2017/10/31

幻の小田原紡織線#2

#1からの続き

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/89/33313589/img_4_m?1509350687

大正14年に免許失効となり、未成のまま終わった小田原紡織専用鉄道だが

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大正11年すなわち震災前の書類もあるので、どんな鉄道を造ろうとしてたんかも判る

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大雑把な仕様として、踏切やら越える芦子川(久野川)、湯本堰(荻窪用水)などに関する話

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当時、久野川はまだ未整備で、今と全然流れが違う
鉄道から下流、今は殆ど真っ直ぐなのが、こんなだったのか

荻窪用水は蓋をかぶされ、暗渠化してるが、意外と流れ変わって無い

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もちょっと詳しい資料
機関車は3トンと、軽便でも小型の部類

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/89/33313589/img_13_m?1509350687

(一部略してます。元はコチラ
ん?(緑線)大雄山鉄道の線路敷設と協定、、消し。もう一ヶ所ある
末の備考で、大雄山鉄道は(赤線)小田原停車場に於いて本件専用鉄道の反対側に於いて省線に接続
とある。結果としてこうなったので、本文中は消し込まれたという事か
(青線)小田急電鉄と本件専用鉄道と関係あるが何れ(?)も協定の見込み・・・

小田原乗り入れは、大雄山鉄道と小田急電鉄があるので、それらの絡みなんだが、大雄山・・・

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実は大雄山鉄道は当初、裏/西口に接続する計画だったのだ
摘要図が掠れてて、殆ど見えないが、なんとか読めた部分をカラーで記した

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とりあえず仮小田原駅までで開業し、新小田原駅まで延長の際には、
ちゃんと表/東口に接続となった訳だが、この間に何かがあった

仮小田原もなんでアソコだったのか謎だったのだが・・・その件はおいといて

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/89/33313589/img_17_m?1509350687

資料を見てたら大正9年、すなわち熱海線小田原駅開業の頃
既に小田原紡織会社の専用鉄道の話は始ってた

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内容的には仕様に関するものなんで、軽く読み飛ばし

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小田原急行鉄道(小田急)との協定書もあった
内容は駅の場所が直ぐ近くなんで、設備や工事に関する一般的な事

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東京鉄道局長のお墨付き的な省線乗り入れに関するエトセトラ

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そして配線図。う~やっぱ図があるとリアリティ違うな

小田原紡織専用線は、裏/西口側(図下側)、小田急の外側に乗り入れる事になる
小田急とは一ヶ所立体交差する
この時点で大雄山鉄道は、表/東口(図上側)に乗り入れる基本仕様は決定してる

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小田原駅の裏/西口って、新幹線が出来る前の様子は全く知らない
ガキんちょ過ぎたし、裏へ行く用事も無かった(家は表側)

新幹線が出来る事で裏駅の開発がスタートしたが、以前の様子が判る写真は殆ど存在しない
右上が小田急開業の昭和初期、左下は裏駅が取り壊される直前で昭和30年代と思われ
左隅になんとか道路カルバートが写ってそ

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もし小田原紡織線が開業したら、、
というのはあまり意味無いのだが、他鉄道に与えた影響だけ確認したい
(用地買収位行われてそうだが、後に新幹線が出来るんで痕跡は判らないだろう)

小田急線/小田原駅~最初の踏切(足柄6号)間には2つのカルバート/橋がある
踏切近くは水路兼の架道橋、駅近くは東海道線架道橋からの道を越える架道橋

先の配線図からして駅近くの可能性があるが、
此処に軽便を通しちゃうと併用軌道になっちゅうし、曲線が急過ぎるんで、やっぱ違うんだろな
水路兼の方は遠すぎるので、小田原紡織線の立体交差は設けられなかったと考えるのが妥当

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最大の懸念は大雄山鉄道との平面交差。なぃなぃなぃなぃ無い

しかし、配線図までは大雄山鉄道が表/東口に乗り入れが決まってた訳だから、
当然そこらで交差する事になる
可能性としては小田原紡織線を「ヨイショ」と持ち上げて立体交差する事位だが、不可能では無いな


大雄山鉄道の乗り入れが裏から表に換わった要因は、状況的にだが小田原紡織線かも知れない
仮小田原駅で開業の大正14年10月15日では、既に免許失効してるので良くなってしまったが、
工事中はまだ「小田原紡織線が横切る」可能性があった

