前回の御幸の浜プールから西、御幸の浜までの護岸を調査する

御幸の浜プール陸地側の護岸は殆ど残っていない
プールの工事で消えてしまったのか、後に撤去されたのか定かでない
プールの中間地点で僅かに残るだけだった

プール西口に来た
こちら側は、プール奥の陸地側に護岸が続いている

護岸(堤防)の上から、西側を見る
堤防型護岸は、そこで終了

堤防の最後の切れ込み。ここから砂浜へ下りる階段があるが、背面はドコにも出れない
私が子供の頃からこうだったと思うが、何故こーなってるのだろう?

海側には防潮堤が取り付けられてるが、かつては板をはめ込んで高潮に対抗した
はめ込みスリットは石造りなので、全体はコンクリ化されてるけど、元々は古い物だろう

地元の人でも、ドコの話だ?になりかねないのて、航空写真を
緑のラインが御幸ヶ浜の通りだ。防波堤の切れ込みは、赤でマークした場所
御幸ヶ浜の通りから、そのまま階段で海岸に下りられるのに、
こんな所に浜への出入り口があるのが謎だった

大正6年の地図。当時の御幸ヶ浜の通り(緑ライン)は、浜へ直接出れなかったのである
赤でマークしてあるのは、江戸時代末期に造られた砲台(台場)の跡
此処には代官町御台場という砲台跡があった
故に迂回する形で道が造られ、その痕跡として防波堤の切れ込みが残っているのである
なお、他の2つを含めて、全ての砲台跡の痕跡は、残されて無い

古い地図には砲台跡が描かれて無いものが多いので、色々調べてみたが、
いつ頃まで残っていたのか不明である
航空写真のある時代では、既に跡形も無い

御幸ヶ浜の代官町御台場跡と言えるのは、この行幸在所跡
台場跡がそのまま使われたらしい。現在残るこの一角だけという事では無い

明治6年の行幸があった故に、此処が「御幸ヶ浜」という名称となったのである

寝かせてあったが、元は石碑だったようだ

西湘バイパスは御幸ヶ浜の部分、開口高架となってる
ここの護岸は、現役という事になる

御幸ヶ浜通りの末端。階段上から西側を見る
西湘バイパスが出来る以前、かつての市民プールはこの先にあった
1952年の航空写真にも写ってるね

この護岸は現役となるのだが、今まで(東側)が防波堤形状だったのに、法面的護岸となってる

旧地図にも描かれているが、御幸ヶ浜の通り(緑ライン)から東が防波堤(赤マーク/両側ギザギザ)、
西が法面的護岸(青マーク/片側ギザギザ)と造りが変わっている
東側が漁業を中心とした町なのは、今まで見た通り
ここから西は町並みもまったく変わるのだ
続く~

御幸ヶ浜の公衆トイレ裏には、小道があるのだが、そこにはささやかな防潮堤
護岸に対してめっさ小さいが、良いんだろうか・・・
西湘バイパス防波堤はあるけどさ