2016/03/31

山北鉄道公園/D5270 +α

撮影日 2016年03月30日 前回 2016年03月05日

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_0_m?1459385657

山北町鉄道公園へ

24日から「やまきた桜まつり」やってて、SL付近が少し片付けられてる

山北町観光協会/やまきた桜まつり
http://www.yamakita.net/event/35

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_1_m?1459385657

ゲートボール場は長らく入れんかったので、正面ビューも久しぶり

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_2_m?1459385657

延長された12mのスラブ軌道も、生で見るの日初めて

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_3_m?1459385657

既存レールとの接合部分

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_4_m?1459385657

このスラブ軌道〈ラダー軌道〉、間がヘコんでるのだが、随分深い

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/85/32566785/img_6_m?1457271880

完成予定じゃ描いてないけど、普段は蓋するとか、なんかせんといかんな

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_5_m?1459385657

機関車の本線側もずっと見れんかった

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_6_m?1459385657

既にピストン廻りはカバーかかってるが、反対側と同様の作業が行われたと思われ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_7_m?1459385657

反対側も同様だが、一部ビニールがかけられてる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_8_m?1459385657

先日の試運転で動いて、運転台の階段とズレてしまってる

山北町観光協会facebook/試運転の様子
https://www.facebook.com/1649858205270108/videos/1686399081616020/

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_9_m?1459385657

前照灯も戻ってきたね、、ん~線が繋いであるんで点灯するんか

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_10_m?1459385657

公式に動かすんは、10月14日になるそうだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_11_m?1459385657

肝心の桜は、というと、、、まだ早いなぁ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_12_m?1459385657

本格的に見れるのは来週かな


ついで
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_13_m?1459385657

新庁舎へ引越しした松田警察署ですが

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_14_m?1459385657

解体が始まって、もうほぼ終了
県道側は2階になるので、実質もう1プロア有りますが


さらに
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32602931/img_15_m?1459385657

この日は風が強くて滑り台が倒れたとか、、、
じゃなく、新しいゴーグルの出番です

右上/防護メガネ→右下/防護ゴーグルと使ってますが、今期は左/防塵ゴーグルを導入

曇り難くなってるのと、顔との間に隙間が出来んよう、ぴったりフィットするようになってる
花粉症対策でマスクしたままコレ付けても、曇り難いのは良いよね

このシーズンだけはゴッツイ奴付けてても「他人の目処」ではないから、
良いフルフェイスの「ガスマスク風」とかあったら、喜んで装着しちゃう

適度によいモノがあって良かった。暫くコレ使おう
スポンサーサイト



2016/03/29

この忙しい時に

花粉症の症状酷いな、鼻水、頭痛、微熱、、だけじゃなくガンガン来るゾ
気付いた時は風邪が酷い状態に
いつもなら千円位のドーピングとひと眠りでナントカなるんすが、なかなか改善しない

とりあえず咳が酷いんでソコら辺中心に対策して少し納まって来た


https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/43/32600543/img_2_m?1459238242

仕事の方はメールと電話、、で済まない分、今日片付け

車なんで帰りは、、熱海にしか無い震災資料があったので熱海市立図書館に寄る
が、期待外れしょぼーん

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/43/32600543/img_3_m?1459238242

序でに謎の石碑を見るが謎だった

体力的にコケてる時にヤバげな碑だとヤなんで調べてはこんかった

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/43/32600543/img_0_m?1459238242

交換パーツも入ってるのにいつやろう

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/1036370/43/32600543/img_1_m?1459238242

この辺も入荷済みなのだが・・・

っーか、篠窪大橋は多分繋がったろうし、新東名の高取山トンネル西側〈小蓑毛〉工事してるし、、、

まぁ、無理するからこーなったので、程々にせんとなぁ
2016/03/22

静岡県道熱海小田原線/震災被災写真

熱海鉄道〈熱海軽便〉の被災写真が見つからないので、
併用軌道として走ってた道路の方、県道熱海小田原線の被災写真を探してみた

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_0_m?1458585737

静岡県大正震災誌から、応急工事が行われた熱海小田原線。伊豆山東谷地内
とりあえず人通れる

ん~路面に線路があるみたいな

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_1_m?1458585737

同。伊豆山、、弁天平で良いのかな?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_2_m?1458585737