すなわち・・・大雄山鉄道が、最初「仮小田原」までとしたのは、
当初の裏/西口乗り入れ、小田原紡織との協定なんやかんやがあり「どうなるか不定」

配線図に表/東口と書かれた事で(小田原紡織との交差はあるが)、
「新小田原」までの延長経路が決定した、、という事となる
(状況的にだからね。はっきりとそのように明文化された資料でもあれば良いのだが)

残念ながら小田原紡織会社の専用線は、幻となってしまったが、
小田原駅の歴史には多少なりとも影響があったようである

小田原紡織線/完了
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2017/10/30

幻の小田原紡織線#1

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小田原駅は大正9/1920年10月21日、熱海線の駅として開業
昭和2/1927年4月1日、 小田原急行鉄道(現小田急電鉄)開業
昭和9/1934年12月1日、熱海線→東海道本線
昭和10/1935年6月16日、大雄山鉄道線(現・伊豆箱根鉄道大雄山線)が直接乗り入れ
昭和10/1935年10月1日、箱根登山鉄道が乗り入れ
昭和39/1964年10月1日、東海道新幹線開業

東海道本線(東京-熱海)がJR東日本、東海道新幹線がJR東海なので、
乗り入れ鉄道会社5社と日本最多だったんだが、2004年に横浜駅/6社に抜かれたそうだ

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省線(熱海線→東海道本線)以前は、小田原馬車鉄道→小田原電気鉄道が国府津-湯本間を結び、
豆相人車鉄道→熱海鉄道が接続していた

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省線(熱海線)開通後、小田原電気鉄道は、国府津間の線を廃止し、省線小田原駅に乗り入れ
昭和10年に箱根登山鉄道鉄道線が小田原に乗り入れた後も、
軌道線は町内/市内電車として小田原-板橋間を昭和31/1956年6月1日まで走ってた

今更だが、人力、馬車、電気、登山、路面、高速と、日本の鉄道史にメチャ絡んでるな

現在の小田原駅に乗り入れてるのは5社だが、もう1社/1線、乗り入れる予定があった事をご存じかな?

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「小田原紡織会社専用鉄道」という
(注.「小田原紡績」としてる文献が多々あるが、「小田原紡織」が正しい)

開業間もない小田原駅と同社工場約1.2kmを、軌間60cmの瓦斯機関車で結ぶ軽便鉄道である

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小田原紡織は、井細田に大正6年創業
現在の富士フィルム小田原工場の辺りである

が、勿論ソコまで鉄道は走ってないし、廃止遺構も無い。未成線である

ただ箱根方面の技術的にアヤシイ、予算的に無理だろ未成線と違って、
(最近見つけたネタでは、芦ノ湯-双子山/ロープウェイ)
実際に運行する事前提で許可も取り、乗り入れる小田原駅/鉄道省にも話が付いて、、、

結局造られんかった

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小田原紡織から、工事着手期限延期願いも出されたが却下された

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延期を願い入れた原因は、大正12/1923年9月1日の関東大震災である
小田原紡織の工場、事務所などの建物は全て全壊

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/89/33313589/img_7_m?1509350687

当時の職工数1400名のうち、死者133名(または134名)、負傷者141名(重傷76名)/複数の資料元
(写真の会社名が違う。震災情報から「小田原紡績」という間違った名が広まったようだ)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/89/33313589/img_8_m?1509350687

小田原紡織の専用鉄道免許は失効、大正14年
細かい日付調べてたら、大正14年8月8日に失効となっていた

専用鉄道以前に、小田原紡織会社自身が再建されなかった


未成線であるから、通常は此処までなんだが、工事予定の資料を見てたら、意外なハナシ・・・

≪続く≫
2017/10/26

現状報告

仕事の方はなんとか調整できて、無事月末を迎えられそうな気がする
来月の予定が半分位既に埋まってるというのが、いささか不安だが

以下はPCのトラブル対策に関する物なので、関心なければ読み飛ばしてください
本人確認用みたいなモンなので

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/63/33309563/img_0_m?1509021802

HDDは外付けのTERA-BOX内の物に障害発生
フル実装しちゃうと放熱が間に合わないのか、それとも・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/63/33309563/img_1_m?1509021802

