2021/11/11

御殿場泥流Ⅲ


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発生源の方は調べつくしたんで、流れ降る部分について解説

鮎沢川から酒匂川へと流れるんだが、上流に行く程勾配が半端ない
土砂は勾配変化のトコで留まり易いから、馬伏川が鮎沢川に流れ込む場所、
鮎沢川が「河内川-酒匂川」に流れ込む場所、
大口で酒匂川が谷から平野に出る辺りがポイントとなる
(実は大口のハナシは出てこない)

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まずは馬伏川-鮎沢川
前回触れたように、泥流は鮎沢川上流より馬伏川に流れ込む方が多い
馬伏川の方が勾配が急なんで、鮎沢川に出たトコで留まり易い
資料が中途半端なんで不確かだが、扇状地的に堆積したと思われ【黄緑】
なぉ図中段丘にm数が入ってるが、河川からの標高差で、
えいやぁと地図計測してるから、参考程度に
一気に土砂が溜れば、鮎沢川上流側が閉塞して天然ダムになりそなんたが、
その辺のデータは見つからんかった

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鮎沢川から酒匂川ら流れ込む辺りで、御殿場泥流に関する資料は見つからんかった
一部に「小山・透間・諸渕・谷峨の段丘でも御殿場泥流が堆積云々」
という文のみあったんで具体的場所とか判んないが

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そこら辺りの段丘地をマーク。なぉ透間では段丘が2面ありそ
具体的に積もったエリアは判んないので推測だが、河内川・鮎沢川合流地点は、
割と川幅が広いんで、閉塞は無かったんじゃないかと思う
逆に谷峨の先で川幅が狭まる地点は怪しい
谷峨の段丘は割と高めだが、ソコまで堆積してたんから、その可能性は高い

余談だが、も少し下流で大正関東大震災時に山崩れがあり、
閉塞して天然ダムが一時的に出来てる

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酒匂川が平地に出るところ、、、大口でなく(仮)山北谷(御殿場線沿い、酒匂川A)
当時、酒匂川は箱根火山の軽石流により流れがコッチ(酒匂川A)になってる

(仮)山北谷の段丘面に御殿場泥流が堆積したんが残ってる
谷地形なんで溜り続けた故か、酒匂川は元の流路(酒匂川B)に戻るんだが、
そこらの段丘面(軽石流面?)上に堆積を残す

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以前酒匂川古代史でも触れたが、ちょいとおざなりだったんで、も少し
時は5万年前(6万6千年前、6万5千年前もあり。最近は5万年が主流)
箱根火山活動は活発で色々あったが、軽石流(火砕流)が外輪山を越え、
酒匂川流域に流れ込み、南足柄~山北に高く堆積する

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上記図中では軽石流と御殿場泥流(山北火山砂礫層)が描いてあるが、
実際には数万年の時間差がある
御殿場泥流も30~40m堆積したが、軽石流は倍近い60m以上の厚層となってる

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というより、断面図を見ると半端ない量なんが判る
酒匂川はコレにより(仮)山北谷に流れを変えるんだが、
浅間山が無かったらどーなってたんだろ

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タイムスケール的ににはこのような順となる
なぉ浅間山山頂には古酒匂川の川床層が見つかっており、
10万年前位には酒匂川の川底だったらしい。8・7万年頃から隆起してく
5万年前、箱根火山軽石流は内川・狩川の谷を通り、関本丘陵地を形成してく
結果として狩川は南下、内川は北上し、伴う軽石流が古酒匂川を堰き止め、
酒匂川は(仮)山北谷へと流れ込む事になる
数万年かけて(仮)山北谷を掘り続けた酒匂川は、
BC900年の御殿場泥流によって谷が埋まり、軽石流の堆積を越えて
浅間山南側に流れる事となった

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古酒匂川が(仮)山北谷を流れてたんは、丁度やってきた氷河期により、
海面低下~河川下刻によって刻まれた谷地形が物語ってる

