2019/11/30

川音川洪水エリア

撮影日 2019年10月~11月

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10月12日の台風19号で川音川は避難準備判断水位を超え、ちょっと危なかった
上流域がそんな広く無いんで、滅多に大水が出る事もなく、堤防水位のキャパもあんま無い

近代で調べてる途中だけど、未確認含めてもこんだけ
昭和12年か13年、小田急鉄橋に被害が出たとかなんとか【未確認】
昭和33/1958年、9/25台風21号店屋場堤防半壊(左岸、御殿場線橋梁上流)

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松田の扇状地で氾濫したら、川もカーブしてるし、昔の河道を流るんかな?
昔の川の流れを知っとくんは、防災的にも意味があって、、、

あ、それならハザートマップ見れば良いんでね?
前に見た事あったな、なんか変なトコ流れてると思ったんだが、
当時は昔の流れなど意識して無かった
ひょっとして、ハザードマップの流れは昔の河道になってるのか?

神奈川県/河川の氾濫による洪水浸水想定区域(水系毎に各河川)
見に行ったら図が増えてる
想定最大規模、浸水継続時間、計画規模、
家屋倒壊等氾濫想定杭地(氾濫流)、同(河岸浸食)

平成27年までは「河川整備の目標とする降雨」が対象で、
平成28年以降で新たに「想定し得る最大規模の降雨」が対象になり、その浸水継続時間。
一定条件下において堤防決壊、家屋倒壊・流失、河岸浸食が対象の
「家屋倒壊等氾濫想定区域」と強化されてます

氾濫洪水域としては洪水浸水想定区域の「想定最大規模」と「計画規模」の2枚となります

計画規模は以前からある図で、お役所解説はまどろっこしいんで、簡単に言えば
「30年~200年に一度発生する降雨レベル」という事になるらしい
(川によってレベルが違い、一級河川/100~200年、都市河川/50~100年、
その他河川/10~50年なんで、一括りにすると、、という事らしいんだが、どういう計算?)

想定最大規模は、文字同降りなんで概ね「過去最大」と見てよいと思います
特に川音川等の支流においては、本流の酒匂川も増水して、、という事になってると思われ
(全河川の説明のみなんで、細かいトコは書かれておらず推測)

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まぁ、図を見てみましょ。元の区域が淡い色で非常に見難く、勝手にハイライト色に変更
左が計画規模、右が最大規模。最大は多分宝永噴火後の水害がモデルと思われ

故に最大で酒匂川沿いの流れが発生してますが、
それ以外は大変興味あるデータになってます
これは旧河川図と照らし合わせてみる価値があるな

区域区分が50cm、3m、5m、10m、それぞれ未満なんで、
実際の水位は真ん中の色分け縦棒いイメージとなります
(10m、すなわち5m以上10m以下の区域は、このマップ中にありません)

洪水被害の実情を調べると、
30cmで人力での避難行動が困難/不可、2mで1階水没、5mで2階水没、、
当になってるんで、
「50cm未満」と言われても避難出来るんか判らんし、
「3m未満」に1階の床上、1階水没、多分2階でも水被る
(あるサイトでは2mで家屋倒壊の恐れとあった。流れのあるトコだとヤバいらしい)

上からの指針なんだろうけど、避難や救援の実情にあわせたレベルの区分が欲しいです
あと、ぱっと見て判るようなドギツイ色で区分表示すべきと思う

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という訳で扇状地に近いトコだけでも図造って比較してみました

ぉぉぅ、ちゃんと古代の河道流れるんすね
中世(江戸初期か中期位まで)の河道は、、アレ?流れてるトコ大分違う
むしろ謎の流域流れてて、ますます謎が深まる

図をよく見ると黄緑線で流れが阻害されてそうです。もう中世の流れはしない

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流れを変えてる最大の要因は御殿場線鉄道堤です
流石明治22/1889年開業(当時、東海道線)で、
基本立体交差せず、踏切で越えてるんで、
川音川橋梁から国府津方 2.3㎞程は、堤防とも言える程の鉄道堤が続いてます

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R255陸橋から
鉄壁だと思うんすが、最大規模だと相模金子駅辺りからココラまで超えるらしい
上大井駅近くになると山裾に近づくんで、地面より若干高いんすが、差が小さくなります
けど、古代河道もハザードマップの氾濫域も山腹から離れるんで、
御殿場線の堤防効果もなくなります

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道路はキホン踏切、、なんすが、アンダーパスしてるトコもあります
概ね元河川橋なんすが、河川を地面下に流して、その上に道路と改造されてる
それ以外にも管や暗渠で御殿場線を潜ってる水路もあります

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最も大きいのは県道78号線が潜る河原立体です(1970年代~)
ハザードマップはこの手の開口部とか計算してるのだろうか

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国道255号は松田橋~高架橋~国道246号へと登ってくんで、堤防になるだろ、、
と思ったのに効果無い
現地確認に行ってみたら711(コンビニ)の辺りじゃ、周りと殆ど差が無い
ピンク線の辺りだと若干高くなりだしてる

ああ、そうか此処も扇状地で地面の方もドンドン高くなるんか
ちなみに、その関係で道路より左側(西側)の方が一層低い

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意外と気付かなかったんすが、東名の大井松田ICのゲートとランプ。
一帯が盛土された島になってるんすね。それで氾濫流が二分されてる

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島じゃなく本線に向かって陸続きだろ、、と思われるかも知れないけど、
ランプとゲートの間を県道72号線と旧道が潜るんすが、纏めて高架橋となってる
此処をふさぐ事できれば、洪水域は大きく変わるが、上流側の住民が黙っちゃないだろな

