2023/06/02

小田電、謎の発電所を探せ #4

#3で終わった筈の小田電発電所だが

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「箱根登山鉄道のあゆみ」の早川発電所の事が気になる
#3で「山崎発電所の工事の事を早川発電所と誤解」としたが、
どうもしっくりこない

てな訳で、大正関東大震災前の唯一、、いや、もう一冊あるが、
とりま「小田原電気鉄道株式会社 沿革概要/T12」を読み直すと、、、

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ぃゃぁ、丸っと早川発電所書いてあるじゃないか
前に読んだんは11年前だし、当時は発電所は二の次で・・・
(オマケに小田原市図書館は星崎廃止、東口新設、かもめ改装で
暫く郷土資料見れんかったんで、、ぃゃ、去年からかもめ→中央で見れたんだが)

【赤枠】『早川発電所新設 早川村地内字梅ヶ窪に新設の第三発電所』
ぉぉぅ、第二でなく第三になってる!梅ヶ窪だから早川本流の第弐が該当する
早川発電所の早川は、河川としての早川でなく、早川村に造られるからか

『出力474kw』、、、しょぼい。湯本茶屋発電所の600kwより少ないじゃないか
逆言えば落差30m程度では妥当な値だ

『大正7年3月出願同九年七月許可』!
出願のは月が違うが大正7年、さいで大正9年7月に許可。完成して無い
さいで現状は『工事施行準備中』工事すらまだ行われて無い

「箱根登山鉄道のあゆみ」はコレを参考にして間違えてる
っーか、どうして許可と完成を間違えたのか、準備中とも書いてあるのに

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という訳で第弐改め、第三発電所計画である。詳細は以前の記事参照

大正9年に許可出てるのに、大正12年時点でまだ工事も開始されて無いとは・・・

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湯本茶屋発電所水路と三枚橋発電所の水路は、須雲川を挟んで左岸・右岸と別
【緑傍線】『水路を延長』はオリジナルが悪かったんか
(左岸より右岸に移しとは書いてあるのだが)

さいで【ピンク傍線】『(三枚橋発電所)開始と共に湯本茶屋発電所は大正7年11月廃止』
となってるが、コレは多分表向きなハナシと思われ
湯本茶屋発電所は大正11年位まで稼働してた

そもそも水利的に湯本茶屋発電所の取水を止める事で
三枚橋発電所の取水がフルに利用可能となる筈
ある意味駄目なんだけど・・・

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大正6年では第一(三枚橋)第二発電所稼働で湯本茶屋は廃止の筈だったんだが、
大正11年時点で三枚橋発電所稼働後も湯本茶屋発電所を動かし、
第二(大窪村)発電所落成まで猶予が与えられた形となってる【赤枠】

第二発電所が第弐、、もとい、第三発電所となって、
大正12年まで計画として残ってたのは、この水利権の特例が絡んでる気がする

もち、第三発電所の出力は474kw程度しか無く、
造ってもしょうがないのは、会社側でも判ってたと思われ
てな訳で湯本茶屋発電所は、表向き大正7年に廃止された事になってる
(この頃、山崎発電所の水利権で滅茶ゴタゴタしてたから、からかな?)

多分、畑宿発電所が大正11年に完成したんで、
湯本茶屋発電所を実際に廃止したと思われる

これで早川発電所の謎は全て解けた!

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ぃゃ、ついでにコレも読んで来たけど、
上の宮城野の早川発電所(ちょいと変な事も書いてあるが、気にしない)と別に、
小田電の発電所として下が書かれてて、
まったくソース不明で細かい事も書いて無いし、
どっから大正12年なんて話出たんだろ・・・もう判んないよ

とりま、小田原電気鉄道の早川発電所は計画あったが机上のナントカで、
実際には工事も行われませんでした。というのが最終的結末になります

«ホントに完»

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2023/05/26

漆田発電所

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県西の電力事業で出てきた富士電力(富士瓦斯紡績)
明治40年運転開始、昭和12年に廃止された漆田発電所の情報が
ネット上に殆んど無かったので、纏めとく

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まずは外観。震災前の姿である
なぉ震災時・後も探したが無かった

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発電能力は500kw×2で1000kw
有効落差59尺、使用水量300立尺
なぉ、上に菅沼発電所と書いてあるが、コレは現存する菅沼発電所の事でなく、
工場の水車動力の一部を発電に利用したもの
発電水力事業概要t1によれば、明治32/1899より使用してたようだ

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電気事業要覧では水路詳細判らんが、大正12年関東大地震震害報告書に
スペックが書かれてる
なぉ、漆田発電所は意外と被害は少なく、開渠水路の石垣は全部倒壊、
発電所建屋半壊したが、その他の被害は軽かった

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発電所の場所も書かれれてる。第3~6工場の下流側

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峰発電所の取水堰平面図に漆田発電所の放水路が書かれてる
開渠とその上流は暗渠がある

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それらの情報から発電所水路はこんな形になる
落差が59尺(約17.8m)しかないので、結構シビア
図は適当なんで実値を反映してない
水圧管は205尺(約62m)もあって、殆ど寝てる
もっと急角度の方が出力でそうなものだが
(緩やか過ぎるので、ひょっとしたら誤記かもしれない)

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古い航空写真を見ると、取込の様子が判る
工場間の開渠に流れる

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工場内を抜け、余水吐らしきもの
緑枠囲いは調整池っぽいが、違うかも知れん
そこから水圧管で発電所に至り、暗渠で放水開渠に流れる
放水開渠はそのまま見える

