2021/10/31

御殿場泥流考

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約2900年前、富士山東稜で起きた山体崩壊は、岩屑なだれとなり御殿場に堆積し、
鮎沢川、酒匂川を経由して足柄平野を埋め尽くした
というものの、静岡-神奈川県境の狭い谷を、流動性の無い土砂が流れ下るというのは、
若干違和感があるかも知れない

私の場合、別のトコで起きた土砂災害に詳しくて納得出来た
また、不明な部分もある御殿場泥流のヒントになるかも知れんので、ここに纏める

っー訳でタイトル詐欺っぽいが、富士山/御殿場のハナシは一切出て来ない


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その災害とは安政5/1858年に起きた飛越地震である
(火山に関して若干間違いがあり、図差し替え)

越中・飛騨境の跡津川断層を震源に、M7.0-7.1(別M7.3-7.6)の地震が発生し、
北陸、飛騨方面に大被害をもたらしたのだが、
最大のものは断層直上の鳶山山体の崩壊である

周辺の山は地震の影響でアチコチ崩壊したが、
鳶山からの稜線上にあった大鳶、小鳶は崩れて跡形も無くなった
土砂は直下の湯川を埋め尽くす

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崩落土砂量は4.1億㎥(東京ドーム約330万杯分)と推定され、
地震性の山体崩壊として判明してる中では、有史以来日本最大規模であった

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天正8/1580年に発見され、
明和7/1770年に温泉地として整備された立山温泉街は、土石流で壊滅した

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崩壊による土砂は、谷の湯川を埋め尽くし、下流の常願寺川にも至り

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別の支流、真川にも流れ登った(間違いでは無い)
堰き止められた二川は河道閉塞となり、天然ダム化

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飛越地震の余震などで決壊し、常願寺川を流れ下る

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土石流は常願寺川の狭い谷間を流れ、下流平野に多大な被害を与えた
3万石以上に相当する田地が土砂に埋まり、多数の死者と流失家屋が出た
当時の小田原藩が11万3千石、小大名の石高位が逝った
(常願寺川の他、神通川でも河道閉塞~崩壊が起きてる)

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常願寺川の下流域は扇状地となっていて、堆積作用により度々流れを変えて形成されていた
土石流はその流域を一気埋め尽くす形となっている

加賀藩では常願寺左岸の被災集落250余戸を右岸の高原野へ移住
残りは復旧となる起返工事が行われたが難航、
上流部はそのままなので、翌年には洪水も発生
工事は6ヵ年でほぼ半数が完了した
洪水対策として堤防強化などの対策も行われた

以下は近代砂防史なんで、ますますタイトルからは外れるが、
私が砂防という世界を垣間見る切っ掛けとなった事柄なんで、簡単に説明

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本格的に砂防事業が開始されたのは明治に入ってからで、
明治24/1891年の大出水に対して内務省からお抱え技師デ・レイケが派遣され、
下流域は計画に基づき改修されたが、上流部はデ・レイケを持ってしても困難だったようで、
調査は行われたのだが、具体的対策の方針は残ってない
あるいは残せなかったのかも知れない。上流部がそのままなので、
明治27/1894年、明治28/1895年、明治29/1896年と出水が続き、
その度堤防が決壊し、被害は続いた

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明治37/1904年、県により調査が行われ、常願寺川水源地砂防計画がスタートし、
明治39/1906年より20ヵ年計画で、国庫補助による砂防事業が富山県により開始された

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明治39/1906年、立山温泉に立山砂防事務所が建設され、本格的工事が始まる
が、工事が行われてる期間中にも災害は毎年のように発生し、
大正3/1914年8月には台風の集中豪雨で鳶山が崩壊
大正8/1919年7月の出水で湯川谷に造られた錬積堰堤5基などが決壊
要である湯川第1号堰堤は完全に破壊されてしまった
翌年から復旧にかかり殆ど完成した大正11/1922年7月、
前回を上回る豪雨で多枝原谷で大崩落が発生し、湯川第1号堰堤は根こそぎ破壊された

富山県は砂防事業が展開されてる間にも絶えることなく災害が発生し、
現在の砂防計画では不十分。本格的に事業を拡大する必要があったが、
当時の財務状況では到底成しえる事は不可能
大正6/1917年11月、内務省に直轄施工を陳情、翌大正7/1918年8月にも陳情してる
大正8/1919年10月、富山県の要請により内務省技監が派遣され視察が行われたが、
被害等他府県に至らない場合、当時の砂防法では直轄が該当しなかった

