
「小田原地方新聞記事目録」である。T書店に入荷してたんで買ってきた。古書

地方新聞の見出しのみなのだが、明治4年から・・・
明治6年6月には既に横浜~小田原間に馬車が運行
→馬車が通れる道になってた。という事になる
明治11年9月18日、暴風雨のため酒匂橋流失
→土木や気象関係の資料から時々拾えるけど、地元にとっては一大事なので、この手の被害は大抵載ってる

昭和60年まで、、、この年は交通関係のネタが無かった
114年間、300ページ以上にも及ぶ、地方のイベントが「新聞によりますと」的に載ってるのである
大変便利な資料で、図書館で見付けてからその筋のネタを拾い出してたけど、
大正期の途中までしか終わって無い
やってると非常に眠くなるのだ。正直「やってらんねー」

例えば先日の椿ライン〈県道箱根真鶴線〉だが、あっさりと昭和12年1月21日〈か前日〉に全通してる
かと言えば昭和12年1月26日の小田原土木による道路舗装場所って何処?というのは、この資料では判らん
恐らくマイクロフィルムか何かにあるんで、調べれば判るだろうが・・・
〈そういう探す元ネタにはなり得る〉
昭和12年1月30日の箱根駅設置要望って、この時期だから鉄道のだと思うんだが、東海道本線かな?
ちょいと興味あり〈もち実現はして無いが〉

かと言えば昭和40年には井細田大橋、厚木~小田原バイパスの酒匂橋〈小田原厚木道路の赤橋〉、
東海道本線ガード拡張工事は国道1号早川口交差点のガードで、
歩道無しの幅14.7mだったのが、両側歩道の22.5mに拡幅された件・・・だが

昭和10年10月15日の大観山道路、すなわち椿ラインの全面改修は記事にならんかったのか、
一面見出しにならんかったのか・・〈井細田大橋に負けた?〉
完全網羅では無いので、抜けも有り得ます
それでも年表としての価値は非常に大きく、入手できたんはマンモスラッキー〈多分死語〉

もう一冊は「写真集/明治大正昭和/小田原・箱根」で、コレも図書館では見てたんすが、
以前入荷して残ってたんで一緒に購入
古写真集はお値段が中々良いので、「一枚の古い写真」と「小田原・足柄の100年」っか持ってない
「小田原・箱根」に掲載されてる古写真は殆ど見てる〈知ってる〉奴なんすが、
箱根で纏められてる写真集はコレだけと思うんで・・・

ちょいと珍しいのは明治後期の入生田 〈風祭との間位か?〉
福住正兄が明治15年に整備した道路の様子が良く判る
解説では電柱があるんで明治33年以降となってるが、通信電柱なのでおそらく電信六椀木
も少し詳しい時代まで絞れるかと思います
下の二段吊橋〈半吊?〉の明治期飯泉橋は他でも見たけれど、
解説で2橋で渡るんは酒匂川の中州となってるが、酒匂川と狩川ではないだろか、、この辺で合流してる

こちらは大正初期の湯本付近、富士屋自動車のフィアット号
湯本付近が湯本茶屋で道が旧道なのか、国道1号なのか、、
影的に見ると国道1号を小田原方面に向かってる風なんだが、解説では山へと逆方向になってる
なぉ乗合でなく貸切なんで、路線的な事は当てはまらない
背景に遠景の山でも写ってればなぁ