2023/05/26

漆田発電所

01_202305260303098f9.jpg
県西の電力事業で出てきた富士電力(富士瓦斯紡績)
明治40年運転開始、昭和12年に廃止された漆田発電所の情報が
ネット上に殆んど無かったので、纏めとく

02_20230526030311582.jpg
まずは外観。震災前の姿である
なぉ震災時・後も探したが無かった

03_20230526030313200.jpg
発電能力は500kw×2で1000kw
有効落差59尺、使用水量300立尺
なぉ、上に菅沼発電所と書いてあるが、コレは現存する菅沼発電所の事でなく、
工場の水車動力の一部を発電に利用したもの
発電水力事業概要t1によれば、明治32/1899より使用してたようだ

04_202305260303306d3.jpg
電気事業要覧では水路詳細判らんが、大正12年関東大地震震害報告書に
スペックが書かれてる
なぉ、漆田発電所は意外と被害は少なく、開渠水路の石垣は全部倒壊、
発電所建屋半壊したが、その他の被害は軽かった

05_20230526030333839.jpg
発電所の場所も書かれれてる。第3~6工場の下流側

06_20230526030333307.jpg
峰発電所の取水堰平面図に漆田発電所の放水路が書かれてる
開渠とその上流は暗渠がある

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それらの情報から発電所水路はこんな形になる
落差が59尺(約17.8m)しかないので、結構シビア
図は適当なんで実値を反映してない
水圧管は205尺(約62m)もあって、殆ど寝てる
もっと急角度の方が出力でそうなものだが
(緩やか過ぎるので、ひょっとしたら誤記かもしれない)

08_20230526030415312.jpg
古い航空写真を見ると、取込の様子が判る
工場間の開渠に流れる

09_2023052603041812a.jpg
工場内を抜け、余水吐らしきもの
緑枠囲いは調整池っぽいが、違うかも知れん
そこから水圧管で発電所に至り、暗渠で放水開渠に流れる
放水開渠はそのまま見える

発電所は先の写真によると、階段で降ってくようなんで、
手前地所より結構下になる
発電所からの送電線が、結構エグく登ってるので、結構高低差あったと思う

10_2023052603043069f.jpg
てな水路を纏めるとこうなる
当初、もっと上流から取水してたんでは?と思ったが、
開渠水路長が270間(約490m)しか無いので、そこいらが限界
鮎沢川の取水口、放水口は水位差が20m程しか無く、ギリギリ

前々から工場内に水路があるのはなんでかな~と思ってたが、こん為だったのか
当然のごとく現在では工場内水路は塞がれてる

11_20230526030432732.jpg
フジボウ脇の鮎沢川
堰堤が続き、そこそこの勾配

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峰取水堰上流に流れてた開渠は、1970年代に嵩上されて無くなってしまった
古い地図では、工場は陸地(?)だが、そこから下流は氾濫域だったもよう

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2023/05/25

環翠楼水力発電所 #3

#2 の続き

1_20230525001454bab.jpg
環翠楼の水力発電を調べてみると、やはり大正10-12年から運転してる風
事業者住所と供給区域しか載ってないので、ドコに発電所があったのか・・・

2_2023052500145595d.jpg
おっ、畑宿333か

3_20230525001458456.jpg
どうやら間違いなさそ。畑宿333とは・・・

4_20230525001527930.jpg
ありゃ、須雲川発電所は畑宿28辺り(畑宿28はメチャ広くて正しいか判らん)
どうやら此処は大正時代の発電所と違うようだ

5_2023052500152994d.jpg
環翠楼の送電路は昭和24年から昭和36年の間に造られたのは確か

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設備も戦後っぽい

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金物系は専用の物っぽい

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須雲川発電所が古い発電所のリニューアルというのは、その再開発計画から明らか

9_20230525001556bc6.jpg
水圧管も古いのを直して使ってるそうだ

リニューアル前の発電所詳細を探したんだが、見つからんかった
何処の管轄なんだろ

10_20230525001616480.jpg
じゃ、大正時代の発電所は・・・
畑宿日影嵐333が正しい住所のようだ
11_202305250016175ff.jpg
畑宿の小字で下草苅には小田電→日本電力の畑宿発電所の水路が通ってる
日影嵐の該当住所は見つからんかったが、そこいら辺りのモンはあった

