最近入手した古絵葉書


「相州吉濱名所 千年橋より見たる吉濱海岸」
湯河原の吉浜、千年橋って初見

千歳橋でした。orz
海岸も吉浜じゃない

橋上に熱海軽便鉄道の軌道が無いので震災後〈復旧せず、そのまま廃止〉
左親柱の文字は「大正」か?
湯河原の千歳橋は後に、昭和16年におそらく最後の木造方丈橋、
昭和26年(1951年)には、新橋位置へコンクリアーチが架けられる
RERE 国道135号/千歳橋

「〈箱根名所) 強羅公園及び早雲山全景」

早川対岸から写した強羅の写真は結構ある
ケーブルカー開業は大正10年〈1921年〉だが、この写真で有るようには見えるが運行してるかは判らん

この写真が珍しいのは、強羅の下に早川・宮城野が写ってる
旧宮城野橋、大正2年の鋼下路ポニートラス橋がなんとか判別できる
それ以前にちょい上流に架かってた木橋の位置が判るかと期待したのだが、かなり苦しい
道〈ルート〉的には、この写真部分に在った筈なんだが


「箱根宮城野渓流の朝霧」
その旧木橋で別の写真を見つけた

木トラス橋のと同じ橋台に架かってる
恐らく木トラスの後に「とりあえず」架けられた木桁橋かと思われ
左岸〈写真右側〉の林が、先程の写真より、架橋位置の決め手になりそうな予感


「(箱根名所) 湯本温泉三枚橋上よりの眺矚」〈てうしよく、ちょうしょく?読めないよ〉
鋼ポニートラス補剛吊橋の三枚橋から見た上流、湯本
L字鋼をリベット留めしたトラスがなんともいえない
以下の部分には訂正があります。追記参照
鋼ポニートラス補剛吊橋は、橋梁DBの架設年が1922年〈大正11年〉と1927年〈昭和2年〉があり、

先々代

先代〈1964年現橋に架替〉
当写真は補剛トラス高さから1922年〈大正11年〉架設の先々代となる
〈先々代は橋桁にトラスが張り付いてる。先代はトラス桁の上に橋桁が乗っている〉
詳しくは
箱根湯本/三枚橋付近+
2015年10月22日追記
1922年〈大正11年〉橋はデータが間違っており存在しません
両鋼ポニートラス補剛吊橋は同じ橋であり、1927年〈昭和2年〉架設
詳しくは
コチラ以上追記

橋以外にも重要なモンが写ってる
左岸〈写真右〉に見えてる道路〈国道1号〉と軌道線は既に別
小田原電気鉄道軌道線は、大正2年に早川右岸から左岸に変更した際、
山崎から湯本まで道路上に軌道線があったが、国道改修の際に専用軌道となった

以前入手した「早川の清流に臨み静かに息吐く箱根湯本」だが

遠景でしか確認できんかったので、三枚橋近くの様子が判る写真は貴重
専用軌道は現在の鉄道線のと高さ的に違う。別物と考えてる


「相州箱根名所 湯本温泉場全景」
湯本を旧街道から見たこのカットは少ない
サムネの段階で二径間のポニー木トラスの福住橋は判ったので、奥の旭橋は・・・

鋼ポニープラットトラス、大正元年(1912年)架設の先代でした
木トラスの福住橋と同時期に架かってた写真は見付けてたんすが、並んで写ってるのはコレが初めて
この写真に登山線〈湯本-強羅〉が写ってりゃ、
木トラス福住橋の「いつまで架かってた?」が延びるんだが、微妙になさそ
〈写真右に登山線用の堤らしき物が写ってるが架線柱が一本も無い〉
何れの写真も、他のと比較して年代の絞り込みや解析が進んで、新しい発見があると良いなぁ