2017/06/29

熱海街道/根府川道 #2

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明治14年頃に開通(改良?)された人力車の通る明治道。いよいよ次に取り掛かる

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明治道の後、先に造られたのは大正道?熱海線?

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ィャマテ、明治29年に開通した豆相人車鉄道が先だ
地図は大正5年の熱海軽便鉄道からトレースしたからそうなってる

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此方が元になっております。この元地図探してるんだけど、見つからない

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もひとつ参考になるかと思ってた幻の人車鉄道だが概略図だし、実際には無い道が描かれてたり、
人車・軽便駅の場所が違ってたり、現在もある寺山神社もソコじゃないし、、、
軌道跡(点線)がユニークなのは参考にならんという事か

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明治地図で人車鉄道の位置が判る、、というのを見つけてないのもアレだが、
とりあえず豆相人車鉄道測量図を重ねてみると、大正5年軌道とかなり一致する
という訳でまだ推測段階だが、根府川付近の人車・軌道は
大正5年位までは専用軌道としてこのルートを通ってたと思われ

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軌道と重なる部分もあるのだが、大正道と熱海線、ドッチが先だろう

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熱海線は東海道本線国府津駅から分かれる形で大正9年に国府津-小田原が開業してる
その後、大正11年12月21日に小田原-真鶴間が開業。根府川駅もこの時より
そして熱海軽便鉄道は小田原-真鶴間が廃止

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前にもチラと出たが富士箱根の乗合自動車、小田原-熱海間は大正6年6月30日開業
この時までには自動車の通れる大正道は開通してる事になる

ぉゃ、大正道が先のようだが、熱海線のスケジュールは開業日で、工事の着工はもっと早い筈

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てな訳で熱海線の工事記録を漁る

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根府川駅を含む区間は第四工区である

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先に解説されてしまったが、この工区は大正9年1月3日に着手した
「断崖絶壁急峻なる地域を通過」とあるように、大変な難工事
おまけに白糸川を越える区間最大橋梁(現在の橋長119m)も架けるんだから、この工区は大変だな

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ちょっと大きく
全工区の起工/竣功年月日と施工業者が載ってた
第4工区を担当したんは「日本工業合資会社」で、他にも1、5甲、5乙、7、9区を担当してる

どんな会社なのかぐぐってみたが、他にも鉄道や橋の建設にチラホラ名が見つかる
同一の会社か決めてがなく、また現在有る会社も畑違いなトコばかりで、詳細は不明だ
(工業という銘から、ホントに工業の会社がヒットするが、
ひょっとしたら当時「工事業」的な意味の社名だったんじゃないかと推測)

「断崖絶壁急峻」なんていう表現があったものだから、難工事の解説が期待できるんだが、
残念なことに内容の大部分は「丹那トンネル」と「震災(被害と復興)」だ

丹那トンネルは熱海線全体の建設予算2,400万円(当時)7年の予定が、
16年もかかり多額の総工費2,600万円(当時)から仕方ないとして、
関東大震災に襲われ、半ば出来あがり部分開業してた路線はズタズタになり、
地上部分は粗方被害を受ける
震災復旧はある意味造るより大変と思われる

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それでも幾つかは有効なネタを掘り起こす
鉄道敷設に辺り、道路の切り替えも行われてる。第四工区では道路橋の架け替えも行われたようだ
(場所と規模が判らないのが残念)

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てな訳で、大正8-10年頃から行われた熱海線/小田原-湯河原(1~7工区)工事は、
馬車や熱海軌道(鉄道)により資材の運搬を行う、、、と、ある通り、
大正6年までに熱海まで通じていた大正道が使われた、、、時代的にも正しいですしね

震災復旧は、道路がズタズタになり、部分開業いてた鉄道線もトンネルや橋梁に被害が出て断絶
おまけに熱海鉄道は復旧させるにはあまりにも被害が大きく、断念せざる負えなかったという
(熱海鉄道は大正9年より国が所有。熱海線建造の為フルに利用されていた)

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てな訳で、この地図的には明治道の後、明治29年に人車軌道、大正6年までに大正道
(そして区間全てか不明だが、併用軌道になったと思われ)
大正9年から熱海線の工事が始まり、大正11年に根府川を経由して真鶴までの開業。となる