Windows10の記憶域プールというのを実働テストしてた

複数のドライブを纏めて1個の領域にするというモンで、TERA-BOXにもハード的同等の機能があるが、
シンプル以外にミラーやパリティの領域を設定して、ドライブに障害が出ても保管できるという・・・
上手く動いてる時は良いのだが、障害が出た時に色々厄介な点がある
障害対策も含めてテストしたのだが、発生して初めて判る点もあり、
いきなり本番で運用するのは考え物かも知れない
Windows8から実装された機能(10とは非互換)だが、まだこなれてないのかも

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/63/33309563/img_2_m?1509021802

とりうえずプールをバラして、ドライブ単体のチェックをしたいのだが、
Windows8以降、チェックが万全じゃない
取りあえずチェックするも「問題無い」と言われるが、実の処下位ではエラー出まくりで、全然問題有る
(下位エラーが出ても、代替え補完してる筈だが、信頼性は劣る)
(このまま使うと、ホントにチェックでエラー出た時には「もうどうしようもない」状態になってる)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/63/33309563/img_3_m?1509021802

USB外付けのままでは出来ないので、そこら辺に転がってるPCでRawレベルのチェック
必要に応じてパッドセクターの修復とかもやるが、凄く時間がかかる
(放置しとけるので、1日1ドライブ進めば良いや)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/63/33309563/img_4_m?1509021802

TERA-BOXの方も、そろそろ危ない気がするので、別途テスト
他のHDDを入れて、他PCで色々テストする


自鯖自身は、別のドライブが有るので、運用は問題無い
という訳で、平行作業できるレベルまで持ってけたんで、通常復帰です
2017/10/25

色々あって更新できません

イメージ 1

忙しいのに急な仕事と、そんな時に限ってHDDが(また)飛んだ
どっか電波の届かないトコへ行きたい

2017/10/17

出山鉄橋の件

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_0_m?1566041411

塔ノ沢、玉ノ緒橋より上流に行くと、宿から対岸に渡る2系間ポニートラス
木桁橋が架かってた頃もあり、多分現在の鶴翁橋と同じく対岸の湯に入る為の物かと

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_1_m?1566041411

更に上流には塔ノ沢発電所への橋。現在の吊橋辺りと思う

これらの2橋は、道の歴史に関係無いし、
流失した時は判っても架け替え等のネタは拾えないだろうから、スルーするとして・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_2_m?1566041411

その上流の出山鉄橋/早川橋梁(コッチが正式名)、小田原電気鉄道/箱根登山鉄道の橋、
コレについて・・・

ぃゃ、この橋は川底から43mもあるし、震災でも僅かな被害を受けただけで、
架橋から100年の今でも、ちゃんと架かってます

じゃなくて

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_3_m?1566041411

架ける時に設けた巨大な足場です

川底から43mの高さまで、1万本を超える丸太を組んで足場を設け、
バラした鉄橋パーツをこの上で組み上げたんすが・・・

出山の鉄橋といえば

「足場の解体をする前夜に、暴風雨によって押し流されてしまった。
撤去費用がかからなくてラッキー」(多少、違うタイプの話もある)

この話が有名ですが、本当に流されたんでしょか?

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_4_m?1566041411

「箱根登山鉄道125年のあゆみ」の生方氏も書いてますが、こんなん流れてきたら、下流は大惨事です
被害どころでは無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_5_m?1566041411

記憶に新しい今年の九州北部豪雨では、山崩れで植えられてた木材が大量に流れ、
下流域に大きな被害をもたらしました
この永久橋が流れんかったのは流石とは思うが、故に橋の上流は一面沼になってもうた
こうなると頑丈過ぎるのも考えモンです

(堤防高と同じ高さの平橋なので、
堤防水位を超えなくても木材が引っかかってダム化する事もあります)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_6_m?1566041411

明治30年~大正10年の水害記録/神奈川県下風水害紀要/神奈川県測候所

「出山鉄橋の足場を流した暴風雨」は以前から気になってて、今回水害史を見直したんすが、
どうも「コレ」といったのが無い

出山鉄橋の完成した大正6/1917年5月31日以降となると、
同年10月初(影響は9月末から)の台風になるが、4ヶ月も足場を撤去せずというのはあるんだろか?

