2010/01/31

開成町/吉田橋を探せ

土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス http://www.jsce.or.jp/library/index.html
歴史的橋梁DB/橋梁史年表
5万3千件もの橋梁データが掲載されており、古い橋の情報を検索するに活用している

このデータベースに、あまり知られて無い古い地元の橋はないだろうか・・・
と色々検索していたら

吉田橋/1940-3/長35.1m/幅5.5m/RC桁橋/3×11.6/神奈川県開成町/酒匂川

とんでもないのが出て来た(と思った)
1940年というと、昭和15年。酒匂川に今は現存しない橋が架かってた?(と思った)

確かに古い地図を見ると、酒匂川には今は架かってない所に何本か橋がある
いずれも道路橋ではなく、人用などの簡単な木橋だと思われる

しかしながら、RC桁の5.5m幅と言えば道路橋。11.6mの3桁で全長35.1mである
開成町付近で酒匂川を渡るにしては短いが、
土手間ではなく河原から本流に直接架かっていたんだろうか

古/旧地図を調べ、可能性のあるのを探した・・・が無かった

なにか情報が無いかとWeb上を探すと、結構ネタが見つかった
というか、知ってる人は知ってるのね

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_0?1264894847

これが吉田橋だ


詳しい地図で見る
地図だとココになります(撮影地点)

ちょっと待て、これは十文字橋だろ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_1?1264894847

いえいえ、十文字橋はココから先で

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_2?1264894847

ココまでが吉田橋です

十文字橋の開成町側手前は、別の橋になってると知ってましたが、コレが吉田橋だったとは
(というか名前が付いてるとは知りませんでした)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_3?1264894847

そういえば、下流側の欄干にはありませんが(過去にはあったそうな)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_4?1264894847

上流側には親柱の跡

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_5?1264894847

十文字橋側に唯一親柱が残っています

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_6?1264894847

銘まで残ってました。今まで気付かんかった ... orz

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_7?1264894847

橋の下部は、それなりに利用されているようです

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23330964_8?1264894847

水路も走ってます

橋のデータから、探すのは意外と難しい
今回は意外な結末だったが、でも面白い
ひょっとしたらどこかの旧道に、珍しい橋が眠っているかも知れない
(通行しただけとか、上から見ただけでは、なかなか判らない)

まだまだ探してみようと思う
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2010/01/30

愛川町半原-田代/馬渡橋

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_0?1264532324

横須賀水道半原系統
明治45年(1912年)から大正10年(1921年)にかけて海軍が造った水道路である

1号~3号隧道(仮称)の探索をえて、水道路が中津川を渡る馬渡橋(まわたりはし)にやってきた


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_0?1264819085

馬渡橋、半原側
左手上流側に親柱、右手下流側に水道管の通る柱がある

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_1?1264819085

下路単純プラットトラス橋、橋長47.3m、幅員4.9m、大正14年(1925年)架橋(注.1926年の可能性有り)
土木学会/JSCE 橋梁史年表より

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_2?1264819085

下流側を渡る水道管

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_3?1264819085

よく見ると大正5年の刻印。橋より古いのは当たり前か

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_4?1264819085

水道管柱の上には横須賀市水道局の基準点があった(田代側も同様)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_5?1264819085

親柱の銘板。なんだか施工がおざなりだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_7?1264819085

上流側には人道橋が架けられている。昭和44年(1969年)架橋

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_8?1264819085

人道橋があるので、トラスの様子を詳細に見ることができる
軽量溝形鋼を成形した部材がメインだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_9?1264819085

愛川町田代側にやってきた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_10?1264819085

小型車ではすれ違えるが、大型はこの通り。この橋梁は交互通行が基本だ

流石に交通のネックとなっており、愛川町では以前より架け替えの要望を県に嘆願している
下流の平山橋(未レポ)のように、隣に新しい橋を架けて保存・・・
というのは、道路に余裕が無いので困難だろう

近いうちに架け替えられてしまう可能性が高い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_11?1264819085

一応、下部構造も確認のため、下に潜り込む(というか河原から)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_12?1264819085

