旧相模川橋(相模河橋) 追記あり

先日の某国営放送の大河ドラマ(お察しください)
地元が沢山出てき、楽しんでるんすが、いかんせん人物像中心なんで、
もっと地域色のあるのがあったらな~
なんて思ってたんすが、先日の25話で稲毛重成の相模川架橋の件の話が!
(頼朝の落馬?ん、そんなんもあったね)
なんと映像が!!・・・・・・何処の相模川だ?え?5径間?
と突っ込み満載
さて、相模川の何処いらを想定してたんだろ。鎌倉時代の東海道は、、、
しかし、あの川の幅は、、と現代地図(航空写真)を眺めても判らん
そもそも相模川は河口から数キロは海面高と一緒で、
河口近くには須賀港が設けられてる
あんな幅狭なんは、もっともっともっともっと上流なんだろか
と思ってたんだが、番組の最後の紀行でネタバラシ
やはり茅ヶ崎の旧相模川橋脚だよね
大正関東大震災で田圃の中からニョキニョキ現れた木橋脚
(今見えてるのはレプリカ)
出現した橋脚が、鎌倉時代の橋跡と言われている
この遺跡があるんは新湘南BPの茅ヶ崎西IC辺り
こりゃ相模川のじゃなくて、そこいらを流れてる小出川のじゃね?
と思われるかも知れんが、、、
そこいら一帯は相模川の氾濫領域
治水されて無かった時代には結構勝手に流れてた
補足.この図の説明があんまりだった
黄色無地が自然堤防。黄色半円が砂州・砂丘。青横線が旧河道。薄青が氾濫平野
実際、茅ヶ崎側は低地が多く、東海道本線より下は昔河口であった可能性もある
いつの時代だよと思われるかも知れんが、
相模川河口近くは、ついこないだの明治頃には、こんな流れだった
(水色マークが現河川)
大正期にはかなり整備されたが、
この後大正関東大震災で護岸・堤防はメチャクチャになる
その後整備されたのが、概ね現在の姿
(細かいトコまでは調べて無いんで、だいたいの話)
さて、件の相模河橋の姿だが、
「史跡・天然記念物旧相模川橋脚の保存整備」に記載があった(図は北が斜め左)
【青】橋脚は3本が一対、4組が並ぶ配置
【水色】川は北西から南東に流れ、【青】橋は北東から南西に架けられてた
【赤】橋の規模は横幅約9m、橋長は40m以上あったと推測
図のスケールから径間は約10m。橋長40mであれば5径間となる
ぐぬぬ、某国営放送のは正しいのか
勿論、後年に河川整備で消えてしまい、実はもっと多径間だった。とか
相模川の流れは幾条にも流れ、此処はその内の一筋に過ぎんかった
とかも考えられる
そもそもどんな橋架けたか、記録が無いんで、細かいトコは判らんのだ
径間が10mとは、木橋としてはちょい広すぎな気もするが、
もはや流れの殆ど無い処に架けられたとしたら、
河川橋というより湖沼に架けられた橋という形ならアリだと思う
(そこいら一帯は低湿地・沼地で、
街道のみ土盛石積護岸で整備され通行したと考えられる)
まぁ国内最古の木造橋遺構というだけでも、非常に価値があるんだが
6/28追記
旧東海道と旧相模川でもう1本書けるかな、と追加調査
ィャマテ、何処かで見かけた記憶があるなぁ
「地誌のはざまに」さんトコの
大凡の事が書かれてるんで、詳しくは参照(他力本願
当記事の地学的なのと合わせると、旧相模川が良く判ります
俺も旧小出川だったんぢゃないかと思ってたんだよ(負け惜しみ)
たんだ鎌倉から江戸の間に東海道の整備は進んでるし、
農地整備の為の排水も行われたと思うんで、
鎌倉時代のここいらは、もっと混沌としてたと思ってます
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