12_20230525001620db6.jpg
日影嵐はここいら辺
(日影嵐333の正確な場所は、登記とか調べれば判るかも知れんが)

13_20230525001620f78.jpg
送電線路は、須雲川発電所の物で間違いなさそ
日影嵐の方、即ち大正期の発電所は、も少し先に送電線路があったと思われ

環翠楼の水力発電所は、大正10年頃に最初の物が造られ、
昭和29年に新しい発電所(須雲川発電所)が出来た。という事だ

«完»

2023/05/24

環翠楼水力発電所 #2

#1 の続き

1_20230524043846c8a.jpg
この写真(絵葉書)は、いつの時代だろ
電話番号が書いてあるから、それで判るか?
「湯本三番五十番」となってるが、コレは湯本三番に加え、湯本五十番
の2回線目の番号もある、という事なのだ

あと、見慣れてるから忘れてたが、横書を右から書く「右書き」は
戦前まで使われてたっけ

2_202305240438486d9.jpg
湯本・宮ノ下の旅館に電話が引かれたのは明治35/1902年
文献では明治42/1909年の「大筥根山」が一番古いようだ
(筥はハコ、箱・函・筥・匣・筐と読みは一緒だが、箱根では函・筥が使われる事がある)
環翠楼最初の電話番号は「湯本三番」
あ、そういや「環翠楼鈴木」と銘してたのも結構古い時期
検索してたら他所でも「環翠楼」という名を使ってたんで、同名被りを避ける為だろか

3_202305240438486df.jpg
大正11/1922年では、湯本三番に加え湯本五十番が追加されてる

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大正15/1926年には早くも3回線目「湯本七五」が追加
銘も「鈴木」が消え、梅村美誠と、多分コレは代表者的に書いてあるんだと思われ

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資料によっては3回線目が書いて無いものも
代表者が梅村絢子に変わってる

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先程のには書いて無かっただけで、ちゃんと3回線目はある

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この番号は電話自動化直前まで使われ・・・

8_20230524043933eb7.jpg
自動化の為の新局番化で市外番号「箱根(0460)」となり、新たな番号が振られる
0460と書けばよいもの、、と思いきや、全国化されたのは昭和38/1963年なので、
それまでは「箱根」が必要だったのかも知れん
なぉ箱根/0460のあとは単一の「5」が使われ、現在の「85」になったのは、
割と最近の2007年である

さて、電話本局にもめげずに探してみたが、
電話三番・五十番となったのは大正時代と思われ、七五が追加された大正15年頃
(自己PRの為なら、あったら3回線目も書くだろ)
「環翠楼鈴木」という名からしても、同様に思われるので、
先の写真は大正期で間違いないと思う

じゃ、湯坂道にあった送電線は?«続く»

2023/05/23

環翠楼水力発電所 #1

1_202305232204086fe.jpg
平成25/2013年、東京発電により廃止されてた発電所が再生された
須雲川発電所
昭和29/1954年~昭和59/1984年に稼働してた環翠楼の自家用発電所である

2_20230523220410a1f.jpg
環翠楼は塔ノ沢。湯坂道に送電線を張って、電力を供給してた

3_20230523220410b92.jpg
一部の電柱は残ってる

4_20230523220431752.jpg
元々の電柱柱は、通信用でハエタタキ柱である
おそらくもっと昔に使われてた物の再利用

5_202305232204349b2.jpg
環翠と書かれたプレートが環翠楼の物であると物語ってる
(法規上、この手を付けねばならない)

6_20230523220434cf3.jpg
さらに探して鷹ノ巣山林林道より下を探して見付ける
(ホントはコレを探してた訳じゃ無いんだが)