大正12/1923年にも水源部で大崩落が起き、富山県はなすすべもなく、
この年度の砂防工事は行わなれてない
この年、関東大震災(1923/9/1)が発生し、
神奈川県の箱根丹沢でアチコチ崩落~土砂崩れが発生し、多大な被害受けた
結果として砂防法改正がなされ、
大規模災害における直轄砂防事業の道筋が造られた

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大正15年度より9ヵ年計画で直轄砂防事業がスタート
大正15/1926年6月、立山温泉に立山砂防工事事務所が設立され、
上流部の本格的砂防工事が開始された

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てなのが常願寺川、立山砂防のだいたいな流れである
各事業は概ね上記の年表の通り

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立山砂防と聞いて、知ってる人は多少なりとも居るとは思うが、
伴う砂防軌道は有名なんで、コッチ知ってる人は多いと思う

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常願寺川上流、立山カルデラにおける砂防事業である
令和3/2021年現在も、この工事は続いて行われてる

超・地元中心な私がフォッサマグナ的に反対側の立山砂防に詳しいんは、
立山カルデラ砂防博物館の一部の展示物に係っていたから
偶々、上下流全体のモンだったので、全般的に知る事が出来た
県外(足柄縣、神奈川県)で上から下まで知ってるのは常願寺川位しか無い
(青森県のダムの仕事とかもやってるが、ソコラしか知らん)

平成10/1998年の冬季は立山駅近くの旅館に長期滞在し、
最終調整という名の「その場でなんとか」に試行錯誤してたのが懐かしい
仕事は制御用PCのソフト制作なんだが、展示物はおっきくて、
現地でしか摺合わせが出来んかっのだ
なぉ、当初の仕事以外にも、現場で急遽もう1システム1から造った(涙

もう20年以上昔
HP見た限りリニューアルされてて、当時のモンは残って無い雰囲気
ぃゃマテ倉庫に残ってたりしないよな(焦っ
まぁ制御機体がPC-98(NEC確か286程度)なんで、動かんとは思うが

公開されて無いナイショのネタとかは無いよ
そもそも博物館なんて一般向けだし、ネット全盛の今の方がネタが豊富
懐かしい話は幾らでもあるんだが、留まらんのでコレ位にて

概要や詳細その他は各リンク参照
立山カルデラ砂防博物館
http://www.tatecal.or.jp/tatecal/index.html
内務省/1858飛越地震
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1858_hietsu_jishin/index.html



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2021/10/30

十文字渡考

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新編相模国風土記稿/松田惣領には酒匂川を渡る十文字渡が書かれてるが、
十文字の由来と思える川の形が形用されてる

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川音川が酒匂川に合流する地点。今は丁字だが、
『古は川音川が酒匂川を衝いて奔流(激しい流れ)し、其の形十字形を成し
之より斯く唱えしと云ふ』
勢いが有り過ぎて、酒匂川を突き抜けて流れたとな・・・そんな訳有るか!
量子的にすり抜けるとか、そういう次元じゃなきゃ水流が交叉するなんてこたぁ無い

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川が交叉する、、自然河川ぢゃ存在しないが、片方が水路なら、いくらでもある
川音川にもサイホン化される以前の金田堰は水路橋(架樋)で越えてた(図中誤字)

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何ヶ所か実際の場所も知ってるが、写真無かったんで専門的なトコから

こんな川の形状が無いとしたら、十文字の由来はなんだろ・・・
渡渉代が十文だったというのは「十文渡し」になるだろから違う
(説はあるんだが、、文久橋といい、なんで銭に結びつけるんや)
渡し場は河川名か地名が元になってるのが殆どだが、
数ある酒匂川の別名にも周囲の地名字名にも「十文字」は無い

「十文字」について調べてみると圧倒的に多いのが地名
秋田県湯沢市相川十文字町/道が十字路、四辻になっている、等々
変わり種としては
奥羽本線十文字駅/平鹿郡十文字村に開業、元は地名から来てる

このままじゃ終わらないので河川に絞ってみると
真亀川水系十文字川(千葉県)/将門伝説
馬淵川水系十文字川(岩手県)/岩手県二戸市、十文字地名?
揖保川水系十文字川(兵庫県)/十文字川橋は桁下に余裕がなく、また河床の下に暗渠用水路が直角に交差(十文字川の名前の由来/県HP)
落堀川水系十文字川(新潟県)/舟戸川、見透川合流?
(紫雲寺潟干拓地なので全て人工排水路だが、十文字川の近くに四辻があるんで微妙)

