
旧久野川の残念を求めて、右岸上流側へ
撮影日 2010/06、2021/12、2022/01
本当に申し訳ございません。今まで「兎河原橋」の事「鬼河原橋」としてました
兎河原は公園やバス停もあり、そもそも「兎河原橋際」交差点と何度も見てるのに、
何を勘違いしてたんだろ。(もち兎河原という名は知ってた)
さて、その兎河原橋から下流側。久野川橋まで真っ直ぐ
上流側はちょい先で右に曲がってる
ところで、上流側左側(右岸)の護岸幅が、若干だが変わる
上流側星山橋下からそのカーブを見る。S字を描いてる
上流の星山橋。欄干が替わってて、ガードレールタイプになってる
以前のは味わいがあったんだがなぁ。何年か前に水害で被災した、、んだっけ?
親柱等は変わってない。銘も同じだが、当日逆光で綺麗に撮れんかったので、
下の11年半前の奴流用
広域農道が繋がる以前、辻村農園から抜けて来る道が此処通るんで、
昔は結構通ってた
この橋から公式的に上流/準用河川久野川、下流/二級河川山王川となる
上流左側(右岸)山際を流れてるが、谷を出る平野口はも少し上流
樋口橋~出口橋辺りである
古代的には自由に流れてたと思うんだが、山裾に流れを変えられてると思われ
(そすれば片側だけ堤防造りゃ良い)
さて、右岸上流部の川沿いだが、見事にまっ平ら
星山橋の直ぐ下流に架かる新橋(予定)に繋がる未成道まで出来てる
そもそも1952年航空写真でも、若干段丘っぽくなってるのは判るが、
右岸(写真下側)に川があった風な田は無い
それでも1990年台まで一応残ってたんだが、2000年始め頃(と記憶)の
農地区画整理でまっ平らになってもうた
右岸下流側、兎河原橋付近も一緒
古い航空写真見ても、川跡が判らんのはちょっと怪しい・・・・
しかし国土の明治期低湿地図にも旧河川描いてあるからなぁ、、
ソースは判んないだろな、と思ってたんだが、色々調べたら明治迅速図だった
コレ、あんま正確じゃないんだよな
てな訳で根底が怪しくなったんで、
星山橋~兎河原橋間は、大正14年工事に含まれて無いと判断
そもそも久野川耕地整理に関する石碑は、兎河原橋脇にあるから・・・
なんで星山橋脇じゃないんだろ、、、と思ってたが、元から違った訳だ
この石碑、普通は文章のみだが、概略的とはいえ図が載ってる
まぁ細かいトコは判んないんだけどね
さて碑文の方は、読むんに苦労したんだが、掲載してるトコがあったんで
細かいトコは参照して貰うとして
https://take1960jan.blog.fc2.com/blog-entry-4146.html
ウチラ的に重要な事は、
昭和38年に石碑が造られ、内容的に20年前の事を言ってるようである
って事は昭和18年の事?されど瀬替え行ったんは大正14年なんに?
川の流れを変えるだけでなく、川跡の田圃整理、水路の設置など、
行う事はあるだろうが、10年以上かかってしまったら、その間米作り困るよな
耕地整理の為の久野川瀬替えだが、今や耕地は殆ど無く、住宅地が広がってる
旧久野川としての本編はコレで終わるが、若干歴史的な番外編を書く予定
下流の山王川耕地整理はどーなったん?
まだ見つけてないだけかも知れんが、コッチも資料が無く、、
地図的に昭和4/1929年~昭和11/1936年の間に行われた、としか判らん
タイムリーに大正末、おそらく大正14年と思われるが、
この地図ではまだ久野川は旧川のまま
大正14年10月15日に仮小田原までの部分開業開業した大雄山鉄道は描いてある
あれ?そん時、久野川はドッチ流れてた?
(鉄道等交通は完成してなくても先行して地図に載る事はある)
早速番外編の出番らしい。準備に時間かかるんで、若干空くかも知れん
≪一応完了≫