2019/01/24

旧松田土木事務所

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_3_m?1548258256

松田町、県道711号線文久橋近くの町屋住宅の完成が近い。町の住宅整備事業だ


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_1_m?1548258256

此処には松田土木事務所があった

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_2_m?1548258256

コッチ側は別館ね

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_0_m?1548258256

奥の旧官舎(警察?)と別館の跡地に造られました

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_4_m?1548258256

バス停も松田土木だったんだが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_5_m?1548258256

立花学園前に変わりました (前ぢゃないが)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_6_m?1548258256

一方、松田土木事務所本館は、ずっとこのまま朽ちていくのかと思ったが

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_7_m?1548258256

ようやく手が入りました

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_8_m?1548258256

現在のトコ、伸びきった樹木の伐採ですが、売却先の松田町で事業化が進められ・・・

松田町/女性が輝き活躍するコンパクトシティ創生事業
https://town.matsuda.kanagawa.jp/uploaded/attachment/5830.pdf

何コレ?良く判んない

建物は昭和36年と古いんすが、耐震補強はしてあり、建物自身は問題ないそうで、このまま使用され、
子育て支援センターとファミリーサポートセンターをコチラ(2F)に移転するそうです
1階はレンタルスペースって何や?


松田町/松田町創生推進拠点施設の管理運営事業者の募集を開始します (他資料)
https://town.matsuda.kanagawa.jp/soshiki/2/souseikyoten-boshu.html

やっぱ判んない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/96/33791796/img_9_m?1548258256

とりあえずムジナの巣になる事なく、進展したんは良き事です


松田土木事務所は平成24/2012年4月に小田原土木事務所と統合され、県西土木事務所となりました

とはいえ、旧松田事務所管轄は県西土木事務所(足柄上合同庁舎/開成町吉田島)
旧小田原土木事務所管轄は小田原土木センター(旧小田原土木事務所)
となったので、えーと・・・(良くある話)

神奈川県/県西土木事務所の沿革と概要
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/p992900.html
スポンサーサイト



2019/01/21

皆瀬川支流寺沢川を探せ! 追記

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_9_m?1547919669

皆瀬川の流域、分水嶺を引くんに、さういう地図は無いかとぐぐったら、あった

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_0_m?1548036582

地質調査総合センター地質図Naviにある「データ表示/川と流域地図」だ
コレの「地質図」の方は知ってたが、こんな地図もあるとは、知らんかった。まだ使いこなしてないな~

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_1_m?1548036582

分水嶺(分水界ともいう)とは、山等であった雨が、どっちの川(水系)に流れていくか、
という境で基本的に稜線とか、高いトコが境になる
この地図は多分メッシュの標高データから「境になる高いトコ」を生成してるようで、
ちょいとザコザコしてるが、細かい境はその近くの稜線なんで簡単に人力補正できる
おまけに大凡の水系沢名が入ってるので、そこら辺の確認にも使える
他には無いんで非常に便利だ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_2_m?1548036582

皆瀬川の支流として描かれてる「寺沢川」
早々に気づいたが、こんなトコに川は無ぇよなぁ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_3_m?1548036582

当然国土地図には描かれて無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_4_m?1548036582

東名が描いてあるんで判り辛いが、古い地図にも寺沢川は描いて無い
というか、沢または谷地形を横切るとか、地形的にも変だ

ここら辺の事は色々調べたんで、寺沢という名も合致しない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_5_m?1548036582

オマケにこの地図のウリでもある分水嶺を横切るなど、その定義を根底から覆す所業だ
(皆瀬川/滝沢川の分水嶺、薄く描かれてるのを緑線マーク)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/33789479/img_6_m?1548036582

町内では尺里川に「寺沢」がある
国道246号向原バイパスを潜るカルバートの沢です
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-699.html

とはいえ、此処と間違って描かれて風でもないしなぁ
水系地図を創る辺りで間違ったんでしょかね

追記.一部のフリー地図に皆瀬川支流寺沢川が描かれてるものがあった
openstreetmap.jp、Maps.me
元になった地図があるんだと思う
ひょっとしたらトラップストリート(著作権トラップ)か?
2019/01/20

旧皆瀬川を探せ! #5

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_0_m?1547919669

旧河川河道も判明したのに、まだぐたぐたやってるのは掘割工事に結びついてないからですが、
そもそもまだ旧河川に皆瀬川を流してません (何言ってんだこいつ?)