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こちらの写真が「断崖絶壁急峻なる地域」

昭和9年の丹那トンネル開通(熱海線→東海道本線)ですから、鉄道は電化されてます
下を通るは県道小田原熱海線で推定大正6年までに開通、
一番低いトコ辺りが根府川合流事業交差点になります

この大正道を造った記録がまだ見つかって無い

長くなったので、若干蛇足だが続く
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2017/06/28

仕事の件なんだが茄子

仕事朝までかかったので未だレポに取り掛かれず


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お得意さんの自宅兼仕事場を新築するんで、古いPCが出てきた。PBのG3とG4だ
中身を消してリサイクルする

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追加来た--っ、首振りiMacとMBPだ。iの方はお子さんが使ってた奴だけど、ノートは1ユーザー
生粋のMacerなんすが細かいトコはまだ聞かれる
私もPPC初期までMAC使ってたけど、Mac用ソフトがWindowsで動くようになってからは・・・

リサイクルの方は暇が出来たらボチボチで良いのだが、
ここんトコ図面と睨めっこして追加の配線などアレコレ
(施工業者がヤルので工事仕事は無い)
(箱が邪魔だが首振りは出すともっと邪魔)

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こちらは別のお得意さん用のテスト

iPhoneのデータをバックアップするんだが、PCは使いたくない、、との事
無線ルーターにUSB端子の付いてる奴で、HDDを繋げると簡易NASになる。試してみた
スマホから転送ツール使えばOK (私は自鯖だが今こーしてる)

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11ac対応の無線ルーター、早いなぁ。うちは11nなんで倍位早い
外回線(一応ギガ光なんだが)は頭打ちがあるから判らんかったが、
ローカルの環境だとモロに出る

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しかし操作忘れるからな~簡単にできる奴、、NASばどうだい?

NASっうのは簡単PC内蔵LAN接続HDDで、鯖を用意するより簡単にファイル共有できるんだが、
死んだ時にデータを引っ張り出すに苦労した覚えが・・・

しかし最近のNASは凄いらしい

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ぃゃコレNASの領域越えてるだろ、パーソナルクラウドストレージって書いてあるし

ありがちなマニュアル不備(なんで米メーカーは簡単そうな事書いて間違う?)でちょい苦労したが、
本体設定とスマホにアプリをインストすると

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スマホで写真撮るとバックアップされる。普通?
もう一枚撮るともう一枚も自動でバックアップされる 

おまけにローカル(Wifi接続)な環境だけじゃなく、外からも出来る
頻繁にデータ通信されたら困るが、
ソコは「データ通信も/Wifiのみ/手動」とかの設定があるんで、
Wifiのみにしとけば自宅に帰って来た時に自動でバックアップだ
(アプリ常駐させとくか起動の必要はある)

こりゃ楽、、、欲しい

デジカメは未だUSBで接続してデータ転送してるのが非常に面倒
だんだんこーなるのか、、横着になってきたものだ
(そういゃ昔はメモりカード抜いてUSBアダプタに刺して、、と今にしてみりゃ死ぬほど面倒)

アフィリエイトは貼らんので宣伝じゃない、お勧め。安くなってきて17k切って買えた
マニュアルさえちゃんとすれば完璧なのにな
2017/06/27

チャリカバー

根府川道の件はついでに調べた資料に良いものがあって、まだ纏まってない


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先日ブルーシートのカバーを外したらチャリが濡れてる
良く見なくても判るプルーシートが劣化して雨漏りしてるのだ
去年の9月位に造った奴なんだがな、、、今回寿命が短い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/76/33169476/img_1_m?1498518862

梅雨の時期なんでビニール袋被せてブルーシートかけてるけど、
ブルーシートは劣化してポロポロ接がれて始末に負えない

新しいの造る手間はたいした事ないのだが、いつも同じじゃマンネリなんで、
何か良い布地はないか検討中・・・

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の間だけでも市販のカバーかけとくか、、と思ったら百均でカバーあった
とりあえずだからコレで良いわ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/76/33169476/img_3_m?1498518862

だがしかし紫外線対策っぽ色してるのは偽装で、ペラペラ....薄い!

