国道138号(神) 昔話 #3
いつかはこの話題に触れなければならないと思いつつ、大分時間が経ってしまった・・・
明治工業史(土木編)に明治期の国道道路勾配について記述があるのだが、
『此の処に最も急勾配を有するものを記すれば、横浜より横須賀鎮守府に至る路線には2分の1、
又横浜より箱根に至る路線、小田原町より長尾峠に至る路線、
松山より八幡浜に至る路線には共に3分の1、、、云々』

横須賀の2分の1勾配については、氏のレポにある通りだが、ぢゃ3分の1勾配は?
これこそ道路勾配としては異常だろう・・・
「横浜から箱根」は範囲が広すぎるので、よー判らんが「小田原町から長尾峠」は箱根山中なのは間違いない
『此の処に最も急勾配を有するものを記すれば、横浜より横須賀鎮守府に至る路線には2分の1、
又横浜より箱根に至る路線、小田原町より長尾峠に至る路線、
松山より八幡浜に至る路線には共に3分の1、、、云々』
横須賀の2分の1勾配については、氏のレポにある通りだが、ぢゃ3分の1勾配は?
これこそ道路勾配としては異常だろう・・・
「横浜から箱根」は範囲が広すぎるので、よー判らんが「小田原町から長尾峠」は箱根山中なのは間違いない
「来る~きっと来る~」ィャ、コレハベツノモノガ、、、と待ち構えていたが、その兆候は無い
それなら自分で解いてみせよう
それなら自分で解いてみせよう
しかしながら、最初っから躓いた。3分の1勾配とは、33.3333パーセントである
現在、そんな急勾配が無いのは周知の事実だが、果たしてそんな急勾配の道を造ったであろうか?
私費で開かれた道がベースであるし、通行料を取ってた位だから、人力車が登れなきゃ意味が無い
例え一部でもそんな急坂があれば「名所」になったであろう
また箱根人力車組合が黙って無いだろう (多分そんな組合は無かったろうが)
また箱根人力車組合が黙って無いだろう (多分そんな組合は無かったろうが)
なぉ、坂を登るのがメインなので、箱根の人力車は2人で曳くのが普通だったそうだ
はっきり言って、3分の1勾配という数字は「ねみみにみみず」だった
調査か記録の間違いではないだろうか・・・ 実は裏付けとなる資料がある
調査か記録の間違いではないだろうか・・・ 実は裏付けとなる資料がある
#1でも出た「神奈川県下道路開さくの件」で既存の道路についての記述がある
この中に
『塔ノ沢西方にて約7,80m突間、また大平台西南方にて約3,40m突間の傾斜は約7分の1に達する』
とある。同資料は明治42年であるから、内務省調査とほぼ同時期だ
こちらの方が具体的場所を含んでいるので信頼性が高い
7分の1勾配ならば、14.28パーセントで確かにキツイけど、登れない坂では無い
塔ノ沢西方、大平台南西の地点は、明治20年に富士屋ホテルの山口仙之助氏が開いた区間だ
塔ノ沢(の外れから)西に7~80m、大平台(の外れから)西南に3~40mというと、ピンクのマーク当りか
勿論、7分の1勾配は、後の改修により緩和されている
大正12年9月1日の関東大震災で、箱根地方は多大な被害を受け、国道も壊滅状態となったが、
その復旧に伴い、勾配等も改良されたのだ
その復旧に伴い、勾配等も改良されたのだ
7分の1(14.28パーセント)勾配も、15分の1(6.66パーセント)に緩和されている
(そこまで緩和されてない気もするが)
(そこまで緩和されてない気もするが)
此処は箱根登山鉄道の踏切がある平面交差だったのだが、道路側を掘下げて立体交差となった
その分、塔ノ沢からの道路勾配を緩和する事が出来たのである
その分、塔ノ沢からの道路勾配を緩和する事が出来たのである
基本道路舗装であるが、一部において勾配等も改良されている
最急横断勾配 9.2パーセントとなってる。先出とは別の場所が改良されたのかも知れない
最急横断勾配 9.2パーセントとなってる。先出とは別の場所が改良されたのかも知れない
後の改良で、急カーブの緩和などが行われている
谷部が廃止されたりして、直線的に結ぶなどして、勾配的にはキツクなったトコもあるが
谷部が廃止されたりして、直線的に結ぶなどして、勾配的にはキツクなったトコもあるが
以上が箱根国道の「長尾峠ルート」における急勾配改良の歴史である
概ね国道1号であるが、重複区間という事で今件のタイトルに含めた
そもそもの発端が「小田原町から長尾峠」だからね
概ね国道1号であるが、重複区間という事で今件のタイトルに含めた
そもそもの発端が「小田原町から長尾峠」だからね
結論としては、明治工業史(土木編)における箱根地方の「3分の1勾配」は間違いと思われる
どないでしょ?
どないでしょ?
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