2019/09/30

自転車保険義務化

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明日、2019年10月01日より、神奈川県でも自転車保険が義務化されます

神奈川県/神奈川県自転車の安全で適正な利用の促進に関する条例

基本的に県民及び県内に通勤通学してるモンは保険に加入する必要がある
(未成年者は保護者が加入、レンタサイクルは事業者)
小売業者は客の保険加入確認が必要となる。加入を勧める
県外者でも県内で自転車を利用する場合は対象となる

罰則は無い(保険加入を直ぐに確認出来ない為)(←じゃ駄目な気がする)

という訳もあり、仕事でも乗り回してるし、山からの下りは結構危ないし、
安全運転には努めなきゃいかんが守れてない気がするし、
年齢的に咄嗟に避けられない、等々あるんで自転車保険に入ってみました

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自転車保険として年間2000円位から上はキリ無し、1億円自分無し~各種あります
コレは内容の割に安くてWebで申し込んでコンビニ払いと簡単だったから

登録内容(証券番号、コース)、保険会社連絡先など印刷して
チャリバックの中に突っ込んで完了です
(自動車での事故を何度か経験してるんで、やっといた方が良い)

まっメットと一緒で御守りみたいなモンすが


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2019/09/29

川音川水害?

撮影は2019年9月

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川音川の堤防を調べるんに左岸の御殿場線/R255間堤防に来た(地図赤星)

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現在は黄緑線の堤防があるが、ピンク線が旧堤だったみたいだ【右下1952年航空写真】
河原農地の為に新堤を造った風
【左上】此処には店屋場公園というのがあって、こんな案内板があった↓

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「店屋場(てんやば)堤」の解説である。設置は松田町、大井町、県西土木事務所
右側は江戸時代の水防の歴史がざっと書かれてる

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川音川流域被害状況絵図/宝永6/1709年
川音川の資料は少ないんでオイシイと思ったんだが、色んな問題で読めない

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だが左上の航空写真(見えない)、何かの写真(よく判らない)とその解説を見て慄いた

店屋場上流付近の決壊(S30年頃)だと!!!
(図ちょっち間違えた)

昭和12年にヤバかった事はあるが、川音川が戦後に決壊したなんて事知らんかった
ぃゃ、さんざ歴史調べてるんで、そんな事実は無かった筈

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店屋場ってドコだ?今居るトコが店屋場堤なんで、近所とは思うが「上流」は何処?
明治地図じゃ判らん

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松田町図書館へ駆け込み、水害の件と字の件を聞いてみた

字の方は苦労したが「松田町皇国地誌残稿」の地図に載ってた
(元がかなりアバウトなんで、なんとか合わせたがズレまくってる)

御殿場線からR255辺りまでだが、もっと上流までかも知れん

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店屋場堤等詳細も発掘。これでちゃんとした堤防図が書けそ


松田町図書館では水害の件は判らんかった
記憶では伊勢湾台風(S34、開成町堤防一部崩壊)のと
昭和36年水害(酒匂川/報徳橋落橋)位っか思いつかんかったが、
そもそも堤防が切れたっうなら、災害起きてるだろ。不思議な

小田原市/デジタルアーカイブ/流失した報徳橋

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そのまま足柄上合同庁舎/県西土木事務所になぐ、、問い合わせに行ったが、
旧庁舎取り壊しもほぼ終わって、すっきりしたな。ぢゃない、土曜でもうやって無かった

1階ロビーの資料閲覧は出来たんで、松田土木のあゆみに書いて無かったかな~
見つからん

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こんな事もあろうかと、以前コピっといたんで、自宅でチェックするも
昭和30年代に川音川土手が切れたなんて話は載ってない(載ってれば見てるしな)