県道熱海小田原線は、熱海から神奈川県境の門川まで、現在の国道135号線の前身である

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_3_m?1458585737

伊豆山は熱海に近い途中であり、東谷という地名は無いがバス停がある。おそらくこの近く

弁天平はドコか判らない。稲村近くの海に弁天岩があるけど、多分関係ないと思われ
地図にない弁天神社とかあったんだろか

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_4_m?1458585737

被災状況は、、この道路に限った事ではないか、殆どの道路が壊滅状態
特に山腹を削った海岸線は殆ど崩れたので、残った部分の方が少なかったと思われ

復旧は、、あれ伊東熱海線っか書いてない
小田原方面の復旧は、先の神奈川県側も酷い状況なんで、暫くはどーしょーも無かったんだろな

伊豆半島反対側は割と軽微だったので、熱海峠越えの救援が早くから行われてた
伊東への復旧は熱海経由で伊東への救援という事だろう
〈余談だが、駅伝ゴール地点の箱根では、
静岡側から箱根峠を越えて多くの救援を受けた。静岡の人達に大変感謝である〉


ん~最初の写真、どっかで見たな・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_6_m?1458585737

土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブス、関東大地震震害調査報告掲載写真だ
調査報告書に使われた写真が載ってて、第三巻/道路之部にある
アーカイブ等で見れる印刷物より解像度が良い 〈元はもちょい大きいサイズ〉

道路上、やはりレールだね
復旧用トロにしちゃ、枕木がちゃんとしてるので、軽便の奴で間違い無いと思われ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_5_m?1458585737

同県道の写真はまだある

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_7_m?1458585737

元の状況が判らないので、どんだけ崩れたのか判らん

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_8_m?1458585737

震災前の伊豆山/逢初橋がこれだけの幅なので、道幅員は最低コレ以上と思われ

自動車は通ってたと思われるが、震災前の乗合自動車の確認はまだ出来て無い
〈静岡県側の会社はあんま調べてない

付属

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/79/32589679/img_9_m?1458585737

省線熱海線の真鶴駅と軽便の駅だが、国有鉄道震災史でキャプション付いてるので間違いなさそ


後は非デジタルと個別写真〈絵葉書〉だが、ソッチは時間かかるなり
2016/03/21

熱海鉄道/震災被災写真 追加有

ヨッキれん さん御依頼の熱海鉄道〈熱海軽便〉の大正震災被災写真なんすが・・・


https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_0_m?1458534272

絵です。コレが写真だったらバッチリなのに
場所的にも例のトコ近いので、ひょっとするかも知れません

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_1_m?1458534272

倒壊した省線熱海線の真鶴停車場に写ってるのが軽便らしい
震災時、熱海鉄道は小田原-真鶴間は廃止され、真鶴-熱海間の営業

震災前の熱海線真鶴停車場開業の写真にも、駅前を軌道が横切っている

〈注.この写真は同写真帳の版によって入ってる/無いのがある。白黒版には無い〉
〈鉄道震害調査書/鉄道省、関東大地震(大正十二年)震害調査報告/土木学会
の写真とほぼ同じセットだが、このカットは入って無い。また白黒版はよく見え無いがコレは良い〉

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_2_m?1458534272

同じ写真帳から
怪しいが湯河原の写真でレールが写ってる
場所的に熱海鉄道本線ではなく、省線工事の為の臨時線の可能性が高い。枕木丸太だし

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_3_m?1458534272

以上は「近代デジタルライブラリー」でおっきいの閲覧可
識別番号をセットして検索

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_4_m?1458534272

静岡県立中央図書館のデジタルライブラリーで閲覧可な
「大正十二年関東大震災静岡県被害状況写真帖」に掲載されてる一枚


とマニアックな写真を集めた訳じゃなく、殆ど無いんす

熱海鉄道が復旧せず廃止
数が多い「神奈川県版」に含まれない〈真鶴-湯河原は神奈川県だが〉
交通断絶で行き来できん
他の被害大杉

色々考えられますが、そもそも熱海の被災写真が思いの外少ない


近代デジタルライブラリー、静岡県立中央図書館、熱海市立図書館のデジタルライブラリー
にある資料は一通り見てる筈なので、そこら辺の漏れは無い筈です

デジタル化されてないモノや、後の古写真集系でまだ見て無いのがあるんで、
そこら辺にあるかも知れません


http://yahoo.jp/box/vaeoJN
の写真は広い物です。ドコで・・・だったのか忘れてしまいました
場所は「熱海停車場」です


被災後のレール撤去ですが、なにせ震災でゴタゴタしてたんでよく判りません

大正9年に省線熱海線云々で、大日本軌道から国に売却され、熱海軌道組合は借りてました
既に国のモンだから、工事誌などには書かれてないが、
復旧工事などに持ってかれたかも知れません
どさくさで持ってちゃう人もいたかも~