迷走してる・・・サッパリ判らん

十文字川(仮橋)、酒匂川の上/東海道山すじ日記(松浦武四郎)/明治2年
十文字渡しの辺りは十文字川と呼ばれてたんか!
という資料もあるがコレ唯一で、著者独断かローカル名か・・・

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道が十文字/四辻だった、、というのは、こいう風にすれば可能

十文字渡しは昔足柄大橋の辺り(青楕円)にあったと言われてるが、
吉田の霞堤に被ってるし、その上流も複雑に堤が切れてる
ちょい下流の方がいんでね?と思い、もし仮ルートなら四辻が出来るんだが、
吉田島に「十文字」という地名等が残ってない

真っ当に地名から来てるんなら、「吉田島」「金手」
当時メジャーと考えれば「大井」(大井庄)とかも考えられる
が、それらでは無いとすると・・・

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やはり川が十文字になってるが一番可能性が高い
川が十文字というと、2本の支流が直角に交わる、十字峡が思いあたる
黒部川はその筋で有名な場所だが、
酒匂川上流の中川(河内川)、東沢、西沢の出合も(一応)十字峡だ
だが、この形状は「山ん中」だからこそ

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丁字になってるトコに、もう一本追加すれば十字形になるんでない?
てな訳で本流は西川(皆瀬川+尺里川)の川音川合流地点に、
西から酒匂川の分流を加えて十字形としてみました
ちょいと形がアレですが、
その下流に渡し場があれば、「十文字」の名が付く可能性は高いと思われ

文献や資料にまったく載ってない私説ですが、
他の可能性が低いんで、コレじゃないかと思う

蛇足
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皇国地誌残稿/松田町・神山村で河川や街道を調べたモン
街道は松田・神山で若干違うし、松田内でも矛盾があったりで、
街道名というより、地元的に「ドコ行く道」な名称風です

矢倉沢道・富士山道の迷走は、昔色々あったからで、
旧道の神山側と新道の松田の思惑があったんでしょね
(神山衆が駿東郡に移住したんは、それが元かも知んない篭場橋交差点参照)

文久橋も昔は中河原橋だったのか?
(中河原橋名自身が怪しいとは思うが、両側の字で此処と確認)
松田町/文久橋
https://town.matsuda.kanagawa.jp/site/kankou-sub/bunkyu-bridge.html
『川音川に渡し船が行き来していた頃、文久銭1銭を渡り賃としていたことに由来』

そもそも渡し船を浮かべる程水量は無い(扇状地で渇水期は水無川になる)、
というのは誰も指摘せんのかね
文久銭も四文銭なんで1銭というのもオカシイと思うんだが

多分宝永噴火(1707年)の後、文久年間(1861-1864年)に
川堤が整備され、橋が架かったのが由来と思う(大正橋とか昭和橋とかと同じ)
皇国地誌残稿の中河原橋は橋名が誤記な気がする



2021/10/29

やらかし寸前

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秦野盆地の新東名高低図。随分前に造ったんで古い

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工事も進んでドコに造ってるか判るようなったんで、
国土地図の航空写真で標高調べる。ただ航空写真は2019/10頃か
水無川橋A2(御殿場側橋台)は出来てるから此処と、
トンネル坑口前とかは出来てるから、羽根・小原トンネル前と、、、
何かオカシイ

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両トンネル前は実際に行けるトコじゃないが、
金目川/高取山トンネル前は何度も行ってる。此処なら・・・うむ、変だ

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坑口前、数mの勾配なんて無いよな

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ぁ、なる程。航空写真は新しくなってても、
GIS(地理情報システム)は古いまんまだものな。出来ないよな

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3D化してみりゃ一発で判る

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実は過去にも似たような経験してるのに、学習せんな
(コレは古い時代のを求めようとしたからで、新しいのも同じと気付かなんだ)

気付いたから良いものの、やらかすトコだった
後にも同じ間違いしそうなんで、教訓の為に記事にしとこ

2021/10/28

新東名/四十八瀬川周辺

撮影日 2021年10月24日 前回 2021年04月25日

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水無川沿いから四十八瀬川へ
(実際には間に堀川があり、分水界は2つあるのだが)
HS79から堀西071に出て、まだ通れない跨道橋前

