2020/05/31

5月31日の人手 巡回再開 県道No修正

今日は緊急事態宣言解除後の初日曜日

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県のページでは31日まで封鎖となってたが、
酒匂川左岸川音川出合下で封鎖のコーンとか無く、自由に河原に降りられる
明日解禁の鮎釣りのオトリ店も準備出来たみたいだ

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酒匂川本流の流れが遠いせいか、川音川で楽しんでる

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三角堤公園裏の駐車スペースも封鎖が解除され、自由に停められるのだが、
路駐な人も居る

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見渡すと数人川岸にたむろしてるようだ
生憎の天気なんで、人手は少ないんだろか(時々雨の予報)

私も久々のシャバの空気を吸いに、、、

0_20200601035833611.jpgK710(間違ってた)神山の以前土砂崩れのあった片側交互通行

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法面工が進んでる。落石防止のネット張るんかな

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工期は8月末まで
今暫く片側交互通行が続きそ

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R246に出てK710(間違ってた)へ復帰と寄入口交差点に来ると、
7-11の隣に新しいコンビニ造ってる

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買物序に聞いて見ると7-11自身が移転するそうだ
寄や八沢行く際にはいつも寄ってるトコなんで、いつまでも続けて欲しい
(ここら自販機すら無いからなぁ)

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もう直ぐ降って来るんじゃね?という曇天なのに、気温が27度もあって暑い
途中の公園で涼む

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新東名の中津川周辺工事は進んでた。詳細は後程

萱沼越えて秦野市側という目論見もあったが、まだ本調子じゃないし、
着く直前、風が変わって天気が荒れそだったんで、本日は此処まで

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お馴染み神奈川県発表の地域別感染者数を纏めた表
別けるとか面倒なので、リンクを貼り付けとく。5/28まで


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2020/05/31

菊川 Ⅵ

撮影日 2020年05月頃
順番的にはⅥだが、のJR東海道本線を過ぎた後となる

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JR東海道本線の菊川橋梁の下流、大道西橋
大道とは松田踏切のあった酒匂道でないかと予想して、
ここらには字大道西と字大道東があったらしいのだが、どっからドコまでが判らん

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ここらでは東/左岸と西/右岸の高さが2m程違う

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小田原市道0053の富士見交差点と西酒匂交差点の間、勾配のある下新田橋を過ぎる

市道0053は小田原方面に途中から県道になり、再び市道に戻る
(小田原大橋が県道な大人の事情っぽい)

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下新田橋の下流、荒木橋。この橋の銘板で川名が「菊川」になっていた
流れる川は公式的に「下菊川」なんで、本当は間違ってるんだが、昔の名になってる
珍しいと思う

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荒木橋の直ぐ上流には親水公園があり、下菊川の川べりに降りられる
ずっと辿ってきたんで、川に触る勇気は無い(お察しください)

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荒木橋から道はちょい登りになるんだが、下菊川は坂から遠ざかるようで、
左右岸の高低差が殆ど無くなる

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親柱や欄干に特徴がある宮下橋を過ぎる
(無機質より良いとは思うが、
センス的にどーよ、というのもあるよね。此処とは言わないが)

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チープな人道橋とボックスがある

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人道橋は無名だったが、そこからボックスが覗き込めた
県道719号鴨ノ宮停車場線の下菊川橋だ。道路に対して斜めに横切ってるんで、
ボックスが無駄にデカい(これでも少し斜めったボックスになってる)

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ちなみに下菊川橋の銘板は諸元のみ
この道が出来た時からこの橋で、欄干とかも変わってないと思うんだが、
昔は名の方もあったんだろか

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下菊川橋の直ぐ下流にあるんが国道1号の連歌橋
調べてみたら1926年(大正15・昭和元年)じゃないか!
こないだの県橋梁点検結果(親木橋)には載って無かったゾ。管理者が違うからか?
(R1、親木橋、山王橋は載ってるのに連歌橋、酒匂橋は載ってない)

