2014/11/27

川の話/久野川・酒匂川

酒匂川/中曽根堤防嵩上げ工事 のレスで話が盛り上がった「昔の川は水量が多かった件」ですが、

ネタ的に資料を提示しなきゃなんないので別記事としました
tomizu77さんのレスに対する返答です


https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/50/31781350/img_2_m?1417017309

>「三保ダムは、水道水として取水してるから酒匂川の水量は減る}

実際に水道水として取水してるのは下流の飯泉堰ですから、減るのはソコからとなります

神奈川県/三保ダム(酒匂川総合開発事業)
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f8018/p28998.html
↑に詳しい

(注.皆瀬川など地域水道として取水してる支流もあります)


それよか忘れてたのが水力発電水路

大正期から始まった水力発電の為、アチコチに堰が設けられ、水路を通って発電所に流れてます
発電所排水路から次の堰と繰り返し利用されてる
水路を流れる分、本流の水嵩が減る(最終的には戻るけど)

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/50/31781350/img_3_m?1417017309

生戸発電所から鮎沢川へ放水された水は、直ぐ下流の堰で取水され、峰発電所まで水路を行き、
鮎沢川・河内川合流付近で放水されます

季節によって川の水量は違いますが、この時は鮎沢川より放水路の方が水量多かった
(ストックから掘り出して来たので1年ちょい前の冬場撮影)

あと、農業用水の一部は、酒匂川に戻らないケースがあります

酒匂堰は先の福沢第二発電所放水路から分水され、
酒匂堰とサイホン 前編 後編 を経由して酒匂川左岸の水田に送られます
最終的に国府津の森戸川に流れちゃう分は、酒匂川に戻ってこない事になります


その位かな・・・・


https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/50/31781350/img_0_m?1417017309

>小田原市役所も以前は池だったようですし

久野川の整備前はソコ通って無かったっけ?通ってませんでした
大正期の地図では水田になってましたが、ちょいとした貯水池があってもおかしくないです

ついでなんで大正時代の久野川(山王川)。以前はこんな流れだったんすが、
耕地整理の際に現在のような真っ直ぐに変えられました。大正14年の事

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/50/31781350/img_1_m?1417017309


河川改修も護岸で固めて真っ直ぐにした事により、
水路となってしまい、地下水の供給元では無くなってしたった感もあります


最近では蓋もされ暗渠化も進んでるので、川があった事すら忘れられる

僕が子供の頃(昭和40年頃)、母の実家の蛍田に行くと、
近くの小川にゃホントにホタルが舞ってたんだがなぁ
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コメント

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No title

こんばんは、てつむしです。

>小田原市役所も以前は池だったようですし

S28年、S32年、S45年の地形図を見ると、今の市役所があるあたりは「養魚場」となっています。なので、当然池もあったことでしょう。

S2年の地図には養魚場も池も見えないので、自然にできた池ではなさそうです。

No title

てつむしさん、こんにちわ

そーいえばあったな~養魚場

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/31788291/img_14_m?1417353673

昔の航空写真重ねてみると、市役所裏手
生涯学習センター辺りは養魚場の、、、
駐車場が地面より下がってるのは、昔の養魚場のままなんでしょかね?

現在の場所に移ったのは、1976年(昭和51年)7月26日だそうです
それまでは旧城内小学校の隣、旧小田原高等女学校の建物を仮庁舎にしてました
(昭和37年(1962年)から)