国道255号、ICから御殿場線跨線橋まで、計画規模の流れを制水してる風に見えるが、
現地でも「国道の方が若干高くなってる」程度で、
ソコラで古代河道は概ね和田堰で、堰沿いの方が低いから、
国道を越えないだけなんかも知れない

地図合成しなかった「もっと下流」は、
御殿場線の影響もなく、概ね旧河道を通ってると思われ
他資料も合わせて、酒匂川左岸として纏めようと思う

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2019/11/28

川音川沿い交通史

たからったさんの「埼玉発 おとなの小探検」で、ココラが取り上げられたんで、
ちょいと後回しにしてましたが、
小田急線台風被害の件繋がりで、川音川及びその上流川沿いの交通の歴史を纏めました

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昭和33/1958年の小田急線、川音川沿いを走りますが、
写真奥が寄入口、左に中津川、右に四十八瀬川の上流となります
右岸の国道246号は出来ておらず、左岸の旧道のみ
(昭和31/1956年に二級国道東京沼津線の指定はされてるけど、
旧道としては神奈川県主要地方道東京沼津線)

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川音川(及び上流)沿いの交通を全部書いたら凄い事になった

現在のメインは国道246号【オレンジ線】で、
道路として出来たんは、橋梁の架橋年から1960年代です
その前が旧県道【ピンク線】で、甘柿橋の架橋は昭和17/1942年までしか遡れてなく、
大正時代の地図によると一部別の道が設けられてたようです【緑線】
ちなみに、この間に小田急小田原線が昭和2/1927年に開通してます【紺線】

それ以前は江戸時代からの矢倉沢往還【茶線】が川沿いに進み、
沓掛から山道で曲松に登ってました
江戸以前は川沿いでなく、篠窪峠を越える山道で
稜線道が正しければ峠以上のピークを越えてた事になります

秦野盆地は西側が高く、神山(松田)から曲松(渋沢)へは、
どんなルートでも峠(?)を越える必要があります

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国道246号も、東の善波峠の方が高そうに見えますが、
実際には新善波トンネルの標高は160m位なんで、渋沢側の高台の方が標高が高いです

高台は四十八瀬川と金目川の分水界になってて、
一番低いトコは、小田急線の通る辺りで、
標高差は10m程度ですが、旧県道は何故ソコラを通らんかったんでしょね

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本題としては交通路と水害なんで、川音川沿い矢倉沢往還を描いてみました
明治地図から起こしたんで、江戸時代とは違うかも知れませんが、
数代の明治地図ですら一部ルートが変わっているという・・・
下流の新道は上茶屋という字名があるとおり、
新道造って旅行客の奪取が行われたんでしょね
(明治22/1889年に東海道線/現御殿場線が開業紫檀が大きいと思われ)

それは別にしても上流で川を渡る場所が変わってる
おそらく水害等で橋が流され、別のトコに架けざる負えなかったと思われ
(一部の道は現存してます。未レポ)

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当時の川音川筋の流れは、制水されておらず、自由に流れてたんかと思いきや、
店屋場公園の展示物が昔の制水を物語ってました

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読み難いんすが、なんとか解読。富士山宝永噴火後の水害に関する絵図なんすが、
なんと川音川部分だけでなく、四十八瀬川にも土手が設けられてました
中津川合流近くまで土手があり、内側は概ね水田と思われ
場所によってはソンナトコに土手あったんか!と不思議だったんで現代と比較してみたが、
考えてみりゃ当時の河道は違ったのかも知れません

宝永噴火以前から土手が設けられ、それなりに制水したから
矢倉沢往還がコッチになる事が可能だったのかも知れません

けど、沓掛から登らず、もちょっと先からなら、分水界の低いトコ、、、以下同

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大正時代の道は左上地図になります
特徴的なS字【赤線】は右上の航空写真でも確認できるので、場所的に此処と思われ、
現代地図【上中】にトレース【ピンク線】するとソレっぽい道に当てはまるんすが、
S字が1.25車線なのに、国道246号カルバートから先はホントに1車線しか無く、
古い航空写真でも車道レベルの確認できない
S字から橋までは別に川沿い道があったのかも知れません
(左岸は段丘になってて、航空写真でもグリーンベルトで別れてます)

大正期の橋のスペックが判れば、車道だったか判るんすが、今んトコ橋名すら不明
(堀西001/旧826の田頭橋辺りか?同橋は1959年木橋~)

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旧県道の甘柿橋も、昭和17/1942年以前が判れば良いんすが・・・
しかし、当時既に県道2号秦野御殿場線(S11/1936年)だっのに、木橋ですか
旧橋も既に神奈川県主要地方道東京沼津線(S30/1955年)だっのに木橋

(てつむしさんの「てつむしのブログ神奈川県公文書館記事中、
昭和39年度橋梁台帳にも甘柿橋/木橋の写真がある)

甘柿橋は結構重要な路線なのに、なんで永久橋化が遅かったんでしょね?