前半戦は(仮)山北谷から、後半は大口から平野に出た泥流は、
足柄平野を埋め尽くす

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縦断面図(酒匂川上流から下流)

地中堆積は上流側に偏ってる風に見えるが、下流部でも堆積層が見つかってる
(堆積図は後年にもっと詳しい図が出てるが、ちょい判り辛いのでコレを使って説明してる)

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横断面
元々泥流は河川により流されてきたモンで、堆積しづらいんだが、
川床が上がって流れが変わった場合に残る風である

下流には厚層が見られず、殆どが平野上中流域に留まってる

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地上部に残るんは、段丘面か、わずかに高い微高地
あとは川の流れにより相模湾に流れ出ている
酒匂川右岸(箱根側)の段丘面に泥流層が残ってるんだが、
各段丘を見ると流れた泥流の厚みが判る
段丘に有る数字mは、現酒匂川に対する相対高さだが、下流に行く程高さは低くなる
泥流の堆積して無い段丘は描かれて無いので、
この図の段丘相対高さが、御殿場泥流の堆積した大凡の厚さである

御殿場泥流が足柄平野を埋めた、といっても山谷を出るトコで35-40m、
あとは流れ下りながら厚さが減ってく、、というのが状況であるようだ

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なぉ先の図「足柄平野の地質」では松田の辺りも堆積してる風だが、
2枚目「足柄平野における沖積層のボーリング~」では無い
資料によって多少の差はあるんだが、松田となると下流全てに影響するんで、
色々調べてみたが、松田には堆積はしてない風だ
一応、最新っぽいのでも同様(大磯丘陵のだが、松田辺りも多分最新)

開成町、とうとう改名したか?

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さんざ扱ってながら流れる泥流が具体的にどんなモンかは、触れてこんかった
砂・礫などの土砂なんだが、どんなだ?という訳で判り易そな資料を見つけた
先程、平野下部には堆積してない風になってたが、末端では残っており、
海岸線に近いエリアには層を成してる
小八幡は現地図にないが、小さな流れが海に達してたようで、
主に細砂の泥流層が見つかってる
国府津では森戸川の氾濫域か、かなりの層厚となってて、各種の層が交互に堆積してる

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実際の堆積の様子が、高田トレンチに出てる
シルト層(Ⅲ層)の上に古土壌と共に堆積してる(Ⅱ層)
その上は砂シルト(Ⅰ層)である

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K11が該当する層である
(ぃゃ、私にゃ見た目で層が違うとしか判らん。
黒っぽいのは砂とか灰という程度の知識っか無い)

BC900から、200~300年は続いたという御殿場泥流は、酒匂川の流れを大きく変える事なった
時は弥生時代で、足柄平野にも弥生人の集落等あったが、
鴨宮台地や諏訪ノ原、その他の高台でしか遺跡は見つかって無い

参考/鴨宮台地
https://bazu55555.fc2.net/blog-entry-2789.html

流れちゃったというより、
雨が降れば川筋が変わるような不安定な河川だから、住居は高台に設けたと思われ


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御殿場泥流について、今判ってる事は以上だが、私的に思う事を、、

箱根火山軽石流が酒匂川を(仮)山北谷に追いやった件
資料では60m以上堆積と数字にあっても、
実際そこらの地形ではそんなに高く積もって無い風な気がする

(仮)山北谷入口段丘高さ(此処では全て標高)は135mで、
それを越える高さの軽石流層があった筈
内川側のそこいら辺は150mで、ちょいと微妙
(そっから段丘高が低くなるが、酒匂川越流で削った後と思われ。
後に現川筋に安定し、どどんと削った結果が現在の姿)

古酒匂川の流れを推測【水色】からすると、高瀬橋辺りが境になると思うんだが、
軽石流はソコまで届いてたんか?
地質(層)の変り目にあるんが関係してるんじゃないか?
あるいは断層か?とかも思う
(ここらは近年まで詳しく調べられてないので、
断層もまだ未確定な奴まで描いてある。国土断層図とか正式のには載ってない)