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ふり返れば農道(多分)分岐。これで四十八瀬川左岸に降りる

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めっちゃ急な農道を降ってくと、四十八瀬川が上流から見れる・・・
こんな良い場所があったんか、、仮設の作業構台も見通れるじゃないか
↓この頃知ってれば・・・
新東名/四十八瀬川周辺/2019年10月06日
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-2686.html

この道は左岸にある水道施設に行ける唯一の道で、土手道に出れるが、
下流側才戸橋へは繋がってない(車通れない、歩きやチャリは可)

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四十八瀬川橋下へ
本線は切通を通ってるから、通れない跨道橋はさらに高い位置
約35mの高低差があり、四十八瀬川の段丘部を登り降りする道は
この農道しかない

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此処に架かってた仮設橋も、もう無くなってる

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上からも確認出来たが、上下線の間に架かってた仮設橋も無くなってる

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あ、堀西071跨道橋がチョイ見える。あの上から見たいな~

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才戸橋から。仮設橋が無くなったんで、ちょいとスッキリ
作業構台が無くなれば、工事感なくなるなぁ

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三廻部004跨道橋、東耕地橋。初渡橋だったが、全景の写真ミスってて、すまん

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厚木方面。右、下り線側が進んでる

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ふり返れば御殿場方面なんだが、
東耕地橋の外側にもう一つ壁とフェンスがあり、見通しが悪い

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御殿場側に付いてるのは水道管。橋がRしてるからか、下が高速だからか
桁にポン付けでなく、水道管専用の部位が造られてる
っうか、外側の壁・フェンス必要?通って良いっう事は間違っても無いと思うが、、、、
(今、行こうと思えば行けない事は無い)
こうなったら仕方ない!




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まだ未開通のHS20跨道橋。車両はまだ通れないが、歩行者はOK
東耕地橋の水道管部を通ろうとする人、コッチ来なさい

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てな訳でHS20跨道橋、南開戸橋
橋の真ん中でAバリ分断してるのは、上下分け、、の訳ないが、
左側通っちゃ駄目とは一言も書いてないので、両側からビュー

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厚木方面。右、下り線は路側、排水溝(?)との面からして、舗装あと一回位
左、上り線はやっぱコンクリだよな~右車線シートが被ってるのは養生の為と思われ

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ふり返れば御殿場方面。小原トンネルの目の前

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小原トンネル。静岡県小山~伊勢原間では2番目に短く(1は山北/古宿TN)
上630/下666mなんで覗き込めば向うの明りが・・・見える訳は無いな

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さて、コッカら良く見える。上り線はやっぱコンクリで、左側車線が鉄筋状態

名古屋豊川区だが、基本的にコッチも同じと思われる
http://www.nsfa.jp/pdf/no32_201511.pdf

下路盤の上に鉄筋コンクリ、その上にアスファルトのコンポジット舗装になるそうな
鉄筋コンクリは耐久性が高く、アスファルトは走行性が良く補修が楽

路盤の整地が済めば即舗装、、かと思いきや、
鉄筋敷いてコンクリ打って養生してアスファルト、、と結構大変
流石に鉄筋1本1本施工するんのではなく、
ブロックを敷いてくんだと思うが、、、、時間かかるよな

今回の巡回ネタは以上




2021/10/27

新東名/水無川周辺

撮影日 2021年10月24日 前回 2021年04月25日

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水無川上流、風の吊橋から
こっから見える橋は出来上がってるから、もうあんま見るモノが無い

秦野盆地を通る新東名は、K706交叉近くが最高度になると思われるんで、
本線水無川橋は勾配無しか緩やかな下り
対するSA橋の登り勾配が半端無い

参考/大分前に造った奴だから、細かいトコは違ってるかも
https://blog-imgs-111.fc2.com/6/a/k/6ake7jz9zefp/blog_import_5d65cd2cc4947.jpeg

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さて、その交叉するK706跨道橋/堀山下橋

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厚木方面。本線水無川橋の向うは、ちゃんと切通開かれてる
数ヶ月前はまだ土壁状態だった

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今回HS52跨道橋近くに行かんかったので、ズーム
とはいえ、SA上り線エリアのコッチ側は進んでないので、そこいら辺は進展ないかな

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ふり返って御殿場方面。舗装が進んでるように見えるのだが・・・

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路肩やデコボコからして、
右側上り線はアスファルト敷いてあっても簡易舗装だな
コーンの置いてある横切るコンクリは堀川暗渠だと思うんだが・・・
左側下り線は白っぽい四角片で出来てるから、コンクリ?