7_20230523220456a75.jpg
以前見つけてた塔ノ沢側の電柱も、見直したら同じ種の奴だった

8_2023052322045883d.jpg
コレが当時の写真・・・・・
ぃゃ、なんかもっと古くね?昭和29年の戦後っうより、
昭和初期か、大正時代な気がする

9_20230523220501e8f.jpg
ほら、資料も出てきた、大正10年頃じゃないか

どーいう事だってばよ«続く»

2023/05/22

国立国会図書館デジタルコレクション

url→https://dl.ndl.go.jp/ja/

全文検索できるようなって、大変便利なんだが、検索が度々オカシイ

1_202305221501242c2.jpg
横書き文なのに縦書きとしてテキスト化したりする
文字数が違うんだから横書きと判り易そうなんだが・・・
すんごくトリッキーに最初は縦書き、あとは横書きと認識したりもする

2_2023052215012684c.jpg
こうなると、何が何だか判らん
最初の2列は縦書きと認識(テキスト側マーク)してるが
残りは暗号化か文字化けのごとく。何がなんだが

縦横の文字数を見て、横が違うなら横書き、縦が違うなら縦書き
と割と簡単に判断できそなんだがなぁ

さいで時折出て来る「電話本局」
もち、対象にそんな文字は無い

3_20230522150128d78.jpg
縦書き誤認から逃れるため、縦書きで判り易すそな奴で試す
テキスト側の「電話本局」と対になる箇所をアンダーライン・傍線にしたが、
このケースでは「()」の中の文字装飾が複雑だと「電話本局」が出現する
さするに、ちゃんとテキスト化できず、何かしらの条件でリンクがおかしくなり、
テーブル先頭にたまたま入ってた「電話本局」が出て来るんだと思う

対象にありながら、テキスト化がちゃんと出来ないと、検索できない
・・のは困りものなんだが、
よりによって「電話」を検索してる時は非常に困る(実際にやってる)

直るんかなぁ



2023/05/21

役野渡し

概要的なモンは山北発電所(役野渡)にあるんでソッチ参照

01_20230521015729350.jpg
今度は役野渡の詳細
吊綱と手繰り綱からすると、向う山北側の船着き場は発電所護岸前辺り

それにしても結構水位があって、増水時・・は流石に渡船は無理だろうから、
コレが通常時なんだろな

02_202305210157329d2.jpg
発電所位置からすると、内山発電所の取水堰より上流を行き来してたようだ

03_20230521015732213.jpg
平山側は取水口よりちょい下位か、、
取水堰は当初から造られてて(当初のは震災で損傷)、渡しと交叉するんで、
やっぱ工事段階で役野渡は廃止されたと思われます

04_20230521015735060.jpg
近年で最大に増水したんは2010年
こん時はちょいヤバくて、足柄橋下流の護岸が損傷したりした

多少減った後の写真だが、発電所前の護岸が洗われてるんで、
こんだけ水位が高いと流石に渡船は無理だな

05.jpeg
役野渡しは北足柄村(当時)の観光名所、平山滝(洒水の滝)へのルートとして
多いに役立ったようで・・・

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北足柄村平山渡船明治27年12月。多分コレが役野渡しの通行状況

1ヵ月1500人、半端ないな。月30日として1日50人
一度に何人運べるか不明だが、上記写真だと船頭除いて4人
前記事写真だと船頭別に6人だけど「とも」の人は渡しの人っぽいから5人かな
定員5人だと10往復/日か、、往復で乗るのを考えれば最小5往復/日
意外といけそ

一人当たり5厘
明治1厘硬貨は古銭商だと万単位だが、ヤフオクだと4256円
5厘で21280円。たけぇなぁ・・じゃない
1厘は1/1000円で、明治30年頃の円は現在の3800倍くらいなんで、
1厘は現在の3.8円程度。5厘で19円って事になります

船頭手当が3円×2人みたいなんで、安いような高いような

07_20230521015752534.jpg
てなデータが明治28年1年間分あるんすが、
1月に正月休みで里の人が4人分乗船した以外、コンスタントに1500人/月利用してます
洒水の滝観光すげえな。明治28年は1万8千4人が利用
(突っ込み所あるが、まぁそういうモンだろう。察す)
冬季にも運行してたという事は、
渇水時期で仮橋とか渡渉ってのは、無かったんでしょかね