登山線の工事記録があれば、はっきり判るんだが、ソレだったら水害の件も書いてあるだろ・・・
大正12/1923年に本社社屋が全焼し、資料の殆どが焼失してしまってるので、記録が無いのだ
(熱海軽便の小田原社屋にを仮事務所にしたが、同年9月に関東大震災で更に混迷)

この水害史も台風とかがメインで、通常の大雨(というの変だが)があったかもしんない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_7_m?1566041411

という訳で、地元新聞の見出し一覧/小田原地方新聞記事目録のうち、大正6年5月末~10月初

ラストのt6/10/3が、台風の件
その前は遡ると・・・t6/6/14に「梅雨3日目小田原地方暴風雨」とある
コレかな?時期的にも完成から2週間程度だし

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_8_m?1566041411

今度は気象のデータを探した。神奈川県統計書から、大正6年6月の雨量は、、、
「降水量」湯本で363.4mm、箱根で370.0mm
梅雨の時期だからだろうが、それなりに多いが、長雨で多いのか、一時の豪雨なのか判らん
9、10月は例の台風があるから多い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_9_m?1566041411

「一日中ノ最多雨量」一番多い日にどんだけ降ったかという事だな
コレなら集中豪雨など、大雨の日に降った量が判る

6月、湯本で65.0mm、箱根で44.0mm、3、4月の方が多い日あるなぁ
台風は9月末に降った量の方が多いんか、
湯本9月210.0mm、10月130.0mm、箱根9月215.0mm、10月135.0mm
1日で200mm越えれば、豪雨だろう

うむ~大正6年6月14日(記事日なので実際には前日とか)の暴風雨は、たいした事無かったのか

(統計書は時折ミスがあるんで)念の為、中央氣象臺の大正6年6月報で確認したが、
横浜、沼津で一日最大40~50mm程度なので間違いはなさそ

参考までに横浜、沼津とも降った日は6/5、直近の6/13に沼津31.3mm、横浜19.0m降ってる
むしろ6/14というより6/5の方が前後数日分含めても降ってる感じなんだが、
風的には6/13に沼津15.5m、横浜18.3mと、かなりの強風が吹いてるんで、暴風雨的にはこの日だろう

t6/6/14の暴風雨、雨的にはたいした事無かったようだ

それを過ぎると8月にもちょいと降ってるが、どうかな・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1150243/81/33298581/img_10_m?1566041411

さすれば4ヶ月後の台風であるが、表に抜き出す前の本文はこんなである

(青線)台風は駿河湾から沼津東、箱根山西、丹沢田名(相模原)、田無(西東京市)~のコース
雨風の状況は追っかけても仕方ないから、被害だけ→赤線

概要を纏めると、海岸線の海嘯による被害が大きかったようだ
酒匂川は上流で橋梁被害(東海道本線の橋梁流失、なぉトンネル等にも被害が出た)
箱根/早川は、宮城野方面道路(木賀?)、下流にも被害
大窪村(板橋、水之尾、風祭、入生田)紹太寺(長興山)土砂崩れ国道埋まる

足場の件は勿論書いて無い

てな感じなんだが、早川沿いの被害は軽く無い

ただ、数年に一度位の割合で水害が発生してた為か、橋梁の被害は記録されてない
勿論橋は架かってて被害受けたろうが、仮橋程度だったと思われ

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各橋梁の表に、大正6年5月末のラインを引いてみた

もし足場の丸太1万本、、話半分としても5千本、1/10で1千本でも流れてきたら、
木橋で無事な方が不思議だ。全滅するのが普通だと思う
とりあえず仮橋の後、数年でちゃんとした橋に架け替えられても良さそなんだが、、、見当たらない
(勿論、木橋等のデータは抜けがあり、細かいトコは網羅出来て無い)

だが、旭橋は大正元年に鋼下路プラットトラス橋、
早川橋は大正6年4月に鉄筋コンクリートの6径間桁橋が架けられてる

両橋ともその後存在してるので、大正6年10月の水害でも無事な訳だが、
1万-1千本の丸太が流れてきたら、壊れなかった方の被害が出てなきゃオカシイのだが、
勿論そんな記録は無い


