
前田橋は、小田原馬車鉄道開業時の1888年(明治21年)、早川を右岸へ渡る為に架けられた橋で、
馬車鉄道時は道路併用橋であった

1896年(明治29年)小田原馬車鉄道は小田原電気鉄道に改称、1900年(明治33年)全線を電化
写真は電化後のもので、馬車鉄道時代の写真は見つかっていない
(馬車鉄時代の落合橋は木トラスのように描かれた絵図がある)
この写真は下流側から見たもの

そしてこちらが上流側から見たもの
なんだ全然違う橋じゃないかと思うが、明治の終わりまで架かっていたので、水害で破損したか、
木橋は耐久性が低いので、十年位で架けかえたようである
走ってる車両的に、こちらの方が新しい橋のようだ
橋の対岸(左岸)の軌道は、石積みの上を山の斜面に沿って廻り込んでいるようだ

箱根新道の早川橋梁の下を覗き込むと、護岸の石積みの上に、さらに石積みがある

丸石による石積みだ

さらにその上には、角の石積みがある
中段の丸石積みが一番古いのは明白で、ぐる~と山を廻り込むように積まれている
コレって軌道線(小田原馬車鉄道/電気鉄道の湯本線の事。以下同じ)の石積みじゃないだろうか・・・

右岸側から見てみる
赤枠は3枚目の画像「一枚の古い写真」とほほ同じ位置になる
軌道線の前田橋は、此処に架かっていたのである
古写真の対岸にでかい岩が写ってるね。アレってこのフレームの中の岩だろうか・・・

箱根新道を潜って、左岸を進む
なんとかいけそうだ。以前は草が酷かったので、季節を待ったのだ

岩の段差をトラバースで進む

いきなり人工物発見。アンカーポルトみたいだが、明治期かどうかは判らん

自然石の間にコンクリを発見。何じゃろ

箱根新道の橋桁よりまだ下なので、この上だろう
でかい岩にヨイショとよじ登る、、、、と

なんじゃこりゃ
不自然に平らな上に角穴が開いてる

下流側の穴の脇には、角々とした穴もある
角材を立てたか、差し込むように使った穴だろう

上流側にもアンカーボルト発見

脇から穴のある岩とコンクリを見てみる
橋台かとも思わせる組み合わせだが、穴の角度が違うし、コンクリも右、向う側と傾いている
そもそも架かっていたのが木橋なんで、ここまでしっかりとした橋台は必要無い

もそっと離れた位置から穴あき岩(赤枠)を見てみる
箱根新道の橋桁の高さに近い。丸石積みとの高さも合っている。丸石積みも軌道線由来のモノだと思う

軌道線前田橋の左岸側遺構なのは間違い無いと思われる

此処から下流に向かって石積みの上を・・・なのだが、撮影ポイントの角石積みの下になってる
以前ガスかオイルのタンクが立ってた場所だ。今は撤去されて何も無い

前田橋は此処から右岸に架かっていた
当然後程右岸もウロウロしたが、河原に何かが残っている筈も無く、対岸も護岸改修されてる

さて、穴のある岩の下のコンクリだが、、、

ソコを含めてL字形に打たれていた
鉄棒が浮き出ている。芯として使ったものかは定かでない
(写真手前側は鉄棒が明らかにはみ出てる)
結局何だか判らなかった。穴あき岩の下に隙間でもあったんだろうか?

廻りをじっくり観察すると、他にも角穴っぽいのが開いていた
丹念に探せば、まだあるかも知れない

古写真との比較、及び数々の工作跡からして、軌道線の前田橋があったのは、此処で間違い無い
ピンクのフンバリを利かしていた岩が、先ほどの穴のある岩である
もう一個は電柱を立てる為か?
1910年(明治43年)関東大水害により前田橋・落合橋流失し、(川沿い軌道も被害)
1913年(大正2年)早川左岸のみのルートに変更されて鉄道は再開した
小田原馬車/電気鉄道、明治期のみ活躍した橋だった
ちなみに此処から小田原方面に向かっては、風祭付近まで早川沿いに軌道はあったそうだ
このレポ最初の地図参照
以前描いた概略図は間違ってるので、信用しない事。
このレポ