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いまに位不安だけど、とりあえずだから、、、が、短い!
こんなんじゃ風で捲れたり飛んでいっちゃうヨ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/76/33169476/img_5_m?1498518862

サイズ表記はあるんだから、良く見るべし
そもそも絵でも短いじゃないか

ブルーシートの奴は3畳用を長手で折って袋状にしてるんで、丈は135cm程ある

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しょうがないのでその上にブルーシートかけてとりあえずOK
ぃゃ、何も改善されてない気がする

なんとかせねば
2017/06/25

熱海街道/根府川道 #1

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ここ何年か熱海街道の調査に比重を置いてたが、この道はホント厳しい

箱根山が海に接する海岸線なだけあって、山谷がそのまま海に接し、浸食されて急斜面の海岸線、
大正期に熱海線(後の東海道本線)を通すにトンネル十数本も掘ったは必然として、、

戦後国道も我慢できず3本のトンネルを通したが、
それ以前の街道にはは一本のトンネルも造られなかった、、、不思議な位だ

ちなみに中間にある真鶴半島は、約15万年前の溶岩流によって形成された

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その急峻な海岸の中でも、根府川駅小田原側のこの斜面は、街道一「道の歴史が熱い」と思う
海岸傍に標高100を超える高台は田にもあるが、此処では鉄道と旧国道、新国道が斜面にへばり付いてる

某3D画では道路が傾いて表示されてるし、
鉄道は標高約45mと中間位に過ぎないのだが、かなり上の方に表示されてる

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左側地図の険しい場所、赤矢印間辺りでデータを取ると、
東海道本線は標高45m、旧国道である県道740号線は32.6m、
旧真鶴道路である現国道は2車線幅を取る事ができず、
上り(小田原方面)22.4m、下り(熱海方面)18.8m
(旧道分岐32.1mから根府川隧道14.2mまで一気に下ってる)

それが等高線100m-海岸0m、129m幅の中でひしめいている

まぁ、よくぞこんなトコに鉄道と道路×2を通したものだ

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旧片浦橋を探せ!で、現在国道でない部分が旧道(旧国道)と報告したが、
旧道はそのまま現県道740号線の道筋でJR根府川駅前を通り過ぎる

この道は大正期に造られた自動車道で、
それとは別に前にも話が出た明治期に造られた人力車道が存在する
それはピンクのルートで概ね現存してる

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明治期の初め、、某自治体のデジタルマップの奴なんで正確な時期が判らんが、
国府津駅が東海道線の終点なので明治22年以降、豆相人車鉄道がまだなので明治29年以前の間

青赤ラインは先程の現道に記したルートだ。かなり良い感じに沿ってる

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ぐっと時代は下がって昭和11年
縮尺が細かくないので不正確だが、大正道で旧道落ちした明治道が町村道(2m幅以上)で描かれてる


一番熱い急斜面の鉄道・道路は次回として、まずはこの明治道について、、現在の様子を

撮影日 2017年06月20日

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旧片浦橋を探せ!で出た旧道新古、古い方へ入って農道を登る

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旧熱海線/東海道本線の米神山トンネル坑口上を通る。向こう側は下牧屋トンネルだ
この間に牧谷川が流れてるんだが橋梁形式にはなっておらず、暗渠で潜ってるらしい

最初橋かと思ったピンク丸内。枕木が並べられてるようだが何だろう?作業通路?(伏線か?)

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つづら折りで登ってく

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牧谷川を牧谷川橋で渡る
お洒落な欄干だが、ウォーキングトレイルの整備でこんなんになった
以前は農道によるある簡単なRC橋だったんだが

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華やかなトレイルとは裏腹に、地味だが何か趣を感じさせる道を行く

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明治期よりずっと後の施工だと思うが、精巧な石積み擁壁
処によっては山の奥に二重三重に石積みが築かれてるトコもある

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農地、農小屋があったりするが、ごく一部

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永く使われて無い道分岐、道中唯一の沢となる北沢(ただし普段水の流れは無い)

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道路脇の標柱は小田原市

この道は旧県道で国道指定はされんかった
大正道が出来たんで県道から市町村道落ちしてる
流石に「県」の標柱は無い

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最近車の出入りが時々ある分岐(ここに来た時にも一台降りてきた)を過ぎ

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ちょこっとだけ売れた分譲地前を過ぎた処

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それが台地越えルートのピーク(最高地点)である。もうちょい先が旧片浦中だ

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旧片浦中山側を通り、正面へ
片浦中は平成22年/2010年に城山中(ウチの母校)に統合された

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中学校から集落に下る道は、若干規格アップしてる

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小学校と片浦支所の間を通り、根府川集落の上に出る
うむ、よい景色