現在の川底高が低すぎて、想定した旧河川ルートとの高低差が10m近くあります

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_1_m?1547919669

旧皆瀬川に流すには、左側のように「そこいら辺」を高低差無しまで下げる、、
のは現実的ぢゃない (とは言っても7m下げるだけですが)

やはり右側のように流域を「ドン」と標高125mまで上げる方が、、
現実的じゃないっうのは判ってる (川底高からすれば7~11mですが、川沿い的には数m)

しかし謎の力など使わなくても、この一言で済む「昔は高かった」

こっから先は史実的資料もなんも無く、状況証拠から導き出してるんで、妄想的です
(ぁぁ、いつもの奴だ)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_2_m?1547919669

どうせ高くするんなら、周辺の地形から両岸にある台地(完新世段丘)面にしちゃった方が
説得力がある気がする

いや、だからソレは#1で無理って話、控えめに見ても幅90m、川底高低差25mじゃ、
掘割スペックじゃないし、江戸時代の人力で掘削するのは期間的に無理、、、

ソコまで掘らねば良いんでない?

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_3_m?1547919669

台地に掘割を切り開くんすが、上流から水が流れれば良いんで10mちょい。最も深くて14m
上流側はあんま高低差を付けたくないとの施主さんの要望でほぼ0(ゼロ)
そんじゃ旧河道に流れちゃうから、締切土手を設けて完成!

掘割スペック内に収めるとこんな感じ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_4_m?1547919669

各絵図でも掘割がドコか描かれて無いんすが、ひよっとしてPlanの切れてる場所が掘割?
Cleanupでは谷風に描かれてますが、Beforeにそんな地形は無いようなんで、コレが掘割となります

切通で両端は低く中央が高くなる。近代土木では擁壁高が高くなるだけですが、
昔の切通では切土面が緩く、中央が広い谷になるので、そのように開いたと考えて良いと思います

Cleanuo時代の道が、掘割谷の入口にあるのが、橋が架けやすいという理由だと思われ
Afterの用水橋が樋口に架けられてるのも同じ理由です
(当初は木樋で28間(51m)高5丈4尺(16.3m)) (用水と人道の橋が並んでるが、実際どーなのか不明)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_5_m?1547919669

という訳で、瀬替によりこのように皆瀬川は切替られたと思われます

上流側を掘り下げて高低差を付けない、、というのは、用水利用の為に必要と思われます

先程のBeforeで、旧河川から両側に別れるのが用水かと思うのですが、
瀬替により流れが変わり、旧右岸用水は使えなくなります

残る左岸側でなんかせねばなりませんが、締切土手等で左岸用水も改良の必要があったと思われ
それにより、とりあえず必要な用水は確保できたと思います
(注.当時の川村山北の田は然程多く無かった)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_6_m?1547919669

瀬替により皆瀬川は台地の掘割谷を通り、酒匂川河原へと流れ下ります
河原との高低差は10m以上あり、そこら辺が岩質なら滝でも出来たかも知れないが、
砂岩泥岩礫岩互層らしいので、急流で削られてくだけでした

川底は下流側からどんどん削られ、掘割も下がり、ついには村内まで川底が低くなってゆきます
(掘割谷も川底が下がるに合せて両岸が削れ、広くなってく筈です)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_7_m?1547919669

瀬替から25年後の享保19年、ついには改良形左岸用水取水堰からの取水も出来なくなり、
井戸も枯れ(地下水位も下がる)、深刻な水不足となります

この頃には締切土手など必要無くなってるかも知れません。それ故Afterにすら描いてないのか?
(酒匂川ではまだ数十年の間、土手が壊れて水害のハナシが多々あるのに、
此処では瀬替後一度として土手決壊の記録はありません)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_8_m?1547919669

享保19/1734年2月、皆瀬川上流からの用水路に着工する
1400尺というから約424mのトンネルを掘ったそうだが、=水路延長か判らん
現在の取水堰から県道沿いだとして約900mなので、昔の用水はもっと短く、取水堰も下流にあったかも知れない
(現在の河川高では取水h130としても半分の距離じゃ届かんが、堰で取水面を上げるとかすればなんとか)

現在は皆瀬川沿いの県道725号線により、旧用水路は殆ど残ってないと思われ
川入堰に関しては、詳しい資料を見た事が無いので、色々不明

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_9_m?1547919669

旧皆瀬川の流れから瀬替え、その後まで・・
判ってる事から推論してみたが、一応筋は通ってると思う

これで旧川としては終わるが、皆瀬川流域だけにしては山北の谷に段丘出来るんか?とか、

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/66/33788366/img_10_m?1547919669


瀬替えで掘割られたh135mの高台って何や!都合が良過ぎるやんけ!

