2019/08/31

さよならYahooブログ

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ブログデータは2019年12月15日まで残るそうですが、
書き込み等は2019年09月01日から出来なくなりますので、実質今日が最終日です

Yahooブログのサービスから引越し機能を使うと、期日までデータは残るそうなんすが、
一般には見えなくなり、それじゃ面白く無いんで、

FC2ブログ側からの引越し機能を使いました
これで期日まで残滓として見える筈です


GeoCities (無料HPサービス、2000年3月にYahoo!ジオシティーズ、2019年3月31日で終了

の時も思ったが、

有象無象多々あったが、それがネット界から消えてしまうのは誠に残念です

今回のYahooブログ廃止も、管理者さんが不在で貴重なデータ/記録が消えてしまう

所詮無料サービスだから仕方ないのかも知れませんが、

無料であるが故の自由な、ある意味貴重なネットの歴史でもありました


私もトコも2018年に開設して11年間

一地方の偏ったこんなサイトにも、65万もアクセス頂きましてありがとうございました

引越し先のコチラでも、非力ながら続けていきたいと思います


まずはデータの修正終わらさねば・・・




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2019/08/28

新東名、全線開通が2020年度から2023年度に延期

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中日本高速の建設情報では変わってないが・・・

02.jpg
新東名の開通予定が変更になった
御殿場JCT~伊勢原大山ICの開通が2020年度から、ブロックが細分化され、
御殿場JCT~御殿場ICは当初のまま2020年度、秦野IC~伊勢原大山ICが2021年度、
御殿場IC~秦野ICは2023年度、となった

中日本高速道路株式会社/ニュースリリース/2019年08月27日

ええっ、2020年開通予定が遅れるんかい!

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ぃゃ、知ってた。山北とかは令和5/2023年、平成34/2022年まで工事続くから
クマタカは痛かった

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秦野ICまでは平成33/2021年位にゃ終わる。ような気がする
(橋の下部工は橋脚までで、橋桁とかはその後なんで、まだ完成じゃない)
個人的には秦野SAの完成と遺跡発掘、どっちが先に終わるか興味があります

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まだまだ発掘は続く

06.jpg
工事の方も色々問題あったようで、中津川橋が中々進まないのはそういう訳か・・・

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あ、やってたな~

という訳で、関連現場レポは今暫く続くようです


2019/08/28

引越し完了しました

Yahooブログサービス終了の為「自転車放浪記」をコチラに引越ししました
歳の為、以前のような活発な活動はしんどくなってきましたので、
「足柄縣ブログ」として細々と継続してくつもりです

以下の記事は「自転車放浪記」から引っ越したデータです

追記.
完了とはいえ、画像の一部、旧ブログ内リンクなど、
直さんといかん部分は多々あり、
そこら辺はボチボチ修正してますんで、そのうち正しくなります(目標年内)

2019/08/19

今後の予定

現ブログデータを引越し先に転送するんすが、
ちょいと色々問題があって、現ブログの画像関係のリンクが一部オカシイようです
Yahoo側の問題ではなく、出来るモンだから色々やってしまったのがイケナイみたい
とりあえず画像のリンク等もチェックせねばならず、暫く時間がかかります
記事中の画像リンクが一時的に変になって表示されない恐れがえりますが、ご了承ください

という形で現ブログのデータは保存先に持って行きます
ただ、今までの「自転車放浪記」は一旦終了します

以前は1日かけてアチコチ出かけられたんすが、此処数年はそれも出来ず
時間に追われてるというのもありますが、やはり年齢的にチョイ難しくなってます
仕事も含めて今後の進め方を検討し、出来る事を出来る形で…とは思ってます

近況とか再開は引っ越し先の方で判るようにします


まずは移行を終わらせねば・・・

2019/08/17

データ移行に伴う表示問題があります

Yahooブログ終了の為、既存データを引っ越し移行を行います

通常記事に使ってる画像は非表示記事になっていて、通常は表示されないのですが、
データ移行の為表示せねばなりません

通常記事の合間に画像だけ記事が入りますが、御容赦ください

2019/08/15

酒匂川古代史 #6 黒歴史を紐解く

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/74/33909274/img_0_m?1565986080

古足柄湾を御存知だろうか?名称的には古酒匂湾、古小田原湾と呼称される事もある

画像を見てお分かりと思うが、足柄平野は古代において海だった。という話である
実は私もそう思ってた時期がある(昔なー

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/74/33909274/img_1_m?1565986080

まだガキんちょだった頃、近場の野山は探検の場所だった

ある日、穴部から登ると諏訪の台地に出た
海側には何かしら小山があったりして、覗き込むと古墳云々と札が付いてた

当時考古方面は明るく無く、後日学校の図書館等で調べると、
久野諏訪ノ原は古代人が住んでて、南側には古墳が並んでいるとな

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/74/33909274/img_2_m?1565986080