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神社裏の90度コーナー、分岐を過ぎると真っ直ぐに下り

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大正道/旧国道/現県道740号線に出る

こちらから見ると「いかにも旧道」らしく見える


実はこの道、湯河原でバイトしてた35年位昔、帰り道で国道が激しく渋滞してる時、
時折お世話になった抜け道である

懐かしいなぁ

ただし、今通ったようにピークから小田原側は殆ど擦れ違え無いし、
昔は人も通らぬ寂しい道だったが、人家やら何か増えたので、時折車両通行も有る
延々バックして譲れるスキルを持ってないと車じゃ通れない

次回、大正道とかに続く
2017/06/24

昔の片浦橋の姿

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_9_m?1498000150

旧片浦橋を探せ!でお伝えした通り、旧道は谷を経由し片浦橋は最奥に架かってた
かつての牧谷川は海岸に谷を形成していたのだ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_18_m?1498000150

海岸沿いに造られた新道/国道135号線の片浦橋は、その谷を渡るアーチ橋で、
牧谷川が埋められなければ、橋からはなかなかの景色になってたに違いない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_0_m?1498282604

しかしながら「相模の橋 今と昔」の写真は大分後に撮られたようで、今の姿と変わらない

かながわの橋100選/片浦橋
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7488/p27900.html

も割と新しい写真が使われてる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_1_m?1498282604

架橋当時の写真~と探したのだが、見つかったのは「土木技術」(1961/10)に掲載された写真のみ

オープンアーチじゃないように見えるが、角度がついてるからで、
牧谷川の右岸/熱海側、谷に下ったトコから撮ってる
今じゃ見れない景色だ

谷の様子も判る写真、、と思ったのだが、海側からじゃ船か航空機からしか撮れんな。多分無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_2_m?1498282604

もうちょっと何か情報、、と小田原市広報を漁ったのだが、
一番最初にしなきゃなんないのは昭和29年12月号
この年12月1日に、上府中村、酒匂町、国府津町、下曽我村、そして片浦村が小田原市と合併したのだ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_3_m?1498282604

熱海方面、早川までが小田原市だったが、この時以降真鶴町(当時岩村)との境までが小田原市になった

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_4_m?1498282604

ついでなので以前の片浦村について・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_5_m?1498282604

この号には合併して区域が増えたからだろうか、国県道について要望が書かれてた
赤枠内国道135号線(注.この時は現在の道じゃなく、全て旧道)について、
早川橋の件と、片浦村地内道路について「塵埃のため被害甚大」なんで早急に完全舗装してと、
まだまだ未舗装の区間がかなりある事が判る

その後、現在の国道ルートの工事が始まり、途中の様子、、と期待したのだが・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_6_m?1498282604

市の広報に載ってたのは新道の早川橋位で特に無し
これも早川の漁港整備と大規模区画整備のオマケ的に扱われてる

もち、国県道なので市の広報にゃ関係無いのだが、新幹線、西湘バイパス、小田原厚木道路等は
工事進んでる、橋架かった、と都度に掲載されてる
どうも東西の温度差が違ってて、国道135号については工事の進捗はおろか、
新道開通すら記事になって無かった

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_7_m?1498282604

新国道開通に伴い、旧道の一部は小田原市の扱いとなるのだが、それすら「特に無し」
地元道の根府川地内の根府川橋(旧道/白糸橋、国道/新白糸橋の間にある)
架け替え位しか載って無かった

あとは県土の資料にあるかな~今度探してみよう

最初の段階で海側からの写真は無いだろ、、と思ったんで

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/69/33165869/img_8_m?1498282604

某3D画を加工して造った・・・・タノシイ
2017/06/21

旧片浦橋を探せ! 0622追記

撮影日 2017年06月20日 (一部は日付違う)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_0_m?1498000150

人車・軽便鉄道と地域絵葉書 で熱海街道に最初の車道、人力車道が出来たのは明治14年とお伝えした
神奈川県側の資料として、小田原地方新聞記事目録でも、明治14年に工事が行われてた記事があった
これによると明治14年はまだ工事中という事か

明治16年に熱海紀行の記事があるので、その頃には自由に行き来が出来たようだ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_1_m?1498000150

震災で壊れた早川橋は大正6年架橋だが、同年8月に県道(小田原熱海線)の片浦橋が改築されたとある
自動車道としての改修が行われてた時期なので、それに合わせて各橋梁は架け替えが行われたろうが、
今の処この片浦橋しか情報がない

