2022/01/31

秦野巡回

撮影日 2022年01月30日

秦野行だが、とりま松田町内のネタから

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町屋の金田堰に造ってた橋だが、3月までと思ってたら

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出来てた

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橋といっても実際には暗渠BOX入れて、その上を通す

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此処は松田町の定住化促進住宅(集合住宅)が出来る

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故に橋の幅は2車線分位はある

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K72篭場橋交差点前

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桝にフェンスが出来、工事看板が新しくなったんで、
いよいよ道路工事かと思ったんだが・・・

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今度は町の配水管工だった
(以前の水路工は道路改良工で県の事業)

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R246の土砂崩れ現場。篭場橋からも見える

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下の法面ワッフル化が進んでる

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K710の護岸は今だ

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R246の蛇塚交差点にも看板出てるんに気付いてなかった

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新東名のインター関連で、山側歩道が通行止めになってる件だった
現場近くまで歩道があるのだが、
インター入口車線化で歩道は一時的に無くなってる筈

てな訳で開通まであと少しの新秦野IC、R246側~本線を後程


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2022/01/19

旧久野川 外伝と補足

撮影日 2022/01

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久野川(山王川)にかかる大雄山線の橋梁
平成18/2006年に山王川改修に合わせて架け替えられたが、
先代橋梁が初代では無いかも知れない

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というもの、大雄山鉄道が仮小田原まで開業した大正14/1925年10月15日、
久野川は同じ大正14年に川替えされたが、鉄道開業後かも知れない
その場合、橋梁を引っ越すとか行われた?

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古い航空写真見ても、橋梁があった風には見えない
国土の旧河道情報がアヤシイんで、
田の跡から川筋を付けても、場所はそんな変わらない

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とりま現地へGO

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川端排水路との交叉地点だが、幸いな事に小路が続いてて、行けるようだ

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さて件の川端排水路。橋梁小っちゃ

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橋梁名は第四開渠と判明
これは良い情報。旧久野川開渠とかでなく、単にNo4という事は、
最初っから第四開渠だった。という事になる
(前後の開渠がNo3、No5なら確実だが、確認する方法が無い)

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桁自身には何のネタもなく、ただ小さいガーダーなだけ

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耕作が盛んな時は水路として活躍したが、
今となっては草に覆われ、辛うじて雨水を流すのみ、、か

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付近を見回しても、住宅地とフイルムの寮しかない
川があった痕跡は微塵も無かった

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小路の橋脇に境界がある
自然石を加工したもので、赤ペンされてなきゃちょぃと気付かない

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とはいえ、小路の入口も自然石だったんで、かなり古い境界だな、とは思った

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問題は小路橋先の境界も自然石だった。橋脇でなく、ちょい先に

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此処の境界は古いまんまなんか、と思い先を見ると、
ちゃんとコンクリの伊豆箱根鉄道印の境界柱だった

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土地を示す境界だから、本来は小路橋脇に揃ってる筈だな
コッチ側が空いてるって事は2本間に土地が無かった可能性が高い
その間が旧久野川なんじゃないかと予想

旧久野川の橋梁跡は見つけられんかったが、意外にモンが残ってた

さて、問題は川替えが先か鉄道が先か、、だが
究極の二次情報で確認する事が出来る・・・かも知れない

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小田原地方新聞記事目録である
県西地区の新聞一面の見出し的なモンが、明治4年8月から昭和60年12月まで揃ってる
(新聞が発行されて無い日も有る)

問題は載ってるかどうかは、見てみんと判らん
今回は期日がほぼ確定してるから楽だが、他の案件もあるんで、
久野川、山王川、耕地整理について、震災以後に載ってるのを拾い出した

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懸案だった久野川大改修通水式だが、大正14/1925年5月22日と判明
大雄山鉄道の開業が大正14/1925年10月15日だから、
5ヶ月弱久野川の方が早かった・・・
まぁ鉄道側からしても、開業してから橋梁の移設する間休止するのもアレなんで、
久野川の川替えを待ってからの橋梁工事等するよな
旧久野川部分は盛土して路盤整備したと推測される