以上の点から、出山鉄橋の足場流れは、ガセだと思う


足場の丸太1万本の撤去費用って、どの位だろう、、、
私しゃそれよりも、1万本の足場用丸太そのものの費用の方が、遥かに高いと思う

当時、まだ上の方で登山線工事やってるし、省線熱海線も佳境に入ってる
1年しか使ってない足場丸太など、まだ再利用の場はいくらでもある
流れてしまったら、大損してたかも知れない

(古材としても引く手あまたで、橋の架け替えなどで古橋は、
木材再利用/薪などの燃料用として、撤去費用自前で払い下げを願い出る程だった)

豆相人車鉄道の乗客も登りで押したと同様、
逸話的ありそな話って、ネタ的には面白いけど、
史実を扱う場合には、出典を確かめられるモンでないと駄目だよなぁ
その確認が難しいのだけど
2017/10/14

国道1号/玉ノ緒橋#3

塔ノ沢の道の推移については序章を参照の事

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_12_m?1507824797

大正9/1920年に架けられた初代永久橋である玉ノ緒橋
関東大震災に耐えて、、、

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_0_m?1507931121

古写真ばかりでは現実味が無いんで、現橋へ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_1_m?1507931121

現在の玉ノ緒橋は昭和29年3月に、、、改築された
改築って言うからには架け替えじゃない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_2_m?1507931121


最新の資料を見てみると、一番下にある玉ノ緒橋は1954年、すなわち昭和29年に架設された事になってる
大正9年橋の幅員が5.5mしかなく、拡幅の可能性がメチャ高いのだが、
表中の親木橋や山王橋では、元の橋と拡幅部が別管理されてる。玉ノ緒橋は違うんだろか

ちなみに親木橋は震災後の1926年9月に上路コンクリアーチが架けられてる
大正時代に間に合ったのだ
そのコンクリアーチ部は現在も使われていて、旭橋、千歳橋より古いって事になる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_3_m?1507931121

玉ノ緒橋の上流側から覗いてみると、アーチの途中に隙間が開いてる
(ソコから水が漏れて、スキマ下が汚れてる風)
下流側の方が近そうなので

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_4_m?1507931121

下流から見てみると、、、ん?んんっ!!

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_5_m?1507931121

アーチが縦に割れてる!じゃない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_6_m?1507931121

アーチを拡幅してるのだ
大正9/1920年のアーチの下流側に2.5m継ぎ足して、幅員5.5mから8.5mに拡幅したのだ
(大正9年橋の幅員は5.5m、外側幅が6.0mという事だろ)

上部の路盤は一体型なので、路面からは分割してるのが判らない

拡幅アーチは単純に並べただけなのか、
大正9年アーチを削って鉄筋出して繋いでと、構造的に一体となってるのかは不明

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_7_m?1507931121

何はともあれ現在の玉ノ緒橋は、昭和28/1953年に旧アーチに2.5m継ぎ足して、
幅員5.5mから8.5mに拡幅したのである
幅的割合で言えば、70%は大正9年橋が使われている

大正時代に架けられ、関東大震災を生き延びた橋が、現存してるのだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/33/31905833/img_16_m?1423207353


玉ノ緒橋拡幅と塔ノ沢旧道で、勝驪山が削られ真っ直ぐな道になった工事は同時期と思われる
当時の様子が判る資料探してるが、未だ発見できず

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_8_m?1507931121

ちょいと蛇足になるが、親木橋等が拡幅になるんは、元の橋部分と拡幅した部分が独立してるからだと思う

ピンクで示した部分が「上り拡幅(10m幅)」
橋台継ぎ手を繋ぐように、車線方向にも継目が見える
その四角に囲まれだ部分が、「上り拡幅(10m幅)」された桁という事になる

「下り拡幅(4m幅)」は確認できない。今度近くに行った時に見てみよう


現在の玉ノ緒橋は7割が古い橋なんで、橋梁の管理上は古い方を基準にしなきゃなんないと思う
なにせ拡幅された昭和29/1954年の部分は63年経ってるだけだが、
古い方の大正9/1920年アーチは97年前に出来たのだから
東京オリンピックの年には、100歳を迎える

これで親木橋を抜いて、県内最古の橋になるかと思いきや・・・
(親木橋より古い、大正12/1923年架橋の現役橋もあるが、それらも抜いて)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33295748/img_9_m?1507931121