08_2023052101581327f.jpg
北足柄村平山では、橋梁のデータもあって、きっとコレは平山橋(現在の滝沢橋)
通行400人/月、牛馬300匹/月の利用があって、渡賃は人6厘、牛馬8厘

09_2023052101581548b.jpg
コチラも明治28年1年分あるんすが、
1~3月は通行300人、4月~12月は通行350人。牛馬は毎月250匹
多少の変動はあるようです(わざとらしいが、まぁそんなモンだろう)

10_202305210158176ec.jpg
【地図左側】役野渡しが月1500人利用なのに、平山橋は月300~400人利用なのは、
洒水の滝行くのに平山橋は渡る必要が無いから
という事なんだろと思います
さするに平山橋利用者は、
地元や苅野・内山方面から山北(停車場)へ行く人が利用してるって事かな

11_20230521015817278.jpg
足柄上郡誌では、平山橋【水色傍線】は、ふらふら橋で徒歩のみ、
大正12年に長26間幅1間の吊橋を架橋、となってるが、
明治27・28年に牛馬が通行してるんだが・・・
当初は通れたが老朽化して徒歩のみとなったんだろか?
少なくとも、大正12年以前にも、牛馬通行可な橋はあった事になります

さいでも、苅野から山北停車場(山北駅)まで、
本格的に荷車等通行できるようなったのは、
大正10年足柄橋、大正12年平山橋の架橋の後、
苅野・内山間に足柄隧道(大正15年)が造られた事によります


2023/05/20

山北発電所(役野渡)

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以前出た山北停車場(山北駅)から平山滝(洒水の滝)への観光案内

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途中、まりこ川(酒匂川)を「やくの渡(役野渡)」で渡船する

03_202305201415395c5.jpg
写真があるとは思わなかった
吊綱に曳かれた小船を、船頭さんが手繰りで行き来する
酒匂川は右から左に流れてるんで、向うは平山側である

逆だったら山北側、発電所とか写ってるのに、、、見たい

04_20230520141541945.jpg
見付けた!
震災前の壊れて無い山北発電所と、役野渡
同時に写ってる写真など無いと思ってたが、奇跡の一枚

05_20230520141558fb3.jpg
足柄上郡誌(T13)によると、
役野の繰舟渡に変わり鋼索吊橋が大正10年7月に架かったとなってる

06_2023052014160037f.jpg
役野渡右岸、平山側は大正7年に内山発電所の取水口が出来るんで、
大正10年以前に渡は廃止された筈だ
先の写真で、足柄橋の下にナローな吊橋?らしきものが写り込んでで、
工事用かも知れんが、大正10年鋼索吊橋以前に何かしらの橋が架かってた筈だ

役野渡は内山発電所稼働の大正7/1918年には廃止された筈で、
工事を含めるともっと前かも知れん
先の山北発電所の写真は、稼働開始した大正3/1914年から4年以内と思われ
出来立てや!
07_202305201416010c4.jpg
その写真が希少なんは、大正12年に大正関東大震災が発生
9年しか経ってない山北発電所は半壊する
壊れる前が判らんので、どう半壊したのかイマイチだったのが、
両写真を比べて右側建屋が倒壊したと判る

08_2023052014160421a.jpg
建屋の割に設備の被害は少ないんで、壊れた方は発電に直接関係無かったのかも知れん

09_202305201416233a2.jpg
山北発電所で最大の被害は、発電所上の水槽

10_202305201416268da.jpg
片側は地山と共に倒壊

11_20230520141626e27.jpg
現在は余水吐が追加され、震災前と形状が変わってしまってるが、
手前側の古い部分~水門が当初からの部分と思われ

12_20230520141629549.jpg
水槽下には安戸隧道があるが、軽微な被害で済んでる

«役野渡編へ»

2023/05/18

小田電、謎の発電所を探せ #3

#2 の続き

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小田電、謎の発電所といえばコレも忘れてはいかん
小田原電気鉄道/発電所歴で出た「箱根登山鉄道のあゆみ」箱根登山鉄道社史編集委員会
(前出時「歩み」となってたが「あゆみ」が正しい。
なぉ、2020年に同名書籍が箱根町郷土資料館から出版されてるので混同する)

