2015/08/29

天候不順

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午後からは小田原、箱根〈二ノ平、仙石〉の仕事
朝までの予報では一時雨程度だったんだが、、箱根降ってるね

チャリ走なので一度戻り、車に乗り換え
小田原ではパラパラ降られたが、箱根に上がってみると割と平気
チャリで登ってる人もチラホラ
「ううむ、コレたかなぁ」
御着替えセットは一着分しか持ってきてなかったから、
雨に降られたら着替え足りんしなぁ

仕事じゃなきゃ「カンカン照りよりマシ!」とか登ってたかも

それでも夜仙石を出る際には酷くはないが雨降りだったし、
明神林道は濃霧だったし、、、

早いトコ本格的秋にならんかな

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2015/08/27

小田原電気鉄道/発電所歴

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/20/32269120/img_0_m?1440616217

小田原電気鉄道は自前で水力発電所を持っていた
勿論、電気鉄道を運行する為だが、使い切れない電力を売る、、売電事業も行ってた
最盛期には、箱根〈宮ノ下を覗く〉、小田原、国府津、二宮、大礒、平塚まで供給していた

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小田原電気鉄道の発電は、湯本茶屋発電所からスタートした
明治29年に設置許可を得て、明治33年に完成
同年から発電を行い、馬車鉄道から電気鉄道へと営業も変わる

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湯本茶屋発電所が何処にあったかというと奥湯本。現在の「ホテルおかだ」の辺り

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湯本茶屋発電所について書かれてる文献が無いので、当時の書籍で確認
明治42年の「小田原と箱根」発電所について記載がある。〈赤枠内〉

〈青線〉『樋口を須雲川上流畑宿の下渓に取って、湯坂山の山腹を内径30寸の管で1564間を引いてある』

湯本茶屋発電所の堰が何処にあったか詳細は不明

堰は三枚橋発電所の取水堰辺りと思われるが、現取水堰が右岸に水路を取ってるのに対して、
当時は左岸、湯坂山側に管水路があったので、堰は異なると思われ
〈湯本茶屋発電所→三枚橋発電所と切り替えが行われたので、両堰が同時に存在したと考えられる〉

〈桃線〉発電所から須雲川沿いに左岸を一丁下ると玉簾の滝〈天成園〉、
とあるので発電所位置は合ってる

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その頃の発電所能力。本邦電気事業統計及景況に関する調査報告/日本電気協会。明治44年より
〈赤枠〉水路は鋼管埋設、1623間、直径24寸。先のと若干違うが大凡合ってる

発電機能力については、電気鉄道〈水色〉と電灯電力〈青〉で別になっている
発電機自身も違うようなので、其々に合わせた発電を行ってたようだ

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先の湯本茶屋発電所地図に湯本湯端発電所とあるが、
コレは元々別の「箱根電燈」という会社が造った発電所

現在の吉池の辺りにあった。同玄関脇には「日本水力発電発祥地跡」の碑が在る
・・・・が実は京都蹴上発電所〈京都疏水〉に続く二番目

水力ドットコム/関西電力蹴上発電所
http://www.suiryoku.com/gallery/kyoto/keage/keage.html

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等含めた解説

解説では明治33年廃止とあるが、
明治33年に小田原電気鉄道が買収、第二発電所と改称、湯本茶屋発電所と共に運用されてたのだが、
元々設備に難があり、第二発電所〈湯本湯端発電所〉は明治38年に廃止される

大正5年、三枚橋発電所の工事認可
大正7年、畑宿発電所の許可を得、同年11月に三枚橋発電所完成、湯本茶屋発電所廃止
大正8年、登山線の運行開始
大正10年、畑宿発電所建設着手、同年鋼索線の運行開始
大正11年、畑宿発電所使用開始 〈記事先運用開始年間違ってる〉

大正12年に関東大震災で多大な被害
営業は復旧するが傷跡は深く、昭和3年に日本電力と合併
電力事業を日本電力に残して、箱根登山鉄道として分離設立する事になる


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以上、「箱根登山鉄道の歩み」年表抜粋より


ところで年表に、大正7年「早川発電所」出願、大正9年に「早川発電所」完成、とある

「早川発電所」って何処?

