2014/07/20

国道1号/旭橋 #2


旭橋(旭日橋、朝日橋)を語るには、古橋に付いても触れなければならない
旭日橋跡に架かっていた橋達である

それは福住旅館の歴史と深く関わっている

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箱根湯本温泉の始まりは天平十年(738年)と言われている

福住旅館の創業は寛永二年(1625年)
安政年間(1854年~1860年)の七湯方角略図にも「福住」と描かれてる

全体図左下の東海道/三枚橋から別れた道は早川左岸を進み、早川を木橋で渡って湯本(福住)に至る

勿論、福住創業以前より、木橋は架かっていたであろう・・・
しかし、凡そ数百年間、殆ど同じような木橋だったのが、明治期に姿を変える事となる

なぉ、今回 「福住旅館 金泉楼・萬翠楼(箱根町郷土資料館)」 から多く写真等参照してる
独自に集めた奴もあるのだが、同書は明確に纏められてて、
時代や順番などで悩んでたのが一気に解決した

また、外観だけでなく、竣工時の内部の様子など、建築的資料としても大いに価値があると思う

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有名なベアトの写真。明治初期
慶応3年(1867年)に火災で全焼した後に再建された「福住」はまだ古風な造りである

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旧東海道側からの湯本。左から流れてくるのが須雲川、中央向こう側からが早川である

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↑の部分拡大。須雲川と早川に架かる木橋間が「湯本」のメインストリート
上部に拡大した早川の木橋は、いかにもな造りで、大水では壊れるの前提である

どうせ流されるのだから、架橋コストを抑えて「壊れてた直す」という事だろう

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当時は箱根湯本すら人力車なとの車物が来るのは殆ど不可能であった
東海道と言えど山岳部はナローな造りで、
板橋~風祭の間の御塔坂ですら難所のひとつだった(撮影/ベアト)

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「福住」に転機が訪れるのは明治初め

過去の経験から、耐火性に優れた洋風木骨石造3階建てを建築する事となる
左側、金泉楼は明治10年6月に、右側の萬翆楼はまだ建築中で、明治11年中に竣工する

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この後も古い写真が続くんで、イキナリ現実に戻してみる
旭日橋跡対岸右に明治10年に建てられた金泉楼が見える

先の写真の木橋は、現在で言う「旭日橋跡」に架かってるのだ

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萬翆楼完成の頃、明治12年頃
この木橋は以前の場所と違い、左側金泉楼前に架かってる

現在も残る福住旅館 萬翠楼・金泉楼は、平成14年12月26日 重要文化財に指定された
萬翆楼/明治11年、金泉楼/明治10年6月に竣工

文化庁/国指定文化財等データベース
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp

萬翆楼福住
http://www.2923.co.jp/


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そして人道木橋の代りに、明治18年(1885年)9月、木製トラスの旭日橋が架けられる
橋の上に人力車が居るが・・・

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明治8年、明治15年と造られた新道によって、通行が可能となったのである
この新道も福住旅館/福住正兄によって開かれた

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明治期の箱根湯本の写真だが・・・

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明治18年架橋の旭日橋が在り、明治21年開業の馬車鉄道が無いので、その間の写真と判別できる
御覧の通り、旭日橋(M18)は1径間木トラス橋である

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その後、明治19年に塔之沢まで新道は延び、
明治20年には宮ノ下まで通じる事となる(建造/富士屋ホテル/山口仙之助)

明治21年10月01日には小田原馬車鉄道が開業(福住正兄ら6名)

塔之沢・宮ノ下への通行が多くなり、明治26年には青色の新ルートを造る事となった

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再び旭日橋の写真だが・・・

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「一枚の古い写真」より箱根湯本。馬車鉄道の出来た明治22~32年(明治33年には電気鉄道となる)

旭日橋が随分奥にあるなぁ、と思ってたのだが、よくよく見てみれば福住の場所じゃ無い

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拡大してみた。金泉楼・萬翠楼より奥に架けられてる
逆に金泉楼手前にある筈の旧旭日橋が見えない。何か橋が架かってる風だが木の陰
目立つトラスでは無いような・・・

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明治期の箱根湯本/馬車鉄道駅の写ってる写真は絵葉書版もある
複写印刷物からなのでハッキリしないのだが、「一枚の古い写真」と原版は同じだと思ってた

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/54/31532154/img_22?1405775370

旧橋辺りを拡大して画像補正してみると・・・居る。金泉楼手前にトラス橋が!
逆に奥のトラスは「まだ無い」

(他にも畑の小屋が在り無しなど、細かいトコも違う)


なんと言うことか!「旭日橋は現在の場所に移された」というのは、橋の名称という意味で無く、
物理的に橋を移設したと言う事か!
これは知らんかった(というか、名称だけ移ったと思い込んでいた)

馬車鉄箱根湯本の写真も、絵葉書版は明治22~26年、一枚の古い写真版は明治26~32年と、
更に細かく絞り込む事が可能となった


旭日橋としての歴史は、新橋へ移るのだが、福住の橋についてもう少し・・・

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明治30年の福住。これが旭日橋移築後に架けられた明治26年架橋の福住橋となる(推定)

木製ポニートラスと言えるのだろうか。中央に主脚があるようで、その間に補強脚

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同時期の別の写真

旧旭日橋のあった明治26年までは、金泉楼・萬翠楼の前を通り塔之沢へ至る道があったのだが、
早川沿いに辛うじて人道があるだけで、塀で囲われ庭園と化してるようである

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/54/31532154/img_14?1405752242

明治42年には若干下流に別の橋。左下流側に突っ張りがあり、木桁橋か

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そして福住橋としてはお馴染みの2径間木製ポニートラス橋。主脚以外に補強の脚が付いてる

当初この写真は大正前期と思ってたが、
右側萬翆楼は屋上テラス造りが震災で被害を受け、普通の屋根へと改築されてる

なる程、建物変化でも年代の特定になるのか

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/54/31532154/img_17?1405775370

するとこの写真が震災前という事になる
(萬翆楼屋上テラスの端に円筒形の構造物が有る)

2径間木製ポニートラス橋は震災で被災しなかったようだ


福住橋の歴史は、も少し続くのだが、ここで一旦終了しよう ≪続く≫
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コメント

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No title

こんにちは。
今回もまた、考証がすごいです!
この地域の近代土木に関しての、本が出せるくらいの内容が蓄積されているのでは??
読み応え充分、堪能いたしました。ナイス!

No title

たからったさん、こんにちわ

ぃゃ、今回は書籍「福住旅館 金泉楼・萬翠楼」が有ればこそで、
無かったらコレだけ纏められたかどうか・・・
箱根町郷土資料館にはその他でも御世話になってるので、大変感謝してます

レポとしてはまだ前哨でして、この後大変な事に!
ちゃんと収束できるんだろうか