無くなってしまうかと思うといとおしくなる
自分的には赤く塗りたい。トラス橋って言えば、やっぱ赤だよね

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_13?1264819085

下流側から全貌

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23318133_6?1264819085

今回、橋の銘板、というかトラスのプレートが無いか、結構探したのだが、見つからなかった
あったのは塗装票のみ

大正14年にしては、トラスが古いんではないかと思ったのである。可能性としては他橋梁からの流用

水道路橋としては大正3年(1914年)に先代の鉄橋(長54.5m、幅3.6m、容姿不明)が架橋された
大正14年に早々と架け替えというのは変なので、関東大震災で被害を受けたかと思ったのだが、
震災報告書によると「被害なし」であった

単純に大正15年の道路構造令に従ったまでの事であろうか

トラス部の詳細が判らなかったのは、残念である
近代土木遺産に登録されてもおかしくないような橋なので、移設保存でも良いから残して欲しいと思う
(注.個人的にそう思うだけ。そっち方面の専門家では無いので稀少価値は判らない)

愛川町/横須賀水道半原系統探索は以上である
今回、数時間で廻らねばならず、十分に探れていない
水源地等他の施設も含めて、いつの日か再探索しようと思う
水道路とは関係ないけど、平山橋も行って無いんだよ(しおしお


PM06:30 追記.
資料を調べに寄った図書館で「神奈川土木部/相模の橋 今と昔」を発見
それによると、馬渡橋は大正15年(1926年)架橋
軽量溝形鋼を成形した鋼材トラスが珍しいから、流用かと思ってたが、
下流の平山橋、上流の旧日向橋(昭和5年下路ワーレントラス)も同様の成形鋼材だった
この付近ではどうやら「一般的」らしい
従って、流用説は間違いであった

この本、欲しいなぁ
2010/01/29

愛川町半原/横須賀水道3号隧道(仮称)

愛川町半原/横須賀水道1号隧道(仮称) https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-548.html
愛川町半原/横須賀水道2号隧道(仮称) https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-550.html
まだな人は、順に見て欲しい
一連の概略を記しているし、逆から見るとなんのこっちゃに成りかねない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_0?1264532324

大正時代の愛川町(当時は愛川村)の地図
3号隧道(仮称)はまたもや川沿いの尾根を越える


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_0?1264731184

県道54号線は、尾根を巻くように川沿いに迂回し、、、何か違うな
正面の道が県道54号線になっている。左に川沿いに進むのは旧道だ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_1?1264731184

立派なトンネル・・・こんなのあったかな?

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_2?1264731184

愛川トンネル、半原側抗門

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_3?1264731184

平成5年(1993年)、延長146M、幅員9.75M、高さ4.5M
拡幅が行われた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_4?1264731184

先代のトンネルは、昭和25年(1950年)、延長140M、幅員3.8M、高さ4.4M
(日本の廃道/隧道データベースより) http://www.the-orj.org/

以前は車がすれ違えない程狭かったが、立派になった
(過去に通った際、そこまで狭かったか記憶に無い。ひょっとしたらもう1世代位あるかも知れない)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_5?1264731184

愛川トンネル、相模原側抗門

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_6?1264731184

川沿いの旧道は、抗門で合流する

さて、、横須賀水道3号隧道(仮称)だが、、、今通った
ぃゃ、ココにあったのだが、道路隧道として生まれ変わった、というのが正しい

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_7?1264731184

半原側抗門で比較するとこんな形・・・旧トンネルもオマケに並べてみよう
勿論、抗口の位置は正しくない。あくまで大きさのイメージだ
3号隧道は、1、2号と同じく下部が埋まっている姿として

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23304545_8?1264731184

今昔マップで比較すると、愛川トンネルより3号隧道の方が若干長いようだ
地図が正確で無い可能性もあるが、道路トンネル施工の際、抗口の分斜面を削ったのかも知れない

3号隧道の過去の姿が判る図面等が無いか、前出の海軍関係資料を漁ったが、
残念ながら見つける事は出来なかった(1号や2号の一部は見つかったんだけどね)

横須賀水道3号隧道(仮称)、現存せず

気を取り直して、馬渡橋へ(後日掲載予定)
2010/01/28

県道720号線起点改良工事


https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-226.html
去年の春頃に福澤神社の移築も終わり、道路路肩の工事も行われた・・・
8ヶ月程そのままだったのですが、ようやく工事が行われました

