中世狩川プロト版で、K74(神奈川県道74号)小田原山北線の旧道に触れたが、
過去記事に見当たらんので書いて無かったんかい。何度も通ってるのに
てな訳で塚原から穴部までの旧県道を通ってきた
撮影日 2021年03月10日
K74に出たんはK715から山崎交差点
ここから関本方面には駒形新宿経由の旧道があるが、今回スルー
狩川を駒千代橋で渡って、、
塚原駅入口交差点。ここに僅かの区間だが旧道の線形の一部が残ってる
【左上】雨水排水路が繋がって事から判る通り、
法面反対側の円弧になってるのが旧道側(ソク)である
ここらの車道は1952→1961で2車線化拡幅や新道が造られてる
円弧区間は山際に造られた旧道で、
法面を築いて拡幅したので、余地になってもうた
円弧外側先に塚原駅ホームがあり、1m程の高低差がある【左下】
交差点から小田原方面に130m程進むと、右側に塚原~岩原間の旧道がある
ちよっと待て、大雄山線の塚原駅~岩原間は次の駅が見えるという
ホーム間300m以下の至近距離でないかい?
僅か120m程の旧道区間があるのだ
ちなみに岩原側からの一方通行(チャリ押しであります)
ふっ、雰囲気あるなぁ
【左】旧道山側は段丘崖になってる
此処も1952→1961で新道が造られてる
塚原駅入口交差点でK74に出る
K74を940m程進んで相模沼田駅入口交差点
ここから右側に北ノ窪・府川旧道を行く
センターラインが有る二車線で現道とあんま変わらん
げ、現道は歩道あるもん!
旧道が結構良い道、という事は新道(現道)は割と最近、、、
ぉぉ、1967年施工中ではないか【黄色矢印】、1977年には出来上がってる
なぉ、写真の川は分沢川で、足柄上下郡の境界をこんな川にしたから
流れが変わってヤヤコシイ事にもなったんではないかと思う
北ノ窪で旧道は登ってく
ここらで3m程、最高地点では現道との差は5m程となる
此処の旧道も塚原並の狭さだったろうが、拡幅されたと思われ
旧道特有の道祖神などが殆ど見られんのが残念
もはや意図的に残さんと消えてしまうな
(うちの婆ちゃんとこも村辻の道祖神を場所が無くなるんで
自分ちの道側に場所造って祭ってある)
さて、飯田岡-諏訪原の道を過ぎれば、旧道も本格的に牙を剥く、、、
ありゃ、工事で通行できんとな。年度末だからね、仕方ないね(大人の事情
仕方ないんでK74に出て府川交差点へ
本来なら右上の「二車線から一車線化旧道」だったんだが、しょうがない
旧道コッチから先程の諏訪原/飯田岡駅交差点までは
土、日、休日を除く(早い話平日)7時30分から8時30分は一方通行なんで
入れません(所謂学童保護)。狭いしね
府川交差点から230m程進むと右側に穴部旧道
此処も1952→1961に新道(現道)が造られてる
三叉路を左で水道橋に出るが、手前の階段を登ると八幡神社がある
ただし、府川のでも穴部のでもなく、清水新田の八幡様だ
昔、狩川左岸の清水新田/若宮にあった八幡神社だが、水害で流されたんで、
移したらしい
そもそも、此処は清水新田の飛び地で、さらに山上には
飯田岡と穴部新田と清水新田の飛び地が幾つもある
諏訪の原公園も切れ切れだ。薪山とかだったんだろか?
穴部旧道を進む。やはり狭い、、一部拡幅されてるな
塚原~府川は「ちょっと高いトコ」を通る旧道だが、
此処は大雄山側から7m、小田原側からは9m登る
川側斜面が急で、此処まで登らんといかんかったようだ
ピークを過ぎると、右側(山側)におっきな石碑か2つ
当日の日の向きが丁度過ぎて撮れんので、過去から持って来た
どちらも南無阿弥陀仏?
(実は穴部は縁があって)随分昔に何か聞いた事があるんだか、
確か洪水の際上の村の子供が沢山流れ着いた、、とか。定かでない
(念の為、ちょい調べてみたんだが、見つからんかった)
坂を降ってK74に出、穴部旧道も終了
今回は車道としての小田原山北線の旧道を辿ったが、
それ以前の旧道も一部判ってるので、また機会があれば
(ホントは小田原御殿場線とかだけどヤヤコシイので)
K74小田原山北線の険道と言えば、
久野越えがあり、
城山多古線開通で旧道落ちするのだが、
その区間は甲州道由来でなく、K73(小田原停車場)~K74で別道を造る
という構想で、昭和49年に起点等を変更されたものだ
参考/
道路然話/資料収集(神奈川県公文書館と県立図書館5、6回目)
https://ameblo.jp/halunichi-3z/entry-12480164436.html
故に今調べてる小田原甲州道には含まれない