2012/02/02

都橋、鍛冶屋敷沢橋梁〈仮称〉、追加調査


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青木一郎様様から頂いた昭和39年3月13日撮影の御写真です
電化される前の御殿場線橋梁の手前に都橋の旧橋遺構が写ってます〈赤枠〉

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別のカット。手前、鍛冶屋敷沢右岸の親柱〈赤枠〉と対岸にも親柱〈青枠〉があるのが確認できます

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また、鍛冶屋敷沢橋梁〈仮称〉の旧上り線の煉瓦造りが判り易い拡大写真も頂きました

青木一郎様様、貴重な情報を頂きました。ありがとうございます

旧上り線は全煉瓦造りのアーチ橋梁だったようです
コンクリ補強されましたが、御殿場線電化により現在は奥側の旧下り線が使われてます
訂正.「旧下り線」ではなくて「旧上り線」です

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レポでは「旧橋が二世代ある」と書きましたが、
昭和39年時点では一世代目〈赤枠〉の遺構しかありません

二世代目〈紫枠〉は現橋〈昭和29年〉が出来上がった後に、
旧橋位置に新たに架けられた、、という事になります

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現橋が出来てから架けられた橋、、、考えられるのは現橋の改修時に造られた仮設の橋です

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現橋の前、昭和の始め、、にしちゃ新し過ぎますものね

思い当たるのは60年代の終わりから70年代初め
山北町付近での国道246号の大幅改修と、三保ダム工事の為の県道76号線改修

国道246号が山北町を迂回する浅間山隧道ルート〈バイパス〉もこの時期造られました

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航空写真を確認すると、1969年〈昭和44年〉に都橋辺りが変な格好になってる

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町の広報誌を確認すると、昭和43年〈1968年〉5月の号に国道246号都橋工事の予告が載ってました
それによると、1968年8月から12月まで、床板打替が行われ、仮橋が使用されるとの事

この時の仮橋が二世代目遺構と思われます

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床板打替がどのような工事だったのか不明ですが、現在は竣工持と上部が全然違うので、
上部を一新する工事だったのでしょう

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旧橋〈すなわち一世代目〉の様子も、2枚目写真から判ってきました
左岸左側親柱は2枚目写真にある石積み〈赤枠〉からこの辺〈黄色〉になります

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右岸側一世代目橋台の上に親柱があり、、、

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旧橋としてはこんな形で架かってたと予想されます
対岸は幅が広すぎるかな・・・ワッフル護岸に埋もれた石積み辺りまでかも知れない

また仮橋〈すなわち二世代目〉により、道路面は旧橋時代より少々高くなっております


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続いて、御殿場線鍛冶屋敷沢橋梁〈仮称〉、と旧々橋辺りの石積みを詳しく見てみました
旧々橋の後ろの石積みについても何か判れば・・・

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旧々橋の橋台と後ろの石積みはこのようになっており、先に橋台側が造られたようです

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鉄道橋台〈角石〉と後ろ石積みの境の様子
鉄道橋台脇にコンクリ打って、後ろ石積みが積まれたようです

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手前護岸との関係は一目で、護岸の下には煉瓦が埋もれています

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旧々橋台とも同様で、護岸はかなり新しいと判ります

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全体の関係はこの通り。2,3の旧々橋台と後ろ積みは、ほぼ同時期と見て良いと思われるので、
後ろ積みは旧々橋の施工に関する物と考えられます。.擁壁でしょうか

1の鉄道旧下り線橋台が出来たのが明治31年~34年頃、
旧々橋はその後すぐに架けられ、恐らく鉄道工事の為にも使われたと思われます

護岸は後の世ですね

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鍛冶屋敷沢の橋梁群調査は、これにて一通り終わりました
旧橋〈一世代目〉、旧々橋の姿がどんなだったか見てみたいので、写真でも出てくれば良いのですが・・・

山北町は昭和8年発足ですが、広報誌は大合併の昭和30年から発行してるようなので、
都橋架け替え〈昭和29年〉に付いては記述がありません

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_29120460_19?1328117742

さあて、次は鍛冶屋敷沢橋梁〈仮称〉の直ぐ上流側に転がってた・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_29120460_20?1328117742

煉瓦の塊

上流から流れてきたモノ?上量にあるって・・・アレ?
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