小田原電気鉄道他の文献でも見た事無いし、箱根山中の発電所の中に、、、
箱根/早川発電所・品ノ木取水ダムはあるが、企業庁のだし昭和31年と新しいし・・・

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他にあるんか?ひょっとして名称違ってるかと水系の認可とかも調べてみたが該当無し

ひょっとしたら小電力なのかな、、、
一応早川本流の風祭辺りから早川の認可は持ってる時期があったんで、
ホントに〈地域として〉早川に発電所があったりして

てな訳で若干謎を残したまま完
2015/08/25

三枚橋発電所

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三枚橋発電所正面
右手に変電設備、左手にある建物が発電所である

畑宿発電所で取水堰紹介したので、発電所も

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畑宿下の取水堰から須雲川右岸の山腹を水路で流れ、調整池、水路管を経由して発電所に流れ降ります

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この水路館の上にサージタンクがあります

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旧正面側からは建物が見通せない

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資料は昭和12年、日本電力合併後なので震災後。建屋も後の物ですが、現在の建屋は新しくなってます
〈スペックは最新の物と若干違います〉

元々は小田原電気鉄道が大正7年から運用
当時〈というか震災前〉の写真が見つかってないので、どんな姿だったか不明
震災で建物は全開、但し主設備に被害は無し〈震災報告書〉

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サージタンクはポッキリ行っちゃったんで復旧、後に日本電力により改修

一度見た事あるけど、こんな形〈右〉だったかな?キノコのイメージがある


小田原電気鉄道の発電所に関して、後に機会が無さそなんで、次回纏めます
2015/08/23

老舗の廃業

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小田原市本町、国道1号沿いの料理茶屋/小伊勢屋さんです

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以前は旅館で、江戸時代は小田原宿の旅籠でした

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既に営業はしておらず、内装の解体がはじまりました

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閉店となったのは8月17日で、私も何度か海鮮丼を食いに来たんすが・・・

跡地は隣のオリオン座と同様、マンションとなります


ヤけに詳しい、、のは、旧店舗からの改装工事の時から、仕事で入ってまして、
今回も仮住まいへの引越し時に仕事させて戴きました
2015/08/22

今日日記

本日は板橋仕事いつもの昼飯湯本巡回小田原用事そして、、

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板橋旧道にはこんな看板が。あ、明日交通規制か

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境内では準備が行われてました

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前田橋を渡ってると・・・

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ん?アソコに居るんはカワセミでないかい?

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鮮やかなブルーの羽ばたきで足元抜けて下流に消えてった
〈勿論素早くて撮れない〉

早川がこんな濁ってて餌獲れるんかな、、、水鳥系は数が減った気がする

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湯本へ

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湯本橋脇に誰ぞ佇んでる

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この暑い中そんな格好で、顔真っ赤にして、、、ぃゃ、ダークサイドの人だよね?

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どうやら脇の店のマネキンのようです

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ちょいと塔ノ沢の橋を確認

湯本に上がって来たのは午後ですが、暑さの中でも〈それなりの対策してるので〉結構平気
こりゃ暑さも克服したかな、、と小田原に戻るとやっぱ暑さでヘロヘロ

帰りの頃はバテバテで・・・

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緊急用として持ってたコレに手を出す。やっぱ冷え冷えは良い
緊急用以外の常備用として一個持っとくかな

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ばしゅっ、ひゅ~、どぉーん

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夜は開成・松田の花火大会です

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たまやーっ

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この花火で夏も終わりといったトコ 〈秦野では9月に花火大会ありますが〉