今回古墳の位置を確認するんで資料を見たら、、えっ、こんなにあるの?
連続地図【赤丸】【ピンク丸】の古墳は同一

【赤丸数字】が振ってあるのは名称が付けられてるナンバーズだ
当時、というか、コレ見るまでこんなに増えてるとは思わんかった
白半円は公図に載ってて、恐らく失われた分と思われ

右端に発掘場所になってるのは足柄駅傍の東電変電所の上だ。結構広い
ブルーシートがかかってたんで何かな~と思ったが発掘だったのか

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場所の確認するんでリアル地図にトレース
げげっ、こんなにあるんか。これでも失われた分は入って無い

一部なんて重ならんギリじゃないか
ナンバーズは3~5m位の円墳なんだが、その他は流石にそんな大きく無いと思う (あったら気付く)
2m以下、殆ど土饅頭かな

ぃゃぁ、そこいら辺、夜行きたくないなぁ。人通りなどまったく無いし
こんなに増えた、、最近、新しく出来た、とかじゃないよね?

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話を戻して、当時見つけた本はお子様向けなんで、古代人が高台から海を眺める図があった
「昔は今より高いトコまで海がありました。古代の人が住んでた高台は海の近くだったのです」
的な事が書いてあった

その本やらが見つかれば良かったんだが、残念ながら古い教育関係って結構処分されちゃうのね
画像はイメージだが、久野諏訪が海近く、、って結構難しい
下の谷が湾になると格好良いんだが、古墳がかなり水没してしまう

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/74/33909274/img_5_m?1565986080

地学関係に目覚めたんは、昔さんざ言われた「小田原地震は明日来る」

1633/寛永小田原地震、1703/元禄地震、1782/天明小田原地震、
1853/嘉永小田原地震、1923/関東大震災
と70~79年周期で来てるから、次は1993~2002年だそ。と言われてたが残念ながら来てない

そもそも上の地震リストが「近場だが発生源が別モノ」なんで、根本的にお話にならない

周期説も、プレート境界型ならまだしも、ここらのヒビ割れだらけプレート末端破断域は、
過去の地震は宛にならんと思うが、
一応上の周期の件はそれぞれの周期を持つ地震が起きてるんで、ちゃんと計算は出来る
(なのに今だそのままの論理で危ないという人の根拠が判らない)

てな訳で地元の地層とか断層とか、その手の書籍資料は、一通り目にしてるわけだが、
流石日本トップクラスの活断層やプレート境界があるたけに、その量は半端なく、
技術的にも逝っちゃってるんで、付いてくのが大変だ

時折、有効な資料とかあると、こんな風に手入れて理解の糸口にしてる
この図が、足柄平野の地質等一番詳しいと思う
過去のボーリングデータをも纏めて、全体の地質を3次元図にしたんは素晴らしい
時代ごとの層も判り易く、過去にあった出来事がどう地層の残ってくか、見てるだけでも楽しい

今回注目するんは堆積物の泥層なんで、そこだけマーク(ホントは砂層も生かしてるんだが目立たない)
その他無マークは砂礫とか火山砂礫、火山灰で、今は関係ない

泥層が堆積するんは川周辺で、圧倒的に下流側に多い
現酒匂川(あくまで現)の縦断面があるんで、それを見れば下流域に泥層が貯まってるのが判る
地層に描いた青線は縄文海進前後境で、線下側が「海面が高かったピーク」になる

線上の「海進後~今」と比べると、泥層がちょい上流まであるんが、海水面が高かった跡
堆積物が海のモンか山のモンか、細かいデータは無いんで「ここまで海」は判らん
その向きには海岸線近くまでのデータが無いと難しい

ちなみに、#4謎説の堰き止めも、万年単位で流れ変わってたら地質に残るんで、
起きなかった証拠としても有効だな

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そうだよな、足柄平野が海だった。なんて何かの間違、、、、、、、、、、、、ぉぃ!

地学的には生き残って無いんすが、どっかでは健在のようで、時折見かけます
関本は確実に海の下だったそうで、資料によっては山北も危ない (標高的にはかなり違う)

特集酒匂川物語は流石です。縄文時代と時期を明確にし、学術的に云々はオモシロイ
年表は弥生時代の遺跡から書いてあるけど、此処に縄文遺跡が書いてあったら笑える

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あと開成町は過去海の下だったのは当たり前のようです
個人的は名字や地名の由来はあるとは思うが、数千年前から、、っうのは難しいと思う

地球博物館でヒットしたんは驚きましたが、直接関係なさそなので良かった

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古典資料にも「古酒匂湾」は載ってて古街道系の人が時折コレにハマります
古代道が足柄峠を通ってたんは、、と是ネタにされても時代違うんだけど。そもそも間違ってるし