正直な話、戦後の災害史は詳しく無い
そもそも古い奴が壊れたってトコから調査してるんで、必然的に明治大正だものな

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横浜地方気象台が明治29/1896年から平成30/2018年の災害を纏めた年表があって、
災害の種類が「大雨、強風、波浪、高潮、霜、低温、雹、竜巻、雷、赤潮、小雨、大雪、長雨」
とバラエティに富んでるんだが、結果としてものすんごい数のリストが上がってる
絞り込みできんのが辛い、、サムネは昭和30年代一部(クリック大)

横浜地方気象台/気象災害年表

見つからんかった
ぃゃ、実は災害の元となった原因は載ってるんだが、堤防決壊と書かれてなゃ判らん

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最後の当事者、大井町。実際にゃ松田町の土手の件なんで載ってないだろ、、
と後回しにしてたら載ってた。しかも「決壊」じゃなく「半壊」かよ!(赤アンダーライン)

堤防はヤバかったが、なんとか水害は防げたらしい
ぃゃぁ、一時はどーなるかと思ったが、災害起きてなくて良かった

松田町図書館の皆さんにはご協力頂きましてありがとうございます
次回行った時、忘れて無かったら結果伝えようと思いまする

2019/09/28

鬼柳・桑原地区工業団地

撮影日 2019年09月27日

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仕事で小田原に向かうんにK711/酒匂縦貫道路をヘコヘコ走って鬼柳南交差点

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こないだから工事してるんは気付いてたけど

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卸売団地の方でも工事してる

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というか道脇に飯場も出来てる

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まじですか!

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卸売団地西交差点辺りにオレンジフェンスが出来てるのは範囲なんか?

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という訳で事業計画をググると

小田原市/工場用地(鬼柳・桑原地区工業団地(仮称))のご案内

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範囲だった!

区域は地図の赤線内
木工団地と卸売団地(正式名は卸商業団地)の間、田圃だった地域が工業団地になる



2019/09/27

小田原市/都市計画道路 栄町小八幡線

撮影日 2019年09月26日 前回 2019年06月02日

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数ヶ月動きの無かった現場だが工事が始まった

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R255側から

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材木屋さん跡地に土が盛られ工事車両が止まってる

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渋取川はまだ暗渠化されておらず、仮水路になってる
(水路なんで流れて無いが雨水も流れ込んで来るんで一応排水可にしてると思われ)

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小田原市道(以下OS)0015側では電気工事が行われてる
電柱の移設で、新しい方に仮引越しされ、トランス等設備に接続する処
工事中停電できんので、電気は迂回路を通ってる(生きてる)

停まってる車両、N社さんのトコだな。水道工事関係

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電気工事はまだ続くようだ

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シンプルな接続はNTTの電柱

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R255側を振り返るとOS2688上にある電柱(赤丸)も引っ越すようだ
コッチの方が古い経路(道路)だからカオスな接続だなぁ

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OS0015側に来た。歩道工事してるのは水道工事

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OS2246側。電柱の移設が終われば渋取川暗渠工事、道路工事に入ると思われ

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OS2246に工事看板が出てた
地震に強い水道工事は以前から市内アチコチでやってる
道路工事も年内に終わる予定


2019/09/26

AKIWORLD/OPEN DOUBLE STAND 取付

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7月にセンタースタンドの足が根元から折れ、無くても良いかな~
とそのまま使ってたんすが、やっぱ不便で新しいのを取ったんすが・・・

ちな、初代は標準付属品。3年ちょいで折れた、二代目アロイセンタースタンド取付の様子

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AKIWORLD  OPEN DOUBLE STAND、カパっと開いてチャリが自立できるスタンドです
一般的にはダブルレッグセンタースタンド、
一本足のはシングルレッグとなるが、わざわざシングルと表記するのは少なく、
単純にセンタースタンドとかキックスタンドなどと呼ばれてる

ダブルレッグの奴、幾つかチェックしてそれなりの頑丈さと安さに重点置いたが、
定番のGIZA(MASSLOAD)やスイスESGE(ちょっとお高い)の550g代より100gも重い
(っーか、その程度の差なんだが)
あと、20インチチャリで使えるのは多くない