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_0?1264672735

福澤神社脇、道の中ほどにある白いラインはセンターラインではありません
かつての路側線です
道路が広くなった分の舗装が行われました

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_1?1264672735

反対側、開成町方面。道路が広がるのはソコまでです

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_2?1264672735

県道74号線接続の新規区分は、建設車両や材料が置かれてます
拡幅部分の工事が先に行われるようです

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_3?1264672735

新規部分から拡幅部分を見る
神社側路肩と新規部分路肩が並びました

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_4?1264672735

酒匂川路肩は、白い点線がリアルに引いてあります
ここが実際の道路路肩になるようです

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_5?1264672735

置いてある部材は、上の写真の路肩に使われるものでしょう

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23295419_6?1264672735

県道74号線との新しい交差点となる部分
ここの工事案内は出てなかった。いつ完成するのでしょうか
2010/01/28

愛川町半原/横須賀水道2号隧道(仮称)

愛川町半原/横須賀水道1号隧道(仮称) https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-548.html
まだな人は、先にそちらを見て欲しい
一連の概略を記しているし、探訪が続きになっているからだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_0?1264532324

大正時代の愛川町(当時は愛川村)の地図
2号隧道(仮称)は1号に近い場所にある


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_0?1264636655

1号を抜けて2号隧道(仮称)へ向かう
この間の道は、水道路道のオリジナルである

他の殆どの場所が、道路の拡幅などで水道路と判らなくなってしまったが、
ココは水道管を埋めた堤がそのままの姿で残っている

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_1?1264636655

2号隧道(仮称)が見えてきた。残念な事に金網で塞がれている

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_2?1264636655

その手前、柵がある部分は小さな橋となっている
下を覗き込もうとウロウロしてたら、赤矢印のトコに気付いた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_3?1264636655

海軍印の入った仕切弁だ。横須賀の方にあるのは知ってたが、こちらにもあるとは
以前に来た時には気付かなかったので、大変嬉しい発見である
愛川町侮れないなぁ、やはり機会を設けて後日じっくり探索してみたいものだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_4?1264636655

そして小さな橋の下を覗き込むと、水道管が露出していた
2本敷設できる様式みたいだが、1本のみ敷設されている

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_5?1264636655

さて、本題に戻ろう。2号隧道(仮称)、水源側坑口
以前、、だいぶ昔に来た時は通れたと記憶しているが、今はこの通り
坑口の造りは1号と同じだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_6?1264636655

金網から覗き込むと、向こう側の坑口も塞がれているのが判る
ぴっちゃん、ぴっちゃんと水が落ちる音が響く。目を凝らすと向こう側左に水が溜まっているような
手前、路面も1号と同じ状況。やはりこんな形にして通行していたんだな・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_7?1264636655

坑内右側に横須賀市水道局の杭が立っている
左側にも何か書いているようだが、ギリで見えない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_8?1264636655

隧道を通れないので、県道へと迂回する

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_9?1264636655

県道54号線から反対側の坑口入り口・・・地図では判り易そうだが、実際はこんなトコだ
電線が奥に続いてるので直ぐに見つける事ができた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_10?1264636655

隧道が通行止めになっているからだろう。小道は廃な雰囲気を漂わせている

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_11?1264636655

道脇には「Y」頭の標柱。こんな所に横須賀市のコンクリ柱があるとは、、水道に関するものだろう
既に取水されてない水道径路に、新しい標柱があるのはちょっと違和感がある
(後にバス停付近にも一本あるのを見つけた)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_12?1264636655

小道を進むと直ぐに隧道が現れた。やはり金網で塞がれている
手前のフェンスで囲まれた部分は、下を沢が流れている橋となっている
藪が激しいので、下を覗き込む事はしなかった

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_13?1264636655

2号隧道(仮称)、横須賀側坑口
通行を禁止されたは、漏水があるためか、、、路面右側に水がチョロチョロ流れ出てる

んんんんんん!!

