2013/03/13

酒匂川/中曽根堤防嵩上げ工事

酒匂川サイクリングコース延長部工事通行止の堤防嵩上げ工事の現場に行ってきた

野良こねこさんのレスにもあるが、嵩上げってどんな工事なんだろ、、、堤防を高くするとは思うが

撮影日 2013年03月11日

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_0?1363104645

県道717号線から嵩上げが行われている堤防
手前の道も堤防の一部だが、実際に工事が行われているのは途中からだった

堤防と言っても、酒匂川の本堤防は左側で、現場の堤防は「霞堤」である

霞堤とは、本堤防にワザと切れ目を設け、増水時に遊水地として機能させる為の仕組みで、
外側の堤が「霞堤」となる
歴史は古く、戦国時代に武田信玄によって考案されたという(By霞堤 - Wikipedia)

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工事は小田原市発注かと思ってたが、神奈川県であった
そういゃ酒匂川を管理してるのは神奈川県だものね

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_2?1363104645

此処の霞堤は地図の上、東富水小学校前から県道717号線を横切り、酒匂川の本堤防へと続く
現在地は「A」で、嵩上げされる部分は住宅地脇からである
霞堤全体の嵩上げでは無く、住宅地への浸水を防ぐのが目的という事のようだ

住宅地といっても、40年程前の私が子供の頃には、酒匂川沿いに家など一軒も無く、
ただ水田が広がってるだけだったんだが、、、

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「B」地点にやってきた
重機が稼動してるのは嵩上げの一番上流側で、ここらはまだ手が付けられてない
堤防上には、嵩上げする高さのでの目印木(なんというのか判らん)が立ってる

こういう格好している奴は、水平に此処まで、、という意味だったと思うが、
さするに嵩上げと言っても、コーンの高さには及ばない程度という事になる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_4?1363104645

途中にもサイクリングコース迂回の案内が出ていた

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先程の「B」地点が赤丸の場所、水路沿いに下る

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_6?1363104645

「C」地点。霞堤の本堤防側末端となる (堤はそのまま本堤防に接続する)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_7?1363104645

こちらにも工事案内板、というか全ての掲示があるので、コッチが「表」という事になる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_8?1363104645

此処からは上流側の工事の様子は見えない

堤がカーブしてるみたいに見えるが、実際には直線で、Rになってるのは堤に上がる斜路である

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その斜路は掘り返され、中にコンクリの構造物が置かれていた

水路っぽくないので、堤を保護する為の基礎的な役割があるんだと思う

この後は仕事やらなんやら・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_10?1363104645

夕方になり、現場に戻ってきた。県道717号線から本堤防に降りる道(富士見大橋から)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_11?1363104645

「D」地点からの手抜きパノラマ。県道717号線より下流側の霞堤全景である

霞堤内は増水時に浸水するので、基本住宅は立ってない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_12?1363104645

本堤防が切れてるのが判るだろうか?
目の前の水路も、あの切れ目から酒匂川に流れ出ている


ピンク枠が現地である
霞堤内は、浸水する事が予め想定されており、そうでなければ霞堤の意味が無い

酒匂川サイクリングコースを走った事のある人なら、他に栢山と開成にも霞堤があるのを知ってると思う
この2つも現役の霞堤である

ついでなんで、酒匂川中流域下(川音川合流)の霞堤について振り返り

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30383991_14?1363104645

(霞堤の名称は正式のモノではありません)
酒匂川の霞堤はいつ出来たのか?
江戸時代の相州酒勾川通繪圖に、その他も含めて沢山の霞堤が描かれている

酒匂川での本格的治水は、江戸時代に小田原藩主の大久保忠世・忠隣親子が行った事に始まる
それ以前、酒匂川に本格的堤防は無く、アッチコッチを自由に流れていたそうだ
(地区を守る局所的堤とかはあったらしい)