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どうして間違ったんか?は、「縄文海進で海水面が100m上昇した」からです
「縄文時代海水面が100m高かった」も同様に正しいです

問題は何時から/何時と比べて、が抜けてる

図は「現在の海抜0m」から100mアップした「古足柄湾」の様子
山北は100mちょいあって届かないんすが、海進は100~150m位説の幅があるんで、余裕です
その他市町村は確実に海の底です
全ての「湾」の話に適合するんで、コレですね

正しくは「氷期で海面が100m下がってた」が戻った
そん時ちょい高めに。その後ちょい下がって現在に至る

ホントに湾があって、縄文人が暮らしてたたら、その周辺に集落が出来る筈なんすが、
小田原市にある遺跡で海に沈まなかったはほんの一部だけ
(先の久野諏訪では100mアップさせると殆ど水没してしまうので、50mにしてる)

というか、赤の縄文遺跡がソコラにあるから、海進此処までと線引かれた感じがする
海進の時期は、約6万5千年~約6万年前が一番有力ですが、
その他にも4~5千年前、5700~5000年前などの説もあります

それと遺跡の年代が正確に出たら、面白いんすが、一般的考古学はそこらへん拘ってないのか、
ちゃんと研究された資料に出会って無い

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割と進んでるのがこの辺かな

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自然環境も含めて海水面の変動を捉えてる。なかなか面白い

実は縄文海進が「下がる前よりちょい高く」なったんは、単に戻し過ぎたのでなく、
氷期終了後や海面上昇による地殻上下が関係してるらしい
地学分野でもこの辺は研究されてるんだが、
他地方の隆起沈降の基礎が判ってないんで、話について行けない

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酒匂川古代史は、これにて終了です

本ブログの最後を飾るんに、
他の奴は調査が終わっておらず、結果果的にこのネタになってしまいましたが、
なかなか遣り甲斐はあった思います

それでは11年間、お世話になりました

さようならYa!≪完≫
2019/08/13

酒匂川古代史 #5 河口と平野に眠る谷

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今回は河口からスタートです

地図は現代で海に書かれてるのは現在の海底等高線

それに対して【赤線】は最終氷期(氷河期)全盛の時の海岸線
海面は100m程(150m説アリ)程下がりました
現在の海底100mと比べると早川河口辺りは近いのに、酒匂川河口~森戸川河口は随分違います
というか100mも下がってる筈なのに、現在の内陸にある
酒匂川の現河口辺りは元々海だったって事です

【ピンク線】は最終氷期が終わった時のもの。推測で-50m
氷期が終わったので海面が上昇してるんすが、まだ上昇しきって無い

【青線】は上昇しっきた時です。この後海面は13m程下がって、今の海面高さ0mになりました
この若干高い間を「縄文海進」といい、約6000年前から約6500年前の間、
海面は若干高いままでした

次のネタに行くつもりだったんすが、縄文、、と言えば海岸近くに縄文遺跡無かったかな~
とざっと調べて近場の遺跡をマーク
旧石器時代からありますが、谷津山・八幡山はモロ高台
縄文は千代だったか、、あそこも高台だしなぁ・・
ぉぉぅ、天神山があるじゃないか!あそこは縄文前期だゾ、、、あ、海から近いけど高台だ

すると弥生時代か、、中里は弥生時代だけど海からはちょいと遠いな・・・
えっ、酒匂で遺跡発掘されたの?知らんかった


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酒匂遺跡の場所はここいら。国道1号沿い、蓮歌橋から印刷局入口
あっ、あのデカいローソンは遺跡の上だったんか

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出物を見てみると、、殆ど古墳時代じゃないか。弥生は1箇所だけ
て事は弥生後期のホントに最後の頃だろな

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年表が付いてたんで確認すると弥生後期、西暦57年って事なんかな?


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続いて中里遺跡。ダイナシティ、大同毛織工場だったトコだ
ここは当時発掘してたんを知ってた

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以降のもあるけど、弥生中期盛り沢山

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年表で時期は確認できんか、、略年代がズレてるのは時代の見直しの結果なんかな

表見てたら弥生前期の遺跡がある
府川諏訪は諏訪台地
【赤線】前川山王前って国府津と二宮の間。海岸線か?
と期待したんだが、海岸段丘の上だし、住所からするとJR線路に近い、、コレも高台だな


旧石器/縄文/弥生/古墳って生活様式や文化で時代分けしてるんだが、
混在してたり地域によって差が有ったり、非常にヤヤコシイ

極端な話、新しモノ好きな新しいスタイルの土器使ってる人、
古いのが好きな人は懐古的土器、
農耕より狩りが好きな人は土器なんて使わん
そんな御近所さんの居る集落は、どんな時代区分になるんだい?