届いて持った瞬間、マジでコレ付けるの?と悩む
二代目が244gだったんで、2.65倍だ

チャリは軽い方が楽だし、結構折り畳み移動するんで重いのは正直しんどい
調べた時点で重さはチェックしてたが、実際に持つとズシンとくる
通販だから買えたが、店頭だったら絶対買って無い(笑
雨損2野口英世ちょい

仕事等で結構乗るし、壁が無いトコだと置き場に苦労してしまうんで、やっぱ付ける

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Dahon/METRO は標準でセンタースタンド付きなんで、マウントが付いてる

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無い場合用の挟み金具と長ボルトが付いてるが使用せず、標準で付いてるボルト止め
コレ六角ボルトぢゃなく8mmアーレンキーで締める奴なんで楽
(二代目外すんに通常のレンチでは入らないのでボックスレンチが必要だが取付参照)

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さっくっと付いた。以前シングルレッグが付いてたんで違和感無い、、無くは無い

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最大の障害はスタンド収納状態で収納側のペダルが当たるケース。そーなったら走れない
実際に付けてみないと判らんが、アチコチのレビューは絶対参考にすべし

余裕で大丈夫なのか、ギリで大丈夫なのか判らんが当らん
ケイデンスセンサー、ヤバかったな(センサー側、少し前に持っていける)

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スタンドで立てるとこのようになります
マウントから生える基部と足が反チェーンリング側にあるんで、ソッチ側に多く出る

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故にスタント立時、チェーンリング側のペダルは当たらんが、反対側は当たってしまう
スタンド立でメンテとか考えてるなら、其処らの考慮も必要
(力技としてマウント穴を扁平にドリルってオフセット付ければ行けるかも自己責任)

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チャリ種別の高さ調整は、足の樹脂部止め位置で行う
最小の20インチなんで一番短い位置固定(デフォ)。この状態で後輪が僅かに浮く

ダブルレッグ両方地面に付いてる方が安定するんで、片輪が浮く状態が基本
高さ調整を延ばせば、底辺の足間隔が広くなるから安定が増す筈
足延ばして後輪をもっと浮かせた方が、自立の安定は増すかも知んない

(足はパイプでなく棒なんで、調節範囲内で切ってネジ穴開ければ、軽く出来る自己責任)

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スタンドの出し入れは、しゃがんで手で、、
じゃ面倒なんで足でヒョイとやってみたら結構簡単
サドル持って後輪を若干上げる必要はあるが、普通のキックスタンドの要領でイケる
(レッグ2本共という形で動かす必要は無い)
たんだ、開閉のバネの力は結構強いんで、サンダル履き素足なんてお勧め出来ない

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ダブルレッグの足の間隔はこんなモンなんで、ちょい傾けると倒れてしまう
足の出の関係でチェーンリング側に倒れやすいかな

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とはいえ、斜面でなきゃ多少の傾きは平気だ
649gもあるが、基本チャリ分の耐荷重にしか耐えられない筈
スタンド立ちの状態で乗車すれば、壊れる可能性が高い

後は輪行の際に後悔するだけ(悲



2019/09/25

御殿場線 他橋梁 単線Ver #2

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#1で酒匂川と流域の橋をチェックしたが、鮎沢川側の橋も見とく

代表的な相沢川橋梁の第一から第七があるが、
第一から第三までは単線区間なんで、そもそも複線形の橋台・橋脚が無い

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その単線区間
現在の国道246号沿いの旧上り線は明治22/1889年に開通し、
明治34/1901年に旧下り線が開通、複線となったのだが、
昭和18/1943年に御殿場線が単線になった際、旧上り線側が廃止
昭和28/1953年まで橋桁等は残ってたが、現在は橋台遺構を残すのみである

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さいでは第四相沢川橋梁、って遠景の写真っか無い
近くの河原まで降りた事はあるが、橋自身までも行ってない。今後の課題だな

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続いて第五相沢川橋梁
静岡県道149号竹之下小山線沿いにあるし、ネタも豊富なお馴染みの橋
見た目も中身も複線用の橋台・橋脚だ
だって複線化後の大正4/1915年生れ、この橋は単線時代を知らない

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関東大震災で全壊に近い被害を受けた
国府津側下流にある旧線の橋台が生き残ったのが不思議な感じがするが、偶然か
その旧線の橋台、震災の影響か上下線がズレてる・・・ぉぉぅ、単線由来の橋台だ!