発電所は先の写真によると、階段で降ってくようなんで、
手前地所より結構下になる
発電所からの送電線が、結構エグく登ってるので、結構高低差あったと思う

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てな水路を纏めるとこうなる
当初、もっと上流から取水してたんでは?と思ったが、
開渠水路長が270間(約490m)しか無いので、そこいらが限界
鮎沢川の取水口、放水口は水位差が20m程しか無く、ギリギリ

前々から工場内に水路があるのはなんでかな~と思ってたが、こん為だったのか
当然のごとく現在では工場内水路は塞がれてる

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フジボウ脇の鮎沢川
堰堤が続き、そこそこの勾配

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峰取水堰上流に流れてた開渠は、1970年代に嵩上されて無くなってしまった
古い地図では、工場は陸地(?)だが、そこから下流は氾濫域だったもよう

2023/05/25

環翠楼水力発電所 #3

#2 の続き

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環翠楼の水力発電を調べてみると、やはり大正10-12年から運転してる風
事業者住所と供給区域しか載ってないので、ドコに発電所があったのか・・・

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おっ、畑宿333か

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どうやら間違いなさそ。畑宿333とは・・・

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ありゃ、須雲川発電所は畑宿28辺り(畑宿28はメチャ広くて正しいか判らん)
どうやら此処は大正時代の発電所と違うようだ

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環翠楼の送電路は昭和24年から昭和36年の間に造られたのは確か

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設備も戦後っぽい

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金物系は専用の物っぽい

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須雲川発電所が古い発電所のリニューアルというのは、その再開発計画から明らか

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水圧管も古いのを直して使ってるそうだ

リニューアル前の発電所詳細を探したんだが、見つからんかった
何処の管轄なんだろ

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じゃ、大正時代の発電所は・・・
畑宿日影嵐333が正しい住所のようだ
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畑宿の小字で下草苅には小田電→日本電力の畑宿発電所の水路が通ってる
日影嵐の該当住所は見つからんかったが、そこいら辺りのモンはあった

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日影嵐はここいら辺
(日影嵐333の正確な場所は、登記とか調べれば判るかも知れんが)

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送電線路は、須雲川発電所の物で間違いなさそ
日影嵐の方、即ち大正期の発電所は、も少し先に送電線路があったと思われ

環翠楼の水力発電所は、大正10年頃に最初の物が造られ、
昭和29年に新しい発電所(須雲川発電所)が出来た。という事だ

«完»

2023/05/24

環翠楼水力発電所 #2

#1 の続き

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この写真(絵葉書)は、いつの時代だろ
電話番号が書いてあるから、それで判るか?
「湯本三番五十番」となってるが、コレは湯本三番に加え、湯本五十番
の2回線目の番号もある、という事なのだ

あと、見慣れてるから忘れてたが、横書を右から書く「右書き」は
戦前まで使われてたっけ

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湯本・宮ノ下の旅館に電話が引かれたのは明治35/1902年
文献では明治42/1909年の「大筥根山」が一番古いようだ
(筥はハコ、箱・函・筥・匣・筐と読みは一緒だが、箱根では函・筥が使われる事がある)
環翠楼最初の電話番号は「湯本三番」
あ、そういや「環翠楼鈴木」と銘してたのも結構古い時期
検索してたら他所でも「環翠楼」という名を使ってたんで、同名被りを避ける為だろか

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大正11/1922年では、湯本三番に加え湯本五十番が追加されてる

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大正15/1926年には早くも3回線目「湯本七五」が追加
銘も「鈴木」が消え、梅村美誠と、多分コレは代表者的に書いてあるんだと思われ

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資料によっては3回線目が書いて無いものも
代表者が梅村絢子に変わってる

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先程のには書いて無かっただけで、ちゃんと3回線目はある

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この番号は電話自動化直前まで使われ・・・

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自動化の為の新局番化で市外番号「箱根(0460)」となり、新たな番号が振られる
0460と書けばよいもの、、と思いきや、全国化されたのは昭和38/1963年なので、
それまでは「箱根」が必要だったのかも知れん
なぉ箱根/0460のあとは単一の「5」が使われ、現在の「85」になったのは、
割と最近の2007年である

さて、電話本局にもめげずに探してみたが、
電話三番・五十番となったのは大正時代と思われ、七五が追加された大正15年頃
(自己PRの為なら、あったら3回線目も書くだろ)
「環翠楼鈴木」という名からしても、同様に思われるので、
先の写真は大正期で間違いないと思う

じゃ、湯坂道にあった送電線は?«続く»

2023/05/23

環翠楼水力発電所 #1

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平成25/2013年、東京発電により廃止されてた発電所が再生された
須雲川発電所
昭和29/1954年~昭和59/1984年に稼働してた環翠楼の自家用発電所である

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環翠楼は塔ノ沢。湯坂道に送電線を張って、電力を供給してた

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一部の電柱は残ってる

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元々の電柱柱は、通信用でハエタタキ柱である
おそらくもっと昔に使われてた物の再利用

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環翠と書かれたプレートが環翠楼の物であると物語ってる
(法規上、この手を付けねばならない)

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さらに探して鷹ノ巣山林林道より下を探して見付ける
(ホントはコレを探してた訳じゃ無いんだが)

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以前見つけてた塔ノ沢側の電柱も、見直したら同じ種の奴だった

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コレが当時の写真・・・・・
ぃゃ、なんかもっと古くね?昭和29年の戦後っうより、
昭和初期か、大正時代な気がする

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ほら、資料も出てきた、大正10年頃じゃないか

どーいう事だってばよ«続く»