など、素朴な疑問もあると思うんで、それはまた別の機会に

旧皆瀬川を探せ ≪完≫
2019/01/19

旧皆瀬川を探せ! #4

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_11_m?1547566171

前回で旧皆瀬川をマークできたんで終わりかと思いきや、このシリーズはまだまだ続きます
瀬替えされた上流部は謎なモンが描かれてますが・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_0_m?1547848193

南側の昔の台地、北側の昔の山裾。ここら辺は今より谷が狭かったと思われます

まずは南の昔の台地
山北橋超線橋と旧道踏切 辺りから気になってたんだが、旧道ってなんでソコ通ってる?
今の県道76号線より外側を廻ってるのが不思議だった。通行に支障の出る高台があったと予想

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_1_m?1547848193

土地宝典(昭和初期)でも鉄道で途切れた崖/擁壁/石積?、段差が続いてます
土地宝典の区割りは宅地とかでなく、あくまで土地の区割りで、畑でも山林でも描かれてます

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_2_m?1547848193

古い航空写真でも、県道76号より北側は住宅になっちゃてるけど、南側はまだ「何か」
単に木々が生えてるだけかも知れませんが、県道にかかる影がソコソコあるのが気になります

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_3_m?1547848193

そこら辺の御宅は現在でも若干高台で、県道76号を造った時に道路が下がってます (段差勾配の為)
鉄道掘割沿いにも同じような「ちょい高い」住宅があります
(微妙な標高図には現れませんが、ピンク線辺りに段差があります)

勿論、この高さの高台など道路的には無いに等しいので、昔はもっと高かったと思います

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_4_m?1547848193

昭和10年のお葬式の様子ですが、場所は御殿場線上の山北橋です

道の先は旧県道で、皆瀬川沿いの低地に降るんでカーブ内側の石積みは「高台だから」ではありません
橋渡って右に行くんが現在の県道76号線ですが、まだ出来て無いんでしょか
ちょうど見切れてるのが残念ですが、轍(ワダチ)は旧県道に向かってるんで、工事途中頃かも知れません

問題は橋の先が(工事の為か)「切土っぽく見える」で、
マジなら「高台があった」という確実な証拠なんすが、イマイチはっきりしません

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_5_m?1547848193

近いアングルで撮りたかったんすが木が邪魔で、、冬場まで待ったのに

昭和10/1935年というと84年前
この辺の地形御存知の方が居れば良いんすが、山北では上の世代に知合いは無く、
町中では結構限定された知合いしか居なくて、、、外れには気軽に離せる知合い居るんすが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_6_m?1547848193

御殿場線より南は段丘ですが、それがそのまま続ていたという事では無く、
続きの斜面が御殿場線を越えてたと思われる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_7_m?1547848193

実際、明治初期(推定明治25年)の地図にも、微妙ですが崖地に囲まれてます

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_8_m?1547848193

という訳で南側は段丘から続く斜面が、そこいらまであって、旧道は迂回してたと考えられます


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_9_m?1547848193

北側の山裾は川入堰の流れてる旧県道が、そもそも山削って造ったんは見てのとおりだし、、、
道沿いのコンクリ箱連がおそらく用水路で、コレは皆瀬川沿いの県道725号線に続いてます
削って道路造る以前は水路隧道だったと思います

昔はさらに川沿い辺りまであったと思われ
皆瀬川沿い低地がかつての河道で、その際まで山裾は続いてたと思います
まぁコッチは100年位前のハナシなんで、確証は無いんすが

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_10_m?1547848193

という訳で、昔は谷が狭かった。最狭で190mはちょいやり過ぎたかな
しかしコレで締切土手約250mで塞ぐ事は可能になりました
そういう意味でも、当時谷はこん位狭かった。という事です

北側(東名下)の斜面が結構急勾配なのと、凹にヘコんでるのは、昔の川の浸食と思われますが、
そこら辺のハナシは、今暫く出てきません

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/02/33787402/img_11_m?1547848193

一応掘割工事の方も、どんなだったか推測してみるんすが、
#1で迷走したんは現在の皆瀬川を基準にしちゃったからです

現在の皆瀬川、川入堰取水堰からの河床勾配はこんな感じで、取水堰が標高136.5m
谷間を抜け出る東名辺りでh118.0、掘割橋h114.3、途中堰堤h112.3、御殿場線h110.8、
樋口橋は橋梁で誤差、最終堰堤h104.0、酒匂川には凡そh100で合流します (電子国土Webレーダー測量値)