新田開発などにより、後々改良されるが、基本は最初から現在の形に近いらしい
開成の霞堤は、後に改良され出来た、、んじゃ無かったかな?この絵図にも無い

左岸、鬼柳、右岸、旧ユアサの霞堤は、現存してない
左岸、取水堰上、日本新薬上は、形状が一部残っているが、霞堤としての機能は失われている

大規模な河川整備が行われても、酒匂川は時折氾濫し、水害は発生している
江戸時代から改良の繰り返しで安全性は高まってるかも知れないが、万全では無い

流域の方は浸水想定区域図で一度確認しておいた方が良いと思う

神奈川県の浸水想定区域 (酒匂川だけで無く県全域の河川が掲載されています)
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f3747/
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コメント

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No title

3番目の画像の航空写真の右下に薄っすら写っているのは
かつて存在した「ひょうたん池」ですね。4~5年ほど前
の増水で消滅してしまったらしいですが、中学生の時に何度か
釣りに行った思い出があります。
当たり前っちゃ当たり前なんですが、延長されたサイクリングコース
は、当時ダートだった道なんですね。
例の気になる水路がコンクリート張りだったのは少し残念ですが
その水路は明治製菓の排水路で昔は温排水だった様で、野生化した
熱帯魚(グッピーやティラピア)がいたそうです。この水路は
最終的に「ひょうたん池」に繋がっていて、グッピーをそこで釣ってました。

No title

えと、ナイショなので匿名希望さんとさせて頂きます
情報ありがとうございます
目印となる木は「丁張り」ですね

土木だけでなく、建築でも同じだそうで、新築の際、基礎となる場所に木でぐるっと囲むようにするのも丁張りというそうです

専門用語はその世界の人しか知らない名称が多々あるので、難しいですね
(なる程、素人の方がPC用語を知らないので、説明聞いても判らないというのは納得できるなぁ)

「丁張り」の概要的説明に詳しいサイトとか探したんだけど、基本中の基本らしいので「知ってて当たり前」なのかイイのが無い
本質的に測量の分野なので、、
http://www.kasima-ws.com/sokuryoumaster/zukai.htm
此処位か

No title

はやパパさん、こんにちわ

地図に合成した航空写真は、そのままYahooの写真なので、簡単に見る事ができます
この近所だと、富士見大橋も酒匂川2号橋もまだ手付かずなので2006年頃でしょうか

http://yahoo.jp/1hLsLn
なる程、池がありますね

私が子供の頃にソコに池は無く、古航空写真をざっと見ると、
80年代に形成されていったようです
83年頃から少しっつ、
88年のではホントにひょうたんみたいな形してます
90年代になるとYahooのように四角く整備されてますね

私的には安戸~新鞠子橋間の山北バイパスがまだ出来て無い頃なので、懐かしいです
同区間は2003年開通だが、Yahoo航空写真のその部分が古い
(時代が一定で無いとうのも、ある意味面白い)

No title

BAZU様
詳細記事をありがとうございます!
ブリの森づくりプロジェクトのブログに、リンクを張らせていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/burinomori
江戸時代の図面も大変興味深いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/burinomori/e/f5ea687ca2f0a06d87b6b70586f56223(リンク記事)

No title

野良こねこさん、こんにちわ

「ブリの森づくりプロジェクト」って色んな事やってるんですね

自然の川という事には非常に興味がありますが、
足柄平野を築いた酒匂川(と狩川)を堤防で塞いだ時点で、
もはや自然の流れでは無くなってしまいました

昔はアッチコッチに沼地が残り、多様な生き物が生息してたそうです

↑の江戸絵図より古い資料も探してて、古酒匂川がどんなだったかも調べてます
伝習とか、古街道の道筋とか、まだソコラ辺しか掴んで無いんですが

No title

私が住んでいるあたりは昔は自噴井や泉が多く、うちの井戸にもイモリが棲んでいました。
沼や湿地や水路のある田園風景が懐かしいです。
古酒匂川、古街道、楽しみにております!

