2020/11/13

中世酒匂川

酒匂川、昔の流路にある通り、昔の酒匂川の流れを調査してる

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最大の問題は参考資料が概略過ぎ、地形や字名の場所がフリーダムで、
流れの場所が脳内変換でも追い付かない


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てな訳で明治地図で各村の位置、集落の場所などをチェックし、
大日本地誌大系(新編武蔵国風土記稿)に掲載のある集落(旧村)位置を庄別にした
西/苅野庄と東/大井庄・成田庄の間に、古酒匂川は流れてた筈である

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大日本地誌大系(新編武蔵国風土記稿)の成田庄にも、庄境の酒匂川云々は書いてあった

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ちょいと庄の事忘れたんで関係資料を漁ったら、曽我や中村にも庄あったんか・・・
ここでも酒匂川の流れの記述あり

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続いては宝永の富士山噴火後の水害について
コレ見直したけど、ビジュアルで見ると半端ないな~

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富士山の降灰による後の水害は、噴火翌年の宝永5年より始まる
宝永6年にとりあえず大口土手を修復したが正徳元年に決壊
田中休愚(丘隅)の尽力により享保12年完成・・・だがその後も水害との闘いは続くんだが

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そん時の新川通が瀬替え前の流れらしい
(赤字の班目、岡野、千津島、壗下、竹松、和田河原村は壊滅状態で、
実質廃村に近かったそうだ)
瀬替えが17世紀(1593年という資料もあり)だから、数十年しか過ぎて無い
この流れの位置が判れば・・・

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という資料は見付けてある。開成町/旧々堤? #3で参考にした
「富士山宝永噴火による足柄平野へのスコリア-洪水流の氾濫」である
左側が享保5年絵図を元にした図で、右が実際に調査した氾濫流の堆積状態
享保図には描かてれるけど、堆積物も見つからんとか、
図では圏外になってるのに堆積物の見つかった場所など、
実際の被害状況は違ったらしい

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そこら辺の情報と、国土の地形分類などを参考にしたのが・・・

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コチラになります
中世酒匂川①が、平安末期10世紀頃の庄境となった酒匂川の流れ
中世酒匂川②が、その後の戦国~江戸初期(瀬替え前)までの流れ
(②は後北条関係の資料によるらしいが一次データは不明)
(以前、ボーリングデータなどの地下地質調べんといかん、、、などと言ってたが、
色々調べても明確な河川跡は判らんかった。堆積と浸食が激しいせいかな)

とはいえ、周りに細い流れが描かれてる通り、
「そこいら辺」とか「大雨降ったら流れ変わった」
「幾筋にも別れてて集落は中洲状態」のいずれか全部です
ろくに治水されて無い河川など、こんなモンだと思います

その他の河川、右側から
鴨宮台地に数mの谷を刻んだ菊川は安定してたと思われるが、
川音川は参考資料的に此処な形で、地形的には川音川B位まであり得ます
確証は無いが、川音川Cは松田村(現町)/金田村(現大井町)の
境を流れてた時期があったんじゃねーかと思います

皆瀬川と尺里川流れは西川と呼ばれてたそうで、BやCね流れも考えられますが、
(ちな皆瀬川は当然瀬替え前ね)
酒匂川の瀬替え直前は、今の酒匂川ルートだったと思われ
中世酒匂川の瀬替え工事云々の資料等見つけて無いんだが、
川一本新しく造るより、既存の川に流しちゃえ、、というのが簡単だし
(当然、水量が増えるんで流れ変えただけじゃ済まんだろうが)

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酒匂川が谷から流れ出る場所
足柄平野などと呼ばれてますが実質は扇状地で、扇頂はかなり高い
酒匂川の堆積物で西川筋が北寄になったと思われ
大口堰でとりま酒匂川の流れを西川筋にする事は可能だけど、
常に大口堰が責められる形となる
岩流瀬堰により千貫岩に流れを当てて、流れを制御したんは流石です
(千貫岩に当てて勢いを、、とかじゃなく、流れを蛇行化)

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千貫岩(新大口橋より)

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新大口橋下流
(谷から平野に出る場所なんで堆積し易い)

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さて、中世酒匂川の流れが大凡判明したんで、当時の街道はどーだったのよ
という訳で、矢倉沢往還と富士道ルートを検証してみました
どちらも後の時代ですが、昔を継承してるんじゃないかと思われ
官道としては矢倉沢往還の方で、富士道は海岸の副ルート想定

矢倉沢往還は当然十文字の渡しなど無く、
酒匂川①の吉田島-牛島間、酒匂川②の宮ノ台-竹松間で渡ってた事になります
十文字の渡しに迂回するような道だったのに、
直進して来るといい感じになるんは、偶然でしょうか

富士道は新屋-沼田間(K717狩川、山道橋ちょい下流辺り)で
狩川と合流した流れを渡る事になりますが、再び狩川をも渡る事になるんで、
桑原から駒形新宿を目指して直進しちゃった方が良さげなんすが、
さするに富士道ルートがヤにいい感じになるのは偶然かな

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矢倉沢往還の旧ルート側、宮ノ台-竹松間というと、
道の駅/足柄・金太郎のふるさとの辺り(丁度、この写真撮ってるのが旧ルート上から)
ここらの旧河道も埋立られちゃってるから、旧河川の風情は無いが、
住宅地じゃなく田圃が続いてるっうのは、そういう歴史があるからかも知れない

矢倉沢往還、吉田島-牛島間はまだ田圃が残るが、
開成駅に近いんでソロソロ判んなくなっちゃいそ

とりま、中世酒匂川関連は終了


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2020/11/03

大田黒境(多分)

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2020年の夏場に小田原市南町、赤マークのトコが更地になった

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更地となった割と直ぐの時通りかかると、隅に石柱

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「大田黒」、多分「境」

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道路側にも彫ってあったんだろか?削った風で不明

ここらで大田黒といえば大田黒重五郎、実業家
近くに別荘があった筈

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だんが此処って足柄病院とかぢゃ無かったのかな?

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大田黒重五郎の別荘は天神社側にあった筈

略図が略図故なのか、小路が現在のとは違うのか、判らんが
こんな石柱が残ってた

2020/11/02

Re:金手丸

以前、大井町の固有種柿/金手丸について書いたんだが・・・

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大井町の広報、2020/11の表紙が金手丸だった
表紙に使われてるだけで記事とか無し
(種としての金手丸については前出の記事参考)
数本しか現存して無いから、町の名産とか無理だけど、
何か活用できんかな~

実ってるなぁ。コレYさん家のかな?

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実は色付き始めた頃、確認に行ってる。以下の写真も同日
(なぉ、普段明るいうちに戻ってこれんが、
この日は午後雨天で、途中で切り上げて帰宅途中)

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ぉぉぅ、思ったより鈴生りしてる

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出荷用だと纏まってるトコは事前に間引いたりするんだが、
そのままになってるようだ
一般的に売ってる富有とかは横に広くなってるけど、
金手丸は丸っこい(そういうタイプが色々ある)
間引いて無いせいか判らんが、丸柿としても小粒だと思う