約300年前を予想します≪続く≫
2019/01/18

小田原市/都市計画道路 栄町小八幡線

撮影日 2019年01月17日 前回 2018年11月17日

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_0_m?1547756833

匿名希望様より情報をいただきましたので、なんとか昼間の移動途中に行ってきました

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_10_m?1547757193

遠目には変わってないように見えたが、近づくと嗚呼なる程

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_2_m?1547757193

右手側にあった倉庫というか木材置き場がごっそり無くなってる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_3_m?1547757193

今回無くなったんは赤線囲い部分
正面から見た時のとおり、まだガッツリかかってる訳で、道路工事に入れるんはまだ先ですね

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_4_m?1547757193

工事看板も歩道のままです

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_5_m?1547757193

国道255号vs新設市道側も見ておきましょう

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_6_m?1547757193

新設市道の状況は前回と変わっておらず

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_7_m?1547757193

国道255号西側角の建物が解体されてました

此処は都市計画道路の用地に被りますので、計画が進むんかと期待したくなりますが、
先の事業はまだ開始されて無いんで、道路的に進む訳では無い

たんだ新な建物建築許可とか下りんと思うので、どうすんだろ (また駐車場か?)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_8_m?1547757193

事業がスタートしたら、大雄山線沿いがどんどん空いてく・・・
実際に用地被るトコは、空地や駐車場が増えてってんですけどね

「べんけい」が辞めちゃったのは、直接関係ないと思われ
(火事の後の復活の後の話)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/87/33786587/img_9_m?1547757193

前向きのネタが無かったんで小田原城の紅梅でも
2019/01/16

旧皆瀬川を探せ! #3

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_0_m?1547566171

絵図を比べながら見てく。まずは瀬替前のBeforeと瀬替後のCleanup

Cleanupでは、流れこそ無くなったが河道は描かれてる
旧河川跡は田圃に振り分けられたが、そこに新たな道も造られ、青太矢印間には川跡に東西の道が出来た

この両者に描かれてる「その他の道」は基本的に同じ筈だ (黄緑マーク)
左手上流側は水害の影響で若干変わってるようだが、
村内を東西に走る室生社近くの「高台の道」、川より北(地図上)を走る「下の道」。それを繋ぐ道
恰好は違うが繋がりは同じだ
ルートが変更された、というんでは無く、絵図だから同じ道を描いてこーなった。と思われ
(水害で失ったとしても瀬替工事で行き来してる。元と同じような道が必要なんで復旧したと考えられる)

この「高台の道」と「下の道」も比較対象となる

左手上流側の被害はどんだけだったのだろう・・・
実はこの地図でも判るが、Beforeで皆瀬川傍にあった盛翁寺は、Cleanupで高台の現在地に移ってる

盛翁寺の歴史を調べてみると天光が天文元/1532年八町河原(八丁?)に庵を設けたのが最初で、
数年後に萩原に盛翁寺を設けたが、宝永5/1852年の水害により流失、現在地に再建とある
水害は半端なかったようだ。地蔵堂も被害受けたと思われる


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_1_m?1547566171

続いて瀬替CleanupとAfter

2図の間は120年位あるが、比べてみると「高台の道」も「下の道」も健在である
それにプラスする「旧河道に造られた道」も同様に存在する
(室生社右側の道は無くなってる。描いて無いだけかも知れない)

道が変わる程の災害は受けてない/道は変わってないとして、
Afterの道のうち、青太矢印間を「旧河道に造られた道」とする

一応、念の為・・・

この間に足柄で被害の出た水害は享保10,13,16,17,19,宝暦7,安永8,天明1,寛政3,10,享和2,3年だが、
山北地方の被災記録は見つかってない (明治以前は疎い)
地震では天明2/1782年がある
(以上、防災科学技術研究所/災害年表マップ調べ)

天明2は「小田原地震」と呼ばれるが、被害は山梨県南東部-静岡県北東部-神奈川西部に分布し、
三県の境界付近の被害が大きい
震源は理科年表では相模湾だが、ちゃんとした論文で山北(高松山北付近)説なんてもある

小田原の被害記録はあるが、これまた山北地方の記録が無い
災害年表マップから漏れてる明和5、天明6、文化14年のローカル地震は箱根方面のみ被害

盛翁寺の例があるから、各神社仏閣も歴史も調べた
種徳寺(建立永正9/1512年)、成就院(建立不明だが安永5/1776年書簡がある)、
室生社(建立当初川村岸般若院、天正8/1580年室生山/丸山に移り、その後現在の天神社内)
被災の記録は見つからんかった

道が変わる程でかい被災は、宝永以降受けて無いとう事か・・・あれば引っかかるだろ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_2_m?1547566171