で、本題。小田電の年表にある発電所の中に
【赤枠】「早川発電所」大正7/1918年2月出願、大正9/1920年7月完成とある
勿論、そんな発電所は無い
宮城野にある企業庁の早川発電所は昭和31/1956年運用開始)

2_20230518045408a95.jpg
念の為、年表から電気関係分

本文に書いて無かった気がするが、も一度確認の為にまるっと読み直した

3_20230518045408b76.jpg
箱根登山鉄道のなので、前身である小田電時代の事はあんま詳しく無い
↑電化の際の湯本茶屋発電所(抜粋)

4_20230518045424712.jpg
電気事業として湯本湯端発電所(箱根電燈より買収)と三枚橋発電所、畑宿発電所である
もち、第二とか第弐の件は載っておらず、
それよか「早川発電所」の事もまったく書いて無い
あの年表の元ネタは困った事に「不明」である
(関係無いトコにしれっと書いてないか全部斜め読みした)

しかも三枚橋発電所水路が既設水路の延長ってなんだよ

5_20230518045427496.jpg
湯本茶屋発電所水路は須雲川左岸、湯坂山の山腹
三枚橋発電所水路は須雲川右岸。川の反対側である
個人的には須雲川を渡る長大水路橋を架けて延長して欲しいが、
水量も増えるんで既設水路はまったく使えない

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某町の「箱根山の近代化」パンフなどに影響が・・・(企業庁早川発電所なのに)


7_2023051804544465a.jpg
第二発電所と迷走してた第弐の件は・・・

8_20230518045446cbd.jpg
後の世では消えていた
小田電から昭和3年に買収した日本電力【ピンクマーク】となり、
山崎発電所がラインナップに加わった

9_20230518045448484.jpg
実は山崎発電所は小田電時代から計画が進められていて、
隧道工事を行い、灌漑用としてとりま利用されてた
日本電力に移ってから、本格的に工事が行われた

ぃゃぃゃ、山崎発電所分の湯本茶ノ花~風祭上河原の利水なんて、
今まで出てこんかったではないか

10_20230518045500557.jpg
実は山崎発電所水路は、荻窪用水とまるっと被っているのである
しかも早川本流から取水する為、湯本の前田、山崎なとの農業用水と絡むのだ
発電用利水分は無かったのだが、地元との色々紆余曲折あって、
ようやく発電所用として確保でき、発電所建設となった

国立公文書館のデジタルアーカイブには、それらと思われる書類もあるようなんで、
小田電時代から、というのはコレで確かに

昭和1年10月07日
指令案 神奈川県知事宛 内務大臣 大正十五年七月十七日十四土収第3279号稟伺
小田原電気鉄道株式会社出願早川発電用河水使用許可ノ件認可ス

昭和2年03月31日
返戻案 神奈川県知事宛 内務大臣 小田原電気鉄道株式会社出願早川発電用河水使用工事施行認可申請ノ件 
昭和二年二月二十八日土収第286号ヲ以テ標記ノ件ニ関シ稟伺相成候処右ハ稟伺ヲ
要セサルモノト被認候条貴官限リ御処理相成度書類及返戻候

昭和3年、小田電→日本電力

昭和4年12月13日
照会 神奈川県知事宛 土木局長 早川発電用水利使用工事竣功期間伸長ノ件照会

昭和5年02月03日
回答 内務省土木局長宛 神奈川県知事 早川発電用水利使用工事竣功期間伸長ノ件回答 
昭和四年十二月十二日付水乙第五号ヲ以テ標記ノ件ニ関シ
御照会相成候処右ハ左記ノ通リニ有之候条御了知相成度此段回答候也