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_14?1264636655

慌てて金網から覗き込んだ
なんという事か!漏水のおかけで仮の路面が削られ、オリジナルの石垣が見えるではないか
通行は出来なくなったが、これはある意味ラッキー

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23289976_15?1264636655

海軍関係の資料で、最初の工事施工関係のモノは見つからなかったが、
後の使用/工事記録の資料を見る事ができた

その中で隧道内に電話線を通す工事の申請を見つけた、そこに隧道断面図が掲載されていたのである

この図が、隧道内部の元々の姿
隧道は一般的な形で掘られ、水道管を隧道隅にうめていた(石垣があるとは判らなかった)

後の時代、この隧道を安全に通行できるように、段差が無くなるまで路面が埋められた
それが現在の「やけに狭い」姿なのである

隧道は通行出来なかったので、地図読みで延長70m程

2号隧道(仮称)は、通行ができなくなった代わりに、素敵なプレゼントをくれた
さあ、3号隧道(仮称)へ(後日掲載予定)
2010/01/27

酒匂縦貫道路 工事の様子

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_0?1264588234

鬼柳、未完成区間の松田側末端
本日、仕事で通りかかると、すっかり整地が終わり、一部舗装されるなど、完成が近い事を伺わせる
けど、ここの工事案内板は去年の年末のまま。もう過ぎてるがな

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_1?1264588234

卸売団地西交差点付近に来ると、新たな交差点が工事されてた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_2?1264588234

新交差点から北、松田側は整地も終わり、完成が近い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_3?1264588234

交差点から南、成田方面。下水工事が尾を引いてる感じだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_4?1264588234

大和紙器付近から北、松田方面。この区間は1月末まで、、ちょっと苦しいかも知れない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_5?1264588234

大和紙器付近から南。成田方面
下水の工事が残っているんだろうか、、、相変わらず路肩完了で止まっている

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_6?1264588234

日本新薬から北。路面が出来上がっていて、暫定的に2車線として運用しているが、
道がカーブする所で「狭い暫定開通」となってる
隣に広大な路面があるのに「なぜ?」

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_7?1264588234

桑原西交差点。道路予定地にかかっていたが、施工されてなかったお店の駐車場が取り壊し中

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_8?1264588234

↑を裏側から。もう路肩出来てて、どーすんだろと思ったが、ようやく着工できるようだ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_9?1264588234

桑原西交差点から成田工業団地区間(松田向き)。4車線中、暫定2車線で開通していた
この辺は中央分離帯が出来るようで、分離帯の路肩(?)が出来上がってた

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_10?1264588234

桑原西交差点から成田工業団地区間(成田向き)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23282827_11?1264588234

成田工業団地口。未開通区間の成田側末端
こちらの工事案内板では、3月の完了予定だ

あ、今気が付いた。この工事案内板のマーク、小田原市のものだ。あれ?ここは市の施工なんか?

酒匂縦貫道路としては、年内に開通の予定(神奈川県道路整備課)
2010/01/27

愛川町半原/横須賀水道1号隧道(仮称)

横須賀水道をご存知だろうか

大日本帝国海軍横須賀の水道は、当初横須賀市内の走水水源地より供給していたが、
需要の増加に対応するため、新たな水源・水道が必要となった

海軍は、明治45年(1912年)、中津川を水源とする 半原系統建設工事に着手し、
53キロにも及ぶ水道路を大正10年(1921年)に完成した

この水道施設は、昭和29年(1954年)横須賀市に譲渡され、長らく利用されていたが、
施設の老朽化などにより、平成19年(2007年)4月取水停止となった

山さ行がねが/ヨッキれんさんの
隧道レポート/横須賀市の明治隧道たち http://yamaiga.com/tunnel/yokosuka_meiji/main.html
に横須賀側隧道が取り上げられている。その水道路の取水側となる

本来は時間かけてじっくり探索レポートしたいのだが、
スケジュールの関係と一部施設存命が危うい(らしい)ので、急遽調査を行った
水源施設などは端折り、若干細かさに欠けるが、御了承ください

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_0?1264532324

大正時代の愛川町(当時は愛川村)の地図
水色のラインが水道路である。今回は1号隧道(仮称)を取り上げる
なお、海軍関係の資料を漁ったが、隧道に個別の名称を見つける事ができなかった
便宜上、取水側から順に1号~3号と呼称する