明治22/1889年単線開通は皆同じだが、
小山-沼津間は明治24/1891年に複線化されてるんで、
第四と第五の間には複線化に10年の差がある

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第五相沢川橋梁の新旧線とは、大正3/1914年水害によりここいら辺が被災
旧線は鮎沢川に呑み込まれ路盤のあったトコは川になってしまった

仕方ないので山側へ新たな線路を引く事となり、
とりあえずの仮復旧単線を造ってここらを単線運行※しながら新線を造ってたんだが、
再び水害で大変な目に合いながらも、なんとか新線を開通させた区間である
※(仮信号所が設けられ、複線-信号-単線-信号-複線の単線区間閉塞)

第五橋梁も旧が105ft(約32m)で、新が70ft(約21m)二連と、
場所も長さも違う橋になった
(旧/プラットトラス上路1連、新/プレートガーダー二連

水害の時と復旧工事の写真 旧線探訪(10年前なんですっかり様子変わってます)

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第五の直ぐ上流にある第六相沢川橋梁。どう見ても複線用に見える
基本構造は第五と同じで、新線化の際一緒に造られたのか
(上の図にも書かれてるが、第五は径間が変わってるのに、
第六は60ft(約18m)二連のままのようだ)

なんとなく第五より新しい気がする

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第六相沢川橋梁の上流側には無駄に広い余地があって、
水害新線は第六のより向うからで、第六も第五と一緒に新設されたのか
と悩むトコである

第六の古い写真は震災報告書位しか見た事ないんで、も少し情報を集めんとなんとも
(震災で橋台に亀裂、橋脚もズレてるんだが、現在の物と違う気がする)

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最後の第七相沢川橋梁は足柄-御殿場間の此処がその筈・・・
すまん、近く(旧足柄街道)は何度も通ってるんたが、一度も直に行った事が無い
川岸草っ葉が激しいみたいなんで、時期を見て行こうかな、とは思ってる

なんてこったい、単線開通のネタは第五相沢川橋梁の旧線橋台しかない

明治大正の水害でかなり被害受けてるんで、
そもそも明治22年開業時の橋台・橋脚がの残ってるかも怪しい
水害時の被害も洗い直す必要がありそ


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第三酒匂川橋梁の沼津側、第三箱根隧道/国府津方坑門の土砂をどかしたんか・・・
と思ったが橋下の土砂量が半端じゃない
埋まった第三・第四隧道の土砂をトンネル通って橋で投下したんか?

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その第三酒匂川橋梁の沼津方橋台の下から
複線型橋台と思いきや、上下線で前面位置も高さも違う
(旧上り線橋台の側面レンガがちょろっと見える)
旧下り線側が後から造られたのは間違いなさそ

けど上下線で桁も微妙に違うって事なんかな

2019/09/24

御殿場線 他橋梁 単線Ver #1

御殿場線第2酒匂川橋梁 単線Ver で第二酒匂川橋梁の下部(橋台・橋脚)は
明治22/1889年の開通時には単線用サイズで造られ、
明治34/1901年複線化の際に複線用橋台・橋脚として改築されたようだ

他の橋梁はどーだったんだろか?

