箱根/芦ノ湯~箱根峠 通信線路の調査
撮影日 2013年10月11日
今回は芦ノ湯から箱根峠まで、国道沿いに設けられていた通信ケーブルの位置を推察する
ちなみにこの写真の通信経路は、長距離回線(市外)と市内の混合と思われる
(上、何回線かが市外、残りが市内のように)
(上、何回線かが市外、残りが市内のように)
昭和のケーブルが張られる以前なので、当然裸線だ
箱根を越える通信線が出来たのは、明治6年(1873年)に東京~長崎の電信線、
明治32年(1899年)に東京~大阪の電話線である
明治32年(1899年)に東京~大阪の電話線である
精進池、道路の駒ケ岳側に通信線が張られている
道路傍に電柱は無いが、赤矢印のトコ
そんな昔からの線路が継承される筈が無い?
ィャ逆に変更する必要が無ければ、そのままでしょう (勿論、長距離ケーブルは埋設されたりするが)
ィャ逆に変更する必要が無ければ、そのままでしょう (勿論、長距離ケーブルは埋設されたりするが)
道路に沿って通信線路が引かれて無い
急坂を行くクネクネ道に沿ってるという訳ではない
急坂を行くクネクネ道に沿ってるという訳ではない
元々の双子茶屋は、も少し芦ノ湖寄りにあったようです
写真やら地形図からすると概ね赤線ルートに通信線が延びていたようです
土木学会の雑誌で、ここの改良当時の写真があります
ここらには電柱が一切無かった
ここらには電柱が一切無かった
ここにはなぜか2経路の通信線があります
ハエタタキ(架空裸線路支持柱)の椀木も先ほどのとは違うタイプ。分線だろうか?
ハエタタキ(架空裸線路支持柱)の椀木も先ほどのとは違うタイプ。分線だろうか?
まぁ現地をグルグル回って、黄色の分線ルートは無くなってるのは確認しましたが
も少しまとめて、あとは古い航空写真などを参考にして、国道沿いルートを確定したいと思います
勿論、古いハエタタキが残ってるのは思いませんが、装荷線輪用櫓の跡位は見つかるかも知れない
勿論、古いハエタタキが残ってるのは思いませんが、装荷線輪用櫓の跡位は見つかるかも知れない
本業の方は実は佳境で、ちょいとそこらに出る事もできん
見込みがたたんと、暫くは缶詰だなぁ
見込みがたたんと、暫くは缶詰だなぁ
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