2016/07/19

世附/謎の資料 7/21追記

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/10/32759310/img_0_m?1468928792

T書店さんが入手した謎の資料

駿河駅-山内橋-峰坂峠-世附川谷〈昼食〉-水ノ木休泊所〈一泊〉
水ノ木休泊所-大棚-バラジマ-切通峠-平野〈昼食〉-山中-籠坂峠-須走-〈バス〉-駿河駅

一泊二日の登山?旅行?の行程図

峰坂峠は世附峠の西にあり、水ノ木へのルートとして昔使われてた
水ノ木で生産された薪/木炭、水ノ木への物資が峠を越えて運ばれてた
静岡県と神奈川県の境だが、浅瀬、神縄、谷峨へと川沿いを行くより近距離なのだ

駿河駅からスタートして、須走から御殿場駅ではなく駿河駅に戻る経路だし、
小山町内が随分詳しく描かれてる
そこら辺の関係者が造ったモンと思われ

日時は無かったが、裏に「昭和5年」と手書きで書かれてた

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/10/32759310/img_1_m?1468928792

世附川辺りを見ると、林用鉄道が描かれてる。世附森林鉄道だ
林道が出来る前らしいので、行程は林鉄軌道上を歩いたと思われ

問題は、この資料がホントに昭和5年の物なのかどうか、だ

世附森林鉄道は、林野庁のデータによると、、

大又沢線/延長 7,234m/開設 昭和09年〈1934年〉/廃止 昭和38年〈1963年〉
大又沢線法行沢支線/延長 1,200m/開設 昭和18年〈1943年〉/廃止 昭和38年〈1963年〉

そして水ノ木に至る
浅瀬金山線(水ノ木線)/延長 7,898m/開設 昭和13年〈1938年〉/廃止 昭和38年〈1963年〉

なので、昭和5年に軌道がある筈は無い。ぃゃ、ひょっとしたら・・・
これは検証しとかないと

市町村名では、、
静岡県駿東郡小山町/大正元年〈1912年)~現在
神奈川県足柄上郡三保村/明治42年〈1909年〉~昭和30年〈1955年) 現/山北町
山梨県南都留郡中野村/明治8年(1875年)〈郡は明治11年〉~昭和40年(1965年)現/山中湖村
静岡県駿東郡高根村/明治22年〈1889年)~昭和31年〈1956年)現/御殿場市

ん~どれもアリか

続いては施設的な物は、、
水ノ木は古くから山梨県平野から製炭等の山仕事で人が入ってたそうで、
大正期になると製材所が出来、一時集落的なモンも出来たようです

「山の子」さんのHPが詳しい
http://www.geocities.jp/yamanokoyk/index.html

水ノ木休泊所がいつ造られたんかは不明

山中湖の別荘地は大正末期から開発が始まり、昭和初期には別荘の建設も始まってる
「山中レークサイドホテル」では見つからんかった。山中湖ホテル開業は昭和3年
スキー場は籠坂峠の西側なら県営篭坂峠スキー場が昭和6,7年~昭和40年頃
三国スキー場の情報は見つからない

籠坂峠の馬車鉄道は、
御殿場馬車鉄道〈籠坂峠停留所〉/明治34年〈1901年)~大正7年〈1918年)
都留馬車鉄道〈籠坂峠停留所〉/明治33年〈1900年)~昭和2年〈1927年)
だから、とっくに廃止されてる

御殿場線の駿河駅は、明治22年〈1889年)小山駅として開業、
明治45年〈1912年)に駿河駅に改称、昭和27年〈1952年)に現在の駿河小山駅に改称

うむ~、どれも決め手に欠けるなぁ、、と思ってたんだが、、、

丹那トンネルが出来て国府津-沼津間が御殿場線となったのは昭和9年〈1934年)じゃないか!
結構ぎゃふん!

「するが」から「至るやまきた」と書かれてるんで、 谷峨駅はまだ
谷峨信号場が谷峨駅になったのは昭和22年〈1947年)
この辺が一番絞れた


記載が全て正しければ、昭和9年~昭和22年の間となる

浅瀬金山線(水ノ木線)/昭和13年〈1938年〉~昭和38年〈1963年〉は、
もっと早い時期に造られてたんではないか、という予想だったんだが、
残念ながら裏付け取れんかった

まっ、ぱっと見、米じゃなくメートルとか、
「戦後?」と思うような描き方なんで、昭和5年より新しいとは感じてたんだが

2016年07月21日.追記
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/10/32759310/img_2_m?1469037207

静岡県小山町おやまの歴史歴史年表によると、金時公園が開園したのは昭和10年だそうだ

昭和10年以降というのは確定だなぁ

参考までに、上記「おやまの歴史」に明治からの写真も載ってて、
震災前の富士紡績の写真など珍しいモンが

以上追記
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コメント

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No title

はじめまして
「丹沢気ままな山歩き」のM氏とと申します
いつも西丹や箱根方面の情報を参考にさせていただいています、有難うございます

今回の謎の資料、非常に興味深く拝見させて頂きました
峯坂峠から廣河原に降る径路は以前旧25000図を頼りに探索したのですが
一部道型が残っているものの殆どが崩壊して通して歩くことは出来ませんでした

特に興味深かったのは峯坂峠の北側に記載された「三保金鉱」の文字と
小屋のような記号です
以前「イガイガの丹沢放浪記の」イガイガさんが峯坂沢遡行の際に発見した
坑道跡だと思われますが、このように古い記録が残されていてびっくりしました
戦前、まだ採掘が行われていた当時の記録でしょうか

もしかすると周辺に試掘の跡や、小屋跡が残っている可能性もあり
興味が尽きません、近々調査に行きたいと思います

所で「三保金鉱」の左側の文字ですが、なんと記載されているか判読出来るでしょうか?

長々と申し訳ありません、これからも楽しみに拝見させていただきます
貴重な資料、有難う御座いました

No title

M氏さん、こんにちわ

M氏さん、イガイガさん、等々皆さんの世附探索、いつも楽しく読んでます

若い頃、表丹沢の山小屋のバイトしてたんで、
そっち方面は詳しいのですが、西端は主稜線しか歩いてません

世附川流域は、行くつもりで下見までしたのに、
集中豪雨の林道被害でままならず・・・
足悪くしてなかったら、皆さんと一緒に楽しめたのですが

「三保金鉱」の左側の文字ですが、元々読み辛い
建物も在る事ですし「事ム〈務〉所」ではないかと

念の為、スキャンオリジナルを
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/10/32759310/img_3?1469407330

世附方面の資料は、引き続き探してますので、
なにか有ればまた