摺手道(仮)
撮影日 2009年10月29日(間違いでは無い)

足柄神社沿い足柄古道で最後に出た摺手への道と脇の道祖神だが、
此処の摺手への道
古道に由来する道と思われるが、
ドッカから登ってソッチ降れば足柄隧道いらなくね?
とはいえ、現在九十九折で登り降りしてるんで、やっぱ急だよな
標高差約43mで計算すると20%近くになる
古道時代も直登でなくカクカクしてた風なんで、
人馬位は行けたかも知れんが、荷車は駄目っぽい
ちな摺手道は便宜上の呼称で、市道でも無いんで農道と思われ
九十九折から摺手、内山方面。間に内川の谷が在る
(向うにE1東名の皆瀬川橋が見える)
こん時は摺手道の歴史とか関係なく、謎の道【地図上赤】を確かめに来た
上下ともパイプで塞がれてて、車じゃ通れないのだ
ふぉ~~ん
コンクリ路肩の狭い道だが、ガードレールは無い
落ち葉・落ち枝と随分人が入って無い割に藪化してないのは、
下が舗装されてるからか?
谷地形に沿ってるんで、然程急な道で無い
道脇には南足柄の境界柱
コンクリ路肩からして、然程古く無いと思ってたが、
昭和33/1958年~より新しいって事になる
ガードパイプで終了
摺手道に出る
ちょい先の紫枠が上のショートカットルート(古道ルート)だが、
車道建設に伴い法面が高く、凡そ道とは思えない角度で降りてる
(ちな下のショートカット区間は道路から階段で降りる程、
下のMS110側は動物除けフェンスがある)
摺手道側から見ると、ガードレールは廃道【赤】側に続いてる
廃道側が元々の道で、摺手道ここまでが新道らしい
(なぜガードレールが途中まで、なんは無い区間が古く狭く、
ガードレール付ける幅的余裕が無いからと思われ)
農道なんでまるっと資料が無く、航空写真頼りである
【1961】上からの農道は狭いならがも元々あったようだ
廃道の降口辺りは出来てるが、道自身は林を切り開いたってトコか
【1967】廃道区間が出来てる
下のMS110へ狭いながらも繋がってる風に見える
【1984】一番下のRが舗装され出来た。広域農道と一緒の頃か
【1988】九十九折出来た
てな訳で、60年代に現廃道と経由ルートで狭いなからも一応出来、
80年代に現在の車道が出来たようだ
てな訳で、摺手道の謎が一つ解決した(10年以上放置だったが)
苅野から内山まで、急峻な尾根を登り降りしては荷を運べないので、
足柄隧道(大正15/1926年)が造られたというハナシに繋がる
時期的に大正関東大震災直後なんで、その復興も含まれてたかも知れん
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