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ヘロってるので部屋撮りですが何か
2015/08/22

地図は正しいとは限らない

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今昔の明治31年5万分の1地図、大平台付近。

明治20年に造られた車道だが、現在の位置〈黄色〉と随分違うルートで、、ではない
多少の変更や拡幅による線形の違いはあれど、基本的にほぼ同じルートを通っている

明治31年地図が間違ってるのだ
道路だけでなく急峻な谷底を流れる早川の位置もズレている

旧版地図との重ねが不正確なのでは無い
山頂やピークの位置は合ってるので、この付近の川や道の位置が正確に描かれてない

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測量は伊能忠敬の頃と変わらず、方向と距離を計測して、それを積み上げる

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ただ、それだと誤差が加算されてくので、時折目印となる山頂などで位置を補正する

そういう目印が見える場所なら良いが、谷間など周囲の展望が無いトコでは補正しようが無い
故にズレまくるのである
〈仮に道路上で測量したとしても、、全部はやっては無いと思うが〉

また、川底みたいに「行ってない」場所は「見た目」で描かれるんで、より不正確となる

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航空写真による地図作成は太平洋戦争以前から行われてたようだが、
実際に国土地図に反映されるのは、もちょっと後のようである

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その後、航空レーザー測量で精度が上がり、かなり正確な地図が係れるようになったが、
5万分の1程度じゃ「道路の移り変わり」などを検証するのは無理だ

道路が実際より太く描かれてるからである

特に国土の紙地図では国道や主要道は〈実際の道幅云々で無く〉太く〈広く〉描く
という仕様があったような、、

故にコーナーは簡略化され、描き切れてない

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電子になると、かなり正確に描かれるようになったが、
コレでも実際の道路幅より広い「地図記号としての道路」が描かれてる

スケール尺度が200mなので、その1/20が10m。この辺の国道1号は凡そ9m幅なので、
実際の道幅はスリットに入る幅である

まぁ、そこまで細かい事すると、地図として使えないが

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県道732号湯本元箱根線の七曲り

七曲りは通称で、道が幾重にも曲がってる事を表しており、此処では実際には12コーナーある

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/42/32261142/img_7_m?1440194148

昭和4年に全通した最後の区間だと思われるが、位置は若干正確で無いにしても頑張って描いてある
〈故にコーナーの方向は若干嘘っこになってしまってる〉

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実際の場所に実際のコーナー数を描くには、この幅じゃ無理なわけで、かなり簡略されてる
おまけに箱根新道も重なってるので、実際の道路とはかけ離れた七曲りになってしまってる

また、甘酒茶屋下のヘアピンは、シケイン口〈クチ〉みたいな描き方されてる


5万分の1地図では、道路がこの辺通ってるという程度の認識にしといた方が良い


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_31050139_16?1387297775

実際、国道1号笛塚ヘアピン旧道も、5万分の1で見ると現在と同じ2コーナーだが

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_31050139_17?1387297775

1万分分の1だと、ちゃんと4コーナーになってるし


てな事以外にも、時折全然違うトコに道描かれてたりする事もあるが


私の場合、昭和20年代以降しか無いが、航空写真もチェックして、古い道〈跡〉を確認してる
2015/08/21

警察電話/昭和前期 #2

神奈川デジタルアーカイブ/県会・参事会文書より

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_15_m?1440001432

神奈川県、警察電話の経路図
本部を中心として単なる星型でなく、一応ネットワークを組んでる
〈一部経路が切れても他ルートから繋がる、、的な〉

ピンク枠で囲った落書きは何?