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甘柿橋または別の橋、調査で大正2年の神奈川県誌に、、、
河内橋【赤線】(寄入口)は載ってるのに、秦野橋(水無川)との間が無い
しかし河内橋、当時既に幅員4.53mあったという事は荷馬車等の通行があったと思われ

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大正2/1913年開通の十文字橋と同じ幅員です。よくある記載ミスでなければ

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続いて車両通行の鉄板となる全国乗合自動車総覧ですが、
松田-秦野間の路線があるのは足柄自動車KKのみで、
しかも開業は昭和2年。小田急線開業の時じゃないですか
上秦野・西秦野・平沢経由なんで小田急線駅間見越してかな

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それ以前~と資料を漁ったら、大正10年の神奈川県自動車案内に記載がありました
松田駅から乗合路線は関本のみなんすが、個別の行き先【ピンク枠】で秦野があります
国府津。二宮より安いんでソッチ周りじゃなく、旧県道ルートで行った筈
秦野側でも松田駅の便があるんで、そちらからも行き来してたもよう


肝心の水害被害は、宝永以後の近代で探してるんすが、良いデータが見つかってない
甘柿橋or別の橋の件といい、調査は引き続き行ってきます
(水害史と橋梁史は密接な関係だし)

オマケ
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川音川支流の中津川、川沿いに描かれてる道は現存しません
国土その他は目一杯、松田町の都市計画図でも一部描かれてますが、
実際に残ってるのはピンク線の部分のみです

キャンプ場の人の話によると、以前行われた堰堤工事【青】の為に造られたブル道で、
仮設工事道という事になります(注.本人が見たのでなく、当時の人から聞いた話)
工事終了で現状復帰、、はキャンプ場周辺が残ってるから違うんで、
普通に川の流れで消えたと思われ

なんでそんな道が地図に載ったんでしょね

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キャンプ場周辺に道が出来る以前の1961年だと、
下流域にブル道が出来てるのは確認できます
けど、こん時既に堰堤【青丸】は出来てるんで、堰堤工の為じゃなさそです

地図にあるように山腹に道造ったなら、現地や10年程度後の航空写真で
まったく確認出来ない筈は無く、ずっと川沿いだったと思われ
上流に出来た作業道【ピンク線】は以前写って無いので、そこら辺の為と思われるんすが、
この工事が何だっのか、、色々探してるんすが見つかってない




2019/11/27

旧飯泉橋トラス

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国道255号線、酒匂川に架かる飯泉橋の架け替え時の写真である
新旧橋(手前旧、奥新)が写ってる

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も少し判り易い奴で左上流側が旧橋、右下流側が新橋である
(銘板では昭和38/1963年12月竣功、歩道橋は最初無く、昭和47/1972年架橋)
旧飯泉橋、遺構旧道

旧飯泉橋トラス流用
そして旧橋のトラスは流用されている。山北町町道の安洞橋高瀬橋
安洞橋は現存してるが、高瀬橋は平成11/1999年に架替られてしまった

旧飯泉橋のトラス流用はまだある筈、、と探して

宮開戸橋1
秦野市蓑毛の宮開戸橋。ぉぉぅ、コレは!
宮開戸橋2
当初は 4.30mと幅員有り過ぎと思ってたんだが、全幅員ってアオリ含んでるんかな、
その後、別資料で車道幅員は 3.30mと判り、幅員OK!なんだが、
昭和55/1980年架橋、という事は飯泉橋架替から16年後。流石に開き過ぎ

名称未設定 2
しかも直前の昭和52/1977年に同じトラス橋の富士道橋が架け替えられてる
確認した訳じゃ無いが、多分コッチの流用と思われ

安洞橋・高瀬橋に架けられたのが昭和40/1965年なんで、
その頃に架けられたトラス橋をずっと調べてたんだが、流石に無い
(勿論、現存していない可能性も考え、その時代の資料も漁ってるが、
新規じゃない橋の資料なんて無いんで、地元史で架替のハナシを拾ってる)
幅員4mを割る橋なんて、かなりマイナーな道じゃないと利用価値がないからなぁ

半ば以上に諦めてたんだが・・・・・・・

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えっ、あったんですか?しかも山梨県に!
当サイトではお馴染み、たからったさんの「埼玉発、おとなの小探検」
以前、ボニーワーレントラス橋が山梨県にあったレポ(2013年)も見て、
「山梨県にはあるんだな~」と感心したんだが、
その素性を調べた処、飯泉橋の流用と判明。なんと山梨県上野原市に行ってた!

記事冒頭に西沢(泉)橋、不動(泉)橋、八米(泉)橋のリンク有り
(判明記事は「その5・最終回」)

流用されたのは、不動泉橋(1径間)、西沢泉橋(1径間)、八米泉橋(3径間)、
月見泉橋(1径間)と6トラス分ですが、
残念な事に月見泉橋は平成3/1991年に架替られ、現存してません
逆言えば、それ以外は現存してるという・・・
いつか(早いうちに)機会作って見に行こうと思います

たからったさんには、色々お世話になってますが、今回は非常に大変に感謝しております
(「その5・最終回」で文字通り小躍りしたんはナイショだ!)

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元が15径間ですから、県内で判明してるのが4径間分、山梨県に行ったのが6径間分、
あと5径間分、どっかに流用したんかな~

2019/11/23

新東名/秦野~御殿場工事の簡易的詳細

2019残区間

新東名の開通予定、
伊勢原大山IC~秦野ICが2021年度、秦野IC~御殿場ICが2023年度となった
ここらで一度、建設予定のアレコレを纏めてみようと思う

神奈川県内は秦野市/松田町/山北町それぞれの区間で地図造ってたが、
トータルで必要だし、静岡県側は真っ当なのが無い
(御殿場市の都市計画図には載ってるが、小山町は概略しか無い)

こりゃ困った、、と思ってたんだが、
道路系ニュースサイト「道路構造物ジャーナルNET」というトコで
中日本高速道路(NEXCO中日本)東京支社沼津工事事務所と秦野工事事務所の
インタビュー記事が載ってた
御殿場JCT~静岡・神奈川県境が沼津工事事務所(あと、駒門スマートICも)、
県境~秦野・伊勢原境が秦野工事事務所となってる