あまりお役に立てず、すんません


.追加 そういえばこないだ写真集1冊手に入れたんだっけ・・・
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_5_m?1458549793

震災の写真に「軽便鉄道会社前の惨状」というのがあったけど、コレは使えない/使い辛い

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/90/32588590/img_6_m?1458549793

確かにちょいと前までは軽便線の会社あって小田原停車場だったけど、
震災前の大正9年に小田原-真鶴間は廃止になっちゃったんだよね

でもまぁ、写真でレールが残ってる=廃止の時にとっとと外さなかった。というのは判った

20160504追記.
hin**964 さん御指摘の通り、この写真に写ってるのは熱海軽便鉄道では無く、
箱根登山鉄道〈小田原電気鉄道〉の小田原-湯本間の軌道線でした
以上追記
2016/03/20

東海道本線/酒匂川橋梁 耐震補強工事

撮影日 2016年03月18日 前回 2016年03月02日

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_0_m?1458432455

仕事の前に酒匂川橋梁へ
左岸国府津側では新幹線橋梁で何やら作業中

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_1_m?1458432455

左岸歩道沿いの旅客線の橋脚を見ると、枠板も外され、、おおぅ太くなってる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_2_m?1458432455

もう地固めの段階なので、補強としては終わったようだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_3_m?1458432455

左岸から様子を見ると、耐震補強の工事、今日は行われてないような、、、チャ~ンス

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_4_m?1458432455

右岸小田原側にやってきた
車両等あるけど人影無し。今日はお休みかな
コチラ側の橋脚も補強されてるが、オレンジのフェンスに阻まれてよく見えない

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_5_m?1458432455

右岸河川敷は全てフェンスに囲まれてるし、河原には工事用仮設道路があって近づけない

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_6_m?1458432455

だがしかし、現場フェンスど真ん中は車両通行の為通れるのだ
ただ、通常作業車や人が出入りしてて、とてもじゃないが近づけない
休みの今日ならゲートも閉じてるので、安心して通れる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_7_m?1458432455

右岸上流側に出られるのだが、そーっと見るとやはりGマンが常駐してる

アソコ入れれば、現在作業してるんは際下流の旅客線だから、橋梁に近づく事は出来るんだが、
橋梁の上流で河川整備も行われてる
トラックの出入りがあるんで、コッチが休みでもガード中
当然、アソコは入らせて貰えない

現場が休みの時に、下流側から入るしかないのだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_8_m?1458432455

フェンスの内側になってるけど、別段超えてきた訳じゃないからね
現在作業中行われてる場所はしっかりフェンスでガードしてるけど、
終わった場所は外側だけフェンスが残ってるのだ

右岸小田原側堤防近くの橋脚を見る
今期の耐震補強は下流の旅客線の橋脚で、既に終わっていて太くなってる
左岸と同じ作業が行われたと思われ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_9_m?1458432455

国府津方面川央の次の橋脚も太くなってる
右岸側は此処まで完了してて、次の橋脚はフェンスの中。まだ完了してないようだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_10_m?1458432455

久しぶりにお気に入りの場所に来てまったり

下流の旅客線は複々線化の時で、複々線化される事も珍しい事だが、それでもまぁ普通

中央の大正橋梁は熱海線として造られ、大正震災で被害を受け復旧
丹那トンネル完成で東海道本線となり、、、

上流の新幹線はモデル線として造られ、試作車両も走ったりした
新幹線開業で本路線となり、、、

いゃぁ、歴史が迸る橋達だなぁ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_11_m?1458432455

前期で貨物線の橋脚も工事され、どーなったか心配して一度見に来てるが、
やはりドコが変わったのか判らない

工事が行われる前、2010年 の様子

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/61/32546961/img_15_m?1456166699