たった2900年前という、ここらにしては近年の出来事なんで、凄く興味がある
地形的にも隆起陥没考えなくて良いしね

≪御殿場泥流関連は、一応これにて終了≫

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2021/11/09

Re御殿場岩屑なだれ

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御殿場泥流で、古富士のピークが崩壊し、御殿場岩屑なだれが起きたが、
その想定崩壊地がよく判んなかったんだが・・・
被ってる溶岩流の年代とか調べたんで、一応の結論

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東稜の関係する物だけだが、溶岩・噴出物の年代(ざっくばらん)
BC900の御殿場岩屑なだれより新しい奴を省くと・・

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スカスカとなりました(東稜の古いモンだけ残してる)
ぃゃ、勿論省いた溶岩の下にも別のがある筈なんだが、
そこらは判らんので、「可能性のみ」でハナシを進めます

想定される標高15000mから3000mの間には、須走-c期の火山麗扇状地Ⅱがあるんすが、
コレは時期が岩屑なだれ前後なんで、あまり係らない
(個別のデータはあって、一部は年代確定してる風だが、
場所の特定等滅茶苦茶大変なんでそういう事にします)

問題は未区分の須走-b期噴出物
BC3600-BC1500は須走-b期の年代で、個別のは確定して無いんすが、
年代範疇が正しいとすると、岩屑なだれより古いモノです
コレ避けなきゃ駄目かな?

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とりまいい感じで岩屑なだれを延長してみると、やはり須走-b期のが被る
ソレに囲まれてるピンポイントな場所、、は無理があるよな
(須走-b期のが無ければ、古富士ブロックに囲まれてる部分が最有力なんだが)

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逆に考えて、崩壊の後地に新規溶岩が流れ込む、、
と考えると青矢印の向きに流れてるのが気になります
やはり獅子岩の下か・・・

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前回怪しかった辺りです

古富士は標高3000m位まで成長したが、
山体崩壊したんでソコまでのピークは残って無いと思われ
現在判ってる最高地点は宝永山で、2700m弱
そういう意味では獅子岩(上端2100m)の上という可能性も有り得るな

そもそも崩れちゃったモンがドコにあったか、
跡が残っていない以上、特定は難しいなぁ

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吉田口の小御岳には小御岳神社があるように、須走口[訂正]には古御岳神社があります
小御岳神社は割と立派ですが、古御岳神社は小さな社があるだけですが、
何れの古富士にも神社があるんは、なんか謂れがありそ
今んトコ、関連ありそなネタは見つけてません


2021/11/07

幻の宇津湖

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南麓斜面、大淵村(現富士市)にて変朽安山岩の層が見つかった事で
富士山の下には丹沢山地が広がってると判明した訳だが、
山中湖周辺にも丹沢の代表的岩質であるトナール岩とか見つかれば、
その説の確証できるんでね?

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てな訳で山中湖周辺の地質調査の資料を漁る
【右側】周辺もボーリングしてるが、いかんせん数mじゃ基盤層には達せず
いずれも火山性の層群だ
【左側】山中湖湖底のボーリングだが、なんと120mも掘ってる
が、やはり火山性堆積物っか見つかってない

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反対側の須走でも60m掘っても、まだ泥流層。富士山噴出物半端ないな~

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てな事してたらこんな資料が出てきた
ああ、忍野と山中湖が一体となってた宇津湖の件だね
元々怪しい情報だったが、やはり「無い」と結論が出た

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元ネタは宮下文書という複数の書からなる古文書群なんだが、
そん中に宇津湖、古文書中では宇宙湖と呼称される湖が書かれてる