そんとせっかく覚えた縄文時代は○世紀~○世紀が、後になって変わるとか
しかも時代の細分化だけはどんどんやるモンだから、整合性がますます合わん

だから考古学はキライなんだ


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だが縄文海進で人々が慄いたか確認したいんで、時代調べて、、、

縄文後期は3000年前から4000年前/4500年前
弥生中期は紀元前50年/紀元前1世紀から起源50年
弥生後期は起源50年/1世紀半(同じ事なんだが)から3世紀中葉/3世紀半(同じ・・)

なんで時代表記がマチマチなの?始めと終わりの時代形式が違うの使う人ってバカなの?

それにこの頃はもう「年前」は辞めた方が良いと思うんだが
20年前の資料で「100年前」なんて出る度に換算しなきゃなんないのは辛い
「年前」の出来事は、毎年新しくなって行くのが判んないんだろか

てな訳で絶対年でAC、DC計算して出すようにした
Excelで計算してるから合ってるとは思うが、打ち込みやロジックが違ってる可能性は高い

枠外に怪しいのが見える気がする人はコチラ見てね。ジェノサイド級しか載せてないけど 全体

肝心の縄文海進は縄文前期になる
前(ずっと海面上昇)後(海面落ち着く)で人々の暮らしはガラっと変わったと思うんだが、
そういう変化は時代区分に現れないのか

弥生中期だと、海進終わって数千年だから、もう影響無いんだろな

海岸線と遺跡の関連性は、残念ながら見えない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/70/33908870/img_9_m?1565986040

あと氷期以前の海面高が必要なんで、この辺を参照してる
最終氷期は7万年前から始まってるけど、意外と穏やか、、
と思わせといて3万年前から厳しくなったようだ
海面低下に関しては、地域差があるらしく、場所によって最大値が違うそうだ

夏場なんてちょい涼しい話を求めて氷期の情報も見てみたけど、意外に平気な風
【右下】永久凍土って事は夏も融けんって事だけど、こんなもんなのか
世界的に見ても東アジアは程度が軽いらしく、どうやら海流があるから、らしい

大陸と繋がったんは北海道側だけだったようだ
昔の資料では九州側も繋がってたし、
対馬海峡の水深って100m位の筈だが、温暖化の影響か?(何を言って

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/70/33908870/img_10_m?1565986040

さて、いよいよ本題。最終氷期3万年前からの海面低下で、2万年前には100m下がった

そこそこ勾配のある平野で、
さらに相模湾/酒匂川河口の海底は、海底地形の関係で「すんごく急峻」になってる
最下流域にイキナリ崖が現れたようなモンだ。隆起と状況が似てる

下流側に急峻な斜面が発生すれば、皆瀬川の時と同じように川底が抉られる
下刻作用といて川底ばかり浸食されるのだ
通常の谷はV字型になるのに、下刻が激しいとU字型の谷が出来るらしい

狩川谷の落ち口は推定標高38m、川音川谷は66m、
そしてこの時期山北谷を流れてる酒匂川谷は75mである
谷出口の推定標高17.8mまで、峡谷と言える程の谷を造った

んだが、この時期富士箱根の噴火活動は活発で、堆積と浸食が激しかったろぅなぁ

氷期が終了し、海面が戻っても噴火活動は続いてたんで、
足柄谷(仮)は全て堆積物の下になってしまった


トコロで谷出口はもっと海面に近いトコまで延びると思うんだが、火山等の噴出物の影響か?
それとも飯泉辺りに出っ張ってる高台が関係してるんだろか
この辺はまだ調べ足りない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/70/33908870/img_11_m?1565986040

酒匂川/川音川合流地点

今の川音川は酒匂川同様、神山-金子-町屋-金手土手で流れを変えられたが、
昔はもそっと下流で合流してた。紫水大橋辺りか

その下には深い~深い~谷がある。なんてのは夢じゃなくホラーだな

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海岸線水位と相模湾海底高はこの辺
昔は酒匂川が海底に続いてるんだ、と読んだ事があるが、そういうレベルじゃない
大磯と皆鶴半島の間、水色先の青はキロ深だよ

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コレが埋没谷の元資料。判り難いんで頑張ってカラーリングしてみた
この図でも谷底はまだ見れない


今回はこれまで。次回は黒歴史に触れてみようと思う≪続く≫
2019/08/12

酒匂川古代史 #4 下流域の謎説

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_0_m?1565986065

今回は下流域、足柄平野が舞台です
(本来、扇状地・それっぽい流域は中菱域な気がするが、酒匂川は勾配が急なんで、こんなモンだろ)

さて、時は5万年頃前。酒匂川東の大磯丘陵は10万年前から隆起始めてるが、まだ然程高く無い
秦野の四十八瀬川、水無川、金目川は南に流れてて、中村川(押切川)支流の藤沢川に流れてた

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4万9千年前
箱根山は一時期大人しかったのだが、8万年前頃から大規模な噴火を繰り返し、ついに大噴火した