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先のHS79跨道橋/上森戸橋に来た

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御殿場方面。堀西071跨道橋の先は本線四十八瀬川橋だ
上下橋桁間にあった仮設橋は、もう無くなってる

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ふり返って厚木方面
左法面コンクリのトコが堀川が流れてたトコ
本線と谷で繋がってたけど、塞がれてしまった(前回参照)

ここいらの切通も形にはなってるんで、いよいよという感じだが、
舗装するまで、も少しかかるかな

2021/10/26

新東名/秦野SA

※秦野丹沢SAと正式決定しましたが、記事タイトルは秦野SAのままとします
撮影日 2021年10月24日 前回 2021年05月23日


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K705から新設された交差点(まだ銘が無い)から横野003へ

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直ぐに正面に秦野丹沢SAの下り線エリアが「どどーん」と現れる
盛土は終了したみたい。とりあえずの形は出来てる

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横野003と同じ地表レベルとなる工事ゲートに来たが、
まだ土盛があって見通せない

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近場の工事看板では令和4/2022年1月12日までとなってる

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本線を跨ぐ押立橋。手前にも工事看板があり、コチラも一緒

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押立橋から厚木方面。羽根トンネルとの間にある葛葉川橋は防音壁も出来てる
橋から舗装(コンクリ?)が途中まで
末端にシートが架かってて、何か意味深なモンでも埋め込んでるか?
ぃゃ、それなら端から埋めてしまうだろうから、こうはならんよな

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本線に並ぶのが秦野丹沢SA下り線エリア
なる程向う側に土盛があるんで見通せんかったのな

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ふり返って御殿場方面。心配だった切通は開かれてる!

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コチラ側からHS52跨道橋を見るんは初だ。向うには本線水無川橋も見える
山側(右側)の法面が出来て無いんで、コッチ側が最後まで残ってたようだ
片付け具合からして、ようやく終わった~という感じ

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ランプ路カルバートを潜って迂回路経由で上り線エリアへ
実はアチコチに迂回路看板が出てて、前通った迂回路が×になって、
新しい迂回路に切り替わってる!

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現場に来ると旧迂回路は工事中。休日だというのにご苦労様です
前に見たSA外側を通る横野003の続きが出来てて、ソッチが新迂回路になった
コチラの工事看板も下と同じく来年1月12日まで

問題は旧迂回路通れん、HS52跨道橋近くに行けんので、進捗具合が判らん
HS52の下から来る必要があったんや
(でも今更戻ったら登り直しで今日の予定完遂できそにない)

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諦めて上り線エリア外側を行く。マンホール桝や何か基部が置かれてる

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とはいえ、それっぽく整地されてるのはほんの一部で、殆ど整地前
(斜面に造られてて、登り途中から撮影したんで、写真傾いてる)

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上り線エリア最奥となる一段上がった建屋
初めて横から見たが、結構高い位置にある

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なんの建物かと思いきや電設。蓄電池設備

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横野003を抜けてHS52へ
HS52本線方面は、ちょい先の墓地まで行けるが、その先通行止め
やっぱコッチから跨道橋とか見えん

SAは初期イメージと違うし、その後見つけた図面ともチョイ違う
SICとか搬入用とか、下道から出入りする出入口もドコに出来る筈だが
ここいら辺に一通り
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-2814.html

秦野丹沢SAは、今だ整地前なんで、まだかかるかな・・・
本線は切通せたんで、先行開通も出来ない事も無い
あと2ヶ月ちょい位か


2021/10/25

篭場橋交差点・K710崩落現場

巡回に含めるんには量が多かったんで・・・
前回にあたるんは「秦野巡回s 2021/10/11

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K72篭場橋交差点前の水路工事、進まねえなぁと思ってたんだが

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桝(水路の接合点)が入った

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出口方向は2系統かな?(ここらの水路はよく知らない)

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入口側はまだ繋がって無い

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その直ぐ上に有るのが旧桝か

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しかし新しい桝でかいな
埋められると思ってたんだが、地表に出る
交差点道路的に左折路を増設するんだが、歩道付で1車線増やせるかな?