Afterから5、60年後位な明治地図(推定明治25年)

当然、Afterの天保7/1836年から明治初期の災害も検証。こちらも変わってないと判断

既に鉄道(明治22年~)が引かれ、それに合わせる道も出来てて、鉄道以前の道はドレだか・・・
とりあえず道を分類するのだが、陸地測量部地図なんで国土地図と道記号が違う
(さいでもって凡例が付いて無い地図が多いんで、余計判り辛くなってる)

時代的に違う気がするが、内容的には明治17年の凡例が合ってそうなんで、
それを元に 1.5車線道路/紫、1車線道路村道/茶、軽車道騎小路/緑 でマーク。徒歩道は除外

ううむ、なんとなくは判るが地図だと読み辛い


この間の災害について、、、念の為明治34年まで調査
安政2、3、4、6、元治1、慶応4、明治3、8、10、25、27、29、30、34年風水害
天保14、嘉永6、安政1、2、明治3、20、24、27年地震

だが、山北地方の被害で判明してるのは
嘉永6年/1853年地震で川村関所、都夫良野、谷ヶ村関所に被害
のみである

年表やデータベースのみの調査なんで、いささか調査不足だな
(災害史を纏める必要がありそだが、明治以降だけでも相当大変だったんで、かなり気が重い)
(参考十文字橋。コレは松田被害のみ抽出だが、元となる県西被災一覧が出来てる)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_3_m?1547566171

鉄道で切れた道筋を調べるんは、航空写真が役立った
地図ではドコと繋がってたんか一部不明だったが、写真だと判り易い。およそ赤線が分断されてる
それに基づいて結んだ黄緑マークが「鉄道以前に繋がってた道」と思われ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_4_m?1547566171

After絵図と明治鉄道以前の道を結び付けるんだが、次に調べるんは用水路だ

道は改良等で新道が出来、ルートが変わってしまう事があるが、
用水路は流量や流域を維持する為、そう簡単には代えられない筈だ
・・・残念ながら専門外なので良いネタを探したが見つからない
「旧道沿い用水」がそのまま残ってるのが多いんで、確かだと思う
故に結びつけるんは用水セットの道が基本

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_5_m?1547566171

Afterでは、山北の用水路が網羅されてる。山北の用水堰で出た用水堰分布図
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/77/33776077/img_2_m?1546790774

と比較しながら、絵図に描かれてる用水をマーク

旧河道に造られた新道は、途中「中通り堰」と沿い、
ルートが2つとなった向原方面は用水と沿っており、下側が旧河道に造られた道だ
北山根堰、南山根堰とは離れてる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_6_m?1547566171

続いて明治地図の用水堰だが、瀬戸堰からの中通り堰っか描かれて無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_7_m?1547566171

現代地図では暗渠化で逆に判らなくなってて、、、無ければ創るしかない
幸い土地宝典の詳細図には用水路も描かれてるんで、補正して繋いで主要用水堰(幹線)をマーク

すんごく大変だった
詳細図は1軒1軒が描かれてるレベルなんで、ゼンリン住宅地図を繋げる気分
しかも北は合って無く縮尺は図毎に違い正確でないと、どんな呪いだ?

鉄道で随分変わってると思うが、それは鉄道沿い辺りだけと思われる
(注意.現在は県道76号山北藤野線、国道246号が出来、これまた県道国道沿いは変わってる)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_8_m?1547566171

それを明治地図からピックアップした鉄道以前の道(繋がってた道とその他の道)と重ねるのだが、
土地宝典詳細を見てて、なんか此処にも道があったぽいのも追加した

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_9_m?1547566171

明治地図は正確じゃなく補正しきれない(道がズレる)のと、用水堰は現代地図で補正したんで、
鉄道以前の道も現代地図に補正

瀬替Afterに描かれてた旧河道に造られた道の特徴である
「中通り堰に沿っている」「用水を伴う2本の道」からすると、ピンクマークが「旧河道に造られた道」となる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/91/33784691/img_11_m?1547566171

それがそのまま旧皆瀬川跡となる。瀬替された上流部と、滝沢川・尺里川と合流する下流部は
資料が無いので推測だが、そんな間違ってないと思われ
(下流側は素直に蛇行させた方がソレっぽいなぁ)

上流部、今までハナシも出てこなかった懸案が色々あるが、それは・・・

次回に《続く》
2019/01/15

旧皆瀬川を探せ! #2

一部資料を作り直した為、日が開いてしまった

また、今回のように資料の話だけの回もあるが、その記事だけ「机上」ジャンルにしちゃうと、
ジャンル別で続いて見れないんで、トータルで「ミニレポ」ジャンルになってます