鋼桁でリベットなんで古そうだ。上流側に銘板ないし、
下流側には歩道桁が架かってるんで、プレートあるか判らん(塗装標は見える)
自前橋梁データは一度チェックし直しだなぁ

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連歌橋を過ぎると下菊川は酒匂川河口に向かって、、、
あ、西湘BP道からヨークマートへ渡れる橋が出来たんだっけ
まぁコンプ目指してる訳じゃないし

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さて、JR東海道本線より下流は、下菊川の流れより「坂」がドコにあるか、を調べてた
地図右側、細かい高低図だが、行き来して「いかにも坂」なトコをピンクで記した
左の土地条件図にある鴨宮段丘【オレンジ】との領域が違う
鴨宮駅南側に「緩い勾配」はあれど「坂」は無いよな
(K719がJRをアンダーパスする為、道路が低くなってる関連坂は周辺にある)

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この鴨宮段丘の縁が、中世酒匂川の流域に関与してるらしいので、
段丘の縁が結構重要なんだが・・・

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も一度土地条件図
段丘の縁で紫線になってるんは「崖」と呼べる程じゃないが、1m程の段差はある
東海道本線から下菊川の間は失われちゃったんだろか
南鴨宮の区画整理事業(昭和42/1967年頃~)で大分変ったからな

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てな訳で昭和23/1948年の航空写真に土地条件エリアを重ねてみると、
住宅地は見事に段丘にある。当時は明確な境があったようだ

田圃の水路の流れからして2~3段になってるようで、そこら辺が昔の川の名残と思われ

菊川編はこれにて一旦終了
鴨宮台地(段丘)については少々掘り起こしを行う予定



2020/05/29

菊川 Ⅴ

撮影日 2020年05月頃
順番的にはⅤだが、場所的にはの途中、K717を過ぎた後となる

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K717を過ぎてすぐ、下菊川にも現役で取水してるトコがあって、田に水を送ってた

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矢作小学校脇を降り

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高台脇を流れるんだが、この高台に上がるんにこっから行けるかと思ったら階段で、
私有地に付、、と通れんかった

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矢作小まで戻り、矢作幼稚園近くの道を登る

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最初パノラマで作ったが登ってる感が出せんので個々の画像で
だいたい住宅2階位まで上がる

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が、目的の場所に行くんで降る

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矢作幼稚園の裏(といっても正面)、西側から見た田圃
こっからの景色に含まれてるんだが、パノラマにしたらやっぱ判んない(笑

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小田厚PA周辺は人工盛土だから関係無いとして、左側が目的の場所
田畑からちょいとだけ高くなってる

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その高低差のある場所へ。此処など石積みがあって判り易いのだが

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その脇では畑からちょい上がって農道(?)、
さらに水田、住宅擁壁と段階的に高くなるんで、段差が判り辛い

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段差を上がると高台、、実は高台など無く、外側の地形的には平な場所

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登ったトコから見下ろす低地。現在の下菊川は循環器病院や矢作小の向うを流れてるが、
昔は西側田圃の広がる低地を流れてた(流れ的にはこれ程段差際では無いと思うが)

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矢作小の西南に広がる低地。クレーターじゃなく、川が造った蛇行跡と思われ
周囲が標高15、6mの中に3m位低い低地がある
小田厚のPA辺りは人工的に盛土されてて、川跡も一部浸食してる

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3Dで見ようとしたら小田厚PAが凄く邪魔

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そえだ、小田厚が出来る前の航空写真を3Dすれば良いじゃないか!
だが3Dデータは現在のモノなので、PAエリアが盛り上がる。駄目じゃん
(さいでもこの機能の組み合わせ技は割と使える。廻せるので高低差とか見れる)

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仕方ないので古い航空写真で当りを付けてみる
区画整理が行われて四角の田圃が多いが、整理されてない田も結構ある
段差的高低差があって、纏める事が出来んのだ
(田圃は畦で囲まれた1枚がまるっと水平になってる)
(ちょい前の伏線写真の水田が良い例)
その細かい段差が、川の流れの跡、イメージ的には河川段丘に近い
概ねぐるっと廻ってた風に見える