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水路工として年内なんで、その後に道路工が始まると思われ


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K710を進んで崩落現場に近づくと、道路外に新しい境界杭が打ってあった

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崩落現場にも木杭があった

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川側は応急復旧なんで土嚢のまま
護岸等工事するんで、色々やってと思われ

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崩落現場の上流側にも木杭

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崩落現場を越えて境界杭があるんで、結構大規模な護岸になりそ

2021/10/24

秦野巡回

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門屋のお馬さん。久っしょ

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旧道甘柿橋から。今日は良い天気

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本日は秦野丹沢SAを周るんが必須なんで、先にソッチに向かう
水の無い水無川平和橋から

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ホンマ天気良くて、そらには雲の鳥が舞う

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ぃゃ。コレ巻雲なんで天気悪くなる前触れなんだけどね

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めぇぇぇぇ。秦野丹沢SAをざっと廻る

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戸川公園左岸でライト昼食

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水無川、風の吊橋渡る

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四十八瀬川左岸に出るんに電気柵

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越えたんだが、ちゃんと「電気注意」とか書いてないな
そんなんじゃ獣除けにならんゾ

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鋼線とか入ってるんかと思いきや、結び目に無い
ひよっとして電気通す化学繊維か?被覆付きの針金じゃあかんやろ
開け閉めしたん時のワクワクを返せ

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四十八瀬川橋とか、三廻部も制したので帰路る
まだ明るいが体力的に余裕無い

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八沢通ってく。先々週レポしたんで、目新しいモンは、、、

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川路橋に来たら看板出とる

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HS77の通行止めや。明日10/25から11月末まで
歩行者は通行可だから、様子は見に行けるな

秦野市HPは新東名工事の通行規制をサボり続けてるから、
現地の情報だけが頼りや
去年末の「堀山下42号線・河川管理用道路」から更新が無い

秦野市/新東名高速道路建設事業に伴う道路規制のお知らせ
https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000000729/index.html
(当然、HS52の迂回、迂回路の変更には触れて無い)

工事各所の詳細は後程


2021/10/23

富士山 おおよそ全ての説明(だいたい)

注.東西間違えたんは修正しました。誤字も直しました

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富士山は単一の成層火山、、に見えて実は過去の火山が下にあり、
複雑に重なってるというのは御存知かと思う
そこいら辺、ぃゃ、そもそも噴火する前から含めて、全容を纏めてみた

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過去に小御岳火山があり、古富士山が噴火-山体崩壊を繰り返し、
約1万年前から現在の富士山が噴火を開始した
この辺りは富士山史としてメジャーなんで、皆さん御存知かと思う
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小御岳もボーリング調査により、先小御岳といえる山体がその下にあるそうだ
一緒でいいじゃんと思うが、火山成分が違うなど違いがあるそうだ
先小御岳は0.27Ma~0.16Ma(27万年前~16万年前)
小御岳は0.16Ma~0.1Ma(16万年前~10万年前)
に活動してたそうだ

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さて小御岳を含んだ富士の火山だが、東南の箱根・愛鷹は火山だから別として、
東側の丹沢はフィリピン海プレートの衝突により付加体が隆起してできた地形
実は山中湖東・篭坂峠は丹沢山地に属していて、
現在の富士山の東側は、丹沢と繋がっている(丹沢山地の上に富士山が被さってる)

北の御坂と西の天守も、丹沢より古い衝突で出来た山体らしのだが、
1000mを超す山々があるのに富士に繋がって無いのは何故だ?
小御岳~富士山が噴火してなきゃ、どんな地形だっのか気になる
そもそも、富士山の下はどーなってる?

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御坂は丹沢以前に衝突した山地として知ってたが詳しくないし、
天守はまったく知らんので、まずは地質を調査

御坂と一緒で天守も海成層で出来てる
御坂が新生代新第三期中新世、後期バーディガリアンから後期サーラバリアン期
といっても判らんので、2044万年前~1163万年前頃に形成されてる
(3000万年前~1300万年前の資料もある)
天守は新生代新第三期中新世、後期ランギアン期~トートニアン期
1597万年前~724.6万年前(同/1300万年前~600万年前)

いずれもフィリピン海プレートにより付加体として衝突し、
海底が隆起して山体が形成

天守の南、駿河湾沿いに大丸山(h567)・金丸山(h532)という山があり、
辺りは岩淵火山として分類されてる
新生代第四紀更新世カラブリアン期なので、
180万年前~78.1万年前(同/110万年前~60万年前)
愛鷹(40万年前~10万年前)より古いのか・・・