秦野工事事務所区間は、橋梁・トンネルの一覧(スペック、施工状況、施工会社)
各所の工事概要、航空写真など、非常にオイシイ内容

沼津工事事務所区間も、ほぼ同じだが、工事区域の結構詳しい地図が載ってて、
トンネル・橋梁位置も網羅されてる。これまた非常にオイシイ

ソレをそのまま持ってくるんでは芸が無いんで、合わせた地図がコチラになります

広域地図2

全トンネル、橋梁を一応網羅してる

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秦野区間のトンネル一覧(必要なトコだけ抜粋)一部詳細スペック不明だったんでラッキー
しかも施工状況が書いてある。記事の関係で2019年4月末時点だが
ちな、羽根トンネル下り線は覆工中となってるが、2019年8月に完了してる(現地確認)

bg.png
施工状況/四十八瀬川橋と溝之尾橋は上部工(橋桁)施工中(現地確認)

コチラは橋梁一覧、2021年度に開通する伊勢原大山~秦野区間は、全て鋼橋なんだな
2023年度に開通する秦野~県境はPCまたは複合
鋼橋の方が建設には早いがコスト高、PCは逆に建設に時間かかるがコスト安と、
見事に別れてる

秦野IC~県境、すなわち2023年度開通予定区間が、
トンネルは谷ヶ山と萱沼以外手付かず、
橋梁は仮桟橋、工事道路と事前工事でまだ本工事が始まって無い
(中津川橋、河内川橋、皆瀬川橋は橋脚基礎工には入ってるようだ)

沼津区間の一覧図も記事中にあるんだが、抜き出して無いし、
施工状況は全て「施工中」としか書いておらず、どんだけぇ~が判らん
御殿場JCT~御殿場IC間は高架橋中心なんだが、
もう1年以上見て無いので状況は判らず
最近見たんはR246から柳島、中島高架橋位で、橋脚から桁を延ばしてる

橋梁は出来具合見て判るが、トンネルはどんだけぇ~が判り辛い
伊勢原~秦野間の鷹取山トンネルも、去年大分掘れた話は聞いてるが、
なぜか情報が無い。一応今年度中に繋がる筈
松田・山北地区でも、その辺も注意しとこと思う

さて、ルート図の詳細(地図はあんなだが元はデカくて都市計画図等からトレースしてる)
が出来たら地質図と合せてみんと
県内は2016年に造ったが、結構雑だったな

今回は範囲が広域で、個別の紙図だと繋目が厄介なんで、
地質図Naviのシームレス地質図で造った。故に地質分類はちょい大雑把になる

地質図3
下側茶色/箱根山地と上側茶色(緑、紫)/丹沢山地の間、
かつて伊豆半島が本州に衝突する以前の間にあった海に堆積した辺りを、新東名は通る
(伊豆半島が本州に衝突し、その海の底が盛り上がってる。伊豆半島は現在も衝突中)
現東名「E1」が箱根寄りなのに対して、丹沢寄りかな

ここらはプレート境界で、それに基づくと思われる活断層があり、
箱根を囲むよう半円状になってるんだが、なるたけ旨く避けてはいる
塩沢断層(谷ヶ山トンネル、中島高架橋辺り)は、この道路の地質調査で、
詳しい事が判って来たのが嬉しい

断層、動いたらヤベエんしゃない?
と思われるかも知れんが、正直な話プレート境界由来の急激な断層活動があったら、
数キロ避けててもあんま変わらんと思う
さういう意味、万一の際はE1と共倒れになるんだろな

さいでも、南アルプスをトンネルで貫く暴挙に比べたら、大したこたぁねえと思う
(別の意味でwkwk)

2019/11/21

新東名/秦野IC(本線IC)

撮影日 2019年11月17日 秦野IC(ランプ~本線IC) の続き

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農道で工事用道路を横切り、小原トンネル上へ向かう【左下】
この工事用道路は小原トンネル上を走る市道/HS菖蒲031から、
小原トンネル西坑口付近へ降りて来る。造ってる時(2015年)に一度訪れてる
【右上】道路奥が小原トンネル坑口だが、Aバーが閉じてる

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農道を登って小原トンネル西坑口上へ
コッカら視認できるんは溝之尾橋と先の萱沼トンネル東坑口(一部)だけ

今回は溝之尾橋を見る目的があるんで、まぁよし
右側の上り線は普通の直線桁だが、左側下り線は若干Yの字形してる
下で見た時気付いたが、判り辛かったんで上から確認
溝之尾橋下り線の途中から、ランプウェイの分岐が始まってる

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農道を移動し、小原トンネル西坑口も見とく
とっくに貫通してて、工事車両の通行路になってる

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一応念の為があるんで、農道、、じゃない、
柳川010での一番高くて見通しの良いトコまで登る【右上】

工事用道路を横切るトコは昔市道じゃ無かったんだが、
新東名が柳川010(旧936)を分断し迂回路になったんで、
通って来たのは農道じゃなく、迂回路となった柳川010であった【左上】
地図確認するまで気付かなかった

で、その一番高いトコには石碑があった。道祖神【右下】
(后土神/地母神系で秦野には数件あるそうだ)

そもそもこんなトコまで道が続いてるんは、畑があるからで、結構広い【左下】

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見通しの良いトコから溝之尾橋越しの本線IC~ランプ
八沢008のカルバートと、その先にHS19を越える橋の橋台コッチ側が見える
そこら辺にランプ道が造られる訳だ。対象構造物が無いと判らん
よく見るとランプ道堤の左側は盛土が段区切りされてて、白い排水路まで設けてある
ソッチ側はランプ道堤の完成形なのか・・

