南足柄市・小田原市境の件

以前話した気がするのだが過去記事が見つからない・・・
K74小田原山北線/沼田(大雄山線/相模沼田駅)付近の
市境がハチャメチャな件だ。そん時は細かい話すると大変なんで横着したが・・・
過去記事見つかりました
細かい話、字を入れるとこんな風になる。赤系が南足柄市、青系が小田原市
参照した地図のせいか、疲れて細かい線引くの面倒になったのか、
所々境が一致しないとか問題あるけど、大体判ればよいよな
念の為拡大画像
今回、故事を調べてて、南足柄市沼田と小田原市北ノ窪の境にある
小田原市新屋の訳が判明した【水色マーク】
大日本地誌大系(新編相模国風土記稿/図中間違い)にあり
新屋村【赤線】の狩川は
「古は沼田北ノ久保(窪)村界を流れしが、川瀬変遷して今は全く村内に入、
西方を流る」【青線】
「川跡を新開して古川新田」【緑線】
元禄国図では古い流れのようで、その後に川の流れを変えた事になる
旧川敷は新田にしてるので、その部分が新屋地として残っている
も少し判り易いのが公文書館の足柄上郡役所文書にある
明治23年の「足柄上下郡の境界に付下郡役所調書の件」
で、上下郡の境を変更するに際してどーだこーだあった時のモノ
その一部拡大。狩川右岸(川より左手)に新屋が二ヶ所、小台もある
即ち、二ヶ所の新屋を繋いだ部分が古狩川という事になる
小台は元々地続きだった訳だ
上流側の新屋はどちらかに吸収されてしまったようだが、
沼田-小台の境から繋がるので凡そそこいらだろう
水色マークの新屋部分に繋がるこんなラインが旧狩川となる
下流側は資料は無いが飯田岡駅先で現狩川に出るか、
穴部の旧道は山道になるんで、そこいらまで絡んでるかも知れない
酒匂川が塚原辺りで合流してた頃の狩川は、かなり水量があった訳で、
その頃はもっと川幅があった筈
新屋の川瀬変遷が元禄(1688-1704年)以降なので、
既に酒匂川も変遷後、狩川も現在程度の川幅に近かった筈だが、
新屋村での川幅は14間(25.5m)~20間(36.4m)と記されてる
現在のそこいらの川幅は70mあるので、ちょいと差が大きい
大日本地誌大系(新編相模国風土記稿)の狩川の幅は、
上流狩野村から9-14間、18間、14間、14-20間(新屋)、40間、28間、40間
と、ちょいとオカシイ所があるんで、別に確認する必要があるかも
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