『箱根火山から噴出した軽石流は箱根山体を流れ下り、
足柄平野、大磯丘陵を東に流れて、横浜まで達した。
その厚さは足柄平野で60mを越えると言われている。』

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_2_m?1565986065

それにより酒匂川は流れを妨げられる事になる

『軽石流によって流路を変えられた酒匂川は軽石流堆積物の北側を東に流れて、
現在の秦野盆地で古四十八瀬川、古水無川と合流して、
大磯丘陵を古押切川となって南下して相模湾に流出していたと考えられる。』

『秦野盆地の南西部で軽石流を覆う礫層に、
丹沢山地中川付近が起源と推定される石英閃緑岩の円礫が見られる。』

以上、原文のママ。コレが全てで図も出典情報も無い。えぇ~~

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_3_m?1565986065

復帰パートもある

『約3万年前になると秦野盆地の広い部分に礫層(水神礫層:大磯丘陵の今泉礫層に相当)が堆積した。
この頃、大磯丘陵の隆起と軽石流堆積物の浸食により酒匂川は足柄平野に流路を戻し、
古水無川や四十八瀬川は現大磯丘陵の東部を古葛川となって南下して古相模湾にそそいだ。』

四十八瀬川が足柄平野へ流路を変え、水無川と金目川が合流して相模平野に流れる下り等もある

でめたし、でめたし、、では無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_4_m?1565986065

そもそもこの論文は、地下水学会誌に載った
「名水を訪ねて(20) 秦野盆地湧水群-弘法の清水」の一部分なのである

地下水関連も立派な地学で、地下水に関する地層や流れ、水位など、
そっちの分野はキチンと書かれてて、単なる名水巡り紀行では無い。多少はあるけど

水/河川に関する事だし、地下水的に当時は関係あったかも知れないが、今は関係ないだろ
どうして酒匂川の変遷入れたんだろ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_5_m?1565986065

噴火の図にも描いたけど、実はこの軽石流は前回#3でやった大規模階差流と同じ噴火

6万6千年前と4万9千年前と、1万7千年も違うじゃないか!と思われるかも知れんが「よくある事」です
多分、スコリア等堆積物の年代測定の差。誤差とか

足柄平野に60m堆積の件ですが、色々調べてもコレしか出てきませんでした
小田原が最高で約50~60m

東京パミス(東京軽石流、今回の噴火)だけでなく、
前の三浦パミス、さらに前の小原台パミスと噴出方向が重なってるから、らしい

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_11_m?1565986065

「東京軽石層と火砕流」

今回、軽石層(降下軽石の堆積)と軽石流(火砕流のうち軽石多めな奴)、色々調べたんすが、
専門の方でも間違えてたり混同してたりして、判り辛かったです

堆積厚がどっちなのか、20cmしか積もらなかった筈なのにメートル単位が混在する謎とか

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_9_m?1565986065

各々の出典が書かれてないので、見付けて無いだけかも知れませんが、、、

「足柄平野に60m堆積」一部に堆積したかも知れませんが、それでは堰き止められない
そもそも広い平野で堰き止めるなど、どーすれば出来るんだろ
狭い谷間なら、実際に何件か確認してます
東京パミスで四十八瀬川も流路変遷したようです

「秦野盆地で西丹沢由来の堆積物」確認できませんでした
念の為下流側になりそなトコ洗い出してしらだら、
鷹取山層ボーリングコアに石英閃緑岩が出るが、分析の結果丹沢系とは違う(供給不明)
というのが見つかっただけでした

以上の点から、この件は事実とは思えません

足柄平野堰き止めて湖出来てたら、堆積物で判ってる筈ですし・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_10_m?1565986065

5万年前の四十八瀬川辺りは怪しいのですが、その他の流域変更は正しい筈です
平塚市博物館のページ参考にしたんすが、一部判り辛かったり、間違ってたりする気がします


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_6_m?1565986065

今回、丹沢層群を勘違いしたか、と資料作ってる時気付きました

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_7_m?1565986065

丹沢山塊の中心は石英閃緑岩だとばかり思ってたんすが、違うようです

地質ナビ/シームレス地質図によると、中心となるのは「花崗閃緑岩・トーナル岩」で、
トーナル岩=石英閃緑岩の事と思ってたんすが、
細かい部分拾ってたら「閃緑岩・石英閃緑岩」岩質は別にあり、すっかりマイナー扱いです

今での資料も書き換えねばならんのか・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/80/33908480/img_8_m?1565986065

前の花崗岩成分一覧より、ちょい詳しいのがあったので、加筆しときました

岩質なんて基本的な部分なんで、分類を変えるのは勘弁して欲しい
(石英部の多い方が外される石英閃緑岩)

#4は外れだったが、次は河口とか地下とか(怪しい ≪続く≫
2019/08/11

酒匂川古代史 #3 中流域の変編

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/66/33908166/img_0_m?1565986121

今回は中流域のオハナシです (えっ、なんで山北?