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かなり昔と思いきや明治初期の地図でも下菊川の流れの位置が違う
明治地図はあんま正確じゃないが、乾田と水田が描き分けられてるんで、
低地が限定出来、大凡の位置は合ってる

後はこの地形が「割としょぼい」菊川のみで造れたかどうか・・・
悠久の歴史があれば可能かもしんないけど、
鴨宮台地自身が2900年前位の御殿場泥流堆積物で出来てるんで、
それ以後に浸食で出来たと推測される
(仮称下菊川谷も同様だ)


2020/05/28

菊川 Ⅳ

菊川 Ⅲに続いて下菊川が潜るJR東海道本線の菊川橋梁中心に
撮影日は日付の入ってないのが2020年5月

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ちょいと前にも使った写真だが、
東海道本線の菊川橋梁直前で下菊川の流れは2つに別れる
開渠の方が古くて暗渠は割と最近造られた、、筈

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まずは開渠の方見てく。文字通り草生えてる

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開渠の上半分位は歩道として利用されてる。ん?半開渠にはならんよね

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元々この橋は下菊川専用だった訳で、開業時橋長12m位だから、今と変わらない筈

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真ん中辺にある石積みが開業時橋台
↑の熱海線建設要覧にある通りコンクリ石張だし、
鉄道震害調査書でもちょいとしか壊れてない。直して使われてると思われ
幅は複々線化と引込線の追加で5線分となってる。北側1桁は歩道桁

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続いて暗渠部

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暗渠を覗き込むと向うの明りが見える。単純なBOXのようだ

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下流側、暗渠と開渠の水路が合流。勢い良く出てるんは別の排水路
ってやっぱ開渠側流れてないな
暗渠が後だとして、出来たんなら開渠潰しても良い気がするが、工事が大変なんかな

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そもそも菊川橋梁に道路通す事になったんは、
東海道本線を複々線化するんで踏切を無くすのが目的
菊川橋梁直ぐの旧松田踏切だが、保線用にこうなってるので、元々の踏切じゃない
踏切現役の時は上下の2線分っか無かった(印刷局線入れて3線か)

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国府津駅から小田原駅まで、
酒匂川河口の低地を避ける為ちょい高台に線路敷いてるんで、
多くの道が架道橋/立体交差になってて、踏切の数は少ない
他の踏切も線路下を掘ってアンダーパスにしたり、跨線橋架けたりしてクリアしてる

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ちな、こちらが開業時の橋等
最初っから架道橋【茶】と河川&道【青】が多く、河川専用橋【水色】は1/3程度

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いつ菊川橋梁に道が通るようなったか、、は
航空写真によれば昭和47/1972年~昭和52/1977年の間
実際に複々線化が開始されたんは昭和54/1979年だが、その前に工事された筈

暗渠の方は平成16/2004年~平成19/2007年の間としたが、
平成16年の航空写真は粗くて工事してるんか出来上がってるか、よく判らない
工事記録とか探してはみたんだが見つからない
ここいらの人の話から2005年位と聞いたが、人の記憶は当てにならんしなぁ

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菊川橋梁の道路併用は広報にあった。昭和49/1974年4月には工事が完了してる
ちなみに第二松田踏切は印刷局水道道から分かれ、印刷局前に出る道筋

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同時期、打越踏切のあった道は、打越跨線橋が架けられた
複々線に加え、西湘貨物駅線、引込線、酒匂堰を一気に越える

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ちなみに、下じゃない方の菊川を渡る御殿場線(旧東海道本線)の橋も菊川橋梁という
(この地方の東海道本線あるある)


2020/05/27

菊川 Ⅲ

菊川 Ⅱで酒匂堰の分流など、下菊川の源流部(笑)を見たんで、
あとは特徴あるトコなどを紹介するんだが、見逃してはいかんので、
一応流れを追っかけながら下流に向かう

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縦割り分割は左から右の順、流れの方向は矢印で

足柄平野を流れる川は、真っすぐに変えられ、護岸を固められてるんで、
自然っぽい流れは良いな~と思ってたんだが・・・

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ガチガチの用水路になってもうた
ここらなど蛇行してて、本来の姿は素敵だったろうに

