小田原電気鉄道/三枚橋付近
割とマトモな地図が出来るようになったのは大正時代で、従って詳しい当時の地図は無い
するってぇと
するってぇと
ちなみに探してはいるのだが、馬車鉄道時代の写真は湯本停車場しか見つかっていない
てな訳で、早川の右岸側を色々廻ってみたものの、鉄道跡と思われる形跡は見つからない
流石に100年前だしなぁ、、、という事もあるが、地形的に変な事も気づいた
流石に100年前だしなぁ、、、という事もあるが、地形的に変な事も気づいた
どうも今の川沿いというのは、昔と違うんじゃないか?
現在の川沿いは人工的に造られたではないか(土手というレベルでは無く)
現在の川沿いは人工的に造られたではないか(土手というレベルでは無く)
三枚橋の歴史を調べてみた
開通年月日: 1876年11月 橋長 42m 幅員 3.6m 形式: 木橋
開通年月日: 1884年06月 橋長 42m 幅員 3.6m 形式: 木橋
<1888年(明治21年)10月1日 国府津駅 - 小田原駅 - 湯本駅(現:箱根湯本駅)間開業>
開通年月日: 1889年08月 橋長 42m 幅員 4.5m 形式: 木橋
開通年月日: 1894年11月 橋長 42m 幅員 4.5m 形式: 木桁橋
<1900年(明治33年)3月21日 全線電化>
<1913年(大正02年)8月29日 風祭~湯本路線変更>
開通年月日: 1922年 橋長 61.2m 幅員 3.6m 形式: 吊橋 鋼ポニートラス補剛,木床。
開通年月日: 1927年 橋長 60.5m 幅員 3.6m 形式: 吊橋 鋼ポニートラス補剛,木床。 鉄骨塔
<1935年(昭和10年)10月1日 鉄道線 小田原駅 - 箱根湯本駅間開業>
<小田原市内線 箱根板橋駅 - 箱根湯本駅間廃止>
開通年月日: 1964年 橋長 46m 幅員 6.5m 形式: 連続プレートガーダー l=36.8+8.2
開通年月日: 1884年06月 橋長 42m 幅員 3.6m 形式: 木橋
<1888年(明治21年)10月1日 国府津駅 - 小田原駅 - 湯本駅(現:箱根湯本駅)間開業>
開通年月日: 1889年08月 橋長 42m 幅員 4.5m 形式: 木橋
開通年月日: 1894年11月 橋長 42m 幅員 4.5m 形式: 木桁橋
<1900年(明治33年)3月21日 全線電化>
<1913年(大正02年)8月29日 風祭~湯本路線変更>
開通年月日: 1922年 橋長 61.2m 幅員 3.6m 形式: 吊橋 鋼ポニートラス補剛,木床。
開通年月日: 1927年 橋長 60.5m 幅員 3.6m 形式: 吊橋 鋼ポニートラス補剛,木床。 鉄骨塔
<1935年(昭和10年)10月1日 鉄道線 小田原駅 - 箱根湯本駅間開業>
<小田原市内線 箱根板橋駅 - 箱根湯本駅間廃止>
開通年月日: 1964年 橋長 46m 幅員 6.5m 形式: 連続プレートガーダー l=36.8+8.2
注目すべきは橋長。木橋時代に短いのは、土手(岸)間に架かっていたのでは無く、
川の流れてる部分だけに架かっていたのと、
後期では土手から突き出した堤から橋が架けられていたようだ
川の流れてる部分だけに架かっていたのと、
後期では土手から突き出した堤から橋が架けられていたようだ
そして、鉄道は左岸に移ってしまったが、1922年の鋼トラス吊橋時代の橋長は 60m程だ
現在のガーター橋 46mの1.5倍近くも長かったのだ
川幅が2/3程度になってしまった
現在のガーター橋 46mの1.5倍近くも長かったのだ
川幅が2/3程度になってしまった
↑最初の写真と、5枚目を比べると判ると思う
5枚目にある土手は現在の右岸川岸になったのだ
5枚目にある土手は現在の右岸川岸になったのだ
現地調査でも、流石に鉄道ネタは拾えなかったが、早川の幅は「昔は広かった」と情報を得ていた
広いったって、多少だろう、、、と思ってたのだが、これ程とは・・・
広いったって、多少だろう、、、と思ってたのだが、これ程とは・・・
半端じゃない土地改良があったようで、当時の地形はサッパリ判らなくなってしまった
推定される鉄道跡は線引きできるけど、現在の地形とはマッチしそうにない
推定される鉄道跡は線引きできるけど、現在の地形とはマッチしそうにない
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