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_0_m?1547504614

今回は絵図のオハナシ
皆瀬川の瀬替に関して、瀬替前の「相模国足柄上郡山北村絵図(宝永年間)」があります
絵図名や年代で呼称してると本人も訳が判らなくなるんで、
単純に「瀬替Before」と呼ぶ。略して「Before」も

左側は鍛冶屋敷沢で、実際に必要なのはピンク枠内

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_1_m?1547504614

そして瀬替が済んで随分先、127年後の「相模国足柄上郡山北村絵図(天保7/1836年)」
名では先のと一緒なんで、区別できんです。こちらは「瀬替After」にしとく

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_2_m?1547504614

さいで「やまきたの絵図」には他にも有り「相州河村山北絵図(宝永期頃)」
これは瀬替えの工事に関する絵図で、旧河川・旧土手が架かれており、
掘割・締め切り土手、で瀬替えが行われた後の旧河川の排水作業的なモノが描かれてるらしい
こちらは「瀬替Plan」にしとこ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_3_m?1547504614

もう一枚。こちらが最も重要で、瀬替えが行われた後の旧河川をどうするか描かれてる
「相州足柄上郡河村山北皆瀬川絵図(享保年頃)」
旧河川跡は概ね田圃になるのだが、どっからドコが誰ぞ、みたいな区分けが描かれてるそうだ
そしていっちゃん重要なんだが、旧河川にも道が造られ、それが描かれてる
東西に続く新道は、その位置判れば旧河川の流れてた位置も判る、、という訳だ
「瀬替Cleanup」と呼ぼう


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_4_m?1547504614

さて絵図を見てくんだが、幾つか重要な点があるので解説を込めて・・・

まず絵図の外側には付近の山々が描かれている
川村山北(現在の山北駅周辺)は山に囲まれた谷地形で、どっちを向いても山が見える

右/東も同様なんだか谷を出る、、という事でその先の山は描いてないようだ

谷奥となる左/西は関所とその先の大日山(都夫良野辺りらしい)が描かれてる
天気が良ければ富士山が見えるんだが、、、ぃゃ、関係無いすか

上/北には無名の山が描かれてるが、最初見た時驚いた。結構正確に描いてる
谷は南北に狭いんで、谷内からは山腹しか見えんから、どっから見たんだろ
Gアースだから簡単に行けたが、丸山か浅間山の頂上からなら近い絵が見えるか?

下/南は失敗だな、、、というより丸山~浅間山を正面から一望出来るトコなど無いので、
こちらはホントに想像で描いた。ってトコかな

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_5_m?1547504614

続いては中に描いてある(いわゆる)地図。比較の為に下に現代地図を用意した
比べられるよう、古くから現在まで有り建物を有する神社仏閣をポイントとしてチョイス
(観音堂・地蔵堂は基本一棟なんで、移動/移転してる事もある)

絵図で「山/畑/田/(無地は何か判らん)」位の分類なんで、
現代地図側では山を緑にし、
国道246号より南(下側)では高台(一部段丘)になってるのをオレンジとし分けた
絵図では高台の境が描いてあったり無かったり判り辛かったりするが、
幸いにも室生社(室生神社)があるトコが高台なんで、それで判別できる

現代地図と比べると判るが、絵図はポイントと道の関係など、それぞれは正しいと思うが、
全体の配置がオカシイ
具体的に言えば成就院はもっと中央寄りだが、種徳寺とセットで隅に追いやられてる
多分ソコより上流/左側には家(▲)がいっぱい描かれてるんで、イメージ的に縮尺が違うと思われ

盛翁寺の下(地図的に)に堰隧道があるが随分おっきく描いてある
実際には直ぐ傍で高台的には狭い範疇なんだが、重要なトコは詳しく/大きく描いてある

即ち絵図にある特定の場所は「山腹間の真ん中」「AとBの間」に描いてあってもでも実際には違う
(殆どの場合で、稀に正確な事もある)

結果から言えば「絵図に旧河川が描いてあっても、場所の特定は困難」なんだよなぁ

実際、此処に描いてある「川村御関所道」
現代地図ではどの辺通ってるか、この絵図だけで知る方法は無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/49/33783949/img_6_m?1547504614

河道の描いてある3枚は、宝永~享保と短い時期に描かれたモンだし、
地元民なら概ね同じような絵図になんだろ、、と思って神仏ポイントと地形で合成してみた

BeforeとCleanupは良い感じに河道が近いが、Planはど~補正しても近くならん
というか、明らかに河道違い過ぎる
そういう目的の為の絵図じゃないとは判ってるが、
最初見た時に、天地が逆なのか裏返しなのか他所のかと思った