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【上左右】開けたトコに出たが用水路変わらず
【下左右】ソコを通るK717で流れは消える、、じゃない地下を通されてる

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そういやK717、小田厚の下通るんでぐっと下がるが、
掘り下げた訳じゃなく自然の谷地形なんだよな

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昔の流れ、、という訳で小田厚の出来る前と出来てからと比べてみたが、
殆ど変わらんかった。まぁ小田厚は高架だからな

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工事ん時の写真を漁ったら、ちゃんと撮ってた。2010年の3月撮影。当時の俺GJ!
【左上】開けたトコを小田厚下に来る下菊川
【左下】小田厚を潜るよ
【右上】チープな橋を潜る。向うに見えるはK717のルートで西/穴部方面
【右下】現場にあった図。ちゃんと下菊川が描かれてて、先程の航空写真と合う

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国土地図の「自分で作る色別標高図」の機能がアプグレして自動化が使える
K717が小田厚を潜る「左から2番目のピンク丸」辺り
(仮称)下菊川谷というのがよく判る
酒匂堰が最高位(左から3番目ピンク丸)近くを通るのは、
高いトコからの方が田に水を送り易いからと思われ

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K717を過ぎ、矢作でウロウロした後、春光院やK718菊川橋を見、
新幹線菊川BR、巡礼街道菊川橋(現地で銘無し)を後に、前耕地橋【一番左】

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此処は印刷局水道道なんだが、随分変わった
以前は車がギリ通れる幅しか無かったんだが拡幅されてる(これでも)

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それより上流側の景色が一変してる
小田原市の下菊川改修工事が行われてるんだが、
右から水路が合流する地点だったのに、無くなってる!

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此処の水路は良く判んない。1952年までは何も無かったんたが1961年に出来てる
ちょい下流に酒匂堰最下流取水堰と用水があるんで、
酒匂堰から下菊川にダイレクトに流す水路だと思われるんだが、何で必要だったんだろ
1977年の航空写真で取水口っぽいのが写ってる【ピンク矢印】

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下菊川沿いは埋められてるが、途中は残ってる
チャリから下が開渠となってる部分

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そこから酒匂堰方面は暗渠になってる風
暗渠断面からすると、あまり大量の水を流すようになってない

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酒匂堰側からの写真撮って来るの忘れたんで、GMapから
こちら側の護岸には穴も開いて無いので、とっくに使われなくなってると思われ
この下の最下流取水堰も1980年代に無くなってる

次はJR東海道本線菊川橋梁へ



2020/05/24

5月24日の人手

今日は日曜日、とうことなんだが、用事が終わらなくて午後4時になってもうた

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いつもの酒匂川左岸、川音川下の河原へ降りる道だが、入られてるんか?

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毎年此処に造られる鮎のオトリ店だった。設置作業してた
もうそんな時期か、、6/1解禁である

一応毎年の如く準備はされてるようだ。詳しくは下記へ
神奈川漁業協同組合


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関係者か、序に入った人か。1台入っちゃうと遠慮無いだろうし

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時間帯的に遅いせいか、路駐も殆ど無い

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河原に居る人も数人だった。向うは対岸だな

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足柄大橋付近も人手無し

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県発表のデータまとめ。地区毎の発表を始めた4/17より5/7まで
横に長く成り過ぎたので分割
感染者増加の色付けだが、地域毎の観光地・地方だけにしてたが、
全部やって欲しいと言われたんで全部(色付けは手作業なんで間違ってたら御免)

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5/1より5/21まで(ダブり有り)
県西では院内感染系が続いてるが、感染経路不明というのもちょいとある

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さて、5/25の月曜に緊急事態宣言の解除検討となるが、神奈川県はちと苦しい
【左上下図】お馴染みの陽性患者数日別と累計
【右図】1週間平均値で院内感染等を除くピークだった4/16より
    5/12まで下がったのに微妙に上がってる
どのように判断されるかだな