旧皆瀬川を探せ!で、宝永噴火後の宝永6/1709年、山北の街中を流れてた皆瀬川の瀬替の件
をやったんすが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/66/33908166/img_1_m?1565986121

幅最大400m、長さ最大2.7kmもの谷間扇状地を造る事が・・・

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皆瀬川に出たろうか? (ここ踏み越えるんはちょいと難しい)

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何かこう、別の力が働いて出来たのではないだろうか (なんだろう?

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山北谷(と呼称します)がどーやって出来たんか
付近のネタを見るに浅間山・丸山の南側に断層があります

今回はこの断層を中心に解説してきますが、
元がかなり複雑で、本人も100パー理解してる訳じゃ無いので「簡単に・可視化中心」で行きます

その断層は日向断層といい、その活動で浅間山は隆起して高くなったそうです
丸山は「まだよく判っていません」(ぃゃ、私がじゃなく、解明されて無い(筈)
とりえず浅間山(丸山)と含めてますが、実際には違うかも知れません

日向断層の活動で隆起を始めたのが8~7万年前という事なんで

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それ以前には何も無い、、ぃゃ多分きっと違うと思うけど、情報が無い
とりあえず、河川もそこら辺を適当に流れてます

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さて「その時」がやってきました。元は8~7万年前となってるんすが、
隆起の速度が1.6m/1000年(ホントは1.5~1.7m/ky)とあるので、
タイムスケールに合わせて隆起させて行きます。計算すると1.6mm/年
勿論、毎年同じっつ隆起するこたぁ無いとは思いますが、その辺は「簡単にする為」です

7万5千年前(仮)
日向断層の活動で浅間山(丸山)が年間1.6mmという、あり得ない等速で隆起し始めます
隆起する前の標高は、断層外側と同じ現在の凡そ100mにします

ちなみに、ここらの地下10km位のトコにはフィリピン海プレートが本州側プレートに沈み込む境界です
プレート境界というと、グググときてパチンとする境界形大地震が心配ですが、
境界地震は押しあって反発するから発生します
ここらは境界の上に大量の山地があり、そのような反発は起こらんです
(上になんも無くても押し合わねば起きないので、そういう境界は結構ある)

フィリピン海プレート(の中の伊豆-小笠原弧)の伊豆半島は、
ただ今絶賛「本州に衝突中」で、フィリピン海プレートは下に沈み込むんすが、
その上の地盤は本州側プレート上の地盤にグイグイ押しながら合体します
(付加体といって、日本列島の太平洋側は基本付加体。大昔に大陸から別れた地と合体)

右下図が概要ですが、最近は現境界の奥にひとつ前の昔の境界があって、、という説が有力です
(他の説もあります)

3次元的にアッチコッチのプレートが沈み込み、一部は割れてマイクロプレート化してるとか、
話が尽きないんすが、本題がサッパリ進みません

日向断層も、昔は奥の断層が活動してたんが、前に移った、、風に思えます

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とか脱線してるうちに9000年が過ぎ、6万6千年前

隆起は14m進み、114mになりました。河川はその地に流れ込むんすが、
年1.6mmなんて浸食の方が早いんで、へーきに都合のよいトコに谷を造りつつ流れます

この頃の箱根火山活動は、ガンガン激しく噴火を繰り返してたんすが、
6万6千年(6万5千年説、6、5万年前説もアリ)前の大噴火は箱根火山でも最大級と言われてます
流紋岩質の軽石を吹き飛ばし、東京でも軽石層は20センチにもなっそうだ
その後、大火砕流が発生し、西/富士宮、東は相模湾を越えた三浦半島まで達した
(ネットで火砕流東京まで、は勿論間違い。
火山噴出物は質等がハッキリしており、かなり正確に判ってる)

その火砕流は足柄平野覆い尽くした訳だが、山腹でも大量に積もった

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その代表が矢倉沢峠からの狩川谷。収まんなくて直ぐ隣の内川谷にも流れこんだ
(箱根山の外側基本系はとっくに出来上がってる)

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谷を流れる狩川、内川は大量の堆積物を流れ降ろし、ついには一本の川となって流れ下り、
後の関本丘陵となるブロックを積み上げた

すると狩川・内川は左右に別れ、内川は外側に大量の堆積物を積み上た (真ん中が高いからね)

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正確な時期は判らんので5万年前とする。浅間山(内山)の隆起は40m進み、140m達する

内川の積み上げは進み、ついには酒匂川の流れを阻害する
酒匂川は浅間山との間に出来た小尾根を越えて、皆瀬川側に流れ込む

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此処で越流の説明しようと写真と資料準備したが、浅間山がまだ無い事に気付いた
計算上140mで、越えると思われた140m地点と変わらず、
そもそも此処もどーなってたか判らない