昭和5年10月03日
指令案 神奈川県知事宛 内務大臣 昭和五年九月二十二日付二監収第286号稟請
早川発電用水利使用工事竣功伸長ノ件認可ス

昭和6年10月29日
指令案 神奈川県知事宛 内務大臣 昭和六年九月二十一日付二監収第286号稟伺
早川発電用水利使用工事設計変更ノ件認可ス

以上であるが、度々出て来る「早川発電」が気になる
公文書館のは昭和になってからなので、大正7年9年に結びつくか不明だが、
大正時代から工事が行われていたので、可能性はある
「早川の発電所(山崎発電所)」が、「早川発電所」に化けちゃった・・・
のではないかと思われ
(まったく関係無い他の文献だが、塔ノ沢発電所の事を早川発電所としてるのがあった)

小田電の「早川発電所」はおそらく誤用
「第二(第弐)発電所」は迷走してるし、
地所も怪しいので机上の空論で終わったと思われます

00.jpeg
公式的にも載ってないからね

«とりま完»
派生がいっぱいあんだが・・・

2023.06.02。新事実の判明で意外な結果が!#4参照



2023/05/17

小田電、謎の発電所を探せ #2

#1 の続き

01_20230517132616da6.jpg
第一(三枚橋)、第二発電所計画を土地収用公告から見つけた
大正5/1916年8月ので、「発電所設置並発電用水路開設」
場所は湯本村、早川村地内となってる
県の方で土地細目があり、湯本村大字須雲川字作ノ木~と多分水路が続き、
末の方で早川村字水神ヶ淵、字畑ノ平と早川村の字まで載ってる

水神ヶ淵・・・?

02_202305171326190e1.jpg
早川村に水神ヶ淵は無く、水神ヶ森はある。但し大窪村板橋だ
早川右岸で、上河原の下流側になる
些細な間違い、、だけなら良いのだが、
湯本村から水路を引くとなると、途中梅ヶ窪を通る筈だ
早川沿いから石垣山まで、梅ヶ窪はメチャ広くて、此処を通らんのはオカシイ

湯本前田から水神ヶ森まで、早川右岸は山裾で結構急斜面なんで、
水路を造るとしたら概ね隧道になるかと思う

03_20230517132619c6d.jpg
また大正12/1923年7月の土地収用公告に、
「電気装置」として湯本村、早川村のが載ってた
残念ながら県の方は見つからず、
別手段として国/県公文書館も探したんだが発見できず
電気装置なんで発電とは言い切れんかも知れんが、早川村に関するのは
大正5年のとコレだけだった

04_2023051713263438a.jpg
ちな、大正10/1921年8月には畑宿発電所のと思われる土地収用公告もあった

05_202305171326370b7.jpg
小田電として早川村の土地を買収したのか?
参考になるか判らんが、大正8年から大正12年まで軌道財団に対する
軌道以外の用地が告示されてるが、いずれにも早川村の地所は見つからん

06_2023051713264045e.jpg
大正関東大震災の際にも、三枚橋と畑宿の発電所しか載ってない
三枚橋の放水から延びる水路についても書かれて無い

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ちな、畑宿発電所は震災のちょい前に完成し、営業も開始したようだが、
震災後直ぐに復旧された三枚橋発電所と違い、暫く手が付けられなかったようである
(震災報告書からすれば致命的損傷は無く、
単に山奥で出力が然程大きく無いので後回しにされた風)
小田電から日本電力に変わっても、暫く休止状態だったが、
昭和16/1941年に運転を再開することになる

さて、困った«ので続く»


2023/05/16

小田電、謎の発電所を探せ #1

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箱根の電気事情で出てきた『大窪村』の発電所計画
しかも湯本茶屋発電所は新発電所落成まで動かすとな
(三枚橋発電所は既に運転してる)

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同資料の地図は読めんかったので翌年の地図。全国版なんでコレが精一杯
745と並んでるのか?該当するのは5で此処では名が「第二」となってる
とりま下流の方にある

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大窪村というと現小田原市、入生田・風祭・板橋の地区
早川左岸になるかと思いきや、実は早川下流の右岸側に地区境があって、
古早川の流れだったんだろか(ざっとは調べてみたが判らんかった)

須雲川からの水路で発電するなら早川右岸が必須なんで、緑マーク辺りか?