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_2_m?1498000150

現在の片浦橋は国道135号海岸線に架かる橋だが、この道自身橋と一緒に昭和60年代に造られた新道だ
ゆえに大正6年改築の片浦橋は旧道の、、となる訳だか・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_3_m?1498000150

現道の片浦橋

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_22_m?1498000150

現橋自身も不思議だ。神奈川県西で古い時代のコンクリアーチの橋梁は殆ど無い

アーチは支間を広く取れるので、険しい谷で架けられるのが多いが、橋の山側に谷は無い
道をくねらせるか、桟道橋で良かったんではないかと思われる程

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_4_m?1498000150

旧道から下の国道135号片浦橋脇に降りる人道がある
旧道にはバスが走って無く、国道片浦橋脇にバス停があるからなのだが

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_5_m?1498000150

この人道、片浦橋の右岸側から降り、左岸の橋脇に出る訳で、ソコに谷など無いのが実感できる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_6_m?1498000150

さて、旧道だが、ドコに橋があるんだろ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_21_m?1498000150

神奈川県橋梁のバイブル「相模の橋 今と昔」では旧橋/旧々橋についても書かれてたりするが、
片浦橋については記述が無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_7_m?1498000150

片浦橋が架かるのは「牧谷川」という水系だが、谷奥に川は流れてる
しかし旧道脇は妙に平な地形が広がったてるだけ。勿論橋など架かって無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_8_m?1498000150

谷奥の東海道本線は米神トンネル/下牧屋トンネルの間、僅かな明り区間があり、
その下を牧谷川は流れている
が、旧道の間は平坦な地形。川は暗渠となって地下を流れてる、、らしい

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_9_m?1498000150

現国道135号が出来る前は、県道小田原熱海線が、、なんてこったい!谷奥で渡ってるじゃないか
牧谷川と交差する場所に旧片浦橋が架かってたのだ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_10_m?1498000150

しかも小田原側(地図上側)のアプローチ道は、まんま残ってる!
ひよっとしたら、ソコに旧橋が・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_11_m?1498000150

てな訳で牧谷川左岸/小田原側から新古の旧道が分かれる地点

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_12_m?1498000150

古の旧道。確かに数件の住宅道路としては、幅が広い
右に登ってくのは農道で、今んトコ関係無い

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_13_m?1498000150

左岸アプローチ道は若干狭くなりながら、軽トラの止まってる場で終了

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_14_m?1498000150

恐る恐る軽トラの向こう側を見ると・・・

切れ目っぽいのはあるが、その先は橋じゃなく擁壁

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_15_m?1498000150

上流側を見れば、谷底に牧谷川が見えずとも流れの音が聞こえる

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_16_m?1498000150

実は軽トラの主と思われる人と会話しながらの撮影してる

やはり此処に橋が架かってて、ぐるりと続いてたそうな
海岸沿いの国道が出来る前の谷が埋め立てられる以前は、此処に道路があったそうだ

谷が埋められたのは、30年位前との事(ん?)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_17_m?1498000150

右岸側、旧道と交わる場所
平場には谷があり、元々の小田原熱海線は谷奥に延び、ソコに旧片浦橋が架かっていた

2017/06/22追記.
余所で聞かれたんだが、旧片浦橋は豆相人車/熱海鉄道の軌道併用橋だよ
軌道もこのルートを通ってた
以上追記

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_18_m?1498000150

ただ、谷が埋められたのは30年前じゃなく、もっと昔
40年前位にゃ、中坊の私がチャリで何度か通ってるが、今と変わらない景色だった

海岸沿いの新国道135号片浦橋が架かって一年程の昭和37年航空写真でも、
旧道は谷奥に続いてるが、既に谷は埋めてる最中のようで・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_19_m?1498000150

昭和42年にはすっかり埋められ、現在の旧道ルートに替わってる
旧道が変わったのは1965年頃らしく、50年以上前だ

旧片浦橋は現存しないが、架かってた場所が判ったのは嬉しい

また、現片浦橋は谷を渡って架けられてた
谷が埋め立てられずそのままだったら、片浦橋からどんな風景が見えただろう


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/45/33161745/img_20_m?1498000150