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_16_m?1440001432

本部や基点の接続は多芯ケーブルで接続してるようだが・・・

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_17_m?1440001432

地域幹線ですらハエタタキ〈架空裸線路支持柱)みたいだぞ
当サイトでは御馴染だが、ハエタタキについてはコチラ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_14_m?1440001432

実際にハエタタキが使われてたんは、戦災復旧工事の仕様にも椀木が載ってる
昭和20年代の警察電話では、ハエタタキがまだ現役として使われていた

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_26_m?1440001432

早川-根府川辺りにハエタタキ柱が現存してるが、7椀木=鉄道、3椀木=逓信省〈現NTT〉か?
と思ってたんだが、違うかも知れない

3椀木は警察電話かも知れない

逓信省と鉄道省は、大戦中運輸通信省〈s18-s20〉として統合されてたから、
7椀木の回線は鉄道と一般電話が一緒になってたかも

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_18_m?1440001432

実際の書類が見つかれば確実なんだが、、、コレは藤沢-茅ヶ崎幹線

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図の方では6椀木になってる
6回線なら2椀木位で良い筈なんだが、「こう使う」みたいな仕様があるのかも知れない

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六角橋-川和幹線

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空襲などで被害を受けたんか、集中して被災してる場所があるようだ


戦災で被害受けても、ハエタタキなら復旧が簡単だから、多芯ケーブル化しなかったのか、、、
多芯用被服が手に入りにくいなどの事情があったのか、、

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鎌倉-逗子間

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横須賀線とトンネル、、、なので小坪隧道辺りまで

進駐軍道路とあるので、既に戦後

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修復や移設だけでなく、新設もあった。共和村〈現.山北町〉巡査駐在所新設

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何処だろう、、旧共和村って結構広いんだよな
〈共和派出所は現在もあるが、何故か山北町平山にある。今は旧協和村に派出所は無かったと思う〉

てな訳で、戦後暫くの間はまだハエタタキが使われてたようだ


肝心の早川-根府川〈湯河原幹線?〉の資料は無かったが、現存3椀木=警察電話の可能性は高いと思う

また資料が見つかればその時に・・・
2015/08/20

警察電話/昭和前期 #1

神奈川デジタルアーカイブ/県会・参事会文書より

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_0_m?1440001432

国道特2号、現在の国道138号。宮城野村内道路、工事の障害となるから電柱を移設する

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移設というより違う経路
国道1号、県道を経由して強羅廻りで別経路と接続

箱根登山線の小涌谷、二ノ平〈現.彫刻の森〉山側だから県道だとは思うんだが、
〈旧県道〉認定・変更 昭和13年で、関本箱根線は二ノ平旧道を通ってた!
というのはちょいと勇み足かも知れない
昭和12年度時点で現県道ルートが通っていたとも考えられる

この辺はも少し調べないといかんなぁ

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fe-4e/bazu55555/folder/725107/57/32257757/img_2_m?1440001432

この電話線は警察電話である
現在でもNTT回線とは別に、独立した業務専用通信回線として設けられてる

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国道特2号の件はこの辺の話

昭和12年度頃に国道特2号の舗装工事が行われた、、という事になる

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中郡大礒町の国道1号改良工事に伴う電柱移設

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結構詳細な図面が付いてた

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現用地図のこの辺

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警察電話の話より、国道1号大礒町の改良の様子が詳しい
照ヶ崎海岸入口交差点付近のカクっとしてた旧道が、Rの大きいカーブになる〈なった〉
鳴立沢山側も暗渠にはなって無かったようだ

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三沢橋交差点先で新旧道に別れるが、化粧坂踏切のあった旧道から、
この工事で東海道本線をガードで潜る新道となる〈なった〉

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足柄下郡温泉村〈宮ノ下付近〉、元箱根村の国道1号改良工事に伴う電柱移設

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概要図だが図面。温泉村〈宮ノ下〉のZカーブというと・・・

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宮ノ下旧道の此処だと思われ。概要図なんで全然合わないが細道の関係は合ってる

国道1号宮ノ下旧道は、昭和11年と記したが、コッチの資料では旧道のまま・・・コレも勇み足か?

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続いては元箱根。これは判る

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大芝から芦ノ湖湖畔に降りて来る部分だ
概要図なのでズレまくってるが、湖畔はピンク線が正しい交差点位置を示している

元箱根の国道改良は車止めから昭和27年頃と読んでたがもっと早かったのだろうか?