No title

私は、57年程前東富水小学校の北側に住んでいたのですが、東富水小学校のグランドの真ん中辺りは、湧き水が出る池だったのです。池の周りには、黄色のアヤメや菖蒲も咲いていました。小学校の北側に川が流れていますが、その川岸にもアヤメが並んで咲いていました。当時は珍しくもなんともありませんでした。また、小学校の南側の土手には、スカシユリやリンドウも咲いていました~。

また、前の方も書かれていましたが、1970年代までは、ひょうたん池は無かったです。3年程前に他の方のブログで初めて知りました。

酒匂川の水量は50年前と比べると少なくなったと思います。祖父の話しでは、100年前は50年前よりももっと多かったそうです。

No title

tomizu77さん、こんにちわ

>東富水小学校のグランドの真ん中辺りは、湧き水が出る池だったのです

流石「富水」の名は伊達じゃありませんね

蛍田の母の実家でも、昔は自噴で井戸が出てたんすが、水位が下がってポンプ汲みになっちゃいました (大分昔の話)

酒匂川の水位は、、、50年前を知ってても、100年前は判らない
三保ダムが出来る以前は、そんな差が無い気がしますが、
地下水のくみ上げの影響もあるのかも

昔の写真見ると水位が高い場所がありますが、
川底が高かったトコもあります
大口の取水堰など、今は常時水面より上になってますが、
昔はソコから取水してた訳ですし・・・

No title

BAZUさん 回答ありがとうございます。

お母様が螢田のご出身なのですか・・。私は富水小学校に通っていたのですが、後輩、先輩、同級生が螢田にいました。昭和40年代始め頃までには、井戸水を使用していたお宅は、わずかしかなかったと思います(ポンプを使用しても出なくなってしまったようです)。放課後に螢田駅の西側にまだ井戸水が出ている家が数軒あり、飲ませてもらったことがありました。とても美味しかったです。

>酒匂川の水位は、、、50年前を知ってても、100年前は判らない

100年前の話というのは、40年以上前に亡くなった祖父や祖父の兄弟(明治の前半に生まれました)の話です。

三保ダムが完成したのは、1970年末くらいだと思うのですが、実際に水が流れている川幅が70年代初期の頃よりも短くなり、川に入った時の流れる水の勢い、深さが全然違うと思いました。そのことを父や祖父に話しましたら「昔はもっと多かった」という話になったのです。その後、土木関係の人や河川管理に勤務する人に聞いたら、「三保ダムは、水道水として取水してるから酒匂川の水量は減る」とのことでした。

No title

河川の水量が減る原因は、だいたい次の通りのようです。
1)ダムができると河川の水量は減ります。

2)地下水を大量に使用する工場ができたりして、地下水が枯れると、河川に供給する水がなくなり、河川の水量が減ります。

3)山間部などに道路やトンネル工事が行なわれますと、水脈が断たれる事が珍しくなく、河川への水の供給量が減ります。

4)沼、池、水田などがありますと、一端そこで貯水され、平野部全体での保水量は、沼、池、水田が無い場合より大きくなります。どういうことかと申しますと、雨が降りますと沼、池、水田に水が貯水され、時間をかけて河川に水を供給します。しかし、沼、池、水田が無い場合は、雨が一気に河川を流れ、海に注がれてしまいます。 沼、池、水田によって、タイムラグが生じそれが、水の供給源になるということのようです。

小田原市役所も以前は池だったようですし、戦後農地解放とともに、足柄平野にあった沼地は、土管を埋めて排水し、水田にする工事が進められたようです。

以上のようなことが積み重なって酒匂川や酒匂川水系の水量は減ってしまったのかな~と思います。長々失礼しました

No title

tomizu77さん、こんにちわ

ちょいと濃いネタで返すので、別記事にて