
熱海線〈現東海道本線〉、神奈川県と静岡県にまたがる県境の千歳川橋梁である

熱海線は当初から複線として工事が行われた
曲線を含む橋梁では上下別の桁が使われているが、直線の橋梁で上下線が別になっているのは珍しい
しかも、上下線の間隔がこれ程広いのには訳がある
答えはこの先に・・・

ホラそこに、、、トンネルが・・・見えない
なお、これから本文とは直接関係無い話が続きますので、読み飛ばしても影響ありません〈笑

昔は線路海側に何もなく、湯河原側抗口が見え近くにもよれたのに、
今はマンションが立ちはだかっている

仕方ない。抗口上から見えそうなトコを吟味する
(実際には此処と向かいの斜面を何度か往復している〉

家々の隙間から、、、見えた!が、ご覧のとおり架線でよく判らない

トンネル正面を外すとこの通り
若干奥まったトコに抗口があり、此処でも白い奴が邪魔をする

ホンの隙間から抗口が見えても、コレじゃ使えないよ

ぉぉっ、ついにベストポジションを見つけた

石積みの抗口を確認する事は出来ないが、
手前にある千歳川橋梁を含めて真っすぐ線路が延びてるのが判る
線路が山に消える、、泉越隧道(トンネル)湯河原側抗口である

熱海側抗口は国道脇にあるので、苦労無く見る事ができる
単線並列式のトンネル

実は熱海線のトンネルは、泉越を除いて全て複線式である

丹那ですら複線式
泉越トンネルは、大正11年工事開始
上り線は大正12年、下り線は大正15年に竣功している
丹那トンネルが延長 7,804mと熱海線、ぃゃ東海道本線として最長なのだが、
泉越トンネルの延長 2,457mは、同様にNo2に当たる
なぜ此処だけ単線並列式なんだろうか、、、今回はその話である

泉越トンネル工事中に関東大震災が発生したが、当時国府津-真鶴間までしか開業されておらず、
完成していないトンネルの被害状況は判らなかった
近くの構造物では、建築中の千歳川橋梁の橋脚が水平切断したとある

泉越トンネル竣功の頃(影の方向からして恐らく熱海側抗口)
熱海線は複線として造られたが、丹那トンネルが開通するまでは、単線開業であった
泉越トンネルを通る湯河原-熱海間は、大正14年3月25日に単線として開業
当初は山側上り線が使われた
『鉄道省熱海建設事務所編 丹那トンネルの話』に関連する事柄が記述されていた
「トンネルを1本にするか、2本にするか」
トンネルを複線式1本とするか、単線式2本とするかは、当初から意見が分かれていたそうで、
丹那トンネル設計時の大正4,5年にも問題となったらしい
概ね地質が安定している場合は、複線式1本の方がコスト安になると纏められていた
丹那トンネルの地質は実は滅茶苦茶で、大変な苦労をする事になるのだが、
工事着工時点ではいささか楽観視されており、地質調査のボーリングが行われたのは、
実際に難工事となってからである
泉越トンネルに関しては
「2本の内1本だけを早く仕上げて、熱海までを単線でいいから、早く開業させようという特別な条件」
があったそうだ
丹那トンネル工事に関して、熱海側の物資輸送は海上に限られていたので、
その辺も関与するのかも知れない
しかし、
「やはり地質が悪い心配からも2本にした」
と書かれていた
地質が悪いとは、丹那と同様「温泉余土」が心配されたのである
実際の工事においても、ほぼ中央100m程が温泉余土地質であった
温泉余土【おんせんよど】とは・・・
温泉の熱水により岩石が変質し粘土上になったもの
大気に触れると膨張し、巻立てなどを圧迫。コンクリや鉄筋を腐食
『土木学会誌 第20巻第2号 昭和9年(1934年) 熱海線泉越隧道改築工事』
や、その他資料を参照する所によると
「完成後次第に畳築(巻立)を圧迫し、トンネルが破壊される恐れがある」
「温泉余土は四方から断面を縮小する様に締め付ける」
実際に上り線側トンネルに被害が出始め、昭和2年、上り線の使用を停止、下り線を単線運用する
丹那トンネルの開通を直線に控え、泉越トンネルも本格的に改良する事となった
上り線、昭和8年3月起工、9年12月竣功
下り線、昭和9年2月着工、同年10月竣功
時期が若干被っている気がするが、列車の運行を上下線と切り替えて工事が行われたようである

上り線120m、下り線80mが改築された
畳築(巻き立て)を新しく巻き直すのだが、
四周から圧する地質に適応した楕円形と形状も変化させている
昭和9年11月6日には、湯河原-熱海も複線開業し、丹那トンネル開通により、
昭和9年12月1日、熱海-沼津が開業。熱海線は東海道本線となったのである