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「鉄道工事設計参考図面」には尺里川橋梁も載ってる。コチラも単線用だ

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鉄道震害調査書では複線橋台・橋脚が掲載されてる
先の図と形状が一致してて上下線で別れてるんで、
尺里川橋梁も単線用から複線用に改築されたのは間違いない

第二酒匂川橋梁は山間部なんで「上下線を分ける可能性」なんて言ってたが、
山北~東山北間の開けた場所で上下線分ける可能性なんてあり得ない

こりゃ「単線でとっとと開通させる」為か「予算が無い」のどっちかだよな

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現在の尺里川橋梁は、、、見ての通りボックスカルバート

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古い写真でも尺里川橋梁の姿を見た事が無く、
昭和22/1947年航空写真でも橋梁ぽく無い

早い時期、ひょっとしたら震災復旧でこーなったと思われ
旧橋梁はどんな姿だったんだろ、、多分ガーダーだとは思うが

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山北駅から御殿場側。山間の入口となる皆瀬川橋梁

此処は「複線用」として造られてるのを見てるんで、
山北駅に近いんで最初から複線用として出来た。と思ってた

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下部(基礎)はコンクリ(中身不明)だが、本体はレンガ積み

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やはり複線用として、、、ってよーーく見るとレンガ繋がって無い(ピンク枠)

えええっ、当初単線用として造られたんかい!

境が偏ってるが、角石の無いレンガ積みなんで、下が太い形状してる
恐らく左側(北側)が先に出来てて、右側を付け足したと思われ
構造的に大丈夫なんか?
(震災で多少被害受けたが、レンガ積みが残ってるのは珍しい方なんできっと多分大丈夫)

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第一、第二箱根隧道を挟んで第一酒匂川橋梁
目の前が旧下り線橋台で、となりの旧上り線(現行線)と橋台位置が全然違うが・・・

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第一酒匂川橋梁は(御殿場線の歴史としては)ついこないだ新しくなった
旧上り線側を橋台から大改修し、新調した平行弦ワーレントラスが架かる

旧橋梁は古い写真を見ると複線仕様のようなんだが、
細かいトコが見れる写真は無く、単線用を改築したかは判らん

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震災の時の被害写真とかで判らんかな・・・と思ったんだが、
ココラの橋梁は殆ど無時で、第一酒匂川橋梁も橋脚が下がるなどの被害は出たんだが、
他の「壊滅的被害」に比べれば軽微なんで、図も写真も無い
(トンネルは被害多々、
特に第三・第四箱根隧道間は土砂崩れで間にあった橋梁事呑まれた)

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多少の被害はあれど橋桁落とさんかったものなー。流石!
(とはいえ水害での被害は多い)

あ、静岡県側に被害甚大の橋梁があったっけ・・・あの子は別だけど一応
≪続く≫

2019/09/23

御殿場線第2酒匂川橋梁 単線Ver

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電化される前の第二酒匂川橋梁、奥に見えるのは第二酒匂川橋梁
この時代は旧六郷川橋梁のトラスを使用していた
複線分残されてたが、旧下り線側を使用

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第二酒匂川橋梁は、東海道線として明治22/1889年に単線で開通
明治34/1901年に複線化される

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単線として開通した頃の第二酒匂川橋梁。ぇぇぇっ、橋脚が複線仕様ぢゃ無い!
ぃゃ、ひょっとしたら別のトコの写真を間違って、、、

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と思って色々調べてたんだが、下部/橋脚・橋台の資料はタネが少なくて情報が足りない
コレだって明治27/1894年の資料で、当時単線だったんたが、
橋梁としてのサイズ、橋台・橋脚の形状とかはあるんだが、
下部が単線サイズとは書いてない

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モンモンとしてたんだが、ついに見つけた
実際の施工図ぢゃ無くプランらしいが第二橋梁、単線の橋台・橋脚の図だ
(径間100ft(約30m)、全200ft(約60m)と2径間、すなわち第三と同じく橋脚一基)

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実際の施工は3径間の橋脚2基となった訳だが、
現在の複線仕様で造られ、、、、て無かった写真があるんだよな
じゃ単線用として造られ、複線化の際に改造されたんか?