神代から富士山北麗にあった日本の中心の都だそうだが、
細かいトコ突っ込むとキリが無いんで、富士火山についてだけ触れる

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コッチの地図の方が現代風で判り易い。オリジナルでなく写本(?)らしい
載せるんに縮小しちまったから判別できんが、左側には見慣れた地名があって、
御近所にこんな都があったとは露知らず、、、

閑話休題、その昔富士山北麗には本栖湖・精進湖・西湖の元となる剗の海、
河口湖の前身である小舟湖、そして忍野と山中湖一体となる宇津湖(宇宙湖)があった
が、延暦19/800年の富士山噴火で溶岩が流れ込み、
剗の海は3湖に分裂、宇津湖も2つに別れた(山中湖と忍野湖)
他(ざっくり)あって、都は壊滅し、人々から忘れられていった

この書は偽書・正史だ色々あるが、富士山北麗に長い事栄えてたんなら、、、

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富士山の噴火の歴史にも詳しいに違いない!
他古文書は遠いトコでの記述なんで詳しく無いし、細かい活動は載ってない
目の前の山なら、こと細かく記述、、、されて無いようだ

そもそも都壊滅となった延暦噴火も、噴火場所が違うとか、
大月市猿橋、小山町竹之下、富士市大淵まで溶岩が流れた、
剗の海が判れたんは貞観6/864年の噴火、など事実と異なる点が多く、
まるでwiki富士山噴火見て適当に情報集めました風だったりする

まぁ当然、宇津湖に関しても正しくない

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実は偶然か、山中湖と忍野の間に流れ込んだ鷹丸尾溶岩はAD800年
即ち延暦の噴火のモノと確認されてる

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しかも剗の海件は噴火が違えど事実だし、3湖の湖水標高が同じで連動してのは有名なんで、
宇津湖もホントなんてじゃないかとさんざ言われていた

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実際、火山学でも噴火に関する情報は一通り検証してるし、
地学的に真面目に検討する人もいる

意外かと思えるかも知れんが、古文書とはその時代の貴重な資料なんで、
「もしかしたらモノホン」でも十分価値があると思う
特に科学的分析が進んでなかった頃は、ハッキリ検証できんかったから、
この手が一時的にでも正しいとされてた事もあると思う

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だがしかし、地理的に無理なモンは無理。忍野から山中湖まで歩った人は判るが、
2つの地点にゃかなりの標高差がある
山中湖から流れる桂川(相模川)と、途中で別れ忍野を流れる新名庄川を比高すると
忍野八海辺り-山中湖で標高差が56mとなる

忍野南側には旧期である燕沢溶岩の台地があるんで、此処を堤として・・・

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桂川には台地と山の間にいい感じの谷があるんで、此処を埋めれば、
湖水標高956mの(仮)忍野湖が誕生する
なぉ、この時点で忍野の大部分が水没するが、細かい事なんで気にしない

だが、まだ山中湖には届かない。湖水面でまだ24.5mの差がある

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鷹丸尾溶岩はまだ流れて無いんで取っ払う
すると山中湖の湖水は忍野湖に流れ込んで溢れて、、、山中湖は干上がる
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何を言ってるのかと思われるかも知れんが、山中湖は浅いのである
富士五湖中最高地点にありながら、湖水深は最低なのだ
(仮)忍野湖の湖水標高956m程度じゃ、山中湖の湖底にすら届かない

もし山中湖の湖水を残して両湖を繋げるんには、谷を埋めた程度じゃ足りなくて
さらに21m高い壁が必要だ

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てな訳で、現地に抵当な山地が無いんで、最大堤高60mとなる謎壁を用意しました
これで忍野と山中湖を結ぶ真・宇津湖が出来ます

