2015/06/22

〈旧県道〉鵠沼茅ヶ崎線

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風光明美な湘南の別荘・リゾート開発として、湘南海岸公園道路が造られました
江ノ島から相模川を湘南大橋で渡り大礒まで、、、、県道片瀬大礒線となる

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全線ではないが、車道の他に乗馬道を備え、両側に歩道を配置、標準断面は 41.35mもある
〈後の拡幅で全幅車道化される〉

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当初は辻堂演習地を通過する計画だったが海軍の許可が得られず、
演習地を迂回する鵠沼茅ヶ崎線、辻堂停車場辻堂線の2つの県道を造った

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辻堂演習場は、相州炮術調練場〈享保13年〈1728年〉~〉が、
明治期に日本海軍横須賀鎮守府の砲術試験場、陸戦演習場となり
大正15年〈1926年〉横須賀海軍砲術学校辻堂演習場となった

写真は兵卒訓練みたいだが、メインは砲術なんで道路通過を許可されたら、さぞ迫力があったであろう

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さて、迂回路となった辻堂停車場辻堂線は単独でも意味有りげな路線となったから良い
問題は鵠沼茅ヶ崎線だ
管内図では鵠沼まで引かれているが、鵠沼辺りでそんな道路は無い

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この鵠沼茅ヶ崎線はどーなったのだろう?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/15/32161115/img_6_m?1434978643

神奈川デジタルアーカイブをウロウロしてる時に見付けた
鵠沼茅ヶ崎線の認定書類。昭和8年12月4日〈告知は昭和9年9月7日〉

起点.高座郡藤沢町鵠沼
終点.高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎

認定説明が起点側の鵠沼をヨイショしてるのがなんとも言えない

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/15/32161115/img_7_m?1434978643

片瀬大礒線は昭和28年に二級国道134号横須賀大礒線となる

辻堂演習場は連合軍に接収され在日米海軍辻堂演習場となり、昭和34年に接収解除となり返還される

昭和35年11月22日、演習場で途切れていた浜見山交番前-浜須賀が完成


鵠沼茅ヶ崎線はそんな事に関係なく、浜見山交差点から起点側の工事は一切行われなかった

昭和36年に国道1号藤沢橋交差点-浜見山交差点間が開通
既存区間と一緒に県道30号戸塚茅ヶ崎線となる

箱根駅伝で御馴染の道路である


一時期片瀬山に家借りてたので、国道134号の渋滞を避けて鵠沼を抜ける事が多かったが、
小田急江ノ島線と江ノ電の間の住宅地、広い道路が一切無く、苦労した

鵠沼茅ヶ崎線の起点側も造られてたら、この辺は随分違った姿になったかも知れない
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コメント

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No title

こんにちは。

この道路が当初こんな計画だったとは知りませんでした。昭和11年の管内図の雰囲気だと、小田急江ノ島線の本鵠沼駅からのアクセス道路を引こうとした様にも見えますね。

No title

kanageohis1964さん、こんにちわ

当時は鵠沼からの道路しか需要が考えられんかったろうからなぁ
本鵠沼〈小田急駅〉にしたのは、鉄道越える計画だと色々面倒だからか?

昭和初期にアチコチ鉄道・駅が出来て、県道停車場線がいっぱい造られたんすが、
この道路が停車場線にならんかったのも、本来の目的じゃ無かったからかと