もっと良く見ようと先に進む事は出来るんだが、近付くにつけ高さが低くなり、
見える範囲が狭まってく

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もっと本線寄りの方が見易いんだが、御覧の通りトラロープがずっと張り巡らされてる
ピンク線辺りは法面工されそうな雰囲気。本線沿いは側道でも出来るんかな

トンネル上、黄緑線が柳川010で、ソコ通って来た

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撤収する前に、周りの見通せそうな場所が無いか、、、
左手/黄緑線は以前行った。も少し上と探すも、稜線には菖蒲031が通ってるんで、
ソッチの方が良いだろう
正面/濁沢対岸の山で概ねのトコからは見てる。
斜面左側には菖蒲030が登ってて、ソコ行った事ないので今度、、、ただ木々多そ

11月17日巡回ネタは以上である
御存知の通り、伊勢原大山ICから秦野ICまで2021年度、
その先御殿場ICまでが2023年度までと、開通時期が別れてしまった

秦野ICからR246ランプまで、2021年度開通が必須になってしまったんで、
今回廻った地区はドンドン進んでくと思われ
(SAなんて完成せんでも本線さえ通れば良いんで大丈夫だとは思う。
高取山トンネルも今年度中の予定、、進捗は判らん)

新東名八沢地図s

一応、今回の周辺地図 拡大


2019/11/20

新東名/秦野IC(ランプ~本線IC)

撮影日 2019年11月17日 秦野IC(ランプ道) の続き

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いつもの八坂神社(跡)のルートでなく、隣の八沢008(旧932)を登る
新東名本線と交叉するが、その先に集落があるんで、通行は出来る

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この道に出来たんはランプ道を潜るカルバートだ。まだ通れず周りをぐるっと迂回
ランプ道は片側1車線の2車線道路だが、カルバートは随分長い
この上にされる盛土量が多い/台形堤になるんで、長くなるのだ

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カルバート迂回路の外側は、盛土が積み上がってる
コレが「単に積んであるだけ」なのか「完成が近い堤」なのか、よく判らん

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先に進み、本線交叉まであと少しのトコで東/厚木側が開けた
【右下】コンクリ縁の池みたいだ。イメージ図にあった調整池みたいな奴と思われ【左下】
池から北側に上がったトコに道路縁っぽい側が設けられてる【右上】
池をぐるりと廻って本線に至る御殿場方面ランプか?【再び左下】
その道路縁は進んでる八沢008より低い高さで交叉してる【左上】

イメージ図だと御殿場方面ランプは八沢008交叉辺りで本線に合流してるな
そこいらが本線の凡そ道路高か!

本線道路高はトンネルや橋がその高さだが、
実際にはソコに行けんので、体感して無い/GPS等で測って無い
小原トンネル~萱沼トンネル間では初の本線道路高体験である(凡そだが)

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【右上】GPS計測。ゲート位置、本線より若干高い
【右下】GPS計測。見た目道路側と同じ高さまで下がって
と、無事計測出来たんだが、改めて値見ると変だ。プラマイ誤差があるとしても、低すぎる

【左】図中、赤GPS値、紺地図読み標高
八沢008自身が標高200m位から登ってきてる途中なのに、それより低いとはオカシイ
ちな、緯度経度的にはかなり正確に出てる。高さだけ25m/43mも低い
(GPS2点の高さが28mも違うのも大きすぎる)
場所だけは正確にマークできたんで地図読みの標高値が正しい

さするにココラの本線道路高は概ね230m位か

GPSの緯度経度については、前にちょいと調べて理解してたが、
緯度経度だけで高さはおざなり、、、
ざっと調べたトコ、平面座標(緯度経度)に対して高度(標高)値は誤差が大きい
ぶっちゃけ数十mはよくある範囲で、100mズレる事もある
場所や衛星の数で変わるんだが、その状況を即確認できんので、
高度はあまり信用ならん、と覚えといた方が良いと思う

出先でも等高線のあるマップに緯度経度で表示させて、地図読みした方が良さげ
(ヤマレコなどでGPSルートを録るとマップテータから標高を再取得してるそうだ)

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八沢008と新東名本線が交叉するゲートと、ちょい上まで行ってみた

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ゲートから西/御殿場側は大久保沢の仮設橋の向うが八沢007【右上】
東/厚木側は八沢007から見た風景ももより見通しが悪く、平場と盛土しか見えん【左上】
少し上から盛土【左下】、平場【右下】を見る。あははは、サッパリ判らん

この道に来んかったのは、こういう事情で、
何か出来るまでは見れるモンが無かったからなのだ
今回、たまたま漲水池が出来てたのと、御殿場方面ランプ側が出来てたんはラッキー
此処が本線ICの西端って事になる

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続いて本線IC東端となる溝之尾橋へ向かう。桁が概ね架かってるのは知ってた

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現場着。桁は架かってるが、まだ仮橋脚が外れて無い

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階段付きの足場風と、単なる青の二種類の仮橋脚があるようだ

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橋桁は鋼の飯桁、間はすっぽり抜けてる。所々横梁は入ってる
鋼4/5径間連続合成少数飯桁、213/241m
と「少数飯桁」なんでコレで良さげ。この上に床版組んで合成桁になる、、、らしい

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東/厚木方

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西/御殿場方。コッチ側は橋の下をランプが横切る

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谷上流にループが出来るんだが、まだそれらしき土坑は行われて無い