ひょっとしたら、対した事なく越流(と呼べる?)したのかも知れない

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気を取り直して1万年進めて4万年前。隆起は56m進んで156mとなった
酒匂川+皆瀬川の流れは、山北谷を形成してゆく

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どんどん進めよう。2万年後の2万年前。隆起は+88mとなり、標高188m

その隆起に合わせて谷に段丘が形成されてく。なる程、こーやって出来たんか
現在の姿に随分近づき、まもなく、、

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という2900年前(注.間違いでは無い)、富士山から大量の砂礫が流れてくる
完成間近の谷が埋まっていく、、ぉぉぅ

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大量の砂礫はまだまだ続き、ついには谷を埋め尽くし、越流の原因だった内川堆積物より高く堆積する
酒匂川は内川堆積物を越流し、浅間山南側へ
酒匂川は元のルートに戻った

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気分を落ち着かせる為に、そこら辺の橋を見とこ

ここらでも現川床から最低でも40m以上積もったんだなぁ
40mというと「ウルトラマン」、、シリーズロケ近所でもやったそうだが、残念ながら見て無い
(「月光仮面」は車で通りすがりに見た。「俺は男だ」は中学校の近所でロケってたんで見た)
40mは10階建てビルとか13階建てマンション位らしい

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いや、40m位じゃ済まなかったらしい
海岸まで達する、非常に大変な状態で、もはや河川がどう流れてた、なんて予想すら出来ない
どうなってしまうのか!

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どうにかなったらしい(謎)

この時の砂礫は御殿場泥流堆積物で、地元では山北火山砂礫層として「ちょっとだけ」残ってる
あちこちボーリングしても出てこない層で、不思議だ
資料ではソコら辺書かれておらず、別に調べても「ごく当たり前」的に消え去ってる
(専門家的には普通の事なんだろか、素人的には数百年土砂崩れ等続くと思うんだが→宝永噴火の件)

残ってるのは概ね段丘面だが、天から降り積もった訳でなく、酒匂川筋から流れて来たからである
さいでその高さの段丘の上に乗っかり、
それより低いトコのは流れ去ってしまった、、という事なんだと思われ


何はともあれ、形成された山北谷も姿を表し、気が付けば隆起は115m進んで標高215mに達してる
浅間山の河村城跡/本城郭ちょい下で河川堆積層(川底跡)が見つかってて、その標高が220m 
それより高い部分はその上に別に積もった堆積物
(書いて無いが箱根・富士系の噴出物は何度もあった)

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山北谷の件はこれにて終了だが、後の別件にもちょい出て来る

しかしコレでやっと言える
山北の谷は皆瀬川が造った、、のではなく、酒匂川が造ったのだ!
(宝永噴火辺りのネタ扱ってるモンは、大抵皆瀬川説になってる)

山北谷の堆積層も上(新しい)から
皆瀬川旧河床礫、
山北火山砂礫層(2900年前の奴)、
旧河床砂礫層(現酒匂川の河床礫に類似、皆瀬川に無い丹沢の石英閃緑岩や緑色凝灰岩を含んでる)、
基盤の足柄層(100万から70万年前で、多種ありグルーブとして扱われる)(此処が削った底になる)
と並んでる
(出典「箱根火山北東部における軽石流の堆積とそれに伴つた地形変化について」)

他所では段丘下では見つからん山北火山砂礫層が、少ないとは言え山北谷に残ってるんは、
山北谷では全て流れ去らなかった。という事になる
酒匂川本流筋だけ流れ去らせる作用が強かった、からなのかも知れない (納得できる)

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浅間山隆起と山北谷形成はこの辺の資料。たんだ、それ以外滅茶苦茶調べて裏とったり確認してる

専門用語だけしか書いて無いんで、読んでも中々判らない
地層も発見場所の名とか付くんだが、同じ原因質の地層は、他所では別名になってたり、
メジャーな層だと説明抜きでズラズラ名だけ出て来る
論文なんで対専門家だから当たり前なんだが、素人が読み解くには敷居が高い (地震系とかも同じ)

PCの仕事でクライアントが文句言うの判るなぁ、でもかみ砕いて説明する方が難しいんだよなぁ~

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日向断層も実はあんな簡単では無く、もっと詳しく調べられてる。うむ、なる程(勿論細かいトコは判らん


次回は下流域で、トンテモ流域変更、、、≪続く≫
2019/08/09

酒匂川古代史 #2 成長編

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酒匂川の流域の一部である
西丹沢の世附川・中川(最近は上流部も河内川と呼称)・玄倉川を集めた河内川
富士の裾野から流れる鮎沢川、がある

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鮎沢川は御殿場を分水界とし、富士山の水は駿河湾に注ぐ黄瀬川と別れる
御殿場に分水界があるのは、富士山噴出物である岩屑なだれ等が高く積みあがっている為