序の部分
#7で兎河原橋脇の久野川改修の石碑
昭和38年建立だが、20年前のハナシが出て来るんは、
久野川耕地整理が大正14年で終わらず、その後も行われ、
昭和15/1940年1月11日にようやく完成したからであった
20年は丁度でなく、20年程って事になるね

山王川耕地整理は、色々あったが昭和3年に問題解決し、
その後山王川の瀬替えも行われたようである
完成の記事が無いのが「あるある」で完了年月は不明

昭和18年の山王川改修は判らん
二級河川指定(昭和40/1965年)以前なんで、小田原市が改修したんだが、
大改修と言われる程のナニカが思いつかん

昭和28年の久野川灌漑は上流ダムとセットか?
とはいえ久野川上流に利水用のダムなぞ無いんで、計画倒れか?
(陸稲とは水田によらない稲作だそうだ。でなんでダムなんだ?)
ダム計画の方で何か資料、、と探したが公文書データとかでは発見できず

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昭和7年の井細田疎水埋立は、おそらく甲州道沿いに流れてた穴部用水を埋め立てる件
穴部用水は昭和の始めに道沿いから現アマゾンの方へ迂回する形で付替えられてる
昭和11年地図には以前の流路だが、この時期には変わってた筈なんだが・・・
道沿いの旧用水跡は埋立られ、道路の拡幅がされたと思われ

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#7で判明した国土の明治期の低湿地における旧河川が、明治迅速図からのもので、
あまり正確では無いんで、古い航空写真の田圃の跡から旧河道を引いてみた
概ね、国土旧河道、明治地図からのトレースとあんま変わりなく、
今回のレポへの影響は少ないんで、参考的に掲示しとく
なにせ#6の右岸下流側以外、正しいかどうかの確認をする方法が無いんで、
コレが正しいとも限らず・・・

何はともあれ、旧久野川編の補足的にもこれで終了
もうなんも残ってないよな(フラグ)

2022/01/16

旧久野川 #7

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旧久野川の残念を求めて、右岸上流側へ
撮影日 2010/06、2021/12、2022/01

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本当に申し訳ございません。今まで「兎河原橋」の事「鬼河原橋」としてました
兎河原は公園やバス停もあり、そもそも「兎河原橋際」交差点と何度も見てるのに、
何を勘違いしてたんだろ。(もち兎河原という名は知ってた)

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さて、その兎河原橋から下流側。久野川橋まで真っ直ぐ
上流側はちょい先で右に曲がってる
ところで、上流側左側(右岸)の護岸幅が、若干だが変わる

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上流側星山橋下からそのカーブを見る。S字を描いてる

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上流の星山橋。欄干が替わってて、ガードレールタイプになってる
以前のは味わいがあったんだがなぁ。何年か前に水害で被災した、、んだっけ?
親柱等は変わってない。銘も同じだが、当日逆光で綺麗に撮れんかったので、
下の11年半前の奴流用

広域農道が繋がる以前、辻村農園から抜けて来る道が此処通るんで、
昔は結構通ってた

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この橋から公式的に上流/準用河川久野川、下流/二級河川山王川となる
上流左側(右岸)山際を流れてるが、谷を出る平野口はも少し上流
樋口橋~出口橋辺りである
古代的には自由に流れてたと思うんだが、山裾に流れを変えられてると思われ
(そすれば片側だけ堤防造りゃ良い)

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さて、右岸上流部の川沿いだが、見事にまっ平ら
星山橋の直ぐ下流に架かる新橋(予定)に繋がる未成道まで出来てる

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そもそも1952年航空写真でも、若干段丘っぽくなってるのは判るが、
右岸(写真下側)に川があった風な田は無い
それでも1990年台まで一応残ってたんだが、2000年始め頃(と記憶)の
農地区画整理でまっ平らになってもうた
右岸下流側、兎河原橋付近も一緒

古い航空写真見ても、川跡が判らんのはちょっと怪しい・・・・

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しかし国土の明治期低湿地図にも旧河川描いてあるからなぁ、、
ソースは判んないだろな、と思ってたんだが、色々調べたら明治迅速図だった
コレ、あんま正確じゃないんだよな