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天守山地を調べてたらこちらが詳しい
(年代的に前出と噛合わないが、地学あるある)

天守形成の頃、(ローカル年代はヤヤコイので省略して)
中新世後期、1180万年前~550万年前
御坂山地近くまで海で、関東山地からの堆積物が流れ込んでたらしい

足柄トラフ/伊豆弧の沈み込みで丹沢は深所へ引き込まれてたが、
700万年前頃に閃緑岩が逆入して丹沢は隆起に転じた
(丹沢の衝突は500万年前という説もある)

鮮新世、550万年前~200万年前になると丹沢の隆起に伴い湾化が進む

これらは現在の地層から論じられてるんで、
昔、海の地層だからといって、ソコが海だった訳では無い
数千~数百年前だと、どの位南にあったか判断できんが、
丹沢が衝突云々程、も少し南での出来事と思われ

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以上の結果として、富士山の下となる基盤はこのように推測されてる

実際、富士山南麓斜面、大淵村(現富士市)の試錐資料がある
海抜700mから約1000m掘られ、620m以下(海抜約80m深)に
愛鷹噴出物の下に、御坂層に類似した変朽安山岩の厚層が発見されてる
コレが丹沢層なんではないかと
深ボーリングなどが行われれば、もっと詳しく判るかも知れん

てな訳で、富士山の下には丹沢山地が続いてたのであった
丹沢の西側が富士山に埋まってるとは判ってたが、これ程とは・・
残された地は元々海だった訳で、隆起しなかった分、標高が低いって事になる

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地下の様子は以上として、今度は地上の噴火の歴史を・・・
と言いたいのだが、小御岳噴火はよく判って無い
その後の古/新富士山噴火に殆ど埋まってるからだ
全て・・・では無く実はちょこっと出てる

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地図上では山頂火口の北、吉田口五合目、小御岳神社から北の斜面が
小御岳火山山体である(他所でも若干見つかってるらしい)

それどころか、直ぐ東の2386三角点、
山頂火口の東、小富士(地名)、太郎坊下、日向山などには
古富士火山斜面も露出してる
古富士山は(新)富士山に全て埋まってる訳じゃない!

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山頂火口東南の太郎坊・日向山は標高1200程と低いし、小富士は凡そ1970m程
それに対して小御岳東の2386三角点のあるエリアは、
下方でも小富士より高い三角点1979mがある
古富士は山体崩壊で山頂はザコザコだろうけど、
標高の高い部分は小御岳近くの山頂火口北側に位置してるから、
古富士の旧山頂は山頂火口の北東側辺りにあったと思われ・・・・

そんなふうに考えていた時期が俺にもありました

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は?もう一つのピーク(古富士山体の残骸)とは?
(南西とか、裾野外側にあるのは古富士泥流堆積地)

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崩れて今は無い、、と。コレが御殿場岩屑なだれ(2900年前)らしい
その後跡地に宝永噴火(1707年)が蓋して、今は判らなくなってる

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御殿場岩屑なだれ=御殿場泥流というのは、足柄平野の歴史でも扱ってるんで、
よく知ってるつもりだっだが、、、

酒匂川古代史 #3 中流域の変編
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-2654.html
崩れた御殿場側の方はスルーしてるな
富士山東側、ちょこっとある古富士の上に堆積した新噴出物が崩れたとか
記憶してるんだが、どの資料みてたんだが判らん

しかしながら泥流は数十年とか思ってたけど、
200~300年続いたんか、酷いな
(詳しい資料とか、まだ見た事無いので再調査の必要がありそ)

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山体崩壊に関してはコチラが詳しい
このように何度か崩れたらしい

崩れた場所がさっぱり判らんかったが、宝永噴火が埋めたんか、、なる程

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過去に古富士山体があったのは、
御殿場岩屑なだれ堆積地の上、雪代堆積地のピンク丸辺りか?
直ぐ上には新規/須走-御殿場溶岩があるんで、
須走口五合目より低いトコになるんかな

流石に2900年前の御殿場岩屑なだれを覚えてる人も、歴史的資料も無い
だが宝永噴火(1707年)以前の前どーだったかは、ひょっとしたら記録があるかも知れない
須走大沢とかあったかも。須走口(登山)の古文書を漁ってみようと思う

先小御岳、小御岳、古富士に関する噴火資料は殆ど無いが、
新富士と含めて年表的に纏まってる資料はある(殆ど新富士だが)
https://blog-imgs-152.fc2.com/6/a/k/6ake7jz9zefp/16_20211023173605cf3.jpg