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_1?1264532324

地図のクロスポイント、県道54号線を起点から相模原方面に向いている
道がカーブする所で、細い道が続くが、その先に「既に見える」

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_2?1264532324

細い道は、県道の旧道・・・では無い
大正地図にある通り、道路は現県道54号ルートに既に存在した
川沿いの険路に水道路を通すのを嫌ったのか、
水源に近い場所なので、なるたけ直線経路を取りたかったのか、、、
水道路の為に選定されたルートである

当時の資料によると、既設道路と併用されなかった水道路上に関して、
利用や通行の許可を海軍に得る必要があったようで、隧道も通行が自由では無かったかも知れない

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_3?1264532324

1号隧道(仮称)、水源側坑口
車止めがあり、車両の通行はできない。されど、特に通行を規制する標識などは無い
厳密に言えば、道路隧道ではなく、「通行可能水道路隧道」の扱いなのだろう

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_4?1264532324

坑口も巻き立てもレンガ積みである

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_5?1264532324

要石だけは自然石が使われている
基本的に坑口の造りは全て同じである。扁額とかは無い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_6?1264532324

坑内は狭い
乗車しても、普通に立ってても天井に手が届く
真ん中付近であれば、そう圧迫感を受けずに通行する事は可能である

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_7?1264532324

路面は未舗装・・・この狭さと路面については、2号隧道で明らかにする(もったいぶり)
所々に付けられた照明で、かろうじて無灯火でも通れるが、
怖がりな人には辛いだろう・・・自分的には照明なんて無い方が素敵だ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_8?1264532324

照明器具は一般的蛍光灯富士形反射付き
照明が付いてるんだから、通行路として認められてるんだろうな

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_9?1264532324

坑内のレンガ巻きは、やや荒いというか、綺麗に並んでない
道路隧道では無いから、美的には拘らなかったのだろう

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_10?1264532324

フラッシュを焚いて、レンガ巻きの様子が判るように
坑内に走ってる電線は、照明器具用の電力と通信線
基幹送電線はトンネルを通ってない(当たり前だ)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_11?1264532324

横須賀側坑口にでる。延長は170m位

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_12?1264532324

こちら側にも車止めがある

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23276389_13?1264532324

水道路道を少し進んだ所で、1号隧道(仮称)を振り返る

探索時、ガ、、お子様が隧道を通行された
川沿いの県道は歩道も無い区間なので、この隧道は有効利用されているのだった

続いて、2号隧道(仮称)へ(後日掲載予定)
2010/01/26

御殿場線の石積み橋脚を比べてみよう

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23262946_0?1264440886

川音川橋梁(川上側)
先日の川音川橋梁で確証が得られなかった石積み橋脚の年代
他の橋梁と比べれば何か判るかも知れない・・・
という訳で、以前に撮った写真と見比べてみる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23262946_4?1264440886

第二酒匂川橋梁(川上側)
いきなりだが、全然違うタイプの橋脚
先日の話と矛盾するが、上流は尖頭型になっている(コンクリ補強されているが)
この橋脚は、明治22年の開業当時で間違いないらしい(御殿場線酒匂川橋梁/Wikipedia)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23262946_3?1264440886

第四相沢川橋梁(川下側)
川下遠景の写真しか無かったので判らず。しおしお

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23262946_2?1264440886

第五相沢川橋梁(川下側)
写真では判らないが、上流側は尖頭型になっておらず、小判型
この橋脚は、大正初期のもの(あるいはそれ以降)というのが判っている

関東大震災の際、多大な被害を受けたので、その修復以降という見方もある

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23262946_1?1264440886

第六相沢川橋梁(川上側)
橋脚は小判型

さて、石積み橋脚を比べて見て・・・さっぱり判らん
第二酒匂川橋梁が古いというのは流石に判るが、それ以外はタイプの違いなのか、年代の違いなのか

橋桁には製造年月が刻まれてるけど、橋脚には無いからなぁ
工事記録や図面でもないと正確な事は判らない、、というのが本音

最後にオマケだが
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23262946_5?1264440886