さう、前回この写真で左岸側堤防外のガーダーは2径と言ったが、違うかも知れない
よく見えないのだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_12_m?1458432455

震災時の資料を調べると、国府津方は4径、小田原方は12径のガーダーだった
数年前の建造時からこの仕様だったぽい
〈熱海線開業は大正9年だが、建造は大正5年から〉

震災で第2トラスは上流側に落ち、他の桁もズレると被害を受けたが、橋脚に目立った被害は無かった
偶々揺れと場所の関係なのか、この石積み橋脚が堅牢だったのか判らんが、
他の橋々が滅茶苦茶壊れたのに対して、酒匂川橋梁の被害は軽微である

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_13_m?1458432455

〈注.図面と合わせて、左が国府津方、右が小田原方、上が下流となっている〉
堤防外ガーダーがいつまであったのか、航空写真では確認しずらいが、
とりあえず昭和21年の横から撮影したっぼい奴で見てみると、震災時と変わって無いみたいだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_14_m?1458432455

旅客線の耐震補強工事は6月まで行われる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/06/32587006/img_15_m?1458432455

雲一つ無い快晴で、パノラマ撮り

2016/03/19

熱海市伊豆山/R135旧道 +α

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_0_m?1458365188

国道135号、静岡県熱海市泉元門川分〈いずみもともんがわぶん〉
左に見えるんは大黒崎のリゾートハイツ群

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_1_m?1458365188

熱海鉄道〈熱海軽便〉はちょい手前で熱海街道を離れ、
大黒崎と次の岬を専用軌道で廻り、稲村で道路に戻る


当サイトでは今更だが、、、

熱海鉄道は、省線熱海線の開通に合わせて小田原-真鶴間が廃止となり、
真鶴から熱海までが最終的に営業していた

省線が熱海まで延びれば消えゆく運命だったが、
それより早く大正12年の関東大震災で壊滅的被害を受け、復旧する事無く廃止されてる


ウチの熱海街道沿い調査〈旧街道道、ハエタタキ〉でも、
これまでの区間に熱海鉄道は走ってたんだが、その遺構は無い
震災被害がでかすぎ、道ごと、山ごと崩れ、道路復旧、後の拡幅で跡形も無い

が、この区間の一部に軌道跡が残っているのは、地元筋〈な人達〉では知られていて、
湯河原まで終わったんで次はコッチだな~と思ってたら、こんな事になるとは・・・

大御所のシン、、探索が入ってしまった

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_2_m?1458365188

震災でこの辺も被害受けたが、昭和23年頃までは何事も無かったのが・・・
〈注0ラインは大正5年地図からなので、あまり正確ではない。以下同〉

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_3_m?1458365188

昭和40年代のリゾート開発で、熱海ビーチラインが造られ門川〈湯河原〉側はすっかり変わってしまった
また、ビーチラインの法面工で斜面が削られた場所も多々ある

大黒崎辺りは大規模開発で、元の形からすっかり変わってしまった

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_4_m?1458365188

そして現在。大黒崎側の明るい緑は後の緑化。当時の斜面は無い
次の岬の濃い緑に期待だが、震災で崩れた場所もあるので、まんま残ってる事は無いだろう

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_5_m?1458365188

前に出たガードレール外のコンクリ車止め

神奈川県側は当初県道として下田小田原線を整備し、後に二級国道となったが、
静岡県側のその辺はまだ調べて無い

どの時代の車止めだろう

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_6_m?1458365188

↑があるのは大黒崎の先、左側が明るい緑で、凸凹なく斜面
右が元々の、、だが、結構勾配キツイ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_7_m?1458365188

さて、次の岬、、探したが無く無名か。近くのバス停には大名ヶ丘とある
その岬に入るんは、ここいら辺が良さそ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_8_m?1458365188

気持ち廻り込むが岬の稜線に出れそ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_9_m?1458365188

が、そこを過ぎ、序での旧物件の調査
山側ワッフル法面、海側には斜面。切通しとなってる場所

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_10_m?1458365188

熱海方の海側には旧ガードレールの柱が残ってる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_11_m?1458365188

かつて山に沿ってくの字だった道が、昭和40年頃切通しされて直線になってる
それ以前の道、即ち旧道が海側にあると思われる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_12_m?1458365188

