撮影日 2011年12月

石垣山農道のディンプル道をヒーコラ登る
旧標識利用のサル餌禁止が良いね

この日のミッションは御塔坂の遠景撮影だ
ううっ、まだ道路が見えない

箱根登山鉄道の下に国道1号が見えてきた
あの辺が御塔坂だ

坂ったてさ~なだらかな道じゃない。他にもっと急なトコあるよ

ところがどっこい
小田原電気鉄道の明治時代には難所とも言える急坂だったのだ 〈赤マーク部分〉

地図は大正末~昭和の始め、但し昭和6年以前
板橋旧道から風祭手前まで、軌道線は車道上を走ってた
板橋旧道からここまで、明治の馬車鉄道時代からコースは変わらない
地図上、山と川に挟まれ、等高線が密になってる辺りが一番高い地点〈サミット〉になってる

恐らく地図と同時期の絵葉書。御塔坂をゆく道と軌道線〈道路山側〉である
この時代になっちゃうと、坂も結構緩やかになってるみたいだ
明治8年に車道が切り開かれる以前、御塔坂は人力車も登れない激坂だったそうだ
たんだ、道の改良程度で其処まで変わるのかちょいと疑問
江戸時代のベアドの写真など見ると、御塔坂〈と思わる場所〉は山の上の方を通ってるみたいなので、
車道が造られる際にルートが変更になったのかも知れない

それでも明治車道〈=軌道線〉は軽くサミット越えをするような道だったと思われる
それが大正、昭和と道路の拡幅に伴い、ピーク地点の高さが低くなって、
現在では坂の名称すら忘れられている

それを物語るかのように、箱根登山鉄道〈走ってるのは小田急だが〉は、
風祭駅から赤矢印地点を過ぎると、国道1号跨道橋に向かって下って行く

ピーク地点〈前写真の矢印地点〉から風祭方向。下り勾配である

同地点から箱根板橋方向。同様に下り勾配

箱根板橋~風祭区間は、国道1号跨道橋が一番高いのではなく、
旧御塔坂ピークが一番高くなっている
明治時代、御塔坂には入替え線があったというのを何かで見た記憶がある
サミットの頂上で反対側の車両が登って来るのを待ってたんだろうか・・・
当時の写真が見つかれば、面白いんだが

御塔坂遠景を撮影して、石垣山農道を登ってると左から旧道らしきモノが合流 〈旧道側から撮影〉
昔、石垣山に登った時にはこんな急坂では無いと思ってたのだが、以前はこっちの道だったらしい

その旧道合流地点に石碑が立っていた。「関白道??竣功記念」
関白道とは豊臣秀頼が小田原攻めの際に切り引かれたという由来のある道

その道が風化してしまうのを憂いで、有史で金を出し合い、大変苦労して道を整備した
途中、台風の被害にもあい、とっても大変でした・・・ 昭和29年8月1日 関白道改修組合
という事が書いてある〈本当〉

石碑の裏には面々の名前が。こういうの良いね
完成した時に皆で祝杯上げたと思うが、その人達の姿が思い浮ばれる

結局、石垣山まで登ってしまった