十文字橋(道路橋)(川上側)
コンクリ補強されてるが、両方とも尖頭型になってるなど、この橋脚が川音川橋梁のに一番似てる
場所も近いし
この橋脚は大正2年(1913年)のもの
2010/01/25

静岡県駿東郡小山町/富士紡績専用線


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23249328_0?1264368782

地図のクロスポイント、御殿場線の駿河小山構内、滝沢川橋梁である

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23249328_1?1264368782

構内なので、上に沢山の線路があり、結構奥行きが長い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23249328_2?1264368782

橋梁の鮎沢川側には、随分華奢なガーダーが架かってる
写真奥は、フジボウの会社入り口だ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23249328_3?1264368782

ガーダーはナロー用だ。情報によると軌道は600ミリゲ-ジらしい


富士紡績専用線というと、
今は接続してないが、地図にも描かれてる御殿場線からの引き込み線(Wikipedia/駿河小山駅)と、

森村橋 https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-448.html
を渡っていたナローな軌道、と2つある事になる

廃線筋のサイトを見ても全貌が描かれてるトコが無い
JRの引き込み線は良いとして、ナローな軌道はドコに繋がってるの?

そもそも森村橋をナローな軌道が渡っていたというネタモトは、
東高円寺写真館Ⅱ 様 http://homepage3.nifty.com/ha2002/index.html
の情報だ。ナローな軌道を加藤製作所の小型機関車が走ってる写真がある

しゅうちゃんのお出かけ日記 様 http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/
には、古い御殿場線の写真が豊富に掲載されており、
駿河小山構内に加藤の小型機関車が写っている写真があるのです

構内(か脇)をナローの軌道が走っていた・・・確かな証拠を得る為に滝沢川橋梁を見に行った訳です
これで確証が得られました

当時富士紡績は、駿河小山駅近くと、森村橋を渡った所、2箇所に工場がありました
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23249328_4?1264368782

赤がJRの引き込み線、青が会社の専用ナロー軌道

これが富士紡績専用線の全貌という事になります
(ナロー軌道にはポイントがあり、支線があったという話もあります)

お二方のサイトは大変参考になります。多々感謝!

追記.森村橋付近は、以前路面にナロー跡っぽいのが残っていたが、
現在森村橋直前までの全区画を掘り起こし、整地が行われている
2010/01/24

御殿場線/川音川橋梁


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_0?1264276608

御殿場線ネタを調べてるのだが、Web上に他の橋梁は多く載ってても、この橋梁は扱いが寂しい
てな訳で、意外と知られてない事も含めて紹介しちゃうゾ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_1?1264276608

勿論、在りし日の東海道本線。ちゃんと複線仕様である
向こう対岸の国府津側は草ボウボウだが・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_2?1264276608

松田側は遊歩道もあるので、お手軽に橋下に行ける

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_3?1264276608

橋台は石積みだ。多分明治の開通時代の姿・・・だと思う(確証は無い)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_4?1264276608

橋脚はコンクリに変わっちゃっているが・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_5?1264276608

一本だけ石積みの橋脚。多分明治の開通時代の姿・・・だと思う(確証は無い)

少なくとも、関東大震災においては「袖石垣の崩壊せし外被害を認めざりき」
(袖石垣が崩壊した外、被害を認めなかった)と壊れんかった
(土木学会編/大正12年関東大地震震害調査報告書より)

ただ、尖頭型な橋脚って、明治時代にはあまり見られないんだよな・・・
初期の橋脚は小判型が多い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_6?1264276608

そんな古の橋脚にペタペタ触れる

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_7?1264276608

そういえば、このガーダーだってソコソコ古い筈だ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_8?1264276608

ペイントの重ね塗りで読み難い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_9?1264276608

昭和四年だ。ちょいと残念。他の橋梁では震災前のガーダーとか現存してる処もあるのだが
それでも、東海道本線時代のガーダーだ(丹那トンネルが開通したのは昭和9年)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_10?1264276608

そんな歴史的遺産を間近で見られるトコは滅多に無い

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fe/4e/bazu55555/folder/109946/img_109946_23233768_12?1264276608

参考までに、塗装記録表


橋脚について御存知な方は、是非とも御教授ください