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鮎沢川は分水界標高450m程から酒匂川・河内川合流標高160mまでを

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1/60という急勾配で降る

その噴出物層が無かった太古には・・・


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現在の富士山の前身である古富士火山が活動を開始した10万年前頃

古鮎沢川は向きを逆とする駿河湾へ流れてた
しかも分水界は箱根山-丹沢山地間にあり、河内川は鮎沢川に流れてた
(当時の分水界位置は不明)

なんちゅうこったい!芦ノ湖の水だけでは足りんのか (それは別件)

太古の酒匂川は西丹沢に水源を持っておらず、流域は表丹沢・東箱根のみだった
(皆瀬川辺りまで駿河湾に流れてたという話もあるが、証がはっきりしない)

河内川水系には独自の岩が有り、それ(礫)が堆積してるかどうかで判断できるそうだ
実は酒匂川らしき川は10万年以前にも流れており、堆積物も確認されてるのだが、
その中に河内川水系の礫は無いそうな、、、

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8~6万年前(他時期説あり)になると古富士火山は活発な活動を繰り返し、
最終的に標高30000m位まで成長する
その度泥流などが御殿場/鮎沢川-黄瀬川に流れ、幾つもの堰止湖を造った

繰り返すうちに御殿場を中心に高くなり、ついには堰止湖を越流する事が出来なくなり、
箱根山-丹沢山地分水界を越えて、相模湾方向酒匂川へ流れ下る

なぉ、図中に幾つも古湖(化石湖という)が描かれてるが、時代がマチマチである
実は新しい化石湖は序に書いただけで本命は古小山湖である
(御殿場付近もっと古い化石湖はあったろうが、数百m地面の下)

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溢流(いつりゅう)変遷(へんせん)。酒匂川に河内川水系、鮎沢川水系が加わった!

かつての分水界はイメージでは東名酒匂川橋梁辺りに描いてあるが、実際に見ると無理っぽい

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/83/33907783/img_7_m?1565986163

この古小山湖、富士系堆積物の端がほぼ崖となる100mの高低差付近が西端で、
谷が急に狭くなる辺りが東端

忘れちゃいけないのが当時は東(河内川側)から流れてた訳で、
西側(御殿場側)が「堰き止め部分」である

湖としての堆積物層などで確認出来てるそうなので、それらが堆積出来る程長い事存在してた
約4万年前に形成し、1万6千4百5十年頃(推定)に消滅したようだ

なぉ図にも書いたが、噴出物は次々来るんで、西側端はもっとあったのが埋没してるかも知れない


うむ~困った。河内川-酒匂川合流地点まで堰き止めてれば、溢流云々が判り易いんだが、
コレじゃ湖東端が分水界となり、河内川と辻褄が合わん

ここらは100m高くなるなど、地殻変動当たり前地域なんで、
今の地図と睨めっこしても答えは出ないんだろうなぁ

鮎沢川の勾配向きが逆(西→東)になったんは、変遷後に流れで削られて、、という事と思われ
ただ此処に届く断層があるのが、ちょいとだけ気になる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/83/33907783/img_8_m?1565986163

上図中、金時神社が描いてあるが、
古小山湖調査地点の中で唯一ハッキリ場所が判ってて、行った事のある場所 (写真がある)からだ

鮎沢川が変遷しても、暫く残ってたであろうから、酒匂川水系の湖と呼んでも、いいよね?
災害等で一時的堰き止め湖が出来た事はあるが、万年続けば立派な天然湖だ


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/83/33907783/img_9_m?1565986163

参考にした資料はこの辺り
旧分水界については非常に興味があるんで、解明して欲しい (素人には無理だぁ)


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/83/33907783/img_10_m?1565986163

話に出てきた河内川系の特殊な岩質は「石英閃緑岩」という
地質ナビの分類では花崗閃緑岩、トーナル岩に含まれてるようだ

西丹沢独自の岩質っていっても区域広いな。どんな岩か期待しちゃうけど

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/83/33907783/img_11_m?1565986163

【右上】見た目「花崗(かこう)岩」である
花崗岩は火成岩の一種で深成岩。御影石の事

【右下】成分的にも花崗岩の仲間といえる (分類、前はこんな細かく無かった)
全体的に白っぽいが、成分によっては灰色

【左】多分これらで間違いないと思われ。つうか普通に花崗岩と思ってた
ちなみに結構モロくて、変質してボロボロになり「白ザㇾ」と呼ばれる奴だよね?
(地質図区域以外でも白ザㇾを見た事があるよーな、無いよーな)
特殊な岩なら当時詳しく調べたろうが、あまりにも有り触れた岩だったから、比較すらして無い

以後の話でも、河内川系の堆積物として、結構出てきます


次回は酒匂川中流域の変 ≪続く≫