震災後の復旧では元の幅員で、大正6年自動車道のスペックだが、
昭和50-60年代に大改修が行われ、多くの新道が造らた

熱海街道は本格的自動車道として国道に相応しい道となる
2017/06/20

R135 西へ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/10/33161610/img_0_m?1497955463

今日の仕事の合間に小田原漁港

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/10/33161610/img_1_m?1497955463

小田原漁港/臨港道路は、着々と進んでる
未舗装だが、大方の路肩は出来てるようだ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/10/33161610/img_2_m?1497955463

さらに西へ


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/10/33161610/img_4_m?1497955463

小田原方向

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熱海方向

と、海側(仮)嵩上げされた以降、そのまま

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/10/33161610/img_6_m?1497955463

この側線、ペイント+飛び飛びグリグリなんだが、ホイールベースとの関係か、白線上が走りにくい

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米神港

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から見える

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/10/33161610/img_9_m?1497955463

片浦橋

旧橋について調べた結果を検証しに行って来た
まとめてるけど寝落ちしそう
2017/06/17

早川橋とre宝石楼

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_0_m?1497682296

人車・軽便鉄道と地域絵葉書の早川橋と宝石楼跡の三原堂らしい
ん~「昨日の道去年の坂」には宝石楼になってたと思うんだが、、、

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_1_m?1497682296

コレコレ。私は宝石楼という事で旧熱海街道/宝石楼書いてるが、この橋って明治期の橋なんだろか・・・
実は変だな~とは思ってたんす

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_2_m?1497682296

高欄(欄干)がメチャ細いこの橋は

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_3_m?1497682296

震災で壊れた早川橋です

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_4_m?1497682296

高欄が判り易いカット

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_5_m?1497682296

ズーム

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_6_m?1497682296

震災報告書の本文にも、大正6年の架設とあります
橋長45間(81.8m)、幅員16.5尺(5m)の鉄筋混凝土(コンクリート)桁6連
高欄も鋼鉄製云々

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_7_m?1497682296

早川橋の歴史は、実はまだあんま調べてなくて、今回慌てて調査しました
(というか熱海街道の調査は、まだ道半ばです)

木橋時代は穴だらけでマダマダですが
大正6年永久橋以前には木橋なのは間違いなく、
小田原-熱海県道が改修する事になったのは大正5年頃なので、それに基づいてると思われ

また、この細い高欄を木橋時代に設けるんは構造的に無理だと思う
(桁の外側に取り付けられてるならまだしも、桁側に埋まってる)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_8_m?1497682296

そして震災後、仮橋の後造られたのが大正15/昭和元年架橋の先代永久橋です

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_9_m?1497682296

右端にチョコっと写ってるのが延長された左岸桁です

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_10_m?1497682296

上流に仮橋が架けられ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_11_m?1497682296

現橋が架設。撮影2017年06月16日

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_12_m?1497682296

1997年(平成9年)3月完成

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/86/33157886/img_13_m?1497682296

3径間の連続PC箱桁橋です


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/725107/img_725107_30902088_1?1381411886

するってぇと「昨日の道去年の坂」のこの写真キャプションが間違ってる、、って事ですね

建物の方は殆どノーチェックなんで、この分野は弱いです

今回、明治大正昭和初めまで、橋梁データ漁るんに「小田原地方新聞記事目録」見直したけど、
やはり大正期に宝石楼の記述ありませんでした

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/725107/img_725107_30902088_6?1381411886

宝石楼の記事にコレ載せてたので、明治9年当時既に橋は架かってたようです
というか早川荘(平安)時代位まで遡れるんじゃないかと、、(ぃゃ無理)

調べるんにメチャ時間かかった
2017/06/15

佐奈田霊社前踏切跡

早川橋の件は、現橋の写真撮った筈なんだが見つからないので、今日仕事の合間に、、
とりあえずネタ

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/98/33155498/img_0_m?1497493212

石橋山古戦場に至る道、佐奈田霊社前に踏切があったとな!