なんだ、警察電話の話出てこないじゃないか!なので次回はソッチ方面に続く
2015/08/13

小田原 昭和39年 橋梁台帳 国道

てつむしの一次元わぁるどさんの神奈川県立公文書館 20150801のレポがあり、
小田原/松田土木事務所の昭和39年橋梁台帳が紹介されてる

自分で見に行くのが筋なんだが、ローカル橋梁年表を纏めてるので、照らし合わせたくなり、
氏にも快諾頂いたので此処に一覧とする


昭和39年〈1964年〉は東京オリンピックが開催された年
私は「よんちゃい」まだ自力でアチコチ行けず

道路も戦後復興を終えた頃合いで、昭和40年代の高度成長期/マイカー時代に整備も進んで行く


とりあえず小田原土木事務所の国道部分のみ、なんとか出来あがった

1列目管理番号、2列目橋梁名までが元で、3列目の河川名、4列目の備考は付加した
行が空いて備考に橋名があるのは追加された〈した〉橋
桟道橋については昭和39年時点で存在してても記載が無い

橋梁名に「?」が付いてるのは、元が手書きなんで判別が怪しい

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まずは国道1号。東京方面二宮町境から静岡県境の箱寝峠まで
押切橋は地図をよく見ると小田原市に入っておらず、搭台橋から

国道1号の橋は大凡知ってると思ったが小田原市前川の前川橋は知らんかった
現在は暗渠かも知れない 〈イマイチ場所がはっきりしない〉

小田原橋、明神橋は箱根町箱根、駅伝ゴールの辺り。富士見橋は箱寝峠への登り途中

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国道138号。番号は宮ノ下側から振ってあるが、表の順番は静岡県境の長尾峠から

いきなり境橋ってドコだ?姿見橋を探せ で姥ヶ橋より峠側に橋があった筈だがソレだろうか?

俵石橋とあけび橋の順が逆だが、誤記だろうか?

矢保橋?も皆目見当がつかない

新碓氷橋は昭和34年架設で昭和39年時点では新道に切り替わってるが、
碓氷橋?が載ってるのは旧道がまだ国道だったんだろか?
諏訪橋?富士見橋は旧道のだろうか、、、但し、旧道には宮沢橋がある筈だが載って無い
古い方の旧道か?

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国道135号。静岡県境の湯河原から小田原

門川橋、宮前橋?、塩川橋が不明。
昭和26年〈1951年〉には新道が出来てるので旧道という事はなさそだし、
湯河原町が管理してる橋梁にも該当するの無いし、、、

旧真鶴道路は昭和34年〈1959年〉に開通してるが国道になったのは平成20年だからか
現在の県道740号線の橋梁が並んでる

西の橋?有谷橋も不明。米神橋は昭和35年〈1960年〉だが旧道のだろうか

新道の早川橋も昭和34年〈1959年〉架設、と同時に小田原漁港も整備されるので、
昭和39年時点では車川橋、溜川橋は川と共に存在しない筈なんだが・・・


国道135号/下田小田原線/熱海街道については、まだまだ調査が足りて無いので、
後々解明してゆこうと思う


調べるんに結構手間取る
こんなんが県道、まだ松田土木分もあるのか・・・・
2015/08/10

一雨

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今日、午前中は湯本で一休みは三枚橋下

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なんか降ってきそうだったので、、こういう時は雨宿り出来る場所をつい探してしまう

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湯本をウロウロして

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午後は小田原で仕事なので函嶺洞門見て戻るかな、、といったトコでパラパラ来た

小田原は青空出てたが、室内で仕事してる時に「奴っ」と降って来た
一時雨だったが、ちょいムシムシした後はちょい涼しくなったかな

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県道732号湯本元箱根線〈いわゆる旧道〉、8月19日〈水〉午後9時より翌日午前6時まで、
畑宿下、新千歳橋辺りで舗装工事の為、車両通行止めになります
宮ノ下廻りの国道1号か箱根新道を迂回する事になりますので、御注意ください