
旭橋の木桁橋の写真(絵葉書)が出てきたゾ。さてどうする?

3枚の写真を見てて、AとCが同じ3橋脚、欄干形式なのに気付いた
欄干支柱を数えてみるとこれまた同じ
AとCは同一の橋で、川下側から見てるのがA、Cは川上側からだ
色が違うのは、モノクロ写真に彩色してあるからで、元の色では無い
Cに写りこんでるオトーサンは、Aでは対岸欄干の向こう側に隠れて見えない・・・
じゃない、Aは桁が綺麗に円弧を描いてるが、Cはズレが出てちょいと歪んでるみたい
Aが架橋直ぐ、Cはちょいと経ってからか
さするに、AとBの二本の橋という事になる訳だが・・・
福住橋位置に架かってるんじゃないか、、、というのは、
右岸(写真左手)に3階建の金泉楼・萬翠楼が見えないから違う
木トラスが移される以前に、これらの橋が架かってたのでは、、、とある理由で違う(後述)
そうだ、どっか余所の箱根湯本の橋なんじゃ・・・ドコだよ!

やっぱり此処に架かってたよなぁ。ちょい角度が違うが
実は入手した時点から旭橋位置の古旭橋と判断してました
問題はどーやって説明するか、なんだが。昔の旭橋ですと言っても「嘘~」とか言われそう・・・

2径間ポニー木トラスの福住橋と上流木桁橋の旭橋の写った奇跡の一枚
コレを見つけたからこそ、このレポが書けるのだ
明治26年に福住橋位置から木トラスが移設された後、大正元年に鋼トラスが架けられるまで、
旭橋には、木桁橋の時代があったのです

さて、ABの木桁橋とCDの鋼トラス橋。時代順に並べてみたいと思いません?
鋼トラスは当然後期ですが、CとDどっちが古い?

実はこの通り。そのままの順番です
多分全部電話回線で、宮ノ下に電話の入った明治34年以降 (故に木トラス移設の明治26年以前では無い)
AでMAX8回線、Bで12回線、回線はさらに足りなくなり、Dで16回線に増設されてる。Cはその途中
BとCは意外と時代が近い

電話が通じて9年程の明治43年、温泉宿の電話一覧
湯本交換/湯本11本、塔之沢9本
宮ノ下交換/宮ノ下5本、底倉4本、小涌谷2本、芦之湯2本、木賀1本、強羅1本
箱根交換/元箱根1本、箱根町1本
これは宿だけだから、地区郵便局毎に1本(当時、郵便・電信・電話は纏めて逓信省の管轄)、
宮内省関連(後の宮内庁。離宮・御用邸)、公的機関(役場、観測所)、
重要人物の別荘など、、回線はもっとあった筈
旭橋から塔之沢方面への回線は、湯本交換局内の塔之沢各戸9本
残りが宮ノ下、箱根交換への回線と思われる
回線増加に伴い、通信電柱が架け替えられてる時だった、、というのも幸運です
(実は
塔之沢の熊野神社 でハエタタキ柱を見つけた時に鋼トラス旭橋の写真を「つい」使ってしまいました。
その時はまだ此処まで掴んで無かったので、突っ込まれなくて良かった)

さて、次は木桁橋が同じというのを確認すれば・・・あれ?欄干支柱の数が違う
橋脚もA'は木じゃなくて石かコンクリートみたいでのっぺりしてる
違う橋かも知れません。また追加か・・・
ただ、元写真では通信電柱の写り込みが無いから、木桁橋順の特定はできない

別の2径間木トラスの福住橋と見比べてて気付きました
黄色枠/萬翆楼屋上テラスは確認できないけど、
ポールみたいのが立ってて、それで震災前と同じなんすが、
a橋は親柱があって、それに欄干が繋がってる
b橋はトラスにそのまま板張り付けてる
a橋の方が新しいみたいですね。竣工に近いか?逆にb橋はどーしてこうなったんだろ

となると2径間ポニー木トラスの福住橋がいつ架かったか気になる
案内誌等を漁ったのだが、写真が古いまま掲載されてるのがあった
コレなんか明治20年の書だが、明治18年の木トラス橋じゅなく、以前の橋の時の写真が使われてる
出版されるまで時間かかるというのもあるし、
宿自身が変ってなきゃわざわざ差替えないというのもあるかも
発刊時に、その橋が架かってるとは限らない。注意が必要です
見付けた中で一番古いのがコレ。明治43年6月25日の箱根案内
うぐぅ、、思ったより古いな。もっと後だと思ってたのだが
ぉ、親柱欄干が有る。やはりa橋は竣工時の姿なんですね

実は明治期の終わり、神奈川県西部には何十年に一度の水害がポンポン発生してる。原因は主に台風
堤防が切れて橋が流されるのはちょくちょく有るが、
赤マークは足柄上下郡に洪水発生等在り、県内で橋梁3ケタ被害が出た災害の発生した年
恐らく橋脚のある橋は殆ど流失か損傷してる
特に明治40年、43年、44年は甚大な被害を受けてる
明治40年(1907年)08/24。湯本雨量250mm。早川2m増水。決壊洪水流失と被害を受けた
24日後の09/17に再び被災。湯本雨量400mm。堤防等切れたままなので、洪水被害大
木賀で山崩れが発生
明治43年(1910年)08/07~09連日100~200mm以上の雨量、08/13.湯本340mm、箱根350mm(1日で)
数日間で980mmを超える。早川水位不明芦ノ湖水位3.29m増水し早川は非常に出水
県内数千箇所で山崩れ。塔之沢福住楼流失。関東一円に被害いわゆる関東大水害
明治44年(1911年)06/19。07/26。箱根350mm。水(増水?)は福住橋を上回る。08/09。250mm以上
データは神奈川県下風水害紀要/神奈川県観測所からだが、
土木・地史の方を当たってないので、実被害は別の年の方が酷いとかあるかも
それに基づいて橋梁を置いてみたけど、これだけ発生してるのだから、
写真の無い橋も含めて、もっと沢山の橋があったと思う
2径間ポニートラスの福住橋が明治43、44年の水害で壊れなかったというのが不思議
欄干が無くなったのは水害で持ってかれたのか?
木桁橋の時代は、電話回線数でも少し絞り込めるか・・・
そもそも、移設した木トラスがどうなったのか、非常に気になる
明治18年最初の架橋から20~30年は持つだろうと思ったのだがなぁ
ここら辺も、も少し調べてみたいと思います

そんな訳で、福住橋位置から移されて旭日橋トラス橋から、大正元年に鋼トラス橋が架けられるまで、
旭橋位置にはこのような木桁橋が何世代か架かっていたのです

時には応急的なこんな橋も
民設の道路も国道に切り替わり、ようやく鋼トラス橋が架かる事になります
≪続く≫