Planの図は参考にしない方が良いだろ

てな訳で絵図から旧河川の河道を求めても仕方ないんだが、
その先の解決方法を見つけたんで、次回ソッチ方面に≪続く≫
2019/01/12

旧皆瀬川を探せ! #1

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_0_m?1547290385

宝永4年の富士山噴火は、風下に当たる神奈川県西部に多大の被害を与えた
降灰は直接被害も大きかったが、山々に降った火山灰が大水の度に流れ出し、
土石流や河川の氾濫を起こすようになる

宝永5年6月の洪水では酒匂川の岩流瀬・大口の土手が決壊したが、
川村山北では皆瀬川の河川敷が一丈二尺(約3.6m)位高くなり、
堤が切れ村中湖のようになり、山際へ家を引っ越す程であった

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_1_m?1547290385

川村山北は、今の御殿場線山北駅のある谷間で、
皆瀬川は当時村の中を流れ、滝沢川・皆瀬川と合流し、酒匂川に流れ出てた
水害等対策の為、皆瀬川の流れを平山方面に替える工事が行われた。瀬替えである

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_2_m?1547290385

瀬替えの為に長さ約277m、敷き約9m、横約55m、深さ約14mの掘割を造り、
約250mの締め切り土手を造って皆瀬川の流れを変えた

この工事を行ったのは、酒匂川の川浚いを行ってた普請奉行・代官・御手伝い大名藤堂藩らで、
金井島土手の際、酒匂川東西の村がモメて話が決まんないので、ぢゃ山北の方先やるか~
と決まった、

宝永6年11月9日夜明けから丁張り・家移転作業が開始され、
7日間の昼夜突貫(ひぇ~)、8日目が御勘定(工事完了確認?)、
9日目御出立にて御引取り(じゃ、あとよろしく~)と記録されてる
(但し、皆瀬川古川鋪(敷)割合帳には26日までとあるので、も少しかかってるかも知れない)
(以上「山北町史 通史」より)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_3_m?1547290385

皆瀬川にある掘割橋。現地の人によると、この辺は「掘割川」とか「新川」と呼ばれるそうだ
知ってる人を探したが、流石に300年以上の昔なんで、当時の人は見つからんかった
(ぃゃ、なぜに今だ「新川」なのかは聞いてみたい)

掘割橋から下流に見えるは御殿場線の皆瀬川橋梁である
御殿場線までは掘割っぽく、ソコを越えると普通の川岸であるが、
考えてみりゃ近代的護岸など最近の事で、当時は55m×9mの台形で掘られたんだよな
コレも最大のトコで、、とかになると思われ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_4_m?1547290385

現代地形に300年前のが残ってる訳は無いと思うが、河川断面を見てみる

左岸(地図右側)に旧河川があったのだから、
その高さから掘ったとしたら10m程の高低差は範疇か
ただ、55m幅は水色の線程度なんで、やっぱ後年に変わっちゃったんだろな~

河川段丘っぽい段差があるんだが、300年位でこんだけ浸食されるか?
(普段の皆瀬川は上の写真程度の流れである)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_5_m?1547290385

次はドコで流れを変えたか、現代地図を陰湿な程調べると、数mの「っぽい」トコがあった
ココが旧河川だろうか?

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_6_m?1547290385

ところがその辺りを旧河川が流れてたんじゃ、現在の流れ先はもっと高さがあった。って事になる
推定河川辺が標高125m程なんで、それを塞ぐ高台があったんだろか?

一週間の突貫工事じゃ、無理っぽい工事になってしまう

それとも、それ程高くなく、少ない掘削で済み、旧河道も埋められたんだろか?
(って事は旧河道判んないか)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_7_m?1547290385

高台から見下ろしてみる。直ぐ下に御殿場線を越える県道76号山北橋が架かってる
皆瀬川はアソコの掘割下を流れてて、高低差は10mソコソコしかないのだが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_8_m?1547290385

高台から対岸を見る。対岸からトンネル上道までは距離があるが、
御殿場線のトンネル前掘割のある高台までは距離にして150m位

地形的には今居る高台と対岸とは、昔の段丘で地殻変動によって出来たそうだ
繋がってたんだろか?
いや~それなら掘割工事なんてお手軽には済まないよな~、切開きとかになる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_9_m?1547290385