鴫立橋がある。大正6/1917年って、コレ橋じゃ無いから暗渠だから
国道1号/大磯/鴫立沢暗渠

しかも、国道改修の際、鴫立橋で使われてた石材を外して、余所で使ったとかなんとか聞いた事がある

これだって拡幅じゃなく改築(?)になるのに、古い方の架橋年が有効なんだよな


大分横道にそれてしまったが、玉ノ緒橋の歴史もコレにて終了

≪玉ノ緒橋編/終了≫

塔ノ沢の橋としてオマケ的な奴を、後に1本の予定
2017/10/13

国道1号/玉ノ緒橋#2

塔ノ沢の道の推移については序章を参照の事

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_7_m?1507732169

(推測だが)明治41年橋/木橋から・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_0_m?1507824797

永久橋への架け替えが、大正8年から工事が始まり、、、

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_1_m?1507824797

大正9/1920年8月1日竣功、RC上路固定充腹アーチ橋、橋長25.8m、幅員5.5m
(土木学会橋梁DBより)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_2_m?1507824797

完成後間もない玉ノ緒橋である

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_3_m?1507824797

玉ノ緒橋と新しくなった環翠楼

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_4_m?1507824797

手前、一の湯。この写真高解像度な奴が手に入ったので・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_5_m?1507824797

玉ノ緒橋のトコを拡大

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_6_m?1507824797

大正9年橋への架け替えは、工事の様子がさっぱり不明です

推測ですが、、、
明治41年橋を残して、、とも考えたが収まりそうにないので、下流側に仮設橋を架け、
上流側の旧橋を撤去。新橋を旧橋位置に造る、、という形でしょか

右側の一の湯本館は明治40年頃の建物らしく、、、
#1の写真と見比べても、増改築激しくて判らんですが、コッチはそのままだとして

左側の環翠楼本館北棟は大正8年築
そもそも環翠楼の建て替えがあったからそこ、道路の拡幅や仮設橋の設置が可能となったと思われ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_7_m?1507824797

大正9年橋完成後の写真でも、環翠楼側に意味深なフェンスがあり、
此処が仮設橋だった可能性有、、2~3m幅位しかなさそですが

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_8_m?1507824797

旧橋が下路橋で、新橋が上路か、、という訳で、旧/下路橋の下にそ~っと(はいらない)造って、
旧橋撤去すればとりあえず渡れる橋が出現、、という手を考えてみた

ナイスなアイデアだと思ったんだが、こんな架け替え実例が無かった
現場で型造ってコンクリ打つんだから、施工し難いか・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_9_m?1507824797

なんて言ってるうちに、運命の日。関東大震災です
架橋から僅か3年1箇月の玉ノ緒橋は、、、

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_10_m?1507824797

斜面が崩れて、ひぇ~危ない。建物が道路に押し出されてる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_11_m?1507824797

結果から言えば無事でした

永久橋でも河口近くの酒匂橋や早川橋が損傷しましたが、
早川水系では旭橋(T1)宮城野橋(T2)が無事でした
木橋ですが、木賀橋は斜面崩落に巻き込まれて損壊、八千代橋(M37)は落橋

塔ノ沢では2戸が崖崩れで被害を受けたが、環翠楼、一の湯など多くの建物が損壊を免れた
この地区の地盤が良かったのかも知れない

ただし、道路は塔ノ沢前後で崩落し、暫し陸の孤島と化した

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_12_m?1507824797

震災後の玉ノ緒橋。山肌はまだ荒い


次の変化が訪れるのは、戦後 ≪続く≫
2017/10/12

国道1号/玉ノ緒橋#1 1013追記

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_0_m?1507732169

いよいよ国道1号早川3橋のラスト、玉ノ緒橋だっ!

旭橋や千歳橋は派手派手しいのに、重文指定されてるのに、この橋はちょっと地味
だがしかし、他の2橋に無いアレがある(まだナイショ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/52/33277452/img_10_m?1506516108