北側にある鳥居地峠の標高が1000mなんで、あと10m位行けるかな
なる程、先程の浜野一彦氏の図になるな

これで宇津湖は実現可能だが、
当時こんな土木技術は無いだろうし、こんな湖人工的に造る意味も無いんで、
自然地形的に無いのであれば、宇津湖はどーやっても出来ん

昔、その辺りに尾根すじがあった、、のなら
現在ある火山麗扇状地より高い部位なんで、決壊した部分を除いて残る
簡単に浸食で消え去る岩質じゃ、そもそも貯水などできん

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山中湖は昔もっと深かったんでね?
というのも最初に見たボーリング等で否定されてる
元々ここらは富士山にメチャ埋められた地点なのだ

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緑線が丹沢山地。富士山に接する側は風成火山灰が降り積もった地域
篭坂峠、山中湖・忍野などの周辺は、
東の地域に比べて谷が判らなくなる程埋まってしまってる

忍野・山中湖地域は谷が富士山に向いてるんで、
山から降って来た火山灰混じりの土砂の行き場が無い
昔あった谷はすっかり埋め造れてる

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山中湖の形成は色々説があるが、地質や珪藻化石により1850年前位【緑・ピンク】
何度か枯れて、現在の山中湖が誕生したんは8世紀【水色】
忍野では1万年前に湖(単独で仮程大きくは無かったと思われ)が出来、
4000年前頃から沼沢地に変わった【青】

両湖が同時期に存在した事も無さそ

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てな訳で8世紀、鷹丸尾溶岩流の直前には、
宇津湖どころか忍野湖も山中湖(枯れ中)も無く、ただ古桂川が流れてた
逆に鷹丸尾溶岩によって山中湖は堰き止められて誕生(復活)する

てなのがこの地域のざっとした地歴である


2021/11/05

御殿場泥流Ⅱ

前回の続き

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2900年前の御殿場岩屑なだれ・御殿場泥流で御殿場の地は埋め尽くされた!
というと、土砂が一気に流れ下り、箱根山側に駆け登った・・
というイメージがあったんだが、
実際には崩れた土砂が降雨でジワジワ流れ降っていった。という事らしい

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実際。御殿場駅付近の地下はこのようになってるらしい
泥流(浅)が2900年前の御殿場泥流

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前回でた堆積物の分布でも、
岩屑なだれ堆積地に近いトコと、黄瀬川流れ出しのトコが泥流堆積が高い
黄瀬川側は順当に流れてってるようだが、鮎沢川側はちょい変わってる
鮎沢川、小山佐野川、須川にも流れてるが、馬伏川に流れ出てる分に偏ってる
(図は精度が高く無く、リアル地図とピッタリはならんので、若干ズレ有り)

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鮎沢川側の流れ出を見ると、馬伏川流域下に泥流堆積地が続ている
御殿場泥流は降雨で流れてくんで、河道には溜らず、段丘面に堆積を残すのみのようだ
足柄平野の山北とかと同じだな

河川流れをブロックしてる黄色部分は、約2万年前に発生した馬伏川岩屑なだれの堆積面である
長き時の間に馬伏川等が削り開いた谷地形に、泥流が大量に降っていった訳だ

鮎沢川より馬伏川の方に流れ出る量が多いんは、馬伏川の方が河川流量が多いからかな?
平成26年度のデータだが、鮎沢川が谷に入り込む狩渡戸橋で0.84㎥/S、
馬伏川が谷に入り込む抜川橋で0.33㎥/Sと、鮎沢川の方が倍以上多い
だが、ちょい下流で抜川・滝良川等と合流した思橋では1.80㎥/Sと、グンと多くなる
鮎沢川も箱根からの河川と合流するんで、流量は増えるんだが、
鮎沢川-馬伏川出合では馬伏川の方が流量多いかも知れない

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段丘面に泥流が残ってるんを確認したいんで、高低図に持ってきてみたが、よく判らん

仕方ないので要所の標高を調べて・・・

6_20211105191533c1f.jpg
纏めるとこんな感じになります
泥流が堆積してる段丘面より下では、後に洗い流されて残ってない
泥流面より上の段丘には届いてないので堆積してない、、、と考えられます
順当に流れ出るといっても、一ヵ所に集中したためか、
泥流高はかなりのモノになったもよう
(この区間だけで河川高低差が78m、馬伏川岩崩面からすると100m近くもある)