ガサゴソすると、おおう、残っている
ようやく本題の国道135号旧道部だ 〈すまんね+αが大きくて〉

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_13_m?1458365188

路面は、林とマッド、、旧道は舗装されてたと思われるが、剥がされたのかは不明
幅は6~7mあると思うんだが、唯一開けてる場所が沼なんで・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_14_m?1458365188

それでも旧道部分の山側には石積みの法面がなされていた
ガードレールまであったんだから、昭和40年位まで現役だったのは間違いなさそ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_15_m?1458365188

さて、こっから+α。某軌道跡っぽいの補完となります

旧道部から来た此処は・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_16_m?1458365188

旧道から分岐してる作業道のような場所。行き止まりですが
そこから下に行くと何段かの平場がある

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_17_m?1458365188

井戸の平場の下にはストーンサークル。炭焼きの跡も
この斜面は軌道敷き以外にも使われてたようだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_18_m?1458365188

軌道敷きの調査をしてて、前回書かなかった事を

大堰堤上の平場にはトラックのタイヤ。上の国道から転がってきたのか?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/28/32585828/img_19_m?1458365188

軌道敷きは推定2m幅。最終軌間は762mmで車幅は1.4m程

軌道敷の脇には、シュロ〈ソテツ?〉が植えられたんだろか

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_30100370_11?1353603515

参考、改軌(610mm→762mm〉中の3条線路
軽便の後ろに人車も在り、一緒に移ってるおそらく唯一の写真

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_15_m?1458228379

今回一番の予想外はこのピンクのリボン

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_0_m?1458365463

防護ネット上には「石置 46m」。写真撮って無いがこの辺に真新しい割った石が転がってた
また切通し奥には、、ピンボケになっちまってるが「石置場」とあった。いずれも新しい

防護ネット上だけなら、落石防止に関するモンかと思うんだがなぁ

「石置場」で思い付いついたんは、早川から湯河原まで、石材切り出しを行ってた過去があり、
根府川、真鶴では現役の石切り場が結構在る

特に江戸城の石垣用石材切り出しは各地で盛んに行われてた
場所毎に各地大名が普請で行い、、、まて、バス停は「大名ヶ丘」だったな

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_1_m?1458365463

熱海市の石切り場は未調査だったんで、今回慌てて・・・
丁度この岬の上に、大同Ⅰという切り場があるようだ

1を含めた報告書を確認したが、この岬が運ぶルートになってたか不明だが、
海岸に矢穴石が転がってるのなら間違いないだろ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_14_m?1458228379

この切通し

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_2_m?1458365463

奥はなぜか広くなっており、現地では判らんかったが、
慶長-寛永の頃、切り出された石を船積みする前に保管した場所だったかも知れない 〈裏とって無い〉

明治になって人車・軽便で使われるという、二重の文化価値がある

なお、切通しの門川側は石積みで補強されてたが、石積みは逆L字型に積まれてて、建物があったかも
海側に四角く石の縁取りがあり「ぽっとん」〈所謂御不浄〉ではないかと思われ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_3_m?1458365463

さて、前回井戸より稲村側を書いて無かった
ちょいとした掘割場を抜けると、、、

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_4_m?1458365463

藪が酷かったのです

夕闇も近付いてて、体力的にも無理なんで撤退ですが、
このまま素直に稲村まで続いて無いのは事前調査でも判ってたので・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_5_m?1458365463

二倍目の予想外の井戸。こんなトコに必要だったのだろうか?
ぃゃ、そもそも軽便と関係あるんだろか

もちょい行けば稲村駅。ソコになくてもどっかの駅には給水設備は必要です。蒸気機関だからね

神奈川県側の門川駅は、千歳川というソコソコの川が流れてるが、
静岡県側に川は、、無い事は無いのだが、

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/31/32585831/img_6_m?1458365463

実は熱海市におっきな川は無く、昔から水不足で苦労してたそうです
丹那トンネル湧水でも賄い切れず、現在でも深井戸や伊豆半島超えて給水してます

それらが無かった頃には沢からの簡易水道だったらしく、渇水期には大変だったらしい
これまた裏とって無いけど、軽便用にホントに井戸が必要だったのかも知れません


本来なら時間かけてもっと調べたい項目もあるが、ネタ供給の意味も含めて暫定レポという事で
〈すまん、ほとんど+αだった〉
2016/03/18

某軌道跡っぽい

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_7_m?1458219480

さて、あの地点に向かうのだが、当然ながら道なんて無い

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_0_m?1458228379

フォームチェンジで完全装備

どっから入るか悩んだが、ひょんな事から廃となってる旧道区間を見つけ、ソコにチャリをデポしてGO!