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/98/33155498/img_1_m?1497493212

実は踏切跡があるのは知ってたんす

舗装されてるので、割と最近まで使われてたんだろか

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/98/33155498/img_2_m?1497493212

現在は佐奈田山トンネルの上を行くよーになってます

桜の咲いてる随分前の写真だな



流石に正蔵寺前の踏切は知らんでした。ぐーぐるまっぷなどで見ても跡形も無いし
2017/06/14

人車・軽便鉄道と地域絵葉書

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_0_m?1497368578

CD-R版 小田原早川~熱海「人車・軽便鉄道と地域絵葉書」ヤフオクで絶賛発売中です

ちょこっとだけ手伝ったので、1枚頂きました。ありがとうございます
PR用に、もっと早く告知せんといかんかったのだが、
ここの処ゴタゴタしてたので・・・ようやく全部見終わった処だし

熱海街道(小田原~熱海)の明治大正絵葉書による歴史解説で、
単なる紹介ではなく歴史物として十分価値のある物になってます

特に豆相人車鉄道、熱海鉄道(軽便)は、沢山の絵葉書がありながら、
ドコで撮った物か(私にすら)判断が難しいのに、アチコチ現在の場所と対比してるのは凄い
ここら辺は絵葉書の発行者・撮影者を特定できる能力あってこそです

さて、ちょこっとだけ内容紹介。やはし人車、軽便という事で・・・

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_1_m?1497368578

門川から伊豆山に向かう軽便、先に見えるは大黒崎で、専用線区間を走ってます

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_2_m?1497368578

そして稲村手前で、交換の為の擦れ違い複線となってる場所。ううっ、こんな絵葉書あったんだ
大洞台バス停付近

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_3_m?1497368578

伊豆山停車場。このように絵葉書に合わせた現在の場所が撮影されてるので、リアリティがある

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_4_m?1497368578

伊豆山停車場は、手持ちにもデータがあるので、そっちからちょい大き目に
既に軽便時代で、伊豆山では道路上にレールが敷設された軌道(併用軌道)になってます

時代が?なのですが、自動車の通行が行われる以前と思われ
軌道法では併用軌道する際、既存の交通機関の邪魔にならんよう、
道路を広げて敷設する事が定められていて、此処では右側が「残された車道幅」になってる
(軌道法t13年じゃなく、、ええと、この時代は軌道条例m25年か)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_5_m?1497368578

先ほどの交換複線の絵葉書、、、非常に見辛いので色々補正しました
谷地形っぽいトコに石積みで広場を造り複線を敷設したみたいです

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_6_m?1497368578

大洞台バス停付近付近のこの場所。併用区間らしいのですが、、
絵葉書では軌道以外の車道余地は無いような、、、

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ソコよりもちょっと大黒崎寄りのこの辺なんかどうでしょうか?
なんで此処に井戸があったのか不思議だったんすが、擦れ違い交換場なら、必要ですよね

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また、門川停車場と伊豆山停車場の間、、中間に近いコッチ(水色矢印)の方がお勧めです
両停留所間は「山越え」となるが、門川より伊豆山の方が標高が高く単純に距離の問題では無いけど
大黒崎の門川側(紫矢印)にも谷地形あるけど、門川に近すぎる

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実は稲村交換の件は、他資料にも色々出てて

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_10_m?1497368578

「稲村駅」として書かれてるのもあります
本来の稲村とは離れてるので、擦れ違い交換の為だけと思われる。駅と言っていいのか疑問も

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/02/32608902/img_1_m?1459738243

全てを見た訳じゃないが、稲村は駅では無かったと思われます
そういう擦れ違い交換場は、単線なのでアチコチにあり、一休みする場所でもあったようです
人車の人夫だけでなく乗客すら大変でゲロゲロだったとかなんとか

もっとも人車時代は、擦れ違い場以外のトコで上り下りが対面し、
片方を「ヨイショ」とレール外に追い出して擦れ違うなど、高度な運転も行われてたそうだ
(もち衝突なんてもあったろうが、脱線は度々なのであまり気にならなかったんだろか)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_11_m?1497368578

稲村駅の件は、コレが元ネタか?幻の人車鉄道/伊佐 九三四郎(1986年初版)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_12_m?1497368578

本文の方に期待したのだが、稲村付近はスルーだった

稲村が駅でなく擦れ違い場としてたのは、実は軽便ならではの可能性が有る

人車時代はお勧めの場所でも良かったが、軽便では蒸気機関の為水を補給する必要がある
水源確保を容易にする為、ひとつ伊豆山側の谷に移動したと推測
コッチの方が流域面積は広そうだし
とはいえ、その谷ですら常時の流れは期待薄いので、谷水を集める枡とか設ける必要はありそ

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もうひとつの着眼点、絵葉書は併用軌道なのか専用軌道なのか
豆相人車の絵葉書/写真は、やたら狭い路盤上での撮影が多く、
コレで併用軌道と言われたら凄く困る