溝之尾橋の橋桁が(一応)架かったんで、橋上の状況を確認したい
ついにアソコへ行く、、って巡回で書いちゃったじゃないか

小原トンネル西坑口上へ続く

2019/11/19

新東名/秦野IC(ランプ道)

撮影日 2019年11月17日 #1 の続き 前回 2019年09月08日

R246から料金所予定地を過ぎ、切通先のランプ道

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ランプ道が農道と交叉する地点・・・だが、農道は既に付替えられてる
廃農道となってしまったが、歩行者はまだ通れる

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廃農道はフェンスで行き止まり、脇を階段で降れるが、期待した程の展望は無かった
ちな、フェンスの先にあるのは付替えられた農道である

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付替えられた農道へ戻り、降るとランプ道沿いに出る。農道は降ってカルバート潜る
ランプ道先には秦野市道/HS77の付替えとなる橋が出来つつある

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R246方面を見れば切通で、掘り下げが進んでるようだ
脇には路盤っぽいのが出来てて、ランプ道初の「完成予定」地だ

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ランプ道/R246~本線間は真っ当な平面図が無いんで、イメージ図でご勘弁
元々、厚木秦野道路(圏央道厚木IC~伊勢原北IC~秦野中井IC~秦野西IC)の
秦野西ICに、新東名ランプが接続する予定が、色々々あって、暫定的に造らるんで・・・
R246~料金所付近/国交省関東地方整備局横浜国道事務所
料金所付近から本線IC/NEXCO中日本、と工事も別

R246から切通までは土坑で地形と違った道になるが、切通からHS19を越える橋までは、
自然地形の山腹を巻くんで、ここに道が出来ると予想・確認ができるのだ

平面図は無くても断面図があるんで参考になるかと思ったんだが、
コレ本当にランプ道か?R246をオーバーブリッジで越えるとか、厚木秦野道路じゃない?
図中Gランプが秦野西ICだとして、本線までは参考になるかと思ったが、
標高値が全然合って無い
「秦野IC関連事業」の図なんで、R246~本線区間として描いてある。オリジナルP

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HS77に戻って先に進み、付替え橋の現場【右下】。もう橋桁が架かってる【左上】

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橋桁はランプ道を越えて向う側に・・・カーブして下の現場口に向かってる??
【左上から右下へ】

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前回、【上左右】橋台1が付替え橋で、橋脚2と橋台3はランプ道とか言ってましたが、
1~3全部付替え橋でした【左下】 Oh!なんてこったい

だってイメージ図ぢゃそんな風になってたんだもん!
向う側の橋台が無いのはオカシイのに気付けよ>自分

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てな訳でHS77付替え橋は谷側に張り出して曲線を描く形になります
下の現場口辺りで接続するんで、HS77付替えとなるのは概ねこの橋区間

じゃランプ道はドコ通るかは、付替え橋と斜面の間のスキマ【右上】・・・

ぃゃぃゃ、此処でランプ道は現HS77と物理的(3次元的に)に交叉するんで、
斜面・道路も含めて削って通ります
ガードレールに赤白ポールが2本立ってるんで、多分ソコラ辺【左下】
【右下】その先は山腹にブチ当りますが、斜面の向う側は直ぐHS19交叉橋です

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HS77を降り切ったHS19川路橋
コチラ側の山腹は切り開かれ、
濁沢・HS19を越える橋の橋台~橋脚×2~橋台が一望できる

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滝沢・HS19を越える橋、それぞれの橋台と橋脚
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先の様子とHS19を進むと、脇の電柱が電工中だった。コレは経路を変えるパターン
振返り八沢007(至る旧八坂神社)の脇に真新しい鋼電柱(組立式)立ち並んでる

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八沢007、ランプ道交叉地点。此処の電柱取っ払うと思われ。鋼電柱はその迂回路
ゲートからR246側はHS19交叉橋の橋台(眩しい)、
本線側を見ると何か出来てる(ピンク!)

八沢007/旧八坂神社の新東名本線交叉はいつも見てるし、
萱沼トンネル工事を外から見ても(正直)面白く無いんで、
何か出来つつある一つ隣の道に行ってみる

≪続く≫

2019/11/18

新東名/秦野IC(R246)

撮影日 2019年11月17日 前回 2019年09月08日

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R246にランプ道の橋が架かった

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R246越えからR246接続(A2)まで、P2辺りまで桁が架かってる
A2には取り付きが設けられ、R246からのIN/OUTがピンク矢印の用に接続する

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R246を挟んで反対側も同様に接続道が造られるんだが、フェンスがあるだけ
ソコの工事看板では令和2/2020年1月末、3月末の工期になってた

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ランプ橋の反対側、A1にはまだ土盛接続されて無い

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フェンスの内側を見るが、コチラから見る限り何も出来て無い

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ランプ橋/R246交叉。コチラ(御殿場)側からR246で来ると、
上り勾配のせいか若干圧迫感がある。ホントに4.5m高あるんかな

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架かったのは鋼箱桁風で、3本

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イメージ図が近場に来たんで撮り直し
図でも判る通り、車線毎の桁じゃなく、上下線が通るんで、
箱桁に上部構造がくっ付く複合桁になると思われ

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交叉を厚木側から。太陽がまぶしい

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中を通る迂回路がまだ通れるんで、入ってく

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ここらは外側が覆われて無いんで、桁の様子が良く判る

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R246接続側の橋台A2にはカルバートが設けられてる
取り付きも出来て、埋めて盛土されると思われ

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部材が置いてあったが、コレは桁本体じゃなく、側板か【左下】
桁断面が見えるトコと探したら、P3辺りに箱が取り付いてた。鋼の箱桁【右上】