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_1_m?1458228379

彷徨って見付けた穴。残念ながら横穴じゃなくて縦穴。井戸と思われ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_2_m?1458228379

直ぐ傍には石積みの・・土止めなのか土台なのか・・

ただ、この斜面は何段も平場が出現するんで、此処か軌道ラインか判らない

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_3_m?1458228379

てな訳で沢筋まで下って、沢を登ってくと・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_4_m?1458228379

石積みの堰堤?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_5_m?1458228379

でかい!二段組みで深いトコの高さは6~7mある。横幅は端までだと20mを軽く超える

沢筋にあるのだから堰堤なのか、、ただ中央に排水とかがある訳ではない
排水穴が有れば暗渠なんだが、ソレも無い
上流からの流れは端の方に流れ下ってて、洗い越しと言えるか

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_6_m?1458228379

巻いて上に登る。上は平場となってるので、堰堤というのは正しく無いが、とりあえず大堰堤と呼ぶ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_7_m?1458228379

軌道敷にしては広過ぎる。交換所としても

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_8_m?1458228379

ちょいと脇登って見下ろして見る

軌道の話が無きゃ、埋まっちまった土石ダムみたいな

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_9_m?1458228379

大堰堤から両側に軌道敷が続いてる
下〈南〉は先程の井戸/石積みに続いてた

逆の上〈北〉方向は・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_10_m?1458228379

時折広くなってて、ここには偏らに石積みが四角く土台風

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_11_m?1458228379

軌道敷の山側には、所々に石積みがみられる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_12_m?1458228379

まるっとしたワイヤー〈ピンク矢印〉、立木にもワイヤーが巻かれてる〈黄矢印間〉

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_13_m?1458228379

軌道敷がカーブを切り、右側石積みで補強された間に入ってく

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_14_m?1458228379

振り返った姿の方が判り易い。切通しだ

狭いトコの幅は3m弱あった

切通しを通り、また曲がって進む 〈切通しクランクになってる〉

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_15_m?1458228379

人が入った残留がある
ピンクリボンがあり、回りの木も切られた跡がある

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_16_m?1458228379

下を覗き込むと海が近い
この下には道路が通っていて、その落石防護のネットと思われ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_17_m?1458228379

小さな岬を回った事になる。進行方向先には次の岬が見えるが、
その間の斜面勾配は結構キツイ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_18_m?1458228379

案の定、岬を回り込むと軌道敷は消え、進むのすら困難となる


小一時間位のプレサーチのつもりだったが、既に二時間
流石にしんどいので撤収、軌道敷を戻るのは楽だが、道路に戻るに登るのが大変だった

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_19_m?1458228379

オブ装備を脱ぐ。汗びっしょりだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_20_m?1458228379

来るンは自走だったが、もはや足が残って無い。帰りは電車で


さて、此処の軌道を走ってたんは、、

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_21_m?1458228379

コレと思われ。まだ100パーの確証が無いので、コレの銘と場所はナイショで

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/34/32583734/img_22_m?1458228379

当時の地図でもコレっか見て無い 〈大分省略されてる〉

通常、道路に敷かれてたが、所々専用軌道となってる。そのうちの一つ

まだ行って無い場所もあるんで、まだ調査は必要かと
物証のレールでも落ちてりゃなぁ
2016/03/17

R135 西へ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_0_m?1458219480

本日は午後時間空けて国道135号を西へ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_1_m?1458219480

米神で工事してると聞いたんで越波が始まったのかと思いきや・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_2_m?1458219480

越波工区だが、落石防護工事だった

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_3_m?1458219480

以前、道路が拡幅された海側に移ったので、越波対策の嵩上げが行われるのか?
と期待したのだが、実際にはこの場所で落石が有り、それゆえ道路を海側に移動したそうだ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_4_m?1458219480

てな訳で、落石元の方を現在工事中


https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_5_m?1458219480

根府川合流から旧道〈現、県道740号線〉へ

根府川隧道前のレストラン、廃業しちゃったのか

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_6_m?1458219480

ガードレール外にコンクリの古い車止め

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/12/32583512/img_7_m?1458219480