緊急事態が解除されるとしても、
県などの管理してる公園・駐車場の閉鎖が解除となるか、一応探ったが判らん
当初の予定では一部8月末だが、殆ど5月末まで、となっている


2020/05/24

菊川 Ⅱ

撮影日 2020年05月(数日)

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【右上】酒匂堰が大井町から小田原市に流れ下る処
【左上】向うに見える取水堰(ゲート)は小田原市だ
【左下】田植えの時期なんでゲートは閉じてて、田に水を送ってる
近場の田圃は田植え済み

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【左上】場所は変わって大井町山田から流れて来る菊川
【右下】先程の酒匂堰の方に向かってる

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酒匂堰と菊川が合流する場所だ

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どう見ても菊川が酒匂堰に注いでる
ここから下菊川まで。元は菊川の流れを広げて酒匂堰にした
参照前回

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そしてココが酒匂堰と下菊川(菊川)が別れる処

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何言ってんだ、と思われるかも知れんが、公式(?)でもこの流れが下菊川と描いてある
(一番右図、赤線)

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分流というと、こんな感じに流れが判れる、、モンだと思ってて、
前回では跡形も無いと言ったのだが、どうやら違ったらしい
(下菊川の此処も不思議な場所だよな)

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だがしかし、酒匂堰に対して下菊川の方が位置が高い
これじゃ分流して流す事など出来ない

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その直ぐ上に取水堰(水式ゴム引布製起伏堰)があり、
田植えの時期なんでゲート前満水

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さう、これにより取水堰からの水は下菊川に流れる
田植え時期限定の下菊川分流である

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【左】ココに流れてるの初めて見た
【右】此処まで流れてる水路がそのまま流れるんかとも思ってたけど、別だった
右のは酒匂堰に排水されるようだ

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前回「ココら」とした場所も、よく見ればピンク丸に現在と同じような形で分流してる
どうやら酒匂堰から下菊川は、常に流される形はなってなさそ

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でも下菊川は田植え時期でなくても流れあるよな、、、
【左】分流地点で流れてないのに、
【右】ちょい下に流れがあるんは、青ルートで水が来てる
鬼柳堰から分けてるんかなと思いきや、道路に暗渠水路(上部コンクリ)がある【黄】
辿ると随分上、小田原消防署西大友出張所まで続いてる。コレかな?
その先は道路下だと思うんだが、辿れない

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昔はどうだったんか、、、
【左写真】昭和27/1952年だと延清で鬼柳堰の水を使い、下菊川に排水してる
【右図】集落上だと鬼柳堰と下菊川の高低差は1m程度【緑丸地点】
延清の下では2m程になって、断面を見ると既に谷っぽい地形となってる

この後にも鬼柳堰等から流れてて、下菊川は排水路的に使われてるようだ

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ゴムゲートの脇には立派な酒匂堰の石碑がある
ぉぉぅ、コレは酒匂堰の歴史的なモンかと期待したのだが・・・
(長洲知事は昭和50/1975年~平成7/1995年就任)

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湛水防除事業のだった
【赤】降雨時には地域の排水が酒匂堰に集中する事態
   豪雨時には急激に増水し、各所で溢水氾濫
【青】小田原市酒匂地先の小八幡堰から順次上流に向
   大井町金子地先の和田堰流入地点に至る
【ピンク】昭和59年度から着手 平成5年3月に完了

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ん?この岩は何か由縁でもあるのかな?飾り?

下菊川にはまだ変わった場所があるんで、追々紹介してきます

2020/05/22

本日は湯本仕事

その前に・・・・

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K78金手交差点脇、セブンイレブン/大井町金手店、オープンしました
開店記念セールで賑わってる?(ちょい前にクーポン付きチラシが入ってた)

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ちょいと此処寄ってきました。成程、、纏めるんに時間かかるかな

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一瞬だけ撮り鉄。丁度居た場所が悪かった

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R1酒匂橋、久々だ

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今日も上空から監視されてる(笑
尻尾付いてるから空中給油機かな?(詳しく無い)

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てな訳で本日のお仕事先、湯本到着。もう夕方なんで帰る頃にはどっぷり夜