てな訳で根底が怪しくなったんで、
星山橋~兎河原橋間は、大正14年工事に含まれて無いと判断

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そもそも久野川耕地整理に関する石碑は、兎河原橋脇にあるから・・・
なんで星山橋脇じゃないんだろ、、、と思ってたが、元から違った訳だ
この石碑、普通は文章のみだが、概略的とはいえ図が載ってる
まぁ細かいトコは判んないんだけどね

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さて碑文の方は、読むんに苦労したんだが、掲載してるトコがあったんで
細かいトコは参照して貰うとして

https://take1960jan.blog.fc2.com/blog-entry-4146.html

ウチラ的に重要な事は、
昭和38年に石碑が造られ、内容的に20年前の事を言ってるようである
って事は昭和18年の事?されど瀬替え行ったんは大正14年なんに?
川の流れを変えるだけでなく、川跡の田圃整理、水路の設置など、
行う事はあるだろうが、10年以上かかってしまったら、その間米作り困るよな

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耕地整理の為の久野川瀬替えだが、今や耕地は殆ど無く、住宅地が広がってる
旧久野川としての本編はコレで終わるが、若干歴史的な番外編を書く予定

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下流の山王川耕地整理はどーなったん?
まだ見つけてないだけかも知れんが、コッチも資料が無く、、
地図的に昭和4/1929年~昭和11/1936年の間に行われた、としか判らん

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タイムリーに大正末、おそらく大正14年と思われるが、
この地図ではまだ久野川は旧川のまま
大正14年10月15日に仮小田原までの部分開業開業した大雄山鉄道は描いてある
あれ?そん時、久野川はドッチ流れてた?
(鉄道等交通は完成してなくても先行して地図に載る事はある)

早速番外編の出番らしい。準備に時間かかるんで、若干空くかも知れん
≪一応完了≫

2022/01/15

旧久野川 #6

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旧久野川の残響を求めて、右岸下流側へ
撮影日 2021/12、2022/01

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#5でも述べたが、国土の旧河道位置が合って無い・・・気がする
田圃に川跡っぽく【ピンク】残ってるのに、独自なライン引いてる
明治地図の方が正しい気がする
此処の田圃跡から旧河道を推察する

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外側は過去の氾濫跡として、内側のラインを重視するとこんな形

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とはいえ、コレは明治地図ほチョイと直した程度
なお、明治期には道はこんなでソコに橋が架かってた
道は現在に継承されてるとして、そのように補正

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右岸の此処は、大規模に造成されず、道が出来、住宅が建って来た

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元々の地形が残ってる筈・・・だといいな

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一部分だが、旧河道と重なっている
ここらは小田原市の認定外市道で、市道番号がふられてない
とりま協和橋からの道例の道として呼称

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外側のOS2421から見た協和橋からの道
なんの変哲もない住宅地の道だが・・・

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反対側から見ると高低差がクッキリ在る
少なくとも、旧河川と外側の境がこの辺なのは確かなようだ
そんで左の例の道へと降ってく

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例の道の方が協和橋からの道より一段低いようだ
逆言えば協和橋からの道はここら嵩上げされてる事になる
うむ~左側の古い側溝といい、道幅が一定じゃない点など、イイ感じ

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例の道は住宅地に消える。が、まだ奥に続きがある

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水路である。この手は昔の水路がそのまま官地になったケース
昔の田圃の排水路跡。旧河道の替りに造られたモンと推定できる

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今度は外側の道(OS2421)を廻ってく。神山神社近くのこの地点
かつてココラに橋が架かってて、河川渡ってたんだがドコか判らん
そもそも道も人道から車道に拡幅されてるしな

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協和橋からの道を過ぎ、その先へ
そこいらに旧河道が出て来ると予想したが・・

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兎河原橋に至るまで、道(OS2421)のドッチ側にも川跡は見られず
まっ、予想した西側の農地は、後の時代に区画整理されちゃったんで、
跡は判らん

