熱海街道/根府川道 #2

もひとつ参考になるかと思ってた幻の人車鉄道だが概略図だし、実際には無い道が描かれてたり、
人車・軽便駅の場所が違ってたり、現在もある寺山神社もソコじゃないし、、、
軌道跡(点線)がユニークなのは参考にならんという事か

明治地図で人車鉄道の位置が判る、、というのを見つけてないのもアレだが、
とりあえず豆相人車鉄道測量図を重ねてみると、大正5年軌道とかなり一致する
という訳でまだ推測段階だが、根府川付近の人車・軌道は
大正5年位までは専用軌道としてこのルートを通ってたと思われ
ぉゃ、大正道が先のようだが、熱海線のスケジュールは開業日で、工事の着工はもっと早い筈

先に解説されてしまったが、この工区は大正9年1月3日に着手した
「断崖絶壁急峻なる地域を通過」とあるように、大変な難工事
おまけに白糸川を越える区間最大橋梁(現在の橋長119m)も架けるんだから、この工区は大変だな
どんな会社なのかぐぐってみたが、他にも鉄道や橋の建設にチラホラ名が見つかる
同一の会社か決めてがなく、また現在有る会社も畑違いなトコばかりで、詳細は不明だ
(工業という銘から、ホントに工業の会社がヒットするが、
ひょっとしたら当時「工事業」的な意味の社名だったんじゃないかと推測)
同一の会社か決めてがなく、また現在有る会社も畑違いなトコばかりで、詳細は不明だ
(工業という銘から、ホントに工業の会社がヒットするが、
ひょっとしたら当時「工事業」的な意味の社名だったんじゃないかと推測)
「断崖絶壁急峻」なんていう表現があったものだから、難工事の解説が期待できるんだが、
残念なことに内容の大部分は「丹那トンネル」と「震災(被害と復興)」だ
残念なことに内容の大部分は「丹那トンネル」と「震災(被害と復興)」だ
丹那トンネルは熱海線全体の建設予算2,400万円(当時)7年の予定が、
16年もかかり多額の総工費2,600万円(当時)から仕方ないとして、
関東大震災に襲われ、半ば出来あがり部分開業してた路線はズタズタになり、
地上部分は粗方被害を受ける
震災復旧はある意味造るより大変と思われる
16年もかかり多額の総工費2,600万円(当時)から仕方ないとして、
関東大震災に襲われ、半ば出来あがり部分開業してた路線はズタズタになり、
地上部分は粗方被害を受ける
震災復旧はある意味造るより大変と思われる

てな訳で、大正8-10年頃から行われた熱海線/小田原-湯河原(1~7工区)工事は、
馬車や熱海軌道(鉄道)により資材の運搬を行う、、、と、ある通り、
大正6年までに熱海まで通じていた大正道が使われた、、、時代的にも正しいですしね
震災復旧は、道路がズタズタになり、部分開業いてた鉄道線もトンネルや橋梁に被害が出て断絶
おまけに熱海鉄道は復旧させるにはあまりにも被害が大きく、断念せざる負えなかったという
(熱海鉄道は大正9年より国が所有。熱海線建造の為フルに利用されていた)
おまけに熱海鉄道は復旧させるにはあまりにも被害が大きく、断念せざる負えなかったという
(熱海鉄道は大正9年より国が所有。熱海線建造の為フルに利用されていた)

てな訳で、この地図的には明治道の後、明治29年に人車軌道、大正6年までに大正道
(そして区間全てか不明だが、併用軌道になったと思われ)
大正9年から熱海線の工事が始まり、大正11年に根府川を経由して真鶴までの開業。となる
昭和9年の丹那トンネル開通(熱海線→東海道本線)ですから、鉄道は電化されてます
下を通るは県道小田原熱海線で推定大正6年までに開通、
一番低いトコ辺りが根府川合流事業交差点になります
下を通るは県道小田原熱海線で推定大正6年までに開通、
一番低いトコ辺りが根府川合流事業交差点になります
この大正道を造った記録がまだ見つかって無い
長くなったので、若干蛇足だが続く
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