
発生源の方は調べつくしたんで、流れ降る部分について解説
鮎沢川から酒匂川へと流れるんだが、上流に行く程勾配が半端ない
土砂は勾配変化のトコで留まり易いから、馬伏川が鮎沢川に流れ込む場所、
鮎沢川が「河内川-酒匂川」に流れ込む場所、
大口で酒匂川が谷から平野に出る辺りがポイントとなる
(実は大口のハナシは出てこない)
まずは馬伏川-鮎沢川
前回触れたように、泥流は鮎沢川上流より馬伏川に流れ込む方が多い
馬伏川の方が勾配が急なんで、鮎沢川に出たトコで留まり易い
資料が中途半端なんで不確かだが、扇状地的に堆積したと思われ【黄緑】
なぉ図中段丘にm数が入ってるが、河川からの標高差で、
えいやぁと地図計測してるから、参考程度に
一気に土砂が溜れば、鮎沢川上流側が閉塞して天然ダムになりそなんたが、
その辺のデータは見つからんかった
鮎沢川から酒匂川ら流れ込む辺りで、御殿場泥流に関する資料は見つからんかった
一部に「小山・透間・諸渕・谷峨の段丘でも御殿場泥流が堆積云々」
という文のみあったんで具体的場所とか判んないが
そこら辺りの段丘地をマーク。なぉ透間では段丘が2面ありそ
具体的に積もったエリアは判んないので推測だが、河内川・鮎沢川合流地点は、
割と川幅が広いんで、閉塞は無かったんじゃないかと思う
逆に谷峨の先で川幅が狭まる地点は怪しい
谷峨の段丘は割と高めだが、ソコまで堆積してたんから、その可能性は高い
余談だが、も少し下流で大正関東大震災時に山崩れがあり、
閉塞して天然ダムが一時的に出来てる
酒匂川が平地に出るところ、、、大口でなく(仮)山北谷(御殿場線沿い、酒匂川A)
当時、酒匂川は箱根火山の軽石流により流れがコッチ(酒匂川A)になってる
(仮)山北谷の段丘面に御殿場泥流が堆積したんが残ってる
谷地形なんで溜り続けた故か、酒匂川は元の流路(酒匂川B)に戻るんだが、
そこらの段丘面(軽石流面?)上に堆積を残す
以前
酒匂川古代史でも触れたが、ちょいとおざなりだったんで、も少し
時は5万年前(6万6千年前、6万5千年前もあり。最近は5万年が主流)
箱根火山活動は活発で色々あったが、軽石流(火砕流)が外輪山を越え、
酒匂川流域に流れ込み、南足柄~山北に高く堆積する
上記図中では軽石流と御殿場泥流(山北火山砂礫層)が描いてあるが、
実際には数万年の時間差がある
御殿場泥流も30~40m堆積したが、軽石流は倍近い60m以上の厚層となってる
というより、断面図を見ると半端ない量なんが判る
酒匂川はコレにより(仮)山北谷に流れを変えるんだが、
浅間山が無かったらどーなってたんだろ
タイムスケール的ににはこのような順となる
なぉ浅間山山頂には古酒匂川の川床層が見つかっており、
10万年前位には酒匂川の川底だったらしい。8・7万年頃から隆起してく
5万年前、箱根火山軽石流は内川・狩川の谷を通り、関本丘陵地を形成してく
結果として狩川は南下、内川は北上し、伴う軽石流が古酒匂川を堰き止め、
酒匂川は(仮)山北谷へと流れ込む事になる
数万年かけて(仮)山北谷を掘り続けた酒匂川は、
BC900年の御殿場泥流によって谷が埋まり、軽石流の堆積を越えて
浅間山南側に流れる事となった
古酒匂川が(仮)山北谷を流れてたんは、丁度やってきた氷河期により、
海面低下~河川下刻によって刻まれた谷地形が物語ってる
前半戦は(仮)山北谷から、後半は大口から平野に出た泥流は、
足柄平野を埋め尽くす
縦断面図(酒匂川上流から下流)
地中堆積は上流側に偏ってる風に見えるが、下流部でも堆積層が見つかってる
(堆積図は後年にもっと詳しい図が出てるが、ちょい判り辛いのでコレを使って説明してる)