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第三の復旧切替工事で、複線仕様橋脚が上流/旧上り線側だけ流された
というんは、複線用として造られたのが半分だけ残ったにしては綺麗過ぎる
単線仕様で造られたのを複線仕様に改造され、片方だけ壊れたのでは?

第三橋梁沼津側直ぐの箱根第三隧道は
上り線が明治21/1888年、下り線は明治31/1898年建設となってるので、
上り線側の方が古い
第三橋梁も下り線側が後から付け加えられたんだが、
橋脚も単線用を複線用に改造し、古い側が壊れた。と考えられる

最初っから複線用として造る方が合理的だが、
箱根第五隧道~第三相沢川橋梁間のように並べるのは工事上難しく、
単線開通後「上下線を分ける」形で施工される可能性もあった
と考える事が出来る

第二、第三橋梁下部は同様かも知れない

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複線化の資料とか有れば良いんだが、まだ見た事無いんで現地調査
第二酒匂川橋梁は電化、、じゃ無くその前に旧上り線側を使うよう、変更されてる

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桁変更時の写真があった
架線工とかまったく見られないんで、電化前なのは確か

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Wikiによれば第二橋梁の現在への桁変更は1965年に行われたとなってる
1967年の航空写真では第二/上り線、第三/下り線を通ってて、
橋梁間で上下線の移動を行ってたようだ

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とおっ!と河原に降りて来た。方向は橋上と同じで沼津方を見てる
二脚のうち、沼津方の橋脚は水位目盛りが両面貼り付いてるんで判り易い
(アーチ下流側のレンガも流失してるが)

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国府津方の橋脚を川央側から見てる
2つのアーチ間が継ぎ目の筈だが、石積みの下部にスキマが生じてて、
上に続いてる気がするが、気のせいかも知れない

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反対側、川岸側から見ると、確かに石積みにスキマが生じてるようだ
上に続いてて草も生えてる

石積み上のレンガ積みは上下線が続いてなく、石積みが境になってる
コレって角石の部分を積み直したんじゃないか?
その上の平石も境のトコで継ぎ目がある

反対側は草で見えんが同様と思われ
(別写真でも隠れてて、丁度ソコから生えてるみたいだ)

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続いて沼津方の橋脚、川岸側から
石積み上のレンガ積みは、国府津方と同じく石積みが境になってる
下の石積みは境が判らん

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沼津方橋脚を川央から
レンガ積みの境は同じく。下の石積みの境は、やっぱ判らん

・・・当時は橋脚複線化改造なんて知らんかったから、そんなトコ注目して無かった
とはいえ、写真拡大しても判らんので、知ってたとしても見つけられんと思う
積まれてる石が違うとか、積み方で判る程のスキルも無いし

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続いて橋台も見てく、国府津方。上のレンガ積みは橋脚同様境がある
下の石積みは植生が激しく、殆ど見えない

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沼津方橋台。レンガ積みの境もあるし、そっから下のピンク矢印まで
縦方向に所々スキマがある気がする。草生えてるし
(別角度写真で確認したが、石積みに生えてるのはソコだけ)


写真も資料もあるんし、現地もソレっぽい処あるんで、
単線用として造られた下部工(橋台・橋脚)を、複線用として拡張して使ってる
というのは、ほぼ間違い無いと思われ

上下線のドッチが先か、は第三みたいにトンネルが直近にあれば判るが、
第二橋梁は離れてるし、両側曲線あるんで判らん

後は複線化の資料が出て来る、とか、壊れた時(ヤだなぁ)とか、、

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ぃゃぁ、御殿場線もまだ知らん事があったんだなぁ
と締めようとして、まだ先がある事に気付く

2019/09/22

旧川音川を探せ+

旧川音川800

現代地図にマークしたの揚げるを忘れてたんで。序に加筆とか修正とか
大き目画像なんでクリックすると大きくなる筈

松田惣領-神山

現住所の区分をチェックしてたら松田惣領と神山の境って変になってる
川音川左岸に松田惣領の飛地があり、古い航空写真だと土手の跡っぽいのも見える
それでも飛地域は変なんだが・・・・


