
藤野の「緑のラブレター」に別れを告げて・・・

国道20号から山梨県に入る

山梨県側から相模湖を周回しようと考えてたのだ
上野原駅からスタートしなかったのは、国道の県境を越えてみたかったのと、
上野原の段丘の高さを実感してみたかったのだ
予定としては桂川橋を渡って右岸(地図下側)から相模湖を周回するつもりなのだが・・・

川沿い山道だった国道は、上野原に入ると一転して市街地を貫いている
ここから相模湖(相模川、桂川)まで標高差が100m近くある高台になってるとは、ちょいと信じられない
河岸段丘としてはかなり広大だ
国道20号線、新町二丁目交差点から左折し、山梨県道・神奈川県道35号四日市場上野原線に入る

市街を抜け、中央自動車道を超え、段丘を駆け下る
途中、、といっても殆ど「下」だが中央本線を超える。上野原駅にちょいと寄ってみる

若い頃に一度利用した事がある、、筈なんだが、記憶と一致しない
川側南口。駅前は旧県道だが、センターラインの無い狭い道である

上野原駅は島ホームの上に跨線橋があるが・・・

コレは自由通路で、駅自身は下ったホームにあるという地上駅
山側、跨線橋レベルの北口がある
路線バスはこちらを発着してるが、このバスどーやって停めたのか謎
ロータリーというより単なる行止りにスピンターンでもしたように停車してる
どう切り返して入るのか見てみたかった
若い頃はコッチからバスに乗ったのかも知れない

下りきって桂川橋。向こう側の緑豊かな高台の上に、先程の上野原市街地が広がってる
川沿いや駅の近くの方が閑散としてるのが不思議

相模川は山梨県から上流は桂川となる、、、って通称だったの?
地図にも桂川となってるから、正式名称かと思った (途中から川名が変わるのは珍しい事では無い)

桂川橋から上流、この辺というか見える範囲位が相模湖の湖水域
正面をよ~く見てみると・・・

相模川(桂川)の上流が・・・おちょぼ口みたいな谷が、上流である
うわ~行ってみてぇぇ、ジャブジャブ遡上してみたいぃぃ

桂川橋から下流。ココらはダムが出来る以前広大な河原だったそうだ
故にこの下もそんなに深くは無い。航空写真で川底の浅瀬が確認できるくらいだ
ここは相模湖の筈なんだが・・・

現地で貰った観光マップでは「島田湖」となっていた。えっ、別の湖?
後でぐぐったのだが、それは通称らしい
山梨県内に相模湖という名がヤだったんだろうか・・・
細い水路みたいな川で繋がってるだけなんで、
地図をぱっと見ると別の湖みたいに見えない事も無い

その細い川。島田湖(通称)から下流側を見る
途中に見えてる境川橋を含めて、神奈川・山梨県境が川(相模湖)の中央を走っている
手前の船は浚渫船

そのまま右岸の道(最初の地図上赤線)を進もうとしたら通行止
なんと来年3月まで工事という事なので、暫くは通れん

桂川橋を戻って左岸の道(地図青線)を進む

途中の小さな御社に旅の安全を折願 (誤字だが自転車旅行的にはありがちな間違い)

駆け下った段丘を今度は標高差60m程登る
判ってた事だが、やっぱ苦しい
神奈川県道・山梨県道520号吉野上野原停車場線に出て境川橋に向う

上野原自動車教習所を過ぎて直ぐ、道路左側に諏訪番所跡なるモノがあった (地図★印)

諏訪関跡の石碑もある

道路の反対側には「甲州街道史跡案内図」なるモノが掲示されていた
いいなぁこういうの
中央自動車道や国道20号が描かれてるのに一般道は一切描いて無いから、
案内図としてはまったくの「出来損ない」なのだが、
故に見る人にとっては当時の目線で街道を見るしか無い。旅人になった気分だ
諏訪番所は案内図右下にある・・・
あれっ?って事はココは元甲州街道?
相模湖アレコレと小ネタで大正時代の道を調べたけど、当時既にココは通ってなかったよ

ざっとぐぐると、
そのまま相模川左岸(地図上)を関野、吉野、与瀬、小原と続いてた (青点線、細かいルートは未確認)
と、旧甲州街道マップとか、歩く人のブログとかではそーなってたのだが
Wikipedia/甲州街道では
相模川を渡って右岸(地図下)を行く神奈川県道・山梨県道520号線が旧甲州街道であると書いてある
どっちが正しいんだろ・・・それとも時代で変わっていったんだろうか
甲州街道については細かいトコまで知らないからなぁ

なにはともあれ、境川橋へ九十九折を駆け下る。さっき苦労して登ったばかりなのに
次回、神奈川・山梨県境の境川橋