横断面
元々泥流は河川により流されてきたモンで、堆積しづらいんだが、
川床が上がって流れが変わった場合に残る風である
下流には厚層が見られず、殆どが平野上中流域に留まってる
地上部に残るんは、段丘面か、わずかに高い微高地
あとは川の流れにより相模湾に流れ出ている
酒匂川右岸(箱根側)の段丘面に泥流層が残ってるんだが、
各段丘を見ると流れた泥流の厚みが判る
段丘に有る数字mは、現酒匂川に対する相対高さだが、下流に行く程高さは低くなる
泥流の堆積して無い段丘は描かれて無いので、
この図の段丘相対高さが、御殿場泥流の堆積した大凡の厚さである
御殿場泥流が足柄平野を埋めた、といっても山谷を出るトコで35-40m、
あとは流れ下りながら厚さが減ってく、、というのが状況であるようだ
なぉ先の図「足柄平野の地質」では松田の辺りも堆積してる風だが、
2枚目「足柄平野における沖積層のボーリング~」では無い
資料によって多少の差はあるんだが、松田となると下流全てに影響するんで、
色々調べてみたが、松田には堆積はしてない風だ
一応、最新っぽいのでも同様(大磯丘陵のだが、松田辺りも多分最新)
開成町、とうとう改名したか?
さんざ扱ってながら流れる泥流が具体的にどんなモンかは、触れてこんかった
砂・礫などの土砂なんだが、どんなだ?という訳で判り易そな資料を見つけた
先程、平野下部には堆積してない風になってたが、末端では残っており、
海岸線に近いエリアには層を成してる
小八幡は現地図にないが、小さな流れが海に達してたようで、
主に細砂の泥流層が見つかってる
国府津では森戸川の氾濫域か、かなりの層厚となってて、各種の層が交互に堆積してる
実際の堆積の様子が、高田トレンチに出てる
シルト層(Ⅲ層)の上に古土壌と共に堆積してる(Ⅱ層)
その上は砂シルト(Ⅰ層)である
K11が該当する層である
(ぃゃ、私にゃ見た目で層が違うとしか判らん。
黒っぽいのは砂とか灰という程度の知識っか無い)
BC900から、200~300年は続いたという御殿場泥流は、酒匂川の流れを大きく変える事なった
時は弥生時代で、足柄平野にも弥生人の集落等あったが、
鴨宮台地や諏訪ノ原、その他の高台でしか遺跡は見つかって無い
参考/鴨宮台地
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-2789.html
流れちゃったというより、
雨が降れば川筋が変わるような不安定な河川だから、住居は高台に設けたと思われ
御殿場泥流について、今判ってる事は以上だが、私的に思う事を、、
箱根火山軽石流が酒匂川を(仮)山北谷に追いやった件
資料では60m以上堆積と数字にあっても、
実際そこらの地形ではそんなに高く積もって無い風な気がする
(仮)山北谷入口段丘高さ(此処では全て標高)は135mで、
それを越える高さの軽石流層があった筈
内川側のそこいら辺は150mで、ちょいと微妙
(そっから段丘高が低くなるが、酒匂川越流で削った後と思われ。
後に現川筋に安定し、どどんと削った結果が現在の姿)
古酒匂川の流れを推測【水色】からすると、高瀬橋辺りが境になると思うんだが、
軽石流はソコまで届いてたんか?
地質(層)の変り目にあるんが関係してるんじゃないか?
あるいは断層か?とかも思う
(ここらは近年まで詳しく調べられてないので、
断層もまだ未確定な奴まで描いてある。国土断層図とか正式のには載ってない)
たった2900年前という、ここらにしては近年の出来事なんで、凄く興味がある
地形的にも隆起陥没考えなくて良いしね
≪御殿場泥流関連は、一応これにて終了≫