【本CD-Rではそれらの絵葉書が何処で、併用/専用区間なのか判るのでお勧めです】とPR

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/91/33153891/img_14_m?1497368578

車道と言っても、熱海街道(小田原-熱海間)に自動車が走り始めるのは大正になってから
(そもそも自動車の一般への台頭がその頃からなのだが)
富士箱根の乗合自動車は大正6年から開始されてる

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じゃ人車の頃の熱海街道は何道だったのか、、他力本願でも申し訳ないが、この一枚に集約されてる

そもそも熱海街道は江戸時代、箱根関の脇関所として根府川に関所が設けられており、
自由に通行にはできんかった
物流は海路だったろうし、山道っか無かった

そこに人力車を通す道を造るというから大変かと思いきや、
明治13年4月1日より工事開始して半年余りで千歳川まで、明治14年10月というから、
1年半で人力車の通行が出来るようになったとは素晴らしい

箱根(湯本)で福住正兄が車道を造る際、
より立派な東海道から車道化ですら苦労し、7年もかかったのに
(小田原-湯本間だが、馬車通行も可なので道路としてのスペックが違うからと思われる)

話を戻して、この明治14年に開通(全通)した道路が、熱海街道の初車道となる
人車軌道は、この道路を中心に敷設される事となり、明治29年に開業する

長らく明治地図だけで熱海街道はあーだこーだ探ってたが、
人車の為に当時としてはかなり正確に測量が行われ・・・

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こんな資料が残ってるとは、涙がちょちょ切れる程嬉しい
(注.それでもかなりズレは出るが距離とか山谷はかなり良い)

人車の軌道を敷設する際、人力車道では余りにもアップダウンが多かったのか、
この図では併用より専用の区間が多くなってます・・・が、
費用対効果や投獄やホントに色々あって、人車軌道は何度も見直され、
結局併用軌道を多く用いる事になりました

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軌道も熱海側から造られたんで、コッチ側が先行
明治28年7月に吉浜 - 熱海間10.4kmが、明治29年3月には小田原 - 吉浜間14.4kmが開通
当初は早川渡ったトコまでで、明治33年6月に延長され、現国道1号の小田原電気鉄道と連絡する
(以上Wikiより)


めでたい、、、じゃなく、車道/併用軌道の件だ
人力車が通るようになった道幅だが、明治期の一般的車道2間(約3.6m)は、、ちょい無理だろ
険しいトコは擦れ違い不可で、8尺(約2.4m)位、
その他の区間が2間位、、が一般的なのでその位

そもそも人力車で擦れ違いできない場所に軌道を敷設したら、アチコチで離合できんから、
軌道幅(車体幅)1.5m位は広げた筈である

先程の擦れ違い場所に2.4mの余裕が有るかどうか・・・

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推測だけじゃ物足りないので、定番である橋梁の年代データ、
熱海街道~国道135号線/小田原~熱海間であるが、、、
実は古い明治大正期のデータはまだまだ揃ってないので、、っうか、あるんか?

人車、軽便の開通である明治28、29年/明治40、41年には橋梁にも手が入ってる筈なんだがなぁ

小田原側は早川橋中心に4尺(1.2m)幅の人道から、明治25年には早川橋/4.5mまで広がってる
明治34年まで幅は変わってないので、人車併用軌道としては、この幅が一応の目安になる

明治40年に2間3尺(約4.6m)と、軽便になるんにあんま変わってない
1917年(大正6年)に5.4m幅になってるが、これは自動車の通行を考慮してだろう

てな数値が、千歳橋、逢初橋辺りで出てくりゃ、大体完璧なんだがな
いかんせん隣の県なんで、資料漁りも結構大変で、、この辺は後の私に期待だな(頼んだ)


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橋梁データ以外にも、割と正確な熱海街道図があるんで、古い航空写真と照らし合わせながら、
明治14年車道の位置を探したりもしてます

ぁぁ、この軌道位置が正しけりゃ、まだ見つけてない軌道も、なんとかかんとか、なんだがなぁ
(もっとも関東大震災の被害は尋常じゃなく、斜面道路ごと海に転落してる場所が多々なんで、
未発見の専用軌道場所が判ったからと言って、軌道跡が見つかる可能性は凄く低い)

後、内部連絡的に早川橋の件があるんで、そっちは後日