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堪能したんでR246渡ってHS77を登り、上から見通せるトコから
足元に造ってたんは厚木方面へのOUT線のカルバートだった
R246からは高台の上になるんで見えんかった

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HS77を登ってく途中の現場口【左上】
農道カルバートと降り道が形になってる【右上下】。
カルバートの向うでは重機の音がしてて、休日なのにご苦労様です
現場口付近は高過ぎるのか、ランプ道を掘割風に削ってる【左下】

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料金所現場口から【右上】切通を掘り下げてるんだが、丁度太陽がソコラなんで見辛い
向う【ピンク星】から下が見えるかと、ちょい行ってみたが崩れてる【右下】
なんとか見てみたが、斜面下なんで見えない【左下】

ランプ道編へ続く

2019/11/17

秦野八沢巡回

本日、秦野八沢方面への巡回へ

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の前に台風19号で被害出て数日不通となった小田急の現場
みやこ食堂Pから、木々の間から見えるんだが、イマイチ

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【右上】そこからブル道で河原へ降りれるけど、マッディだし第一マズイ
【左下】ちょい上流から河原へ降りる

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第二菖蒲隧道の渋沢側の護岸が被害受けた。とりあえずの仮復旧状態
【ピンク矢印】この架線柱がコケたんだが、川側が無いんで中央の仮柱で立ってる
【青矢印】こんなトコに暗渠があった

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そのうちちゃんと工事すると思われ
みやこ食堂Pの隅にでかいコルゲートが置いてあるが、コレ使うんだろか

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ちょい上流で河原に重機が降りてた
なる程、コルゲートで仮水路造って工事すると思われ

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さて、本題の新東名/秦野ICランプ
11月3~5日夜間工事でR246にランプ橋を架けた筈、、
【左上】コレじゃない【右下】コレね

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HS77からランプ橋辺り。R246の先の桁も架けつつある
ぉぉぅ、手前はそーなったのか

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HS77を進んで途中交叉する農道を見て、HS77付替え橋の辺り
ん~こうなったのか、予想と随分違った

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八沢に出て見回すと以前造ってたのが出来てる。カルバートだったんかい

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まだカルバートは潜れないが、その先、大久保集落へ向かう八沢008(旧932)を登る

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本線ICは盛土中で、まだ形になって無いが、下側の調整池は一応形になってる

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溝之尾橋は一応桁が架かってるんで見てく

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柳川のプライベートトンネルは閉塞されてる

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工事用道路を横切る農道で本線上へ

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小原トンネル西坑口の上に出た
溝之尾橋の辺りから本線ICなんだが、まだ形になって無い
小尾根の向うに見えるんが萱沼トンネル東坑口

本日はコレまで。各所の詳細は後程


2019/11/15

中世足柄河川、松田郷、寒田神社

酒匂川、昔の流路で迷走してた昔の酒匂川の流れ
中世については酒匂川資料で確認できた庄境説が有力です

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中世と言っても鎌倉時代から室町、江戸(初期~中期位)まで、500年程ありますから、
同じ流れが続いてた、という事は無いでしょうが、
大凡鎌倉時代はこの流れと見て良いと思います
(酒匂川は狩野庄と大井庄の間を流れてた。水色クエスチョンの部分は不明)

もち、堤防などの制水は未熟で、大雨が降れば流れが増えたり、変わったりしたと思われ

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他資料でも、その流れはありそなんで、後は地学的や旅行記的な確認が取れれば・・・

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それをリアル地図の「河川流路」に当てはめると、こんな感じ
酒匂川・川音川は凡そコレで良いとして、皆瀬川・尺里川の流れがイマイチ決まりません
水色のどちらか側か、現酒匂川の流路か・・・

中世足柄平野の重要拠点は、古代から続く足柄峠越えの中継地だった「坂本(関本)」、
古代から寺院が建てられ、足柄地方行政の中心と思われる「千代」、
後北条氏の台頭で発達した「小田原」、
波多野氏一族から派生した松田氏の拠点だった「松田」があります

その頃の松田の様子が判れば、皆瀬川・尺里川の流路が判るかも知れない

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ところが松田氏の事をいくら調べても、拠点だった松田郷の事はサッパリ判りません
寒田神社の近くに「松田亭」があった(場所不明)、
松田山の山腹に松田城(跡有)があった
合戦や城のネタはあるんすが、郷の方は殆ど文献に載ってない
松田城は本格的山城という程ではなく、亭から離れてるのも不思議な気がします
(惣領が本拠地なら、亭に近いトコに造るだろうがなんで庶子に?)

現在も地名として残ってる松田惣領と松田庶子についても、誰の領地とか不明
(文献で「松田筋」「松田西」という区分されてるのはある)
松田郷についてはこんなありさまなんで、もっと古い寒田神社の方を調べてみると・・

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建立については315年と滅茶苦茶歴史がある(奈良古風土記に記述あり)んすが・・・

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鳥居は一つのみで、外は直ぐ住宅地

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相模国の延喜式(延喜式神名帳)内社十三社の一つなのに
(足上郡1座小格(寒川神社/名神大以外全て小格))

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外から見るとあんなトコに鳥居。正面参道はありません

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というか、此処は既に酒匂川土手道
鳥居も一基で参道も無く、門前町も無い。一村のローカル神社レベルです

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昔はどーだったんだろ、恐らくこの辺が一番古い写真
外から見た目は手前に住宅が建った位で、雰囲気変わらないですね