有史の富士山噴火は、だいたいのモンを前に纏めてる
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-2902.html


2021/10/21

日本の火山(先っちょだけ概要)

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こちらの資料、良く出来てるんでベースにして・・・

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日本列島の大半はユーラシアプレート上にあり、
東に太平洋プレート、東南にフィリピン海プレートに接している
2つのプレートにより、日本列島上と伊豆・小笠原諸島に火山フロントが出来てる

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火山フロントとは島弧-海溝系の火山帯において、最も海溝に位置する火山を繋いだ線
海溝≑プレート境界と思ってよい
火山、メルカトル地図から持って来たんで補正したけど、若干ズレてるかも知れない

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プレートと接していると言っても、ガツンとぶつかってる訳じゃない
太平洋プレートはユーラシアプレートとフィリピン海プレートの下に沈み込んでる
ユーラシアに沈み込んだ先で、水で上部マントルの一部が融けて上昇し、
マグマが形成され、マグマだまりに蓄えられて地表に噴出、、して噴火となる
東日本の火山は概ねこんなして出来てる

気象庁/火山噴火の仕組み
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/2-4.html

フィリピン海プレートに沈み込んだ先で出来たんが伊豆・小笠原諸島
本州程火山・地震が激しくないのは、
フィリピン海プレートが逃げるような動きだからだろうか?

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そのフィリピン海プレートもユーラシアプレートに沈み込んで、西日本の火山を形成してる

地震もそうだが、東と西で元ネタが違うんで、
東日本に来たからといって、直ぐ西日本に影響があるとは思えない
(そもそも地震や火山が節操無く影響受けたり連動したら、
隣の地震や火山が動いて、、、以下繰り返して、全部動く事になる)

ここまではヤヤコシイけどこれでもシンプルだ

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問題はユーラシアと太平洋、フィリピン海プレートが重なる三つ巴場所
地球広しといえど、こんなトコあんま無い(全くない訳じゃなさそ)

えと、太平洋プレートはフィリピン海に沈み込んでて、ユーラシアに沈み込んでる
判らん

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3Dモデルとか色々みて、此処のは自分で回せるから、禁断の裏側とか見れるゾ
有限会社ホワイトラビット/日本周辺プレート配置3Dモデル
https://white-rabbit.jp/tectonic-plates-around-japan/

重なるトコでは太平洋プレートとフィリピン海とが一緒になって沈み込んでる
フィリピン海プレートが突出してる原因とかは、これじゃ判らん

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そこら辺の詳しい話もコチラが良いのでベースにして

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中央構造線は日本列島が大陸から切り離されて云々の凄く古い時代のモノ
それをフォッサマグナがたたっ切って一部取り込んでる(先の方は行方不明)
フィリピン海プレート(伊豆-小笠原弧)は、そこいらにガンガン行ってるのだが、
プレート上の地盤を本州側にぶっけつけ、合体し続けてる
三波川、秩父、四万十帯が押し込まれてへし曲がり、円を描いてる

その最前線にあるのが富士山とか箱根だ

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伊豆半島は海底火山の集まりで、プレートの移動とともに火山島となり、
本州とぶつかる頃には隆起しておっきな島を形成してた
本州との間の海底をギュウギュウして箱根山が噴火

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フィリピン海プレートというベルコンの上で、行止りの壁(本州)に
ガンガン打つかってる状態
旧丹沢島は過去に衝突したブロックで、既に本州側に付加済み
現在箱根が絶賛衝突中
以前、フィリピン海プレートの上なんで、箱根はそのギュウギュウで噴火
とか言った気がするが、
プレートにはヒビ割れがあり、下の太平洋プレートからのマグマという説がある
ヒビ割れ(マイクロプレート)なぞあったら、
沈降側が先に行っちゃうだろどーすんだ?とか思う
この辺はまだ仮説とかなんで、今後の解明に期待

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まぁ箱根火山については過去にも色々出てきたんで、
今回は富士山に突っ込んでみたいと思う
同じような諸元で出来てる筈なのに、
富士山だけは独立成層火山とまったく様相が違う

富士山は現山が1万1千年から活動開始
火山としてはとても若い山で、広大な裾野を形成しちったんで、下の地形が良く判んない
とりま現在判ってる部分だけでも・・・

富士山ハザードマップの後、色々調べてたんだが、ようやく纏められそ