2015/03/03

国道1号/大礒町/切通橋

撮影日 2015年02月28日

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切通しで旧国道から国道1号へ

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大礒町の西方、城山公園前交差点である。国道1号その先にあるのが、、、

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ちょっと判り辛いけど、赤枠内に有る橋

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血洗川という怖ろしげな名だが、切られたー!と思いきや、
切られたのは地蔵で、血の付いた刀をこの川で洗ったというハナシからこの名がつけられたそうな

大礒町観光情報サイト/西長院 身代り地蔵尊
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/taiken_asobu/powerspot/saichouin.html

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銘橋で橋の名は「切通し橋」となってるが、書類上の名称は「切通橋」

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特徴は高欄は平成元年だが、橋梁は大正12年3月21日竣工となってる
9月1日には大正関東大震災が起こるので、その5ヶ月ちょい前に架けられた事になる

実はこのネタ、大御所さんの山行が掲示板で書き込まれた橋

震災を潜り抜けた橋なんだが・・・

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この橋長だからなぁ、、

神奈川県の大方の橋は被害受けたけど、短い径間の橋は無事だったモンがソコソコあったと思う
被害受けた橋しか写真残ってないし、小さい橋まで被害報告纏めてたら大変だろし、、

まっ無事だったとしても、幅員は狭かったろうから、何度か改修は受けた筈だ
橋梁というか、橋桁、元々の部分が残ってるのかも知れないが、確実に拡幅はされてると思われ

定番な橋梁データベースには橋長15m以上じゃないと載ってない
さて、どないして調べたモンか・・・

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とりあえず歴史的なハナシを

切通橋という名は、直ぐ傍の城山切通しが所以だろう
現在は昭和13年に新しく造られた国道交差点〈冒頭〉になっちゃってるから、切通し感はあまり無い

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この切通しは江戸東海道時代には既に在り、橋も同様に架かってる

江戸後期の情報だが、切通橋は土橋で長さ 4間〈7.27m〉、幅 2間〈3.63m〉、橋脚3本立

血洗川は標高168mの高麗山(こまやま)から流れる小さな川なので、大きな氾濫も無く、
長きに渡り海岸段丘と城山の間から海に灌いでたと思われる

古エピソードとしては身代わり地蔵しかなく、うーむ、弱った

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と思いきや、中郡役所文書の中に切通橋の情報を見つけた
大正11年の土木回議録、切通橋新営入札に関する書類である

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仕様書。国道1号線中郡大礒町西小磯と場所も間違いない
鉄筋、型板型枠、混凝土〈コンクリート〉、セメントとあるように、

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新橋は鉄筋コンクリート製である
長 20尺〈約 6m〉、幅 24尺〈約 7.3m〉とスペックも

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橋体〈橋桁〉の詳細。形式は書いてないけど、この橋長なら桁橋だな 〈単純桁〉

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橋台詳細。ちゃんと基礎からコンクリ製

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高欄詳細。片側 20尺〈約 6m〉、、高 2尺6寸〈約 79cm〉 但し両側共

親柱用、傘石等は花崗岩、他はコンクリ
それなりの装飾はあったようだ

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路床には 1寸2分〈約 3.6cm〉のアスファルトコンクリート〈アスコン。舗装としては一般的〉

この時期、道路はまだ未舗装だが、橋上は舗装された


以上、入札情報の抜粋だが、およそこの通りに造られたと思われる

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国道1号は大正期、既に自動車が走っている
富士箱根の乗合自動車は、横浜~箱根間の営業を大正4年から開始してる

多くの橋が鉄筋コンクリートに架け替えられており、酒匂橋も同年架橋〈震災40日前竣工〉
馬入橋も鋼橋に代わるコンクリート橋の施工途中だった

この近く、二宮では明治期のレンガ構造物が幾つか残っており、震源に近いのに比べて被害が少なかった
大礒丘陵という地形のせいだろうか

震災を免れた〈と思われ〉切通橋だが、幅員 7.3mではいかんせん狭い

昭和初期の国道1号改修以前、大礒町での国道幅は 7.5~9mだったそうだ
改修は、道路幅を凡そ11mにするものなので、この時に切通橋も拡幅を為されてると思われる

写真等を探したのだが、大正期・昭和期の何れも見つける事は出来なかった

切通橋については以上
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コメント

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No title

二宮は、たとえば吾妻橋の下をくぐって、梅沢海岸の方にちょっと進んだりした地点でも、こちらの地方の標高より、まだ1mくらい高かったりしますから、
あの海岸までせまっている台地の上なら、津波の危険も少ないわけで、
さらに、地盤も固いとすれば、西湘地区のなかでは、とくに耐震性が高い場所ではないか、と推察されます。

No title

粟船住さん、こんにちわ

大磯丘陵が地震に強い、、というより、
酒匂川、相模川沿いなどの堆積平野は、地盤が弱いんで揺れが大きくなるとか・・・

それでも、大礒の海岸は 1m隆起したそうですから、揺れないって訳じゃない

平塚博物館/1923年関東地震の被害
http://www.hirahaku.jp/web_yomimono/geomado/jiban18.html

それでも大礒の家屋倒壊率は、周りに比べて飛び抜けて低い
・・・引っ越すか?

No title

レスありがとうございます。

平塚博物館のグラフを見ていて、あれっと思ったのは、中学生の頃習った郷土史の教科書に載っている数字(80年代)は、

鎌倉町の全戸数4183戸、全壊1455(35%)、半壊1549戸(37%)、津波による流失113戸(2.7%)、全焼443戸(10.5%)

などとなっていて、平塚博物館の図とは、未倒壊と倒壊その他の割合が逆転していることです。
この図によれば、大磯よりさらに鎌倉(いわゆる鎌倉中)に引っ越した方がよいことになりそうですけど、よく聞く被害の話しからすると、ほんとかなぁという印象をもちました。
また、図によると、二宮にあたる国府とか吾妻は、それほどでもない感じですね・・・。