本日の本命はあの辺

あまり期待して無かったのだが、、、、
探索編は後程
2016/03/15

小田原城 酒匂縦貫道路

撮影日 2016年03月15日

小田原城天守閣耐震改修工事 前回2016年01月25日
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_0_m?1458033578

オヤツを食べに城址公園へ。小田原城の足場の解体が進んでる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_1_m?1458033578

耐震改修工事は内側で、外は化粧直しだが、それは終了したもよう

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_2_m?1458033578

工期は4月末なんで、ボチボチ片付けという事のようだ
桜の時期には間に合わんが、長らく工事してたから、再開が待たれる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_3_m?1458033578

で、オヤツほ食べようとテーブルベンチに、、ドコ行った?
ピンク枠の辺りに10基位あったんだが・・・
矢印の場所に4基あるのは残ってたんで、そこでオヤツ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_4_m?1458033578

撤去しちゃったんかな~とキョロキョロすると隅の方に片付けられてる
工事の関係で一時的なモンかどうかき判らん
〈城址公園全体でもベンチ的なモンは殆ど無い、、というのもなんだかなと思う〉

本日は風が強いんで、早めの撤収
走るのが大変なのと黄色い奴が舞うというダブルで辛い

酒匂縦貫道路 前回2014年04月01日

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_5_m?1458033578

最近、酒匂縦貫道路の暫定2車線区間に信号機が幾つか設置された。まだ稼働してない

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/18/32580118/img_6_m?1458033578

2011年暫定開通した後、未収用地解消たのだが、相変わらず舗装もされてない 〈ピンク枠〉

信号機が付けられたというんは、暫定2車線が4車線化するからだと思われるんだが・・・
舗装されなきゃ暫定は解消できんよなぁ
それともボチボチなのか
2016/03/12

山北駅/西の転車台

山北鉄道公園の煉瓦遺構で出てきたんは、山北機関区西側にあった転車台ではないか・・・

昔の写真から、凡その位置は推測できたが、やはりイマイチな感
全景〈遠景〉に写ってるのがあればなぁ

と思ってたら
度々情報や貴重な写真を頂いてる青木一郎様から、今回もグレートなネタを・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_0_m?1457727933

「鉄道のまち山北のあゆみ 開業120周年記念誌」の表紙写真に、西側転車台が見えます

ええっっ!ドコ?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_1_m?1457727933

んんんんーー?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_2_m?1457727933

「開」の文字の上か!

線路が途切れた先、穴になってて回転桁が有る
転車台接続線は、必ず中心に向かって線路が繋がってるので、転車台はかなり右隅の方になります

接続線の両側に小屋が有るが・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_3_m?1457727933

こうか!

凄い。写真が論理的に繋がった

これらの写真は昭和初期頃と思われます
西の転車台は無いけど、昭和14年配線図に近い。別証で時期もかなり絞られる

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_4_m?1457727933

じゃ、その昭和初期の景色と見比べてみましょ
撮影場所は三良橋。昭和10年〈1935年〉架橋だが、旧橋が架かってたんで、場所的には同じ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_5_m?1457727933

現在の景色に・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_6_m?1457727933

昭和初期を嵌め込む
当時から変わって無いモンや、場所が判ってるモンが沢山あるんで、簡単

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_7_m?1457727933

西の転車台は此処になります

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_8_m?1457727933

拡大して見比べるとコチラのように、、、

児童公園やゲートボール場が嵩上げされてるから、どうしても空中にイメージされちゃう
地面だよ地面、、地面ってドコ?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_9_m?1457727933

という訳で、各写真と出てきた煉瓦から絞り込んだ場所はこの辺になります

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_10_m?1457727933

配線図的には、こんな感じでしょか

昭和初期まで在って、昭和14年には消えてた西の転車台
昭和9年〈1934年〉に東海道本線が熱海廻りとなり、山北機関区縮小の始まりだったのかも
〈機関車の大型化で、後年余り使われなかったというハナシも。東の転車台は大型化されてる〉

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/109946/13/32574813/img_11_m?1457727933

D5270は今だ整備中ですが、軌道の方は縁が造られたみたいな。ブルーシートがかかってた
撮影日 2016年03月11日


追記.
青木一郎様、今回もありがとうございました