そんな訳で 県道76号線が鍛冶屋敷沢を越える都橋には旧橋、旧々橋があるようだ
今回は旧橋についての調査レポ

沢に降りようとして気づいた、左岸ワッフル擁壁に何か埋まってる〈紫枠内〉
今まで見過ごしていたが、光の加減でクッキリ見える
こりゃ石積みみたいだぞ
鍛冶屋敷沢左岸に旧橋の遺構は無いと思ってたが、幸先が良い

沢に降りて最初に調べたのはこのコンクリ群

上から見た時には下が浮いてるように見えたが、基部はしっかり埋まっていた

やはりコレは橋脚の土台で間違いないようだ
H鋼の5本で支えていたらしい

残るコレは何じゃらほい

上下の凸凹構造物はちょいと創造が付かない、、、残りの一つを支えてる基部だったとは思うが・・・

挟まれているモンは覗きこんで直ぐに分かった。これは橋台だ
埋め込みボルトが出てる。これで橋桁と連結してたんかな

直ぐ隣の現橋と見比べれば判り易い。青い橋桁を支えるL字型の部分である

旧橋のモノと思われる橋脚の土台と橋台の残骸を確認したが、
鍛冶屋敷沢右岸の旧橋の橋台を見て悩んだ

どう見てもコンクリの時代が違う。砂利等の成分で無く、出来てから過ぎた年月が違う
川に落ちてるコンクリより右岸の橋台は古いのである
また、どう見ても右岸の橋台の方が若干狭い。こりゃ違う橋のモンだ
うーん、うーん、と橋台を見てて気付いた。橋台の上・・・

橋台の上にもう一個橋台が載っていた
落ちてる残骸は橋台2のセットのようだ
旧橋はさらに新旧の二代あったのである
狭い方〈橋台1〉の橋の上に、新たな橋を架けたのだ。当然古い方の橋は撤去されたと思うが・・・
橋台を見る限り、新しい橋〈橋台2〉の橋桁は薄かったようだ
橋脚もあり、系間2のコンクリ平橋かな。幅員は4m位か
古い橋〈橋台1〉は厚みのある桁、、鋼の箱桁か上路トラスか、、、
こちらが大正初期〈あるいはそれまでに〉架けられた最初の車道橋かと思う。幅員は3mちょい位
・・・長いメジャーも必要だな。出来たら橋長も測りたいトコだ

対する鍛冶屋敷沢左岸は見る影もないワッフル擁壁
石積みの跡が判る程度でも大収穫だ
擁壁施工の際に旧橋の橋台とかを下に落としたんだろか、、、それとも災害?
〈災害であれば記録にある筈だ。調査する予定〉

とにかく、ココには旧橋が架かっていたのは間違いない。それも二代
国道指定は現都橋の時代なので、旧橋は県道〈厚木御殿場線〉の時代のみ
二代目の広い方の橋が、いつ架けられたのか判れば、県道時代の道路拡幅とか判るんだけどなぁ
恐らく、清水橋~鮎沢橋の開通により、御殿場側と繋がった頃の昭和初期と考えられる
12/20追記.二代目旧橋については、推察が根本的に間違っておりました
後日詳細をご報告します

1947年の航空写真で確認できた。当時はやはり旧橋が利用されていた
〈注.まだ新安戸トンネルが出来る前だから、安戸の旧道しか無い〉

現都橋が架かる以前はもっと谷側に入る道であった
ここの右側・・・

ガードレールの外側には、旧道〈線形〉時代のガードレールと、
カードレール設置以前のガードパイプが残っている
昭和30年代にガードレールが導入される以前のものだ
〈蛇足であるが、県道76号線の安戸~鞠子橋間にはこのガードパイブが結構残っている。
一例 何れも川側で、道の川側は昭和20年頃と変わってないという事になる。
道幅の拡幅は、概ね山側を切り崩して行われたようだ〉

鍛冶屋敷沢左岸側〈紫枠辺りが橋台として〉の旧道は・・・

ワッフル擁壁の上が全て道路だった訳だ

「相模の橋 今と昔」の都橋竣工時の写真を、虫眼鏡で見てて気付いた、
まだ旧道の線形やガードパイプが生きてたのが写っている
旧橋について、現地で判った事は以上です
も一度山北町史などの資料を調査して、新たな事が判れば良いのですが
旧々橋についても後程レポします