用した可能性はある

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根府川駅の上で明治道と現在の道路が合わない件は、コレを思い出した
震災で根府川駅と東京発真鶴行普通第109列車を襲った土石流である
この崩れた部分に元明治道が含まれてて、残った部分に現在の道路がある

現在片浦支所のある谷は、こうして出来た谷間で、震災前は概ね真っ直ぐ通過出来たようだ
やはり震災の爪痕は半端ないな

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参考までに、、
白糸川橋梁を襲った土石流は、大元の原因は震災と同じだが、
プロセスはまったく違い、白糸川上流の大洞山付近の山崩れが原因と言われている
同様の山津波は米神清水川流域でも発生し、多大な被害が出ている

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最後に、現在の車道ではあるが、明治道と大正道の標高対比を

根府川側が高くなってるが、それでも100m高く登らねばならんかった明治道は、
人車の軌道にはキツかったようで、最長の専用軌道区間を設けるしかなかった
大正道によって粗方併用軌道になってしまったが、
此処に軌道を造った時は、そりゃ大変だったと思う


根府川道編≪終了≫
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