今月、妙に忙しいと思ったら10月から消費税が値上げするんか(違っ
表向きまったく暇が無い

2019/09/21

旧川音川を探せ

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文久橋から見た川音川上流

平べったい山頂の頭高山方面から足柄平野に流れ降って来るんだが、
現在の川は流れを人工的に変えて此処になった

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酒匂川治水の初期、文禄~慶長年間の築堤から始まる土手等の整備により、
平野中央を流れてた酒匂川は松田山に当る流路に替えられた
その流れを制御するんに、川音川も酒匂川にブチ当たるよう、瀬替えが行われた
・・・酒匂川の治水とセットの筈なんだが、川音川の整備についての記録は殆ど無く、
瀬替えが行われた時期等は不明である

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一番詳しそうな「酒匂川の沿革と氾濫の歴史」でも川音川の瀬替えは書かれてる
たんだ神山土手等が築かれる以前は左岸寄りを流れてたらしいのと、
西川(皆瀬川+尺里川)は松田寄りに流れて無かったらしい

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ちなみに川音川が足柄平野に出て来る場所は、その扇状地となっている
標高66mの篭場橋から1.5㎞程の酒匂川出合は標高46m程と、20mもの高低差がある
川音川はその急勾配を流れ下るのだが、扇状地なんで水量が少ない時期は水無川となる
河川水量的には酒匂川を制するような流れでは無いとは思うんだが、
出合下流の堆積を見ると、川音川からの土砂がその役割を果たしているのかも知れない

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先程の扇状地は地質的にで、地形的にはも少し広い
その地区の地形陰影図を見ると数多くの微谷が形成されてるのが判る
扇状地なんで、幾度と流れを替えて形成されてったんだが、目立つ谷もある

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詳細な標高図で細かいトコなどもチェックして、旧河川の位置を探る
R255、K78、K711、東名ICなど、大規模道路により
地形が変更されてるトコもあるので、それらは省く

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金田村、曽我村の土地宝典を調べて字名を見てみると、河原字がアチコチにある

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それらを踏まえて推測するに、旧川音川はココラを流れてたようだ
酒匂川も現在位置でなく、旧河道を流れてた可能性が高い
(酒匂川筋についてはまだ調査の途中)

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旧々川音川は「酒匂川の沿革と氾濫の歴史」にも古代川音川として書かれてる
古代に河川が流れてたのは確かなんだが、川音川だったかどうかは確認出来て無い
(菊川を始め、曽我丘陵から流れて来る小河川は結構ある)

問題は「?」の流域で、金田村字新河原を通ってるのが意味深
旧川音川から新川に切り替える間に、一時的に流れてた?
そもそも川音川瀬替えさえ不明なので、確認できず

も一つ気になるのが、松田-大井の境付近を流れてる
そもそも松田と大井の境って、なんで此処なの?
松田側が川音川の瀬替えで離れ離れになってるとしても、
集落内の金田村(現大井町)金手と松田惣領(現松田町)町屋の境
にはコレといって明確な何かがある風に見えない

旧川音川とか、現川音川が境なら判るが

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そこらも踏まえて明治迅速図に旧河川を描いてみた
ちな赤線はかなり古くからある街道で、ピンク線は割と新しい街道(の筈)

川音川新旧の別れは現川がカーブしてる小田急線橋梁辺りにしてるけど、
街道的に見るともっと左岸寄りで良いかも知れない
旧川音川・旧々川音川は古街道と重ならないと思うんで、迅速図の精度が悪いんかな

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微谷=河道として線引いてたけど、実際には流域はもっと広かった筈
土手整備など微々たるモンだったろうから、「字河原」はマジに河原だったと思われ

旧々の方はまだ調査必要だが、旧川音川については概ね正しいと思う
瀬替えとか土手普請などの資料が出てくりゃ良いんだが・・・