
蛇骨川を国道138号が渡る八千代橋である

1967年(昭和42年)架橋。橋長60m、幅員10.7m/鋼上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋

アーチは「箱根にマッチする」為だろうが、地味な色に塗られている
赤とかの方が格好良いよなぁ

こちらは先代の旧八千代橋
1924年(大正13年)架橋。橋長38m、幅員5.5m/鋼上路2ヒンジブレースドリブアーチ橋

さらに先代の旧々八千代橋
1904年(明治37年)架橋。橋長32m、幅員5.5m/木造ハウトラス橋
八千代橋として遡れたのはここまでであった
以前、
箱根/国道交差点の石道標レポで、
1889年(明治22年)に宮ノ下から宮城野の間に人力車を通す有料道路が出来てた(Wikipedia/温泉村)
という話をした。八千代橋より古い人力車道があったのは何故か?
今回はその謎に取り組む
ところで、現橋の橋長が60mあるのに、旧橋が38m、旧々橋が32mって変じゃないですか?

答えは昔の航空写真にあり。現橋の上流側に旧橋が残っている
谷の奥なので橋長が短いのだ
大正13年架橋の旧橋は、現橋架橋後、駐車場として利用されていた(見た記憶アリ)
この航空写真の直ぐ後、80年代に撤去された

旧橋の跡、、とも思ったが季節的に藪が酷いので殆ど確認できなかった
ちなみに、反対側の左岸はフェンスが設けられてて旧橋台近くまで行けない
今回のミッションは「八千代橋より古い橋」を探すのだ
蛇骨川の右岸をさかのぼる

単純な話である
八千代橋より古い道があったとすれば(あったのだが)、八千代橋より古い橋が存在するのだ
旧橋が谷奥であるのと同じように、ぃゃ、もっと谷奥に・・・
太閤石風呂通りという遊歩道を進む

あった、あった、いきなり発見
橋全体が樹木に覆われているので、直前まで判らなかった

橋を支える支柱

ステーワイヤーが張られている

一応、形状は吊橋になるんかな

この吊橋が・・・実はコレは温泉パイプを渡す為の水路橋
ぃゃぁ人道橋形状だったらどーしようかと思った
(結構深い谷です。かなりドキドキしたっす)

橋の向こう側は緑と一体になってて、どーなってるのか全然判らない

温泉水路橋の袂には、箱根町設置の案内碑
コレが目的のブツでございます

かなり掠れて見えない
経年劣化より温泉ガス系の影響だと思うが、、、気付いたら直して欲しい>箱根町の方
温泉水路橋の場所には、かつて人道橋が架かっていたそうだ。名を「万年橋」という
案内碑抜粋
明治20年(1887年)早川沿いに新道が設けられ、新橋も万年橋と呼ばれていたが、
明治28年(1895年)明治天皇御用邸落成記念として「八千代橋」と改称された
1904年(明治37年)架橋の八千代橋より、古い橋が存在した訳はコレだったのだ
旧々々橋は万年橋として架橋されたのだ
ただ、万年橋については、1873年(明治6年)、
木賀温泉亀屋/宮内林太郎が宮ノ下~宮城野新道開設の際に万年橋を架けたという記録がある
その橋がココに架かってた万年橋か旧~八千代橋なのかは不明である
(時期的には前者であると思われるが)
宮内林太郎の明治6年新道や万年橋、明治20年架橋の万年橋(八千代橋に改称)など、
も少し調べる必要があると思うので、調査は継続する
追記.
関東大震災で八千代橋は落橋。大正13年の橋が架かるまで、木製の仮橋が架かっていたそうだ
古い絵葉書で、4橋が一枚に掲載されているものがあった(底倉/蔦屋ホテル)
参考ttp://www.pocketbooks-japan.com/images/products/k5001-9999/k7025.jpg
明治六年架設の萬年橋(木桁橋/人道?)
明治二十年架設の八千代橋(木桁橋/車両)
明治三十七年架設の八千代橋(木桁橋/車両)
大正十四年架設の八千代橋(鋼アーチ/車両)
当然ながら明治20年の橋は初見である。これが万年橋→八千代橋改称の橋のようだ