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この『大窪村』発電所計画。遡ると大正6/1917年資料から載ってる
1.(三枚橋)2087kw未竣功、2.(大窪村)2000kw未竣功、
3.(湯本茶屋)300/300kw、4.宮水電より受電
備考を見ると
◆(湯本茶屋) 第一(三枚橋)、第二(大窪村)発電所落成の上は廃止するとある
第二の名はこっから来てるのか

今までは電気側の資料だが、水利側のを見る
明治の頃から逓信省は全国各所の発電可能な水系の調査をしてたんだが、
大きな河川がメインで、中小河川は何時頃から行われてたのは不明だが、
大正期からの資料がある

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神奈川県内の早川では本流に5箇所、支流の須雲川に3箇所設定されてる
明治期から発電してるんで今更かも知れんが、大正8年ではこのようになってて、
小田電では須雲川側の3箇所水利権持ってる

【ピンク】須雲川1は湯本茶屋発電所分で、取水口・放水口の場所、
水量と落差から馬力(理論値)が計算され、稼働してるんで実績としての出力が載ってる
【ピンク】須雲川3は畑宿-畑宿で畑宿発電所分

問題は【ピンク】須雲川2だ
須雲川割石で取水するんは、1と同じだが放水は湯本前田、、、と板橋上河原
なんじゃそりゃ!
水量が同じなんで湯本前田で放水せず、そのまま水路で板橋上河原で放水
落差と馬力がそれぞれ在るんで、発電所2箇所か!
なる程、故に第一、第二発電所になる訳だ
しかしながら、第一の落差689尺(約209m)に対して第二は102尺(31m)
第二の馬力は第一の2割にも及ばない。畑宿にも負ける

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判り易く図にするとこんな感じ
須雲川割石で取水し、湯本前田の第一発電所(三枚橋)で発電、放水せず、
水路を延ばして大窪村の第二発電所でも発電する
ぃゃコレじゃ第一(三枚橋)2087kw発電できても、第二で2000kw出せない

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色々調べて大正10年の治水事業に関する統計書にココラの話が載ってた
小田電分の須雲川の3系は、ほぼ同じだが、なぜか早川本流が大正9年に追加されてる
だが、湯本前田で取水、早川(村)梅ヶ窪で放水と、「第二」と殆ど変わらず、
落差は102尺(約31m)から105尺(約32m)と何故か増え、
その代わり水量が倍以上!これで馬力は一気に、、まぁ倍程度にしかならんな
稼働して無い筈なんだが発電力が載ってて632kw、まだ畑宿945kwに負けてる
とりま「第二」の2番目、という事で、早川本流の方を「第弐」と呼称する

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後年の水力調査書/大正13-14年になると、「第二」が消えて、
しれっと本流の「第弐」が載ってる
しかもやっぱ弱くて、到底2000kw主力出来そにない

水利系の資料は、所々変な値が入ってたりするんで、間違いもあるかも知れんが、
数年分追っかけても多少の違いはあれど、同様のデータなんで、概ね正しいと思われ

どうしてこーなった?
推測だが、湯本茶屋発電所に変わる新発電所の計画で、
須雲川割石で取水し、湯本前田で発電、放水する系を計算しても、
2000kw程度の出力しか出せんと判り・・・
会社の偉い人「なんでや~塔ノ沢発電所では1.5倍以上で出るやろ」
技術者「あっちは本流なんで水量が違うんす。多いんですよ」
会社の偉い人「なんとかせやー!もっと出力を上げるんや」
技術者「ん~発電した水を下流に送って、そこでも発電すれば多少は・・」
会社の偉い人「おおぅ、それで出来るんだな、発電所連チャンか」
技術者「ええ、第一には及びませんが多少の出力は(ちっとだが)」
会社の偉い人「第二の出力に期待だな(大いに)」
(その後、技術者は責められ、第弐案も提示するが、、お察し)
的な差異があって、そのままずるずると、、、よくある奴ですね

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地図的に描くとこのようになる
水路亘長も変なんで、放水口と全然マッチしない
されど、電気事業要覧に載ってる「第二」はこのような計画だったのだ

マジかよ~ホントに造ったんだろか?«的に続く»