塔ノ沢の道の推移については序章を参照の事
重要なんでこのマップだけも一度
橋名は玉之緒橋、玉乃緒橋等も使われてるが、記事内は玉ノ緒橋で統一(あ、図の、、

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_1_m?1507732169

一応車道の歴史と絡めてるんで、人道橋時代の橋はスルーの予定だったのだが、この写真は必要
おそらく明治初期の人道の玉ノ緒橋

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_2_m?1507732169

そしてコチラが一応人力車が通ってる軽車道橋の玉ノ緒橋。明治10年頃と推測

湯本~塔ノ沢の新道はまだ出来てないが、
明治10年頃に七湯道を拡幅し、人力車の通行が出来るようなった頃と思われ

2枚の写真、建物的には殆ど変って無い、かなり近い頃
というか、橋もひょっとしたら同じ橋かも知れない

だが上の写真では右岸/対岸の取り付きが階段風になってて、人力車を想定してない
下の写真は右岸/対岸の橋辺りを嵩上げして、橋の高さと地面の高さを揃えてる

故に下は人力車も通る軽車道橋とした。幅もギリで結構怖いだろうな

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_3_m?1507732169

流石にヤバイと思ったんか、早々に高欄(欄干)を装備した木桁橋となる
資料によれば明治13年に訪れた人の絵があり、欄干が描かれてるそうだ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_4_m?1507732169

ちょいと遠景だが、簡易的木桁橋はもう1タイプあるようだ

函嶺塔沢誌(明治20年)によれば、新道の橋が架かる以前は橋長14間(25.45m)、幅員7尺(2.12m)
一応、人力車が通れる橋

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_5_m?1507732169

そしてコチラが湯本~塔ノ沢、塔ノ沢~宮ノ下の新道が出来た明治20年頃の玉ノ緒橋
これだけ写真見つからなかったので、箱根彩景から

木造トラスで斜材は鉄棒。ちょっとチープな感じがする(あまり強そに見えない)

.20171013追記
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_13_m?1507824797

国道1号塔ノ沢旧道 #3では気付かなかったが、この写真

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/03/33294503/img_14_m?1507824797

明治20年頃のトラスらしきモンが、一部写ってるような
これで千歳橋も入ってたら完璧なんだが、、もそっと左からお願い
だがこの写真、明治20年早々だというのが判明したのは凄い
電信電話柱がまだだから、そこら辺で後ろの時期も絞れそうな気がする
(しかし調べ事がいっぱいで大変だ!)
以上追記

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_6_m?1507732169

明治30~40年頃には木橋(木桁か方丈か不明)になる
この時期、明治35、37、40年と、水害が頻発

橋脚の無い木トラスなら平気と思ったんだが、被害を受けたのかチープな故の短命か
木橋になっても何度か架け替えられてると思われ

.20171013追記
塔ノ沢一の湯の歴史からすると、この建物が建ったのは明治40年頃だそうだ
するてぇとぉ、この写真が撮られたのが明治40年頃って事になる
橋自身はも少し前なんだろな
以上追記

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_7_m?1507732169

そして明治41年橋の登場

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_8_m?1507732169

トラス橋が釣橋と書かれるんは旭橋と同じだが、「堅固な釣橋」って変

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_9_m?1507732169

これだけ堅牢な橋なら、記録が有るに違いない、、と探すと木トラスなんだが明治41年3月
記録違いか?
しかしその橋は私費でなく、県費となってる
(酒匂橋が私費なのは、地元の人が架けて通行料を取ってたから)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_10_m?1507732169

なるべく後の時代を、、と大正期まで調べたら、大正2年の県誌には明治40年7月と書かれてる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_11_m?1507732169

資料の状況からして、これらは同じ橋で、単に竣功年月が書類上と親柱で違うだけと思われ
(現代でも偶にある)
県誌は間違いかな

従って明治41年橋は橋長29m、幅員4.5m、木造ハウトラス、鉄桁橋となる

後の木造橋の資料も写真も無いので、大正9年のRC上路固定充填アーチ橋が架けられるまで、
使われてたと思われ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_12_m?1507732169

この明治41年橋は写真が結構あったんで、色々見てみる
トラス上下の水平材は鉄棒で連結されてる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_13_m?1507732169

明治41年橋のこの写真には、環翠楼川沿いにテラスみたいなモンが出来てた
後の遊歩道かな、と思ったんだが、後の写真では無くなってる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/97/33293297/img_14_m?1507732169

多分コッチが後の時代。護岸を厚くしてる?

鉄桁というんで拡大してみたが、上の水平材は木材で、下が鉄か?