鮎沢川沿いの段丘堆積面は、ちょいと資料が足りないので、考察できん(後述)

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御殿場泥流で堰き止め湖は出来んかった、と前回言ったんだが、厳密には出来たかも知れん

この図が付近の化石湖だが、古小山湖は若干経路が違い、古酒匂川が流れ混んでた時代
古富士の活動で御殿場付近が埋めたてられ、古酒匂川が堰き止め湖となった
その後、古酒匂川は谷峨付近で流れを変え、東/現在の流路に変わる
その埋め立てられた御殿場に誕生したのが、古御殿場湖である
古御殿場湖は鎌倉初期まで(小さくなりながも)残ってて、
便船塚等の地名もそれが由来らしい
古深沢湖は、古御殿場湖と時代と場所が被るが、
古御殿場湖が縮小したから出来たんだろか(詳しい事は判らん)

残る古大胡田湖(大胡田/おおごだ)、2550年前に出来たんで御殿場泥流に由来するらしい

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13.7ha水深2.8mなんで、湖と呼ぶのはちょいとアレだが、
御殿場泥流の後に出来たんで、広義的には堰き止め湖になるんだろか
たんだ決壊せず、2000年以上あり続け、湖底には宝永噴火のスコリアも堆積している
(上流河川から流れ込んでる)
おそらく、完全には堰き止められず、河川流入と共に流出もあった為と思われ

思わず明治地図で探してみたが、沼や湿地は見つからんかった

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鮎沢川の段丘面について調べる事ができんのは、参考にした地図にある

火山土地条件図【左上】を元にしたんだが、
コレは火山地形分類データの箱根山【右上】と富士山【左下】を合成した図である
ただし、富士山の火山地形分類データは元図をデジタル化してて、
箱根山側と被ってるトコが若干違う
表記してる調査年度は箱根山の方が新しいし、
産総研の富士火山地質図【右下】と比べても、元にした図に近いんで
「デジタル版の分類データ/富士山は見なかった事にしよう」
と進めてたんだが、資料を漁ってると小山町の管沼(ピンク/地図名間違い)
は泥流堆積面らしい・・・こりゃ困った

まぁ、今回の段丘高に矛盾する事は無いので、無視しちゃっても良かったんすが、
後になって違う!(本人も忘れて)てな事になると厄介なんで、こんな形にしました

でめたし、、、にはならず、
被ってるのが鮎沢川左岸の一部しか無いので右岸/箱根側が判らない
てな訳で鮎沢川沿いの考察ができんのです

御殿場泥流の御殿場/鮎沢川側は、一応終了


2021/11/02

御殿場泥流

富士山 おおよそ全ての説明(だいたい)で解説したんだが、も少し詳しく
被る分もあるが、御了承ください

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御殿場岩屑なだれは、約2900年前に起きた富士山東稜の山体崩壊である
発生原因は火山性でなく近場の地震によるもの、らしい(まだ未確定)

東稜にあった古富士山の小ピーク(と推測される)が、
幾度かの崩壊(図G1~G3)をし、古富士山体が崩れたものである
古富士では新富士以前に幾度か山体崩壊が発生し、
最終的に成層山としての形態を保ってなかった
約2900年前は、残ってた部分が崩壊した事になる

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崩壊地は、標高1500m~3000m間の浅い凹地状地形と想定されてる
(富士火山東斜面で2900年前に発生した山体崩壊/後注)
崩壊堆積物は500m~1000mに露出しており、
直径数十cmから数mの岩屑なだれ岩石と、
流下中に粉砕された礫ないし火山灰サイズで構成される
ボーリングや地質調査によれば滝ヶ原~水土野付近では30m以上の層厚となる
その後、泥流が発生して500m以下を覆っている
基質が風化火山灰質ないしシルト質で角~亜角レキを含む泥流相と、
砂礫質で角~亜角レキを含む河成相に大分される
最大厚層は板妻付近で48mに達する泥流相は酒匂川や黄瀬川に流れ込み、
下流では基質微粒部分が洗い流されて粗大な河床礫を取り込み河成堆積物となる
崩壊発生から200~300年間は二次泥流が続き、足柄平野の北部では40mの層厚となる