続いては旧皆瀬川がドコ流れてたか?
標高の詳細データ取ってみたが、鉄道の掘割と盛土堤地形だけで、川跡らしきもの見えない

黄色は国道246号であるが、そこらを境に南側は高台となっており、
一部は先程と同じ完新世(概ね氷河期の終わった1万年前から現在)段丘である

しいて言えば右手谷地形の出口付近、滝沢川手前が若干低地になってる位である

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_10_m?1547290385

鉄道は駅周辺をフラットにするのに掘割~盛土堤と、大変な土坑が行われたと思う
流石明治の初期東海道線である

対する道路、すなわち自然地形は、下手はかなり緩やかに見える(がその先でちょい下がる)
上手は錯覚でなく、実際に登り勾配なのが見て判る
扇状地の常として、上流側程急勾配にっていく
実際、下手は端の尺里川まで行っても、鉄道を降ってアンダーパスするのに、
上手は県道が半分の距離の山北橋で鉄道を越える

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_11_m?1547290385

滝沢川手前の低地は、先にある滝沢川の土手もせいもあるが、
古くから集落のある北側より低いので、ココらが川の後かな~と前々より思ってた

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_12_m?1547290385

古い字名を調べてみると、河原と付く名がある
「田道河原」「根下河原」「怒杭河原」であるが、これらが旧河川に由来するのは間違い無いと思う

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/33781434/img_13_m?1547290385

山北駅構内及び機関区は、かなりの広さを持ってたが、そう言えば
「山北駅は昔の川底に造られてる」と聞いた事がある

旧機関区に造られた鉄道公園脇の石積み段差は、旧河川に関係あるんだろか・・・


現在で判るのはこの程度で、凡そ掘割橋辺りから鉄道線辺りに旧河川があった
と推測するのが精いっぱい。なんだが、
数々の絵図や資料の解析により、旧皆瀬川の流れがドコだったか、それを解いてみる、


判るといいな~で次回に《続く》
2019/01/09

「やまきたの絵図」 & 車で視察(日本語がちょい変だったのを修正)

ネットで見つけた河村城の絵図でちょいと矛盾する奴があり、
年代を確認したかったんだが情報が無い

確か「やまきたの絵図」にあったな~。先日図書館に行った時に見とけばよかった

昔、谷ヶ御関所道を調べてて図書館で見つけた
山北町の刊行物で販売してて、一家に一冊欲しいトコだが、在庫なくて入手不可能なのだ

古書で無いかな~とぐぐってたら

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/41/33778541/img_0_m?1547020243

再販してるじゃないすか!

山北町のHPは昨年12月にリニューアルしてるんで、ぐぐっても行けない

山北町史等刊行物のご案内
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000001200.html

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/41/33778541/img_1_m?1547020243

車で出張ついでに買ってきました
うぐぅ、先日もカラーコピー撮ったのに・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/41/33778541/img_2_m?1547020243

ついでのついでに山北町の新東名現場をぐるぐる

河内川右岸に何か出来てる!

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/41/33778541/img_3_m?1547020243

道の駅やまきたの連ベルコンが稼働してる!

大野蔵上がって都夫良野経由、鍛冶屋敷沢沿い深沢市間経由、皆瀬川沿い廻ってきました
こりゃチャリで行かんとイカンな
2019/01/08

都市計画道路/城山多古線

撮影日 2019年01月07日 前回 2018年05月05日

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/67/33777067/img_0_m?1546892635

県道74号小田原山北線、大雄山線穴部踏切の脇

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/67/33777067/img_1_m?1546892635

道路工事が行われています
既に路側も出来、路面整地中

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/67/33777067/img_2_m?1546892635

街路整備なので都市計画道路、紛れもなく城山多古線の工事だ
(ホントはこの区間、都市計画道路小田原山北線だが、記事的に纏めて扱ってます)

今年度は用地買収等で、工事に着手するのは来年度から、、と聞いてたんだが

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/67/33777067/img_3_m?1546892635

どうしてここらを先行したんだろ、、現道が穴部排水路の上を行くんで6トン制限あるからか?
それにしては距離が足りないか
(この開渠県道側も排水路を越えてます)

工期も2月末までと、規模は小っちゃいみたいだしなぁ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/67/33777067/img_4_m?1546892635

実は「小田原の隅々」さんトコで12/10に工事開始の記事になってて、
仕事の帰りとかにも寄ったんだが、いかんせん夜なんで写真撮れず

「Microsoft お年玉」の御蔭で1日仕事を飛ばしたのだが、
後続が無かったんで明るい時間に訪れる事が出来た

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/67/33777067/img_5_m?1546892635

勿論、他の場所で工事が始まってないか、、はチェックしてきた。やはり此処だけだ