大正9年まで持ったとすれば、明治43年の大水害は乗り越えたという事になる


次はコンクリアーチ橋の登場≪続く≫
2017/10/08

弁財天曲輪・雨天走行 1013追記

撮影日 2017年10月06日

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_0_m?1507437207

この日は午後から雨だが5時位までは平気だろう
お堀端で一休み

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_1_m?1507437207

二の丸(旧場内小)で何かやってるらしく、
裏から進入しようと廻ると旧田中組辺りに立派な石碑と案内板

はぁはぁ~ん、コレが問題になってる弁財天曲輪の奴だな

石碑と広い草っ原で、此処が弁財天曲輪として小田原城の重要な場所だと思ってる人が多いそうだ

弁財天曲輪は此処じゃないよ。解説にも書いてあるが二の丸の北側
....ぃゃ、MAPも無いし、二の丸の場所を知らんと判らんよな

此処にあったのは・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_2_m?1507437207

お堀(内堀)で~す(赤星が案内板のあるトコ)
先程休憩してたお堀はアソコで終わってなくて、この辺までありました

弁財天曲輪は何処かと言うと「評定所跡」と書いてあるトコです

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_3_m?1507437207

曲輪とは区画の名称で、弁財天曲輪に評定所とか鑑定所が置かれました

ただ、この昭和57年資料/小田原市教育委員会発行、色々詰め込み詰め込み過ぎたりして、
ちょいとゴチャしてるし、実際の場所を的確に表してないトコもあります

後々、コレ参考にした資料ではこの辺が曲輪として書かれてたりします
(曲輪は区域銘なので、概ねそのブロックが該当する)
(例えば、二の丸や本丸も丸=曲輪なので意味的に同じ)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_4_m?1507437207

享保図には、ちゃんと曲輪として書かれてます
赤星が案内板の位置(推定)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_5_m?1507437207

旧JT倉庫辺りも工事してるので、池など戻すのかと期待したが、どうやら歩道工事のみみたいだ

小田原市の史跡整備計画の概要図には、一応内堀完全型と蓮池(藤棚じゃない)が描いてある



.20171013追記
外堀と内堀の一部が埋められたのは震災の頃か?
震災後、道路の拡幅で外堀を埋めたらしい
昭和初期の地図だと、もう無い(今と殆ど同じ)

子供の頃、郵便局建て替えで、2階建て旧建物をぶっ壊すと、奥に土塁があったんは驚いた
そんなのあるとは全然知らなかったから
その前に外堀があったのだから、今の駅前通り~国道1号(本町方面)が、
外堀を埋めて拡幅したって事になる
以上追記

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_6_m?1507437207

仕事は予定通り5時までに終わらず、帰りは雨天走行。途中コンビニ休憩中

雨具完備だが、やっぱ足は濡れる
冷えたまま走ったんで、足の疲れがモロに出る
寒い時期はセパレート雨具のズボンだけでも履いた方が良いな
(そしてセパ上下にして蒸れるんでポンチョに戻り、、、を繰り返す)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_7_m?1507437207

翌日は濡れたモン片付けとメンテ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/76/33289176/img_8_m?1507437207

駆動系は元よりブレーキ関係もキッチリ行う
2017/10/05

修行坂

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33286448/img_1_m?1507213008

ここんトコあまり乗れてないので、夕方近くだが近場のゴルフ場坂へ

涼しくなってきたので坂道も頑張れるが、毎年この時期に無理し過ぎるので抑えて抑えて・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33286448/img_0_m?1507213008

ヘコヘコ登る。嗚呼日が沈む

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33286448/img_2_m?1507213008

このコースは途中秦野方面が見えるんだが、見通せるって訳じゃない
でも新東名出来たらギリで見えるな

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33286448/img_3_m?1507213008

途中、鹿と出くわす(目しか写ってない)。単独なんで若い雄か?
カメラ出しても間違えてフラッシュ焚いても逃げない
ソロリソロリ近づくと流石に逃げてった

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33286448/img_4_m?1507213008

上に着いて宝石箱のような夜景を撮るが、手が悴んでどーしてもプレてしまう

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/48/33286448/img_5_m?1507213008

12度しか無いんすけど!
ぃゃ、寒くなるとは聞いてたが、ココまでとは、、ぁ、標高500mのトコに居るから、-3度寒いのか

流石に今日は特別寒いんだろうが、そろそろ防寒対策持っていかんとなぁ