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最新の火山地形分類データ上に表した
赤枠が岩屑なだれ堆積地、その下な二次となる泥流堆積地が御殿場を覆っている
なだれ堆積地は、被ってる火山性扇状地や雪代堆積地を貫くと、
凡そピンク線となる
ただコレは方向性しか見て無いので、勾配を考えると若干異なる

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3Dで見る
右側篭坂峠を含む丹沢山体により、小富士(地名)あたりまで若干高くなってる
岩屑なだれは丹沢山体に沿った形で流れ下ってる
SK23(静岡県道23号)近くが左/黄瀬川-右/鮎沢川の分水界であり、
堆積地は凡そ二分されてる

それからすると分水界の鮎沢川側で崩れた場合、流れは鮎沢川に偏る筈なんで、
も少し山頂方向の分水界近くから崩れた、と言う方が正しい気がする

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想定される崩壊地だが、
標高3000m近くまで行ってしまうと山頂近くの新規溶岩を含んでしまう
その下ギリの標高2340m程が上端ではないだろうか
詳細標高で見るも、凹地状な地形が判らず、
獅子岩下に小谷で囲まれた地があり、これかな?

なぉ、ちょい前の資料だと獅子岩は新富士中期の溶岩となってたが、
最新資料では星山期/古富士時代の溶岩とされてる
たんだ・・・

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獅子岩上は、ちょい前資料では上部溶岩と離れてたんだが・・・

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2016年の同図2版ですっかり変わってしまい、幻の滝溶岩と接してる
sd-なにがしは、須走d、すなわち新富士の新期溶岩である
宝永噴出物(1707)も描かれてて、あら想定崩壊地は覆われて無い?

この記事元資料は、それ以前のモノ

分類が付いて判り易いんだが、溶岩なども同位体検査で年代が変わったり、
名前が変わったりで、纏めるんに注意が必要だし、結構大変
一応、国土資料を中心にしてるんだが、地質は富士火山地質図が詳しいんだよなぁ

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古富士火山にあたる小富士(地名)も地表は灌木が生えてる
生物由来の表土とかは地質に含まれんのでその下の地質となる
溶岩が被ってる部分は良いとしても、噴出物(テフラ、スコリア)はどーなの?
小富士の星山期上にも新規のスコリア等は被ってると思う

そもそも全部引っぺがした訳じゃなく、露出地点から推定される分布なんで、
見直されたり、更に変わったりすると思われ

てな訳で、崩壊地は、一応前記の形と想定されてるけど、
今後の調査によっては変わる可能性がある

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最後に泥流の鮎沢川流出ポイントの件を

以前、古小山湖を扱ったんで調べた時謎だったんだが、
小山の街中には御殿場泥流の堆積があんま見られ無い
鮎沢川の段丘面上に残すだけである

地形的に考えれば、鮎沢川の谷となる駿河小山駅~町役場が土砂に埋まり、
堰き止められて大量に堆積、天然ダムとなる筈なんだが、それらの痕跡が無い

泥流堆積地の主たる流れを見ると、河川が緑h289へ集中してる
黄は古富士時代の馬伏川岩屑なだれ堆積面で、コレが河川流域を制限してる
鮎沢川沿いに急峻な崖があり、馬伏川下流・須川が深い谷になってる事から、
土石流対策堰堤の如く泥流を為留めてたんではないだろうか
黄色堰の上下高低差は100m近くある

新小山湖は創られんかったようだ