17b.jpgこんだけでは確かと言えないので、データでも見る
高低図でも例の道辺りは低くなってる。おそらくソコが旧河道で間違いなさそ

旧久野川の流れ跡(と思われるモノ)を見つける事が出来た
次はいよいよ最後の右岸上部である≪続く≫

2022/01/13

旧久野川 #5

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旧久野川の残高を求めて、左岸最後の区間へ
撮影日 2021/12、2022/01

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一応旧河道の在ったトコは廻ってるが、盛土区画整理の終わった地では、
昔の川跡など見つける事はできん
左手先は伊豆箱根バス小田原営業所だが、旧久野川はそん中を流れてた

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真っ直ぐな道は、最後にカクカク曲がって丁字路になってる
なんでだ?

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伊豆箱根バスの営業所が出来たんは昭和40/1965年
そん時裏の車道は無く、1967-1977の間に出来たもよう
カクカク道は元あった田圃がそのような形だったからで、
そもそも田圃かそんな形になったのは旧河道がそこら辺を通ってて、
川替えの後田圃の整備の結果のようだ
旧河道が現在の道路の形に影響した、というのはなかなか面白い

トコロで南側にも伊豆箱根交通(1961)の建物が出来、
その脇に工場っぽいの(1962)が出来たんだが、
昭和56/1981にはマンション(小田原サニータウン)になったんで、
僅か19年しか存在してなかった
色々調べたんだが、この工場が何か判らんかった
当時この前とかも通ってるんだが記憶にも無い
本編等にはまったく関係無いが、御存知の方いらっしゃいましたら、
コメ等で御一報いただけると幸いです

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カクカクを出ると南北に貫く道(OS0035)
見通すと両側が高くなっており、谷感が強い
此処より上流側(地図左)は後期に区画整理されてる
一律に盛土整地されてるんで、駐車道すら高くなってる。使い辛そ
そんな訳で、左岸最後の旧河道跡は微塵も無い(一応廻った)

旧久野川の替りとして排水路の役割をしてきた川端排水路、続く下宿排水路だが、
ここより上流は北進して北側地域の排水路となってる

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てな訳で久野川側(OS0031)に出て、新旧久野川が交叉してた場所
とはいえ実際に交叉して流れてた訳じゃなく、旧久野川を切替た結果、
現在の流れになったんだが・・・
トコロで、国土・明治期の低湿地図中の旧河道だと、緑マークのよう流れてる
古い航空写真で見ると、田圃の境がいい感じに川跡っぽいのだが、それとはズレてる
どっちかというと明治地図の方があってる風なんだが、どっちが正しいんだろ
田境は現在の道路・住宅地にも影響出てるんで、次回右岸編は死地転抜刀する事になる

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何はともあれ、旧久野川は天神橋と協和橋の間、天神橋寄りに流れてた

以下、蛇足(#5が短めになったんで穴埋め)
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旧久野川が排水路とは、、田の水とか取水して無かったんかい、と思われるかも知れんが、
平野まで降りたら川より高い位置の田圃に水を送る事はできません
久野川においてはもっと上流の樋口橋(いかにもな名)辺りで取水して用水としてた筈
実際、樋口橋~出口橋間で取水する設備は現存してます(既に使ってなさそだが)

久野平野において、久野川の水だけでは足りず、早川水系荻窪用水工事の際にも、
久野村まで引くというハナシがあったのだが結局行われず、
地元有志の力で独自に用水を引く事になりました

池上地区は狩川水系穴部用水から分水し、トンネルを通り地区まで送る池上用水を
完成させました。コレは今でも現用してて、概ね小田急線沿いにあります
(足柄駅西側を流れてる)

久野地区では狩川水系塚原から山裾・トンネルを幾つか経由して坂下の北久保寄りに至る
久野用水を造り上げました
こちらは現存しておらず、マイナー故に殆ど資料が無いので、詳しい事は判ってません

蛇足以上≪続く≫




2022/01/12

旧久野川 #4

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旧久野川の残光を求めて、久野の川端へ
撮影日 2021/12、2022/01