2020/05/21

国道1号/親木橋 修正有り

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(まだ表は続くが滅茶長いんでこの辺にしとこ。戦後占領の終了の頃まで)
神奈川県の橋梁チェックデータをExcelに落としたんで、平成27年頃の現役橋梁一覧
国/県/市町村で人道橋や自動車専用、高速も含んで726橋分
結構あるな~と思ってたんだが、在所横浜だけで半分の365橋
県西では小田原30、南足柄5、松田1、大井5、中井5、箱根28、湯河原2と断然少ない

さいでも架橋年でソートして・・
震災前は鴫立橋1917と龍宮橋1923か、鴫立橋はもう橋じゃなくて暗渠だろ
龍宮橋は東高島駅の先の廃鉄道橋の隣にある

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じゃ龍宮橋が県内最古かというと、玉ノ緒橋の方が大正9/1920年なんで、
そっちの方が古いんだが、公式では拡幅された昭和28/1953(1954)年になってる

表3番目の八倉橋1925は国道16号にあるらしいのだが、何処にあるのか判らん
橋長10mっか無いので橋梁DBには載ってないし、ぐぐっても判らん
(横浜で八倉という銘に関係ありそなのは戸塚とかだが、R16通ってない。
多分横須賀街道だと思うんだが)

表4番目は山北の樋口橋1927を抑えてR1の親木橋が1926年、たしかギリ大正15年

旧橋は震災で壊れたと思われるが資料が無いので近い時期という事で
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大正9/1920年に橋長20.54m、幅員3.65m、板橋が架かってました

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ちょいと古くて明治33/1900年-大正9/1920年の親木橋。小田電の線路がある
昔はホント何も無かったんだな~(ぃゃ酒匂堰も田圃もあるけど)

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震災で親木橋は落橋した筈です(県西で無時だった橋は殆ど無い)
写真も無いけど森戸川に架かる熱海線/江戸尻橋梁がこの状況なんで、、
国府津駅から続く大築堤がボロボロに崩れてしまった。すぐ下流に親木橋がある

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震災後は仮橋が架かってたようですが不明
大正15/1926年に上路RCアーチ橋が架かりました。橋長19m幅員12m
写真無いんでとっとと次の拡幅へ
昭和38/1963年、上り側に橋長19m幅員10mの鋼桁、下り側に橋長19m幅員4mの鋼桁
が拡幅されました
(当初昭和年号が間違ってました。その他も修正)

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拡幅前は航空写真でしか確認できません
拡幅以前と以後を比較してみましたが、真上からの写真じゃないと正確じゃないしな~
さいでも下り線側(森戸川上流側)の方が盛ってそうです
現在の橋桁を見ると下り側2車線よりチョイ狭い幅の桁が独立してます【ピンク枠】
鉄枠目地がある。この部分が上り線10mの拡幅で間違いなさそ

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実は随分な程随分前に写真撮ってるんだが、記事にして無かった。10年前だ
下り線側から。まぁ道や、橋的には変わってない筈

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下流側からそーっと覗いて見るとRCアーチが見える。アレが元桁か?
こん時は鋼桁が歩道橋の追加分なのか、下り線としての車歩一体なのか判らんかった

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鋼桁の銘板が読めんかったのだ
だが後日、下り線側歩道のみ継ぎ目があるのに気付いたんで、
この鋼桁は歩道橋スペックだと思われ。親柱は昭和38年2月竣功となってる

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問題は上流側で車道の分割してる桁と同一の位置に継ぎ目がある
左右からは確認できんかったので諦めたが、上流から見れば・・アーチが見える
その手前の鋼桁は歩車一体なのか別桁(車道桁と歩道桁)なのか判らん

バイブル「相模の橋 今と昔」に載って無く、橋梁DBにもなぜか殆どデータが無い
データが見つかったら後日にでも報告という事で
(ぁ、それで記事にして無かったんか~)

2020/05/20

菊川

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菊川は、山田村(現大井町)より流れ出て、下大井村(現小田原市)にて酒匂堰
(酒匂川取水/金手~森戸川放水/国府津の用水路)に流れ込む
菊川としては是で終わり・・・・