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どーしてなのか、、
調べてみると寒田神社は承応3/1954年、酒匂川大洪水でほぼ壊滅してます
本殿は残ったのはラッキーだったんすが、
朱印地(幕府承認所領)の八分(80%)、神主家族、家、蔵、新馬、
禰宜(宮司補佐)の家宅流失。
本殿以外の建物、人命、土地の大半を失ってしまった
神職、禰宜の家屋敷も流失という事なので、本殿より下(川側)に宅地があったと思われ

こりゃまいった。酒匂川は松田寄りに流れて無かった。と調べてるんに逆の結果が

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だが拾って下さる。流石神様
その承応3/1654年の大洪水以前までは、一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居があったとな
しかも大正8/1918年報告書に以前の鳥居位置の記述もある
それによると、現在の鳥居より南側、約160間(290m)一の鳥居、
ソコから50間(90m)戻った二の鳥居、現在の鳥居より17間(31m)南に三の鳥居
(青アンダーと赤枠で二の鳥居位置が若干違う。次図は赤枠に基づいている)

それが大洪水で本殿以外全て流失してしまった訳です
恐らく門前にあった家屋敷と共に・・・

しかも、【緑アンダー】酒匂川本流が現在の流れになったのは享保12/1727年
寒田神社の前に酒匂川は流れてなかったと推測されるさうです
承応3/1654年は未曽有の大洪水だったもよう
神様ありがとぉー。懸念も解消され、酒匂川本流の流路変更時期まで神託されました!

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そしてコチラが図に表した一の鳥居~三の鳥居。左側がオリジナル

三の鳥居まである場合、多くが三の鳥居が神社内/外を分けてるんで、
道が横切ってたとすれば、三の鳥居の外に在ったと思われ
また、一の鳥居は参道入口に設けられるのが多いんで、
逆言えば一の鳥居の南側に道があった可能性が高い
(吉田島への道とされてるのは後期十文字の渡しのルートなんで、当時はまだ無かった筈)
以上、右側が推測される周辺

そして門前に神職、禰宜の家屋敷、朱印地の80%→1町2段(反)=11900平方m
(1.19へクタール、テニスコート45.6面分)恐らく田畑等が在ったと思われ

当時の坂本(関本)~神山(松田)の街道ルートは不明ですが、
寒田神社が立ち寄り所になってれば、門前はかなり賑わっていたと思われます

中世酒匂川は寒田神社の近くを流れて無いと想定してましたが、それは正しく
皆瀬川・尺里川も「少なくとも酒匂川流域」は流れて無かったと推測されます
当時の街道筋の文献とか見つかれば面白いんだが・・・


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先の図、参道が傾いてる風に見えますが、現在の本殿~参道・鳥居も同様に傾いてます

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あんま正確じゃ無いですが、凡そ7度位
その位の角度というと磁北かな、と思うんすが、正確な南北出すなら星の方が楽そ
傾きになんか意味あるのか?単なる誤差か?

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という訳で幾つかの神社の参道・拝殿の向きを調べてみたんすが、
箱根神社みたいに御山が御神体な場合は、それを拝むよう、向きが定められてるようです
(元々が古代の駒ヶ岳山頂元宮、現在の里宮が設けられたのは天平宝字元年/757年)

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左/相模国一の宮/寒川神社。寒川町宮山。しょっぱなから南西向きでなんだコレは?
公式には江戸の裏鬼門云々なんて言ってるが、1600年以上昔から江戸守ってたんかい!
(江戸幕府が開かれたんは、400年程前にすぎん)

右/二の宮/川勾神社。二宮町山西。古代には現在地より北方500m程の宮上にあった
現在の社は道路からの鳥居~石段、山門、内参道、社殿等建物ですが、
内参道はほぼ南北を向いている


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三の宮/比々多神社。伊勢原市三ノ宮
大山を神体山とし豊国主尊を祀ってるそうですが、
縄文の頃からの原始的山岳信仰まで遡れると推定され、東日本最古級の可能性があるそうな

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左/四の宮/前鳥神社。相模川沿い平塚市四之宮にある
菟道稚郎子命、大山咋命、日本武尊が祭神だが、菟道稚郎子命を祀る神社は極まれだそうだ
寒川神社に割と近く、角度は違うが同じように傾いてるのは意味があるんだろか?

中/平塚八幡宮。平塚市浅間町。
相模国式内社では無いが、国府祭に参加する相模五社に入ってる
祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰命
境内に諏訪社、若宮社、神明社、鶴嶺山稲荷社、平塚弁財天社、太子堂、浅間社を持つ

平塚の町並びはJR平塚駅を中心に若干放射状に広がってる
前鳥神社と平塚八幡宮はその町並みに沿っているので、それが参道~神社向きである
と言える
(現在は整然としてるが明治期はそれ程でもないが、若干片鱗はある)

右/六所神社。大磯町国府本郷
平塚八幡宮の流れで国府祭を催行する相模国総社
一の宮から四宮、および五宮格の平塚八幡宮の祭神を元々の柳田大明社に合祀し、
六社を祀ることから六所神社という
ハチャメチャな社と思われるかも知れんが、
元正天皇の勅により相模国神祇の中心として総社に定められてる
大磯国府という地と、絞り込んだ五社に、当時のドロドロしたモンを感じて面白い
参道向きは割と南

ヤバイ、山岳系以外全然判んね
山以外も海や川など自然相手だとソッチ向いてると推測できるが、それ以外難し過ぎる
特にいちのみゃゃゃぁ
てな訳で、寒田神社参道の若干のズレは、他社に比べればマトモに見える
(触らぬ神になんとか、、なんであんま掘り下げたくない)