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大雄山線の多古宮下踏切を越える

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旧河道は川端排水路の辺りを斜めに横切ってた

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小田急線の足柄1号踏切を越える

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旧河道は川端排水路よりチョイこっちを斜めに横切ってた
向うに久野川橋梁の脇、足柄2号踏切が見える
その先は土地が低くなってるんで見通せない
(久野川沿いは堤防の替りに川沿いを少し高くしてる、っーのもある)

鉄道は川替えの後なんで、別段確認する事は無いのだが、伏線なんで(書くなよ)

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今回のメイン、川端地区の畑。昔の航空写真でも川跡っぽく区割りされてる
旧河道辺りで耕作地が残ってるトコは殆ど無いので、貴重だ

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ど、どうかな・・・確かに駐車場より実感下がっているが、耕作地の境ではありがちか
右側の木が植わってるトコは更に低い感じ

じっくり見たかったんだが、モロ住宅地のドン詰りで、背後からの住民の視線が痛い

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てな訳でデータで確認しよう。【上】高低図でピンク星が現在地
川端排水路越しに農地を見てる
排水路側は土地が低くなってるのが常だが、旧河道周辺は土地は低めになってようだ
【下】土地条件図だと旧河道は盛土で埋められてるが、
場所によって高低がありそ。旧河道周辺はやっぱ低い
(旧河道マークは国土・明治の低湿地からだが、
田園の区割りと若干違うトコがあるので、多少合って無い気がする)

此処の農地は旧河道か周辺の低地が、盛土嵩上げされんかった跡と思われ

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K74(新)ではそこいらを流れてた
交差点名は旧字名の川端だが、久野川はアッチなのになぜに、、と思ってたんだが、
旧久野川がここらを流れてたからか

久野川に向かって若干登るが、川沿いは堤防を兼ねて若干嵩上げされてる

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古い方のK74と小田厚が交叉する辺り。旧河道はここらを流れてた

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K74(古)は、この辺では昔道を継承してる。久野本村へ行く道
【下】川沿いには川端集落があり、長さ6間、約11mの板橋が架かってた

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そこからは下宿排水路南側に旧久野川は流れてた
宮本みどりの広場の中とか、、向うに神社かな?

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地図によっては宮本神社と描かれモンもあるが、どう見ても寺院だ
たんだ本堂(?)が有るだけで社務所や墓地も無い
ぐぐってみたら、小田原のネタを扱ってる「小田原の隅々」さんトコに記事があり、
来光寺という名で文禄2/1593年創建と、かなり歴史あるお寺で、
普通の寺院ではなく祈祷所的な場所だったらしい

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大正14年の通水式に写ってるのは、此処かも知れん
左手に山々が見え、橋は久野川橋かな?だとしたら、久野川橋の下流側だが、
あの橋が工事用の仮設橋であるならば、来光寺でもおかしく無い

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大正14年の工事が「神山神社北側~井細田八幡神社付近」という事と、
新旧の河川が交叉するんで、工事~通水は分割で行われたと予想したが、
新旧の交叉地点でなく、天神橋下流で繋いだとすれば、
位置関係は悪く無い
(交叉地点では流れをギュッと変えるんで色々困る)
資材運ぶんに、道が無いんで仮設トロ使ったと考えれば、コッチも辻褄が合う

ハッキリ川跡を見つけてる訳じゃないが、状況的ネタが繋がると面白い≪続く≫

2022/01/08

旧久野川 #3

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旧久野川の残渣を求めて、井細田の排水路合流地点へ
撮影日 2021/12、2022/01

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此処が川端排水路と多古排水路の合流地点です
明治地図や国土・明治期の低湿地地図が正しければ、
旧久野川はこの辺を流れてた筈(コッチ側は既に川中という事になる)

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廻りはすっかり住宅地だが、一ヵ所畑が残っており、その先が見通せる
R255の出光が見える

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っう訳でR255から足柄交番の裏を廻る市道へ下り坂

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ぐるりと廻ってローソン側へ登って来た。交番の裏だけ低くなってる

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最低部から先程の排水路が、、あの辺
こっから見るに、別段低地となってる訳では無い

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排水路の上流側に廻って来た

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コッチからなら、高低差が判るかな・・・・
畑に比べて住宅は基礎が若干嵩上げされてる
まぁ道路から低くなってる土地ならありがちか

先の方にグラッチュガーデンズ(ファミレス)がなんとか見え、
駐車場に車が居るのが判る
フロントグリルが見えるんで、住宅より高い位置に地面がありそ

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国土の自分で作る色別標高図で最大解像度の50cmmモードで見るんに、
足柄交番の裏を廻る道から畑部分が若干低くなってるのが判る【左右】

【中】実は交番裏を廻る道は昔っからの村道(明治地図にもあり)で、
丁度田圃に出る部分が低くなってる
住宅などは高くなってるが、ソコラは元々田圃で同じ高さであった

田圃が旧久野川の河道跡、、、では村道が通れんので、
川の外側、氾濫域位にしとこか
耕地整理でどのように改修されたか判らんので、此処が旧河道と言えないのが弱い

ちな、旧河道はR255沿いまで流れてて、
グラッチュガーデンズ(ファミレス)はモロ川中だったもよう
(国土の図が正しいとして)

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他の場所では旧河道はどんづまりの川端排水路辺り(地図赤矢印)

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大雄山線と小田急線の間では、ソコを流れてた(地図青矢印)

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では情緒もなんも無い。すっかり整備された後では、旧河川の名残など落ちてない
てな訳で跡っぽいモン以外は記事にしても意味が(あんま)無いんでスルーする
で、
今回で終了って事は無く、必死こいて探してきたんで、「ぽいの」だけだが≪続く≫

2022/01/07

旧久野川 #2

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旧久野川の残滓を求めて、井細田の八幡神社へ。撮影日 2021/12

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天正年間に創建された井細田村の鎮守

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神社前を流れる川は、古川橋と側歩道橋を潜り、久野川へ至る
側歩道橋はスキュー付いて斜めってるんで、チト長い

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参道の橋はRC太鼓橋

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八幡橋、昭和11年9月功成、平成11年9月改修
昭和11/1936年は大正14/1925年の久野川瀬替えから11年後

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上流に矢野麦田橋

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その上流は排水路。ここらはも少し幅がありそだが、
上流の多古排水路は幅1.4m、深1.2m

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神社前河川の石積み護岸は、途中から変わってる

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上流側の方が平ら石積みで新しい

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八幡橋のある辺りが古い石積み
上流が2~3m程度の排水路なのに、この広さ
八幡橋に向けて狭くなるんで、一番広いトコでは7m幅位あるか・・・

この古い部分が、旧久野川そのままの姿、なんではないかと思う

新編相模国風土記稿/井細田村では、久野川の幅四或いは六間(7.2m、11m)
となってるので、橋の最狭幅を除いてなら有り得る

八幡橋が瀬替えから11年後
旧久野川を狭めて護岸を作り直して架橋するだろうか?
古い石積みは旧久野川時代そのままだと思う
(多分、旧橋が木橋とかで経年によりRC永久橋化したのが昭和11年)

新しい石積みは、上流矢野麦田橋や八幡神社廻りの車道整備の際、
造られたモンだと思われ
(矢野麦田橋竣工年不明。廻り車道が出来たんは航空写真により1946-1961間)

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八幡神社の境内境となる鉄コンクリ手摺があるが

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敷地をグルリと囲んでる
かつての八幡社は水田に突き出た島状地形なので、その名残なんだろか

2022/01/06

旧久野川 #1

撮影日 2021/12、2022/01

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現在の久野川。青線先の久野川橋でカクっと曲がるが、概ね真っ直ぐな川

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だが明治期の久野川は、河口に至るまで蛇行してた

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大正の終わりから昭和の始めにかけて、河川改修が行われ、現在の姿となった
足柄平野の瀬替えとしては、最も新しい

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一つ謝らないといかんのだが、現在の久野川は星山橋より上流、
それより下流は山王川という名称である
久野川/準用河川、山王川/二級河川というランク付けの為と思われるが、
当記事では元々の名である久野川をメインに呼称する
(井細田より下は本来「芦子川」だが、流石に忘れられてるので山王川とす)
(Note.一級が国、二級は都道府県、準用は市町村の指定)

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更に古い話になると、坊所川と合流してからが久野川なんだが・・・
それ故、防所川合流後、45間/7.3~9m幅と、限定的に川幅が判った

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先の明治地図は、実はあんま正確でなく、
すり合わせの為の河川自身が変わってるので、かなり苦しかったのだが、
国土の「明治期の低湿地」地図に旧河川が描かれてる
旧河川位置としてはコチラを利用されて貰う
久野川の改修は、「久野川耕地整理」事業で瀬替えが行われてる
下流の山王川は「山王川耕地整理」で行われた・・・のかハッキリしない
(事業自身はあったが色々あって・・・)
なぉ、両事業の境も、実はハッキリしてない。何分資料が殆ど無いのだ

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「久野川耕地整理」は、幸いな事に写真集「小田原・足柄の100年」に掲載されており、
大正14/1925年に通水式が行われた
大正12/1923年9月1日の大正関東大震災により、農地・水路が大被害を受け、
それの復旧に伴う工事だったらしい
たんだこのキャプションに「神山神社北側から井細田八幡神社付近」【赤アンダー】
とあったんで、こりゃ困った

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下流側の井細田八幡神社は該当するから良いとして、
上流側神山神社北側では天神橋辺りか?これでは全体の2/3位にしかならん
なぜ上流の星山橋(明治期から在る)で無いんだ?
抑々、新旧河川が交叉するんで、
上流側・下流側てな風に分けて瀬替えすると思われるんで、
じゃ大正14年は第一期工事で下流側だけ改修されたんか?

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とはいえ、資料が無いんで古地図で漁って・・昭和11/1936年地図で既に
上流側も改修されてる(星山橋~兎河原橋間がアヤシイが)
昭和23/1948年航空写真でも工事跡風のが見えないので、
大正14年下流側通水の前後に、上流側も改修されてたと思われる

昭和23/1948年の航空写真、以後でも田圃の写ってる奴だと、
川跡っぽい(田の形が不定形)のが見られるんで、
100年近く前の旧河川なんて、他と比べれば楽勝で辿れる・・・

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なんて事はなく、区画整理・宅地化等で殆どの部分は埋められ、
旧河川の面影は微塵も無い・・・

とりま色々廻って、川の跡を探ってはみる
≪続く≫

2022/01/04

久野探索

2022年、最初の探索
昨年末、仕事の序に廻ってたんだが、日が短いんでろくに写真撮れんかった
正月明けのタイミングで一日空けられたんで、廻って来た

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R255で途切れる昔道(北側)

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同(南側)

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R255が出来る以前の道。R255を越えて繋がってる

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がしかし、足柄交番の裏は、道が下がってる(低くなってる)
今回のネタは此処に繋がる

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地図に載ってない大雄山線沿いの道(人道)
此処に橋があったなんて知らんかった

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Googleカーが通ってない道からの眺めを確認するにゃ、行ってみんと判らん
かなり苦労したんだが、手前はやっぱ見えん(しぉしぉ

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旧JT(旧日本たばこ)の跡地はどーなるんか、、、イオン来るんかな
平成30年の計画を見直し、令和2年5月29日変更計画となってるが・・・

小田原市/イオンタウンの出店計画について
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/441064/1-20200616074126.pdf

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「日本たばこ」はバス停に名を残してる

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旧JTグラウンドは、西湘バイパス工事の置き場になってる
(2021/12/18までとなってるが、2022年も工事が行われる)

NEXCO中日本/E84 西湘BPでリニューアル工事を実施させていただきます。 (2022年1月5日(水)~
https://www.c-nexco.co.jp/corporate/pressroom/news_release/5311.html

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山神下交差点(都市計画道路/城山多古線)

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工事看板は令和3年としか

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今年も発掘が続くんだろか

主ネタの方は纏めるんに結構大変なんでボチボチ