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ではなく、足柄平野にはもう一河川、菊川が在る
上府中村(現小田原市)より酒匂村(現小田原市)に流れる「下菊川」があるが、
是は古くは「菊川」と呼ばれてた

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現「下菊川」を渡る橋にも「菊川橋」と名付けられたものがある
(K719には下菊川橋もあるが)

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JR東海道本線、下菊川を渡るのは「菊川橋梁」

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「下菊川」という名も、上の菊川に対するものだし、
同一名は上の菊川と繋がっていたという証でもある
上下間にある酒匂堰で分断されてるが、元々は一本の河川であった

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言うだけは簡単で、その証を求めて新編相模国風土記稿を見ると

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早々に菊川の解説にある

【水色】菊川/源は足柄上郡山田村より出 上下大井村の境にて、酒匂堰に合し
足柄下郡永塚村に至りて再び別流となり、又此川名あり 酒匂村にて海に沃ぐ

酒匂堰で分断されたとすれば、酒匂堰の出来た慶長(1596-1615)の頃となる

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永塚【赤】は酒匂堰【黄緑】と離れてるし、
下菊川【水色】と近いのは延清【ピンク】だろ、、
と思ったんだが、延清では村の東境を菊川が流れてる

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本命の永塚には記載があった
【水色】菊川/村の西境を流る 下大井村にて酒匂堰に合し、当村乾の方にて再び別流れ
そして正解と思われる
【赤】慶長中酒匂を疎鑿(そさく/切り開いて川通)せられし時、
下大井村より当村に至るの際は、即菊川の流れを直に堰筋とせらる

やはり最初に菊川ありきで後に酒匂堰が造られ、
金手(当初は違うかも)~下大井と堰を通じ、堰を流す為に菊川も改修され、
永塚で菊川から分流し、国府津に至る堰が造られた。とも言える

菊川筋で酒匂堰が造られたのだが、永塚で分流したんは何故だろう

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酒匂堰が造られたんは、ただ農業用水を運ぶ為だけでなく、
酒匂川の流れを制した事による排水目的でもあったのだが、次も理由と思われる
(1次どころか2次資料も見つからんので、全て状況から推測)

下菊川は鴨宮堆積段丘という「ちょっとした高台」を流れてる
故に(仮)下菊川谷とも言えるような3~4mの谷地を流れるんだが、
そこから左右の谷上に用水する事は出来ない

例えば酒匂堰の最下流取水堰は巡礼街道とJR東海道本線の間、川高13m程の場所である
直ぐ西に下菊川が流れてるが、川高は8.6m程
同程度の高さで下菊川から取水する為には、下菊川谷の落ち込み口まで遡らねばならない

下流域の田圃に用水する為に、谷に落ちる前に分流されたと考えられる

酒匂堰を酒匂川河口方面に流さなかったのは、国府津までの田園の排水の目的があった
酒匂川河口と国府津の森戸川河口の間の海岸線には、標高9mの海岸段丘があり、
直接海側に排水出来ない
その為に排水を集めて森戸川側まで流す必要があった

下菊川から左岸/国府津方の方が堆積段丘高いトコが多いんで、
下菊川の流れの原初もそこら辺にある気がする

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下菊川沿いにそんな谷あったか~?と思われるかも知んないが、
県道718号鴨ノ宮停車場矢作線に限っても、道路のアップダウンがある
目立つのは小田原循環器病院から東へ浅間神社前までの坂(下菊川左岸)、
矢作の春光院前から鴨宮中学校入口までの坂(下菊川右岸)など

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永塚の分流は現在跡形も無いし、古い地図でも描かれたのが無い
古い航空写真で片鱗でもないかと見るも、田の整理済みなんで全然判らん
永塚の現字域はピンク線で、酒匂堰を若干超えてるトコがあるんで、
赤四角か赤丸の辺りかな、、それとも区画整理で変わってしまってるかも知